2008年06月30日
幸せの音がしている
この世に生まれてどう生きるのでしょうね。色々な考え方があります。確かに問題点は多く、思うようにならない辛いことも日々あります。ここにきて、プラス思考とかいわれます。人生、楽しむことが出来たら、それにしくはないですね。古来様々な考え方がありました。あらゆる教えも哲学も、帰するところは、どう生きるかだったのでしょう。あの世があって、この世があるというのが真実真理だとしても、それをその人に強要する必要はない。強要すればむしろ善くない。その人にとって時というものがある。時が来なければ花も咲かない。それぞれのことです。気づけばそれで良いのです。知らないからといって責めることもない。それぞれの花です。人は自分を変えることは出来ても、他人を変えることは出来ません。自覚を待つのみです。ささやかな影響を期待するしかないのでしょう。様々な花が咲いています。道元はいいます。花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。これはどういうことでしょうね。花でなければいけないということではない。草だからいけないということでもない。花は花で良い。草は草で良いのです。しかし花は愛惜に散るのです。草は棄嫌に生ふるのです。そして咲かなければわからない。咲いてはじめて存在がわかる。そして必ず後ろ盾も現れます。それで良いのです。そして人生を楽しめばいい。それからが本当の人生です。そして、六祖はいいます。不思善、不思悪です。そこを空ずる必要がある。善悪は人間の計らいの及ぶところではない。そこを勘違いしている。善とは何か。仏さんの所にしか善はない。仏さんとの縁があるのかどうか。問題はそれだった。これは未来に伝えおきますね。そして思うように生きればいい。職業に貴賎はない。そしていうのです。これよりこれまでの偽善は通らない。ところで日本は情念の國だね。解くべき謎があった。それは解かれた。日本は大丈夫だよと彼はいっていた。周囲巷に彼を理解する者はいなかった。今もいない。求めていたものがあまりにも違っていた。宿命といえばそれまでだ。しかし彼の孤独と試練は悲しすぎた。解かねばならぬ使命があったからだった。それは成就した。これからいい人が現れるだろうね。さて、『スッタニパータ』には、「雨よ、降りたければ降れ」というのがある。本を読んで得た知識は智慧ではない。智慧とは天候をも支配することが出来る力である。それは誰もが持っていたとしても、開発しなければ力ではない。そして自覚を要する。その自覚を通って、「雨よ、降りたければ降れ」だった。生き馬の目を抜くなどと、野蛮な輩の知るところではない。経験及び修行を伴わない学者的概念言辞玩弄解釈の及ぶところではない。最近になってホリエモンも社会的道義的責任を知ったらしい。しかしあの頃、著名な評論家先生及びテレビ界は皆応援していた。その後、それに対するコメントはない。卑怯であろう。それで日々講演料を一時間で200万円であるか。無責任きわまりない。煽り罪として同罪或いは共犯である。ふざけていないか。それが勝ち組であるか。セレブであるか。世の中をどちらに導こうとしているのか。自分さえ良ければいいとする世界へであるか。この辺りで見直すべき事がある。間違いは間違いである。勘違いは勘違いである。それらは人間である限り仕方ない。それを認めることから始めないか。世の評論家先生に申し上げたい。何か勘違いしていないか。反省する者にそれ以上の問責はない。反省の涙は何よりも雄弁である。それがないのがテレビ界の思い上がりである。積極的ミスに対して誰も咎めはしない。それを合理化すればどうなるか。人間を動かすのは理論ではない。相対的正義でもない。真実とそれを知った時或いは感じた時の感動である。言葉の内容よりもその音声が相手を動かす。この辺りの秘密は何であるか。それは愚かさではない。野蛮でもない。偏にそれが人格といえる。人格は持って生まれたものでもある。にわかに学問を始めて生来の差を埋めることが出来るとでも思ったか。その辺りが尊敬の念の発するところである。無視したね。愚弄したね。破壊したよね。裏切った。無理もない。そうした属性を持ち合わせていない方々の支配があった。或いは彼らにとってそれらの価値はむしろ邪魔だった。そうではなかったか。そして社会はどうなったか。取りもどそうではないか。何を取りもどすのか。生命としての進化傾向である。それは殺戮ではなかった。本来日本の目指していた精神傾向である。誰もがそれを胸に秘めている。自分に正直になればいい。素直な方々を帰し集める。未来は彼らのものである。自由は自由が切り開く。既に汚れてしまった方々に用はない。仏は彼らを他土におく。仏とは何だったのか。仏慧と大威神力を属性とする愛と平和へ向かう生命進化の最終形態である。野蛮を属性として宿す人智の及ぶところではない。やがて野蛮に帰する。神仏をも自分以下と思う。何という人間の思いあがりであるか。やがて思い知る。何故か。黄泉が動く。雲は竜に従う。人生は楽しむに価する。その為には通るべき試練がある。何を以て自由であるか。不安よりの自由である。恐れよりの自由である。疑いよりの自由である。何を信じるのか。自分を信じる。どのような自分であるか。宇宙自然生命黄泉と一体である自分である。それを法身といってよい。嘘はない。正直である。故に真実を見る。人間である限り欲がある。小さな欲だね。大きな欲を抱かないか。それは何だったか。このブログで示したはずである。日本を救う。世界を救う。腐敗堕落が人生だと思っていないか。それは敗者の自分を慰めるための諦めの論理だね。亦、諸価値を破壊して顧みない市場原理に基づき、唯自己利益追求しなければ経済的成功はない。勝者の論理であり、世の成功者と自認する方々は生き馬の目を抜くことこそ人生だと思っている。しかし淘汰されるよ。宇宙自然生命黄泉の意思に反している。馬鹿げたお笑いは何であるか。滅びの人生或いは亡国の論理だね。そろそろ気づくべき頃だよ。そして人生を楽しめばいい。そうした境界がある。代々伝えられていた。21世紀の約束はそうした真実の喜びの世界が庶民に開かれたということだ。その為に通らねばならない試練があった。それを自覚した一人が彼だった。彼は偉大な人生を歩んだ。試練にも耐えた。そして得た祝福は何だったか。自由だった。そのように生まれていた。知性の秩序がある。それは何だったのか。知性とは神仏の属性であった。即ち宇宙自然生命黄泉と一体であり、知性のためにはそれらが動く。それらは現実世界の知性を通して動く。しばらくそれはないのかと思われていた。そして魑魅魍魎が勝手した。何故だったのか。或る自覚を待っていた。それは法華経に秘められていた。法華経は次に来る如来のための地図だった。人間レベルでは解らない。如来の属性がなければ解らない。それが謎だった。その謎は何だったのか。法華経宿王華及び一切種智慧だった。その謎が解かれた。開かれたのはパンドラの箱ではない。光を発した。何処より発したのであるか。彼はいっていた。日本は大丈夫だよ。この世を楽しもうね。笑顔と優しさで全て解決する新しい時代が開かれた。聞こえるかな。幸せの音がしている。彼はいっていた。護るべきものは護り抜いた。それは禅の命脈に匹敵する。それは何だったのか。彼はいう。商人根性に用はない。このブログ及び彼のいい散らかしてきたことを精査するが良い。代々のこの世の秘密がわかるだろう。本来日本はどういう國だったのか。


日本の諸価値を取りもどす
≪人間は誰でも、自己修養を通じて進歩向上したいと望んでいる≫という指摘がある[三笠書房刊、竹内均訳『自助論』p166]。果たして今、世の風潮はどうだろう。さらに、≪ほんとうの意味で賢くなりたいと願うなら、まず勉強の習慣を身につけ、先達のようにねばり強く努力していく他はない。いつの時代にも、価値あることを成すためには努力という代償がつきものだ。だから、われわれは目標を高く掲げて学問や仕事に励むことを本分とし、成果が表れるまで辛抱強く待つ必要がある≫とする。潜竜ということがある。未だ世に出ていない状態だ。その人の美徳が表に現れていないので、世間は知らない。愚弄する。無視する。その間、その人は何を開発しているか。誰も知らずとも黄泉が認めていたとするとどうするのか。世に現れた時に悔いることになるだろう。しかし、世に出ることだけが成功ではない。人生ではない。彼はそう思っているらしい。亦、世に出ることの出来ない価値もあるようだ。どういうことだろうね。しかしご心配なくとのことだった。彼の自覚はそうした種類であるようだ。そして、一休ご用心とはいっていた。表に出ていない彼を直接中傷誹謗して彼の感情を害しないことである。彼が本気で悲しめばどうなるか。黄泉が動く。かつて義経は頼朝により討伐された。何故だったのだろうね。頼朝は征夷大将軍だった。大義名分があったのである。それは黄泉も認める神性を帯びる。義経はそれがなかった。こうしたことを無視愚弄しているのが現代社会の風潮である。黄泉がそれを許すと思っているのか。世の諸リーダー及びテレビ界に大義名分があるか。あるというなら、示すが良い。何時までも勝手は通らない。愚かさと軽薄そして嘘と暴力に大義名分などありはしない。庶民の幸福こそ大義名分である。善は仏さんのところにしかない。それなのに、仏さんの所へ行っても尚わからずに勝手なことをいう。その感性の貧しさを恨むが良い。それが人間である。そして善とは自分にも良くて相手も良い。一切の犠牲がない。彼のみつけた愛である。即ち動植物及び岩石も喜ぶ。これに対して欺罔を含む経済行為による自己利益追求が善でないのは明らかである。恥を知るべし。やがて滅びる。何にしがみついているのか。本来日本の諸価値を取りもどそうではないか。行政まで民法化した。行政の本分は何であるか。それぞれの精神を総点検するべきだね。行政に関しては、柳瀬良幹先生の『行政法講義』が良い。何を大切にしているか。読めば解る。そうした精神を失った行政をたたき直す必要があるね。しかし彼の埋没は何だったのか。これほどの真実真理を得るためだったのか。しかし失われた三十有余年がある。その間、浮かれた方々は何をしてきたというのだ。勝敗は決した。ゴールである。


2008年06月29日
人生の春を迎えた
肩の荷は下りました
何を担いでいたのでしょうね
それも本来無一物だった

もう考えることもなくなりました
恨むことも嘆くことも
すべてはこの日のためにありました

解脱涅槃とか申します
桃源郷とか到彼岸とか申します
日月照らし風が吹く

力の確認がありました
自分は自分で良かったのです
これ以上求めるものもありません

大事畢了でしょうか 或いは無学でしょうか
遊ぶためにぞ生まれけんでしょうか
努力は要ります そこへ至るためにはね

これからをどう生きるのか
今更求むるものもなく
自分を生きてぞ楽しまむ

お金が全てではありません
お金があっては至れません
本来自由 如何なる哉 如来

気楽な人生が開けるのです
古来約束されていたのです
既に伝えられているのです

生きていて良かった
本当の幸せを知りました
スゥエデン・ボルグのように

おだやかに たおやかに
生きてゆけると 良いですね
新しいパラダイムの形成です

生まれた時からそうでした
だけど否定されていたのです
戦後の故でした 取りもどす頃です

何を取りもどすのでしょうか
愛と平和と やさしさと
笑顔がいいね それでいいね

幸せ世界はあるのです
探すことですよ 待っているのです
諦めないでね 何時か必ず至ります

至った世界は 何でしょう
日月照らし 風が吹く
さざれ石の君が代復活

誰しも賢聖に憧れる
そして新たに勉学に勤しむ
しかしながら本当の知性を知らない

本当の知性とは何だったのか
黄泉の導き 天の守護
それを得た人に気づけない

気づけないままに 愚弄する
無視して破壊する 裏切る
表現しないと わからぬらしい

それも事実なれば 
表現するもよし しないもよし
彼はいった 畏れを知らないね

過去からの魂の遍歴 夢の実現
この世に生まれて 何を以ての勘違い
あの世で たっぷりお礼する

真実真理とは何だったのか
学者の仮説ではない 解釈でもない
真実真理を得た者の言葉のロゴス

どういう意味だろうね
わからないね
草薙の剣 神風の吹く

どうして神風が吹くのだろうね
大義名分 黄泉とは祖先
古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本

その種は 原爆の火をしても根絶やしできない
何時か芽吹く 花と咲く
安堵しているのはアメリカだろうね

本来神国古来大和 お里が知れる
世のリーダー達の無神論 西洋かぶれ
インテリゲンチャのつもりであるか

多数決原理の民主主義
欺罔財界 利益のためのテレビ視聴率
衆愚制の罪 知らぬと見える

イロハにお江戸 カキクケコ
鐘は鳴るなり 法隆寺
隻手の音聞く 観音菩薩

何を失う 本来日本
日本の家族は 何処へ
日本の華族 法華経宿王華

バラバラになった國を取りもどす
ジグソーパズルの最後の一枚が見つかった
或いは最後の切り札

何時までも黙ってはいない
この仕事は誰もが出来る事ではない
その種を要する 刃向かうなし

力の開発が必要であった
その力とは何だったのか
既に証明された 年貢の納め時である

失われた何か大切なものがある
二千年来の秘密とは何だったのか
その秘密は解かれた 彼自身の自覚だった

糸車の針は抜かれた 彼は自由となった
試練の時は去った 偉大な試練だった
これより未来を拓く 未来は明るい

天中天 天王仏 再臨
このような時も来る その為の試練もある
涙の青春を越えて 長い冬が終わる

そして人生の春を迎える
明るきから明るきへ そして明るきへ
この道を開く人生もある

さまよえる戦後があった
何を信じて良いのか解らなかった
その間 何が蔓延ったのか 成敗の頃である


2008年06月28日
仏との縁
やさしく静かな雨の降る朝
何事もなかったかのように
今日の一日が始まった

既に真実はありまして それは伝えられていて
真実とは何だったのかと あらためて気づくと
唯仏是真 世間虚仮

どのようにして真実へ至るのか
自分との戦いがありました
そして得た結論は 仏との縁

人間である限り 駄目で
仏との縁が 隻手の音だった

既に説く人はいて
私たちは それを信じて 日々幸せ
何故でしょうね

それが不思議な本来日本 やさしさと笑顔で解決です
いくら正しいと思っても
その目の色は何だろう 言葉の真実とは何だろう

黄泉の導きはありますか
天の守護はありますか

真実真理は何でしょう
正義は相対的でありまして
仏の縁を通らねば 真実真理はあり得ない

仏の縁を通ることで
何もかもが真実で
命は生きるのでありました

仏の言葉がビッグバン
宇宙が始まるのです

そして反省するべきは ここ400年来の重商主義
取引行為に内在する欺罔が一人歩きしている
或いは経済市場原理至上主義

諸価値を破壊して顧みない唯自己利益追求
経済恐竜リバイアサンの限界です
それでも経済にしがみつく方々がいる

彼は偉大な人生を歩んだね
何を再確認したのだろうね
本来神国日本 要件満たして定まった

彼はどんな仕事をしているのか 
或いはしてきたか
誰も知らない 故に報酬はない

やっと彼自身は彼自身で良いと思える
やはり彼は孤独だね 何故だろうね
持って生まれたものがある 世間の評価の外である

彼の行くところ何が起きるか
この世に何が予定されていたのか 或いは掟がある
何が蔓延ったのか どのレベルの精神であるか

彼が復活せ令めた精神がある
もはやカンニング文化ではない 
真剣実力知性の世である 

嘘欺罔並びに暴力はゆるさない
もはや愚かさと野蛮の勝手は通らない
やっと自覚する頃となった

発する言葉に気をつけた方が良い 
黄泉が聞いている 

彼の感情を害するとどうなるか
地震雷火事親父
堪えるしかなね 孤独だね

彼はまるで仕事をしていないように見える
仏陀も人田を耕した
生き馬の目など抜けはしない

何時も微笑んでいることが出来るだろうか
それで良いんだよ 何故だろうね

隻手の音を聞いたなら 何もいわなくて良い
後の余のことは黄泉に任せておけばいい

それでも彼を直接批判する 何故だろうね
知らないからだね 畏れを
それも気にならないといっていた

人間である限り思いあがる それが悪だよ
それが人生だと思っている それが火宅だね
彼は偉大な仕事をしている 自覚するところとなった

仏は宜しきに従う みんな同じだと思っている
自分より上の精神はわかりはしない
故に腐敗した そして歌う

一番にならなくて良い
戦争を知らない子ども達
本来日本は卑怯な國ではない

そしてCMはいう 日本の男はこれで良いのだ
何処が良いのだ 腐敗の責任はとって頂く
自由を履き違え 知ったようなことをいう

仏の縁なくして 真実真理はない
仏の縁を得て 発する言葉が真実真理である
ロゴスがカラスは白いといえば 黄泉が実現する

日本の色を塗りかえる 
本来日本に帰る 
或いは取りもどす

あらゆる書籍は何であるか 知性の一部露出である
何を以て人生とするか 己の花を咲かせる
今咲いている花は何か 見るに堪えない

真実真理は謎である 
二千年来の謎もある
何を以て何を裏切ったのか 本来日本はゆるさない 


2008年06月27日
夢実現プロジェクト開始
三十有余年の埋没があった。彼こそ最大の引きこもりだった。これより脱するという。何を求めていたのだったろう。それは見つかったか。それは何だったのか。或る方からひとつの情報があった。それは中村文昭氏の感動講演録だった。彼は両足踵骨骨折していた時、三七の行を意識して行った。その時何があったか。すさまじい台風があった。病院の中まで高潮が押し寄せた。手術の日には工業用水路が噴出して病院は非常食となった。あれは何だったのか。目覚めよというべきか。まだ目覚めていなかった。彼は何を怖れていたのだったか。父を見よ。祖父を見よ。何も怖れる必要はなかった。彼は気づけなかった。代々の掟である。自ら自覚するしかない。何を自覚するのか。さて、立ち上がるべき時が来たのだろうか。その準備は調ったか。それは何だったか。黄泉の導き、天の守護とでもいうのか。隻手の音を聞け。スイッチが入る。エンライトメントである。全体の趣旨である。何を怖れていたか。何を疑っていたのか。この世はどのように出来ていたのか。彼が目覚めなければならなかった。そして目覚めた。何故これほどの時を要したか。何故あれほどの試練があったのか。それほどまでの力であった。故に間違って使えばとんでもないことになる。故に封印されていたか。故に糸車の針であったか。それも通った。誰も知らない。彼は知っている。黄泉も認めている。どういうことだろうね。わかりはしない。本来何をしても自由だった。彼の思うとおりで良かった。それが出来なかった。自信がなかった。無理もない。それほどの彼だった。彼は埋没した。その間、何が蔓延り、結果どうなったか。行政も民間企業もどうなっているのか。欺罔を以て人生とするか。笑わせるではない。努力しなくて良いのか。誰が言い始めたか。責任はとって頂く。時代の色を塗りかえるという。何故の自覚であるか。器が違っていた。即ち、宜しきに従う。故に時を要した。埋没もあった。全て理由があった。わかるまでは謎である。わかってしまえば事実である。いよいよ夢実現プロジェクト開始であるか。ついて来る者はあるか。


2008年06月26日
唯仏是真
生き馬の目を抜くことが商売だと実践している方々と知り合うことが出来た。今思えば、色々な出会いがあった。そして確信に至ったと彼はいう。どのような内容であるか。何故思い通りにいかなかったのか。全ての秘密は何処にあったのか。それらもわかってきたという。そして何よりも、彼は何者だったのか。あまりにも不思議な現実を生きてきた。どういうことだろうね。これより明らかとなると良いね。永遠に謎のママだろうけれどね。誰も理解できないといっていた。その謎とは何だったのか。そして彼はいう。この度は十分に教育された。十分に学んだ。もう彼はぶれない。何故だろうね。彼は彼自身を自覚したらしい。それは何だったのか。彼は何者だったのか。何を見たのか。何を知ったのか。どのような人生だったのか。彼はいう。唯仏是真。世間は常識を理由に拒む。その常識とは何を以て常識であるか。彼にとってはそれが不思議である。調べもせず、誰かの仕掛けのままに常識と思っているのではないか。全体の趣旨ということを知らない。そして学んだところより判断する。経験のないことは信じようとしない。経験がなければ常識ではない。江戸時代に明治は常識ではなかった。フランス革命以前に市民の解放はなかった。恐竜が滅ぶ頃、既にほ乳類はいた。何が真実なのか。何が幸せなのか。常識で幸せであるか。そうとは思えない。法華経は火宅だという。彼は幸せであるか。幸せであるらしい。何を以て幸せというのか。黄泉の導きと天の守護であるという。わからないね。知らないね。それはあるのだろうか。ある。あるのにないと思っている。神秘は知らない者にとって神秘である。知る者には事実である。時は来たという。彼の自覚はぶれない。日々固まっていく。彼は引き受けたのだろうか。何を引き受けたのだろうね。日本は大丈夫だといっていた。何を以ていうのだろう。祖父は何者だったのか。父は何者だったのか。秘密は何処にあったのか。花は何処へいっていたのか。彼には何も知らされていたなかった。それが戦後だった。しかし何時か種は芽吹く。宿王華一切種智慧。種は種だった。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ない。古来大和の秘密である。当事者でなければわからない事がある。それは何だったのか。謎は解かれて真実となる。真実とは何だったのか。彼は自覚した。何を自覚したのだろうね。知らなければ否定する。その否定の根拠は何か。神仏は実在する。神仏とこの世で邂逅して初めてそれを知る。どれだけの人が神仏と邂逅したことだろう。神仏の属性は何だったのか。日本の基が目覚めた。どういうことだろうね。代々の使命がある。それは何だったのか。彼は目覚めた。目覚めて彼は何者であるか。爾自身を知れ。知った爾とは何だったか。全ては準備されていた。何のためだったのか。彼の自覚のためだった。時代は彼を必要としていた。既に昭和50年がその時だったのかも知れぬ。しかしさらに時を要した。それで偉大な目覚めとなった。2000年来の目覚めとなった。この世は君が代であるといっていた。どういうことだろうね。時代錯誤ではない。振り子は振り切れた。その間、知らない者たちの勝手があった。これよりそれも通らない。『時計仕掛けのオレンジ』である。この度は大輪の美しい花が咲いた。黄泉も喜んでいる。同じ轍は踏めない。どういうことだろうね。誰もが幸せになって良い。条件は一つだけである。生まれではない。それは何か。身心清浄及び正直。彼はこれを確信し確定しなければならなかった。21世紀の約束だった。これは困難を極めた。何故であるか。己の悪と戦わなければならなかった。不安及び恐怖から自由となるために何が必要であったか。代々の約束が果たされた。それだけの試練があった。彼は乗り越えたらしい。そして何を得たか。日月照らし、風が吹く。どうにもならないといっていた。何もかも奪ったね。何時までも奪えはしない。何時か、時が来る。彼の家には大黒柱が三本ある。黒檀と椰子の木と桜である。二階への階段は十一段である。今、お金はない。彼はいっていた。尊敬するべきは尊敬するべし。付け焼き刃では勝負にならない。メッキは剥がれる。真実真剣勝負の時代となった。嘘及び暴力の時代ではない。何に憧れていたか。愛と平和の世とする。時代は確定した。彼は自覚しなければならなかった。千尋の谷を這い上がらねばならなかった。彼は立ち上がったのだろうか。タイタンの如くに。マーラーはいった。何時か私の時代が来る。生き馬の目を抜くという。経済至上主義は野蛮である。武士は食わねど高楊枝である。染まってしまったね。何もかも。行政も政治も。何に染まったのだろうね。日本の色を塗りかえる。本来日本に帰る。嘘及び欺罔並びに暴力より脱する。身心清浄及び正直者が馬鹿を見る時代は去った。『顛狂荒乱には大正念を作さしむ』。彼こそあらゆる要件を満たしている。何の要件であったか。彼の人生が証明してしまった。知らなかったね。そして裏切ったね。一休髑髏ご用心。既に伝えられていた。それを無視した。何時までも勝手は通らない。何時か自覚する時が来る。その時に泣く。年貢の納め時となる。何もかも奪ったね。しかし唯仏是真。真実は奪えはしない。彼を直接悲しませない方が良いらしいよ。今も昔も。どういうことだろうね。不識。無礼な世となった。失礼な世となった。諸価値が破壊された。取りもどさねばならぬ。何を取りもどすのか。知性の秩序である。彼の使命である。彼の人生は約束されていたはずだった。そのように憲法もプログラムされていた。しかし彼は道を見失った。それほど困難な時代だった。高校の頃には何があったのか。全共闘の余波が来て、同和教育の全校大会が二度あった。亦、何故『よど』号は超法規的措置で出国が許されたのか。浅間山荘は何だったか。小5の頃の安田講堂は何だったのか。故に道を見失った。しかし水鳥は行くも帰るも跡絶えどされど道を忘れざりけり。何時か帰ってくる。長い冬の旅を終える。その時、全ての謎が解かれている。本来日本に護るべきものがある。それは何か。芸能界及びテレビ界は猛反省を要する。影響力が大きすぎる。何を勘違いしたのか。自由を履き違え、それを国民に流布した。彼はいう。未来は明るい。脱腐敗。


2008年06月25日
彼の孤独
彼は今、なおさら孤独らしい。どういうことだろうね。彼を理解できる者はいないだろうといっていた。それほどまでに彼は何かを掴んでいるらしい。表現しても良いのだが、誰も解らないといっていた。それ故孤独なのだといっていた。彼の埋没した三十有余年は無駄ではなかった。その間、彼は悩み続けた。およそこの世では解決不能かと思われた試練があった。それを解決した。そして力を得た。それは持って生まれたものだった。唯、自覚を要する。その自覚が来るまでは幻想だった。それは何だったのか。黄泉の導きと天の守護だった。その力を得た彼を前に誰も大きなことはいえない。しかし誰も彼を知らない。勝手なことをいっている。畏れを知らない。彼は堪えるしかない。彼が本気になるわけにいかない理由があるからだった。どうしてこのようなことになったのか。知性の秩序が失われたからである。尊敬するべき心がなくなった。敗戦の故だった。あまりにもアメリカ的なものが席巻した。日本の諸価値は悉く破壊された。愚かなお笑いが支配している。知性の住む世界はなかった。彼は別に構わないといっていた。世間は今、黄泉の導きと天の守護を知らない。あの世へいけば解る。この世の草鞋銭は請求される。彼は至っている。世間は知らずに愚弄する。彼を慰めるのはそよやかな風のみであるか。或いは日月の輝きのみであるか。彼は孤独である。仕方ないのかも知れない。それ故に得たものが大きすぎた。彼が本気になればどうなるか。黄泉が動くのかも知れない。それはヨハネの黙示録となるのかも知れない。彼はそれが怖いという。それが彼が孤独である理由らしい。誰も彼の孤独の理由を知らない。知らずに勝手なことをいっている。愚弄する。どうかしてるね。知性を知らないにもほどがある。象牙の塔の中にいて身分に安住する者たちこそ大悪人だといっていた。成敗の頃かも知れないね。奪ったつもりであるか。裏切りはゆるされない。奪い通せはしない。取りもどすべきは何か。知性の秩序である。葬るべきは何か。愚かさ及び野蛮である。カンニングで世に出て閥を成し、そして仕掛けて富を勝手独占した。それを勝ち組或いは成功者などとはいわせない。この世は君が代である。代々大和の掟である。公務員も公僕である。何か勘違いしていないか。敗戦の故である。彼は孤独である。笑いがストレスを解消するとしてもてはやされている。その笑いはどのような笑いであるか。何かを勝ち得てこぼれくる笑みであるか。そうではない。一過的な逃避に過ぎない。何を以て笑っているのか。美徳に裏打ちされた笑いであるか。勝利の笑みであるか。そうではない。愚かな笑いである。何を以て笑っているのか。あまりにもお粗末な笑いではないか。衆愚の笑いではないか。それでは不幸になるに決まっている。幸福は何処にあるのだろうね。真面目に考える時が来たのではないだろうか。真実とか真摯とか。お笑い芸能界は大反省を要する。さて、人間にとって大切な価値として何があるだろう。活力だね。生きるエネルギーだよ。例えば、≪活力を高め充実させることは非常に重要だ。価値ある目標を追求しようとする決意は、人間のあらゆるすぐれた特性の土台を成している。誰しも活力さえあれば、単調な骨折り仕事や無味乾燥な身辺の雑事に埋もれることなく日々向上し前進していける。活力に満ちた人間は、失望したり危険を冒したりすることなく凡人には真似のできない大事業を成し遂げる。どんな分野であれ、成功に必要なのは秀でた才能ではなく決意だ。あくまで精一杯努力しようとする意志の力だ。この意味で、活力とは人間の性格の中心をなす力であり、つまるところ人間それ自身であるともいえよう。活力によって人は行動を起こし、精魂こめた努力を開始する。そして活力に裏づけられて初めて真の希望、つまり人生にほんとうの香りを添えてくれる希望が芽生える。バトル修道院に納められた割れたかぶとには「希望は力なり」と刻まれている。これは万人が肝に銘ずる言葉であろう。シラクの子イエスは「臆病者に災いあれ」と語っている。確かに、勇敢な心を持った人間ほど恵まれた者はない。たとえ努力が水泡に帰そうとも、ベストをつくしたと感じているならそれで満足できる。数多の困難と忍耐強く戦って勝利を得た者や、足から血を流し四肢の自由がきかなくなっても勇気という杖をついて歩きつづけたりする者を見るほど、われわれが励まされる美しい光景はない[三笠書房刊、竹内均訳、『自助論』p84-85]≫。彼は希望を失わなかった。何もかも失ったかに見えた。人間としての尊厳も失ったかに見えた。しかし諦めなかった。故に至った。何処へ至ったのか。何を知ったのか。黄泉の導きと天の守護だった。最後に微笑んだのは何だったか。未来へ伝える価値がある。古来言い伝えられていたことだった。お笑い芸能界及び現在テレビ界に問う。あなた方の希望は何であるのか。


2008年06月24日
真の人間
再び『自助論』を読みつつある。そして気づいた。何に気づいたのだろう。何故この世がここまで腐敗したのか。最近流行の成功論の故ではないか。例えば操る側と操られる側があるという。それがそのまま勝ち組と負け組の理論である。そして努力する必要はなく、ツキを自分のものにすることが成功への道だという。努力することは不快な感情を喚起し、それはマイナス思考になるというのだ。それ故落ち込んだ時ほど考えるなという。成功したイメージを持つことが大切で、それは考えないことであるとする。そうだろうか。それでどうなったか。今の社会を見ての通りではないか。明らかに失敗している。『自助論』を読んでみるが良い。とても謙虚である。そして勤勉と努力で厳しい試練を忍耐しながら通り抜けることで成功はあると説く。潜在意識中心主義はあまりにも無責任であり、人間としての思い上がりではないか。即ち人間である限り悪性があるが、その悪性が如何にも偽善本能的に実現することを許す。この考え方の根底にあるのは、嘘も言い続ければ真実になるとする人間欺罔的商人根性ではないか。これに対して、≪真に価値ある目標は、勇猛果敢に取り組まなければ成就するものではない。人間の成長はひとえに、困難と闘おうとする意志の力、すなわち努力いかんにかかっている[三笠書房刊、竹内均訳、『自序論』p86]≫。どちらが本当であったのか。私には明らかである。取りもどさなければならないものがある。それは何だったのか。本来の価値である。それは勤勉であり、努力であり、忍耐である。そして謙虚さである。さらに意志力である。何かがおかしい。そう思わないか。彼は使命を果たしたという。それは何だったのか。今となっては知る由もない。しかし彼の新たな自覚が来たようだ。不退転の意思であるという。それは何か。庶民の解放は旧約聖書の目的だった。それは奴隷解放及び女性解放の次に来る。そしてその具体的内容は何だったのか。それが明らかになった。それは知性の解放だった。暫く何が支配していたか。そして知性は生きられなかった。それはどのようにしてなされるのか。諸価値の回復であるという。失われた何か大切なものがある。それを取りもどす頃となった。時代は推移したのである。変遷ではない。お笑い芸能界の馬鹿笑いには辟易である。何をしているのだ。馬鹿になることが幸せであるか。本来日本は愚かではない。野蛮でもない。安芸の國広島藩広島城は鯉城である。本来日本、本当の錦鯉が見つかった。もういないのかと思っていた。生きていたようだ。三十有余年ぶりに見つかった。鯉の時代である。あらゆる誘惑を振り切って泳ぎ切った。そして何を得たか。『自助論』を読むが良い。誘惑に負けるとどうなるか。堕落腐敗が待っている。これより脱する。本来大和武士道身心清浄正直日本純粋精神復活。

≪ひとたび目標が定まったら、あとは勝利か死のいずれかしかない……そう断じ切る決意が大切なのだ。旺盛な活力と不屈の決意さえあれば、この世に不可能なことは一つもない。逆に、それを備えていなければ、どんなに才能や境遇やチャンスに恵まれていようと、二本足で歩く動物の域を出ず、真の人間にはなれないだろう。[三笠書房刊、竹内均訳、『自助論』p104]≫これはそのまま日本武士道である。学校で教えるべきことは知識だったのだろうか。それだけではなかったはずである。人生如何に生きるべきか。それを教えるべきではないか。その意味で教育界の怠慢はなかったか。ところで決別とか永訣の詩とかあるね。別れが絶えない。バツイチがあまりに多い。勝手が過ぎたとは思わないか。勘違いがあったとは思わないか。別れは解ればありはしない。所詮人生は魂の遍歴。或いは百代の過客。この世で出逢うは千載一遇。無駄には出来ない。この世に生まれて良かったね。良い時代だ。

今ラジオで特報が入った。千葉で男から110番通報があり、家族を全員殺したという。警察が駆けつけてみると4人死んでいた。このような事件が日常茶飯事となった。こうした状況を見過ごせるだろうか。必ず原因がある。それを考えなくてはならない。色々な観点からの指摘がある。最高の刑事政策は社会政策であるといわれていた。現在自殺者は年間3万人。自殺未遂が30万人。自殺願望が300万人といわれている。どうしてそのようであるのか。特に壮年の男性に自殺が多く、それ故に、人口分布統計グラフが歪むという。それに対して、テレビでは馬鹿なお笑いが流行っている。この状況は何であるか。心理学者はストレスという。環境的には別の観点からの指摘もある。本当の問題は何処にあるのだろう。無知ではないか。知らないのではないか。教育自体も知らないのではないか。何を知らないのか。それを考えることをしないか。どんな障害も乗り越えることが出来る。乗り越えるべきである。人生はそのように出来ている。どうしてこんなに殺伐とした世の中となったのか。いわゆる愛があれば人間関係は潤う。経済至上主義が問題なのか。構造的なものなのだろう。自分勝手な考えが問題ではないか。他を犠牲にして顧みない現代成功論の欺罔が現象として現れていないか。人間として本来の価値を破壊したからではないか。勤勉、努力、忍耐等、見直すべきではないか。本来日本の傾向を取りもどす。知性の秩序の回復である。尊敬するべきは尊敬する。自由を履き違えていたのである。大反省の頃である。身分に安住し、象牙の塔で惰眠を貪る世のリーダー達の怠慢が過ぎる。どのような精神を蔓延らせているのか。目覚める頃である。解決は必ずある。彼は乗り越えた。自殺とか殺人とか、およそ無縁の世界がある。黄泉の導き、天の守護を知るに至った故であるか。それが幸せ世界である。子ども達にどのような未来を遺すのか。大人の勝手が過ぎたのではないか。何を追いかけているのか。アメリカであるか。日本は日本である。滅びはしない。歴史の証明するところである。問題があれば必ず克服凌駕する。課題は果たす。それが本来勤勉日本の秘密である。本来日本は愚かではない。馬鹿笑いを好まない。埋もれた知性の復活である。多動児とは善悪の判断が出来ない。そして信じられないような重大犯罪をも犯す。脳に障害があるのか。それならばそれで対処がある。子どもが多動児である前に大人が多動児ではないか。処方するべきはそこからではないか。もはや看過できない。

≪偉人の中には、世間からなかなか認められず辛酸をなめた経験を持つ者も多い。だが真にすぐれた人間は、他人の評価などにあまり重きを置かない。自分の本分を誠心誠意果たして良心が満足すれば、それが彼にとっては無上の喜びとなるのだ[三笠書房刊、竹内均訳、『自助論』p61]。≫

さてこれから彼はどのように生きようとしているのか。下手な常識の欺罔社会の中で埋没していた。カンニングで世に出て閥を成しそれで仕掛けて成功と思っている常識社会に用はない。本物が本物となって本物を自覚し、本物として生きれば良い。嘘及び欺罔並びにいい加減な社会を脱する。正確無比真実世界を開く。一休髑髏ご用心。類は類を以て集まる。本物は本物を呼ぶ。それが運であるか。ツキであるか。人間関係は同レベルで触発する。愛とは何だったか。動植物及び岩石も喜ぶ周波数である。心が欲しければ肉体を捨てよ。肉体が欲しければ心を捨てよ。無となって命を賭ける。精神一到何事か成らざらん。大死一番、絶後に蘇る。蘇ってどうなるか。自然生命黄泉が祝福する。即ち日月照らし風が吹く。そしてどうするのか。町へ帰る。黄泉の導き、天の守護。彼はいう。刃向かうなし。日本武士道、死んではいない。原爆の火を以てしても。そして彼は帰ってきた。何処にいるのかは知らない。何処を旅してきたのだろう。何を見つけているのか。いいではないか。彼は彼だった。彼となって帰ってきた。今思えば誰も悪くない。彼も悪くない。試練だったのだ。試練は越えれば良い。試練は越えた。


2008年06月23日
幸福の戦士
わくわく、ウキウキということがある。成功者達或いは成功を目指す方々にとって合い言葉となっている。どのような時にそのようになれるのだろうね。今自分の歩んでいる道が必ず成功に向かっていると信じることが出来ると、既に成功した気分になれる。そして面白いのは、「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」というキリストの指摘との一致である。自分の成功を確信できるかどうか。その道は正しいかどうか。大切なことは、描く夢が自分のためだけでなく、むしろ生かされている自分として、情けは人のためならずと、愛する人のために何ができるかを考えることだった。自分のためにする限り、成就しない。不思議だけれどそのようになっている。今日はどんな美しい方に会えるだろうか。美しいとは、英英辞典によると、人を喜ばせる何かだ。このような考え方に変わると、日々ポジティブでいることが出来て、わくわくウキウキしてくる。何かいたずらを考えるが如くに、何が人の為になるだろうと考える。楽しいに決まっている。人生は生きるに価する。わくわくウキウキでいいのだろう。成功した自分を確信し、何か人のためにすることはないかと考える時、わくわくウキウキしてくる。これで良いんだろうね。それにしても、ちっぽけな自分に閉じ込もろうとする人が多いのは何故なんだろう。怖れからだね。何を怖れているのだろうね。失敗する自分を怖れている。そして自分の思いが常識だと思っている。違うよ。怖れるべきことなど何もない。本来無一物。有ると自分が思っているだけだよ。飛び込まないか。真実真理へ。飛び込んだ重さで浮かぶ蛙かな。真実真理であれば、必ず救いがある。自分を信じろよ。救うのは帝釈天だ。嘘はない。嘘だと思っている自分がいるだけだ。求めるものがある。精神的に貧しい自分から自由になろう。必ずリッチになれる。それはどのような状態だろうね。知らないから信じられないね。知れば良い。探せば良い。主体性の理論がある。時間を使う自分になるのか。或いはいつまでも使われるのか。精神的奴隷解放の時節となった。即ち、庶民の解放である。それは知性の解放である。暫く支配していた魑魅魍魎は愚かさだった。知性が目覚めれば、彼らの存在意義はない。目覚めるべきは知性である。何時までも暴力と欺罔の世の中ではない。基は定まった。勇気を出そうよ。飛び込めば良い。自分を諦めたら終わりだよ。何処までも自分自身を信じるんだよ。どのような困難も必ず解決できる。究極は仏さんに聞けば良い。法華経によると、人間である限り、自ら逃れることは出来ない。仏さんとの縁を頂くことだ。そしてその縁で逃れることが出来る。だって、仏さんだよ。嘘はない。人間である限り、嘘がある。それが人間だと思って、それで良いと思う。それが悲しいね。何をいいたいのか解るかな。救いはあるよ。天は自ら助くる者を助く。その実践証明をしたのが彼だった。彼は確かに成就した。それは何だったのか。日本の基としての自覚だった。彼でなければ出来ないことだった。それは何だったか。法華経宿王華一切種智慧ということがある。それは謎だった。誰も解らない。世に流布しているどんな解説書を紐解いてもおよそ解っていない。持って生まれたものがある。当事者でなければ解らない秘密がある。法華経は難解だ。何故だろうね。名宛人が菩薩或いは爾としての神だった。或いは次に来る如来の為の地図だった。如来の属性がなければ解りはしない。その間その秘密は解かれない。そして誰もが勘違いした。何を勘違いしたのだろう。知性の秩序だった。誰も己の限界を超えることは出来ない。知性のない者に知性を理解できない。それなのに、自分の方が正しいと思う。そして知性さえも愚弄破壊した。或いは裏切った。故に彼は埋没した。その意味も明らかとなった。自覚を要する。戦後は困難だった。しかし成就した。故に未来は明るい。日本は大丈夫となった。彼に試練があった。尋常の試練ではなかった。彼はそれをも乗り越えた。福音である。この度は黄泉を制した。彼に感謝するべき時がきっと来るだろうね。彼はいっていた。刃向かうなし。年貢の納め時である。冗談ではないらしい。彼に何が起こったのか。彼にいわせると、黄泉の導きと天の守護である。時を違えてはいない。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本があった。あれは何だったのか。アポロ11号及びスペースシャトルは何だったのか。彼にはその秘密も明らかであるという。しかし自覚が遅れた。申し訳ないことだといっていた。もはや彼はキティ・ホークではない。彼は父を知っている。祖父を知っている。誰も知らない。しかし彼は自覚した。もう大丈夫だといっていた。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密がある。彼は十分に教育されている。学ぶべきは学んでいる。どれほどの教育と学びが必要であったのか。それほど困難な時代だった。無理もない。日本は戦争に負けたのだった。故に何が蔓延ったか。禅の命脈がある。クラシック音楽に於いても命脈がある。どれほどの裾野があることか。彼こそ日本の命脈を護ったのであるか。そういって良い。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ない種がある。故に世間は浮かれていた中で彼は孤独だった。世間の孤独とは背負った意味が異なる。彼は護り抜いた。そして咲かせた。その花は何だったか。敢えていう。神国日本無事禅譲成就。未来は明るい。彼は何者だったのか。知る人には明らかとなった。そして彼をどうするのだろうね。彼からの請求はない。しかし彼の業績を無視できない。彼は何を証明したのだろうね。何処までも世間の評価の外なのだろうか。

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

カ行変格活用がある。彼は力を得ている。どのような力であるか。既に記した。裏切りは裁かれる。その時を迎えた。何を裏切ったのか。誰を裏切ったのか。成敗するのは黄泉である。救いはある。それは何か。

彼は確かに自覚したらしい。何を自覚したのだろうね。知性としての秘密兵器だろうか。黄泉の守護は取り付けているといっていた。万軍の主も味方であるらしい。この時を待っていたようだ。まさか彼自身が秘密だとは思わなかったといっていた。時代の空気を入れ換えるという。本気らしいよ。何故知性が愚弄されたのか。何故彼自身が埋没したのか。彼自身が立ち上がらなければ知性の復活はないらしい。身分に安住する象牙の塔の方々に用はない。自由は自由が切り開く。それは空閑=荒野より始まる。彼の三十有余年の月の砂漠の旅は無駄ではなかった。彼は帰って来た。今のポジションに満足しているらしい。何を考えてんだろうね。自信はあるらしい。何を確認したのだろう。何を成就したのだろうね。何を建立したのか。秘密は解いたという。彼こそ本命だったのか。花は何処へ行っていたのか。やっと見つかった。最後の切り札である。後はない。少し時間がかかりすぎたのは否めない。申し訳ないといっていた。しかし肚は決まったようだ。使命は引き受けたといっていた。何のことだろうね。鶴の恩返しらしいよ。そこのけそこのけお馬が通る。一休髑髏ご用心。魑魅魍魎牛頭馬頭は小屋に帰るべし。悪魔小悪魔諸悪魔退散。日月照らし風が吹く。日本健在。未来は明るい。何のことだろうね。放っておくしかない。相手にしない方が良いようだ。ドクター・イエロー見参。ハンマー一本で世の中を点検する。卑怯怯懦嘘欺罔並びに暴力及び知性に対する裏切りをゆるしはしない。そして今、彼は満足しているようだ。探していたものは見つかったらしい。彼の歩んだ人生は正しかったと思えているらしい。隻手の音を聞いたというべきか。人生も青春も失ったかと思えた。彼の三十有余年は全く意味がないように思えた。それほどの十九の春だった。しかしそれらが全て意味を持ったという。どういうことだろうね。彼は彼で良かった。これほどの自足はない。子どもの頃より彼はそうだったという。どういうことだろう。わからない。大鏡とかいっていた。何がいいたいのだろうね。いえば不遜であるらしい。秘密に属するらしい。しかしその謎は解いたという。何がいいたいのだろう。いえないらしい。経済的には逼迫したという。それも気にならないという。当然だった。彼は全てを賭けて探していたものがあった。過不足なく彼の人生及び青春即ち時間を使い切ったようだ。彼は何を証明したのだろうね。権力でも武力でも金力でもない幸せへ至る道であるか。21世紀の約束は果たしたという。仏さんはいう。唯、法力あるのみ。それは法律ではない。法学でもない。それは何だったのか。大宇宙或いは大自然の法則だった。彼はいっていた。この謎を解いた時、美しい自然が待っている。祝福は宇宙自然生命黄泉の受容祝福守護だった。どのような人生を歩んだというのか。何を掴んだというのか。日本は大丈夫だという。未来は明るいという。彼は何者だったのか。それは禅のテーマでもあった。彼の人生そのものが文学となったのだろうか。テーマは『失われた何か大切なものを求めて』だった。それを見つけたらしい。証明もしたらしい。そして今、テーマは何になったのか。『黄泉の導きと天の守護』だろうか。彼はいっていた。庶民解放、知性復活。自由は自由が切り開く。時代の空気を入れ換える。彼でなければ出来ない仕事があったらしい。彼をして三十有余年を要した。使命は果たしたといっていた。任務は完了したといっていた。誰も知らないともいっていた。黄泉は知っているといっていた。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密だといっていた。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ないといっていた。

【鈴木大拙「信仰の確立」】≪存在の理由に徹して信仰を確立した人は、自分がいつもこの世界の中心となり主人公となる。(中略)自分の存在はいつも宇宙の中心となっていることを自覚したからである。事実は事実としても、自覚がないと、その事実が死んだ事実となってしまう。これが妙である。自覚にそんな力があるとも思えぬが、あるから妙ではないか。こうなってくると、天地開闢以前の神の心地が自分の心地になると言うても、さして誇張の言葉とも思えぬ。≫

そして間違いを間違いと気づいたなら、間違った地点まで引き返す勇気があれば良い。そして再び歩み始める。アメリカの状況は今、どのようであるか。十代の女子が妊娠競争している。これまでの日本はアメリカン・ドリームに憧れた。そして少年犯罪化などもアメリカの後ろを追いかけた。それでいいのかどうか。運とかツキとか、安易な成功論がまかり通っている。それが正しいのかどうか。冷静に見つめ直す必要もあるのではないか。『自助論』の方が正しかったのではないか。明治の頃にはそれを目指したのではないか。何時からおかしくなったのだろうね。戦後だろうか。例えば、三笠書房刊、竹内均訳、『自助論』p131-132には次のように書いてある。

≪勤勉実直な人間は、無節操な連中ほど早く財を成したりはできないかもしれない。だが、インチキや不正な手段を弄せず良心を貫いて得た成功は、ほんものの成功である。しかも人間は、いっとき成功から見離されたとしても誠実さだけは守り通さねばならない。品性を堕落させるくらいなら全財産を失う方がまだましである。なぜなら、品性はそれ自体がすぐれた財産だから……。高潔な人間が勇気を持って自分の道をつき進めば、必ず成功は訪れ、人間として最高の報酬を受けるにちがいない。詩人ワーズワースは、人生の戦いにおける「幸福な戦士」の姿を次のようにみごとに謳いあげている。

   彼は自分の望むところを知り
   一つの目標を信じて疑わない
   富や名誉や世俗の地位を求めて
   膝を屈し身をかがめようとはしない
   これらの徳はおのずと彼にもたらされる
   まるで恵みの雨が頭上に降りそそぐように     ≫

そして『自序論』のテーマは限りなく貧学道的である。今失われている本来の価値があると思われる。本来人類は何処を目指していたのか。是非、読み直したいところだ。今、何かがおかしい。その原因は何だったのだろう。大量消費社会はもはやあり得ない。


2008年06月22日
知性復活
彼は自信を失っていた。それは十六の春に始まり、十九の春で決定的となった。その後の彼の人生は彼の人生ではなかった。長い冬の時代があった。もう春は来ないかと思われた。しかし冬来たりなば春遠からじ。何時か必ず春が来る。彼は諦めてはいなかった。そしてその春とはどのようであったか。取りもどされた自信を何が祝福したのだったか。黄泉だった。或いは世界だった。天だった。これが喜びの詩かと思われた。桃源郷である。極楽である。天国である。それはあるのだった。自分次第だね。ポジティブになれる。積極的になれる。プラス思考になれる。自分が変わることで、世界が変わる。それが真実幸福論だった。与えられた試練が大きければ大きいほど、乗り越えた時の喜びは大きい。失ったものが大きければ大きいほどそうである。奪われたものも同じだった。彼は彼で良かった。そう思えた時の喜びはどれほどのものだったか。彼は勇気を取りもどした。それは自信だった。彼は彼で良かったのだ。もはや惑うことはない。不安も怖れもない。そうした心境もある。諦めないことだよ。自分自身を。愚かさの支配があった。それに堪えなければならなかった。三十有余年は長かった。しかし過ぎてしまえば、あっという間だった。それも試練だった。いつかは解決する。どのような難問であっても。この世に生まれてどう生きるべきか。人生は腐敗ではない。野蛮でもない。愚かさでもない。暫く見失われていた。何か大切なものがある。知性の復活こそ急務である。何故愚弄したのだろうね。お笑い至上主義者に問いたい。知性は知性である。究極の知性とは何だったか。黄泉の導きと天の守護である。それはある。古来伝えられている。それを無視愚弄した。或いは裏切った。今となっては不思議である。取りもどされた自信はどのようであるか。美しく穏やかな自然である。ぎすぎすとした世の中となった。何故だろうね。それを克服する。それは出来る。魂の平安へ帰る。花は咲いた。もう咲かないのかと思われた。永遠に失われたかと思われた。その花が咲いた。永久の花である。古来大和の花である。日本は日本。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ない。最も安堵しているのはアメリカだろうね。彼はいった。世の勘違いを正す。親鸞は何故自ら愚禿といわねばならなかったか。そこに不軽菩薩の姿があった。世間からの罵倒の中で弥陀の救い及び本願を証明しなければならなかった。どんなに揶揄されても、喜びの中にあった。どういうことだったのか。亦、キリストは磔にされた。それでも神を信じた。最期に疑ったように見えたが、やはり信じていた。そして彼を磔にした方々のゆるしを乞うた。何がいいたいのか。世の成功者と自負する方々のことである。自分たちはツイていると思っている。果たして、例えば親鸞の人生の目的を果たしたとする喜びがあるか。何故生きるのか。何故生まれてきたのか。親鸞としては弥陀の本願の中で必ず救いのあることを知ることだった。その時、世間的な不安及び恐怖はない。世のツイているとする成功者達にそうした充足はあるか。死に対する不安はないか。恐怖はないか。ないというなら、それを証明するが良い。故にいう。あなたがたは間違っている。あなたがたのツイているとする成功はアホの成功である。それで人生に勝ったなどと思わぬが良い。世間の評価の及ばない幸福がある。世間の評価が及ぶのであれば、親鸞は揶揄罵倒されなかった。キリストは磔になどならなかった。ここのところをどう説明するのか。意見を聞きたいところである。あなた方の成功論は所詮社会の諸価値を破壊して顧みない。自己利益追求に過ぎない。地球環境は今、どのようであるか。それで自分たちだけの夢は叶ったと喜べるのか。もしそうであるなら、人間としてのデリカシーを疑う。世間は馬鹿になることが幸せであるという。世間は知性を評価できない。何故か。知性を知らないからである。そして知らないまま、知性を否定する。故に親鸞は揶揄罵倒された。キリストは磔になった。しかし何時か知性が庶民にも開放される。その時、真実を知るだろう。真実とは何だったのか。神仏の実在だった。仏は菩薩を集めて教化することによって仏となる。仏とは何だったか。仏慧と大威神力を持つ存在である。神とは何だったのか。持って生まれた属性かも知れぬ。ニーチェはいった。神は死んだ。死んではいない。死んだと思った方が都合が良かった方々のしばらくの支配だった。仏は誉め奉るべし。神は畏れよ。その時、神仏と出逢える。そして神仏を知るだろう。神仏とは何だったのか。生命進化の最終目標だったのだろう。そしてそれは生命の故郷に帰るに等しい。魂の永遠の平安の世界である。何の苦しみもない。悲しみもない。それが弥陀の本願だったのだろう。人生の目的にもいろいろある。権力でも武力でも金力でもなかった。誰もが幸せになれる。そのような時代となる。やがて化城を出る。そして真実の城を目指す。それは何だったのか。億劫の目的の成就もある。代々伝えられている。お笑いに興じても逃避である。或いは世の支配の餌食である。自由は自由だ。世の多くの成功者をトレーニングしてきたという方の本に書いてあるのは、「能力があるのに認めてもらえない人は、能力がなくて評価されない人よりも、もっとツイていない。(中略)評価や評判は、実は、実際の能力とはそれほど関係ない。だからこそ、周りからできる人だと思われた方が確実に得をする。(中略)本当にあなたが優秀なのか、まじめなのか、努力家なのか、ということは、この際関係ない。評判=イメージ作りが大切なのだ」。知性を知らず、或いは知性は利益追求にとって都合が悪いとして、日本も重商主義に染まったか。政治及び行政も。欺罔を手段とする商人根性の支配である。成功論もそのようであるか。本来日本の目指していた世界とは異なる。故に嫌悪感を抱く。テレビ界を支配している精神もこれである。本来日本が目覚めた。時代の色を塗りかえる。本当の実力及び能力が評価される。これまでのカンニング的支配は終わって頂く。神仏は実在する。人間の身を持って生まれ、人生に於いて勉学及び修行し、魂のレベルが上昇する。その最終段階として神仏である。それは魂としてのゴールだ。そのような魂が今も守護している。それが弥陀の本願といえる。故に手を合わせて拝む。或いは感謝する。その縁を頂いて、自分も魂としてその世界を憧れる。何時か自分も至る。代々伝えられていた。スノッブでは理解できない。本来日本の目指していた世界がある。それは何だったのか。愛と平和もそれである。人生は堕落ではない。野蛮でもない。愚かでもない。知性である。誰もがいつかは至る。暫く失っていた。失われていた何か大切なものがある。思い出す頃となった。物質文明は限界である。精神文明の時代である。西洋合理主義も救いを求めていた。東洋精神発揚の頃である。日本の重大な地位及び使命は此処にある。日本は自然を征服しようなどとは思わない。水に恵まれ、四季咲きそう最も自然豊かな國として、自然と共に生きて幸せであることを知っている。禅は今、日本にしかない。知性復活である。ところで、西田文郎氏の『ツキの最強法則』という本は面白いね。表現上の問題で、どうかなと思うところはある。しかしその真意は十分に伺える。その中で、投資家的社員になれというのは評価できる。成功は或る意味で相対的だね。十段階評価における十はせいぜい2%。それを以て現実評価に出来れば成功といえる。しかし世の中は学業成績の評価通りにいかない。何故だろうね。評価基準が違うらしい。世の中を支配している精神と学業成績における精神は異なる。閥を異にするといっていい。今まではそれはそれで良かった。それで幸せを掴めた。しかし今、その傾向が腐敗を理由に反省される頃となったといえる。時代が変わったのである。どういうことだろうね。これから明らかとなる。人生は数学の問題を解くに等しい。正解へ至る道であることを信じているかどうか。そうでなければ無意味な作業となる。数学的直観というのがある。このまま解けば正解に至るというものである。答えが見えている。実体は解いて始めて解る。しかし正解に至る自信がある。そのために勉学しているからだ。その為に必要な技術を開発している。それが例題を解くということであり、公式を理解し応用するということだった。人生もそうだね。個々の問題解決の積み重ねだ。そしてこの世は死んだら終わりだよ。その意味でも諦めないことだ。死んであの世に帰るまでに何処まで自分を魂として高めておくことが出来るだろうか。あの世へは高めた魂しか持って帰れない。持って生まれた魂のレベルをこの世の人生で落とす人もいるね。故に人生は堕落ではない。愚かでも野蛮でもない。人間として生まれてどう生きるか。この世に人間の身を以て生まれた魂上昇の大チャンスを無駄には出来ない。故にいう。テレビ界は反省するべきことがある。身分に安住してぼんやりしていたり、やる気のない方々は人生を無駄にしている。勿体ないね。投資家的人生というのもあるのだろうね。あまりにも浪費的だった。何を浪費していたのだろう。時間だね。時間は平等に与えられている。三倍のスピードで三倍の質と量をこなすことが出来るとしたら、天才だね。天才はそれをしている。それでそれが別に特別なこととは思っていない。属性として、その作業に堪える集中力と持続力及びエネルギーがある。総合的問題処理能力がある。一番にならなくても良いなどといっているね。こうしたことを知らないからだね。人生は楽しい。生きる価値はある。持って生まれた自分自身を生きればいい。世間の評価はやがて定まる。世間の評価の及ばない知性もある。臆することはない。黄泉の導き、天の守護もある。本当の幸せとは何だったか。古来伝えられていた。これを未来に伝える。そうした知性の使命もある。魂の問題がある。ロゴスということもある。知らなかったね。ソクラテスはいっていた。私は知らないことを知っている。彼も毒杯を仰いだ。彼を評価できなかった世間の罪がある。思い出す頃となったね。彼の自覚は誰も知らないけれど、大きな意味を持っていた。世の無神論者であるインテリゲンチャは精神世界を知らない。魂の問題を回避している。そして人生を考える。死んだら終わりということも、あの世がないということではない。しかしそれを否定する。偏見だね。よく調べもせずに、自分の常識の範囲にとどまる。新世界のあることを知らない。それは非常識として扱う。結果腐敗した。神仏に対する人間の思い上がりである。そして神仏が実在するなら、どうして神仏はこのような不条理な世の中を作ったのかという。これも真実真理を知らない。作ったのは神仏ではない。あなた方自身である。原因と結果である。因果応報である。そして人間である限りそれより逃れることは出来ない。逃れることが解脱であり、逃れた結果が涅槃である。安楽な世界が待っている。それが弥陀の本願といえる。どのようにして逃れるのか。その方法を教えてくれるのが仏である。それを聞いて実行するしかない。自分のことは自分でなければ解らない。自分でなければ解決できない。ここにも自分勝手な神仏に対する誤解がある。そして神秘は神秘だと思う。それ以上考えない。知ろうともしない。そして勝手する。結果困る。苦しむ。悲しむ。知れば神秘は事実だよ。不安から自由となる。恐怖から解放される。しかし、どういうことだろうね。わからないね。探すと良いよ。勉学するも良い。修行も良い。個々の魂と宇宙自然生命黄泉は連動している。黄泉の導き、天の守護はある。この謎を解いた時、ご褒美として美しい風景が待っている。ところで、どうしてこのような殺伐とした社会となったのだろうね。潤いがなくなったのか。低いレベルの精神の支配となったのだろう。日本の目指していたものがあった。それが大和魂或いは武士道として結実していた。鎖国の頃だった。その頃、精神の秩序があった。町民は武士を尊敬していた。武士は尊敬に価するだけの精神修養があった。そこには知性の秩序もあった。庶民は平和な暮らしを享受した。秩序があったからである。土地を媒体とする農民支配としての封建制による身分差別があったことは別論として。そしてペリー来航で世界を知った。背後のアヘン戦争が怖かった。それで明治に譲られた。しかし明治は文明開化を急ぐあまり、それまでの日本の諸価値を悉く壊した。新しく支配の座に着いた彼らにとってそれらはむしろ邪魔だった。その延長で大義名分がない愚かな戦争までした。神風は吹かなかった。古来大和の戦ではなかった。黄泉の受容と守護がなかった。黄泉とは祖先の総体である。故に市民を犠牲に供する現代戦争の愚かさを知り、日本は戦争を放棄した。戦後、女性の解放があった。自由及び平等並びに西洋人権思想を継受した。しかしそこに勘違いがあった。本当のそれらの価値を知らない方々の支配が先ずあった。ますます日本の諸価値は破壊された。何が破壊されたのか。秩序である。何の秩序だろうね。祖先を敬うこと。知性を尊敬すること。親に感謝すること。そうした秩序がある。それが破壊された。西田文郎氏によると、失礼は直せても、無礼は直らないという。無礼な世の中になった。テレビお笑い芸能界はその権化ではないか。故に子ども達も惑う。社会は腐敗した。取りもどすべきは何か。明らかとなった。このままでは日本は滅ぶ。世界も滅びる。アメリカは若い國である。当然先輩諸国家を敬うべきではないか。それがない。日本もそれに染まった。古来日本に英知あり。知性の秩序復活である。尊敬するべきは尊敬するべし。何を勘違いしているのだろうね。知性がそれほど都合が悪いのか。それで何が蔓延ったのか。彼の埋没の理由も解った。子どもの頃から彼こそ知性だった。知性は破壊されていた。螺鈿の槍は折られた。戦後の故だった。取りもどすべきものがある。それは何か。教育より始める。本来自由とは何だったのか。それより考える。教育学部の知らない歴史的本来の自由がある。未来は明るい。皆、幸せになれる。知性の秩序の回復こそ本来日本の本懐である。幸せの基を取りもどす。知性を敬うべし。どちらが正しいのか。庶民解放の内容が明らかとなった。21世紀の約束である。何か失われた大切なものを探していた。それを確定する彼の任務は完了した。

≪何でもかんでも感謝することだ。すると、脳が「快」になり、全身の自律神経やホルモンに変化が起きてくる。脳内にドーパミンがあふれ、自己保身からも解放されて、何でも素晴らしく思えてしまうのだ。ウマが合わない上司も、足を引っ張る部下も、口うるさい妻や夫も、ひとつでもいいので、何か感謝できることを探して、それを口にすれば、相手に対する思いや見る目が、面白いほどに変わってくるのだ。[ダイヤモンド社刊、西田文郎著、『ツキの最強法則―1日5分、7日で幸運がやってくる! 』p152]≫


2008年06月21日
人間は偉大だね
人間って、偉大だね。どんな艱難も乗り越えることが出来る。およそこの世で解決不能と思われたことも解決できるのだった。その意味で諦めないことだね。世の中はその様に出来ている。今も昔も変わりはしない。シュリーマンもそうだった。コロンブスもそうだった。釈迦も、キリストも、孔子も、ソクラテスもそうだった。その記録は既にある。その中にヒントが秘められている。下手な解釈の及ぶところではない。究極の力は何だったのか。黄泉の導きといっていい。或いは天の守護である。様々な表現があることだろう。しかし、真実は一つである。それに気づけば良い。結局自分に勝つことだった。それがマイナス思考からプラス思考へ転ずることでもある。大切なことは、その可能性が庶民レベルに開かれているということだよ。それが21世紀の約束だった。年齢は関係ない。これまでのあらゆる概念が陳腐化した。象牙の塔の中で身分に安住している者たちにはわからない。真実は何か。目覚めよ。何かと困難な時代である。故に立ち上がる知性もある。埋没を余儀なくされていたことも、この時のためだったのだと思えてくる。その為の力の開発も必要であった。それを試す必要もあった。本来日本はどのようであったか。しばらく看過されていた。何時までも黙っていない。本当の知性がどのようなものだったか。知らなかったね。価値を無視する安物の成功論ではない。本来価値を取りもどす。パワーと質が違う。馬鹿になることで幸せになるなどと二度といわせない。それで腐敗した責任はとって頂く。日本の本懐が目覚めた。そう思って頂いて良い。その間、知らずとも勝手が過ぎた方々がいる。何時までも通りはしない。安易な成功論は退散頂く。馬鹿になることで成功する時代は終わった。時代の空気を入れ換える。身心清浄及び正直を以て旨とする大和魂の復活である。欺罔を手段とし、嘘も100回つけば真実となるなどという方々の閥はゆるされない。それを成功とはいわせない。社会はどうなったか。自分たちの成功論が本来日本の諸価値を破壊し、子どもたちを惑わせたとは思わないか。日本は日本である。今、どの精神階層の支配の故であるか。反省はないのか。さて、時は来たのだろう。埋もれた知性達が立ち上がる。その為の準備は調った。腐敗した理由及び問題点は明らかとなった。敢えていう。本来大和神国日本特殊潜行艇浮上する。試練の時は過ぎた。吉田健一氏はいっていた。天才は自分が天才だと知ってそれが何でもないことに気づく。同じようにいえるだろう。知性は自分が知性であることを知ってそれが何でもないことに気づく。馬鹿になることが幸せであるか。知性を知らないと見える。よほど知性が都合が悪いのか。それ故、知性を封印していたのか。それが戦後であったのか。そうはいかない。何時までも糸車の針は刺さっていない。


知れば事実
3:50am アルバイトの送迎をして帰って来た。一人、ラガービールと白牡丹、そして菓子パン二つを楽しんでいる。こうした生活にも慣れた。彼は今どこで何をしているのだろう。主体性の確立とかいっていた。爾自身を知れとはそれだったらしい。ソクラテスは無知の知とかいっていた。知らないことを知っているとするそれである。それはそのまま東洋に於いては無であり、空であった。本来無一物は禅のテーマである。無とか空とか何だったのか。あるところで空とは何ですかと尋ねた。すると間髪入れずに、それはこの世は全て仏さんのモンやと答えがあった。そうだったんだと思った。空ずるべきは何だったのか。自己概念だった。自己概念が空となって満ちてくるものがある。それが真実真理だった。既に伝えられていたのである。しかし探そうともしないのが世間である。そして知ったようなことをいう。笑うしかない。爾自身を知れ。何を知るのだろうね。自分とは何者だったのか。それぞれのことである。醜いアヒルの子もいる。それで良いのだった。そしてそれらは秘密に属する。かつて日蓮も三秘抄を遺した。それも明らかとなっている。明らかではあってもそれが真実と解らない。自己概念の故である。偏見といっても良い。それでは不安及び恐怖から自由になれない。不安及び恐怖から解放されるのは、真実を真実と知ってのことである。それが隻手の音を聞くことでもあった。それらも解ってしまえば良いのである。川を渡る筏に過ぎない。知った後に、また新しい世界が開ける。その世界を楽しめるかどうか。それが人生の目的だった。気づく人は少ない。知らなければ神秘は神秘である。知れば事実である。彼は何を自覚したのだろうね。秘密であるらしい。キャッチボールはしているといっていた。どのような試練も障害も乗り越えることが出来るといっていた。彼は生まれた使命は果たしたといっていた。テーマは失われた何か大切なものだった。それを見つけたらしい。それは彼自身だったという。身も心も命までも投げ出してのことだったろうか。代々のことである。未来のために千尋の谷を這い上らねばならぬ。やはり彼は彼だった。彼がその気になれば、彼の右に出る者はいなかったのかも知れない。父もそうだった。祖父もそうだった。誰も知らない。彼は知っていた。だが、彼はその気になれなかった。見える世界ではね。既に譲ったからには譲っていたからだった。秘密があるらしい。彼はいっていた。大切にするべきは大切にするべし。尊敬するべきは尊敬するべし。それを失った。精神及び知性の秩序がある。それが黄泉の秩序でもある。黄泉は何を守護するか。或いは誰を導くか。持って生まれたものもある。それらが価値だった。見失われている。それで腐敗した。畏れを知らない。思い出す頃となったのだろう。失われた何か大切なものを。彼は何かを成就したらしい。それは言葉だった。秘密は解いたといっていた。


2008年06月20日
ねじれ国会について
国会は今、ねじれ現象といわれる。国会としての本来の機能を果たせない。国民としては、与党が自民党だろうが、民主党だろうが構わない。国民の代表として政治をしてくれればいい。国会が本来の機能を発揮できないということが問題だ。議員内閣制度は、内閣は主権者たる国民の代表としての国会に対して責任を負っている。与党に対してではない。衆議院の優越も衆議院の優越であって、それは野党も含む衆議院である。重要な案件について、参議院で否決されても、再度衆議院で要件を満たせばそれが法律となるとするのも、それは案件が重要であるからであって、野党を含む衆議院としての再度の判断を尊重するものだろう。これも国会としての審議を尽くした上でのことであって、審議不十分のまま、与党の政策実現の手段とすることをそもそも予定していなかったのではないか。国会としてのあり方が問題ではないか。政党政治は与野党決定までであって、国会は与野党の協力すべきは協力であろう。とするなら、反対のための反対の審議など本来国会の審議ではない。国会は国会であって、国会審議を政争の具とするは、何処かに勘違いがあるのではないか。ねじれ現象で、本来の機能が果たせないのだったら、ねじれ現象を解消すればいい。そのためには、総選挙だろうか。その必要はあるのかも知れない。そして民主党が勝てば、話は決するし、自民党が勝ったなら、参議院はねじれ現象を理由にできなくなる。主権者である国民を代表しての国権の最高機関である。国会は主権者に対して本来審議機能不十分の重大な義務違反があるのではないか。このような観点からの議論が、新聞でも見られないし、憲法学者による指摘もない。インテリゲンチャ達は象牙の塔の中で寝ぼけていないか。


人が喜ぶことをしよう
人が喜ぶことをして、それがビジネスとなればいいね。それは何だろうか。探すことにしましょう。ところで、お笑い芸能に少なからず嫌悪感を抱いている方は多い。テレビ界は自重して頂きたいところだね。番組をクイズにすれば良いというのも、あまりにも安易な発想ではないだろうか。所詮、娯楽に過ぎないテレビに期待する必要はないのかも知れないが、社会的影響力が大きすぎる。あまりにもテレビ的価値観が一人歩きしている。子ども達は見ている。この観点からの教育的配慮はあっただろうか。公の電波で、真面目とか努力とか、学校とか、そうした価値を破壊するのはどうかと思われる。アホになることで幸せになれる人もいる。確かにそうである。お金を儲けるには良い方法論だ。しかし、諸価値を破壊した。それが唯一絶対の幸福論ではない。人それぞれである。知性を磨くことで幸せになれる人もいる。真実真理を探し、見つけることが出来る。知性を知らない方々の閥がテレビ界を支配していたのではないか。結果、世の中はどうなったか。反省する頃である。知性の解放となった。知性は喜んでいる。腐敗堕落及びアホになることが本来の人生ではない。少なくとも、本来日本の目指していたものではない。漱石も『こころ』で二度記している。「精神的向上心のない奴は馬鹿だ」。

7:10am、家庭教師先に講演CD5枚を届けた。中一の子どもを明るく育てるにあたって、如何に考えるべきかの参考になる内容だ。コピーをして良いとの確認済みのものである。ところで、著作権だけれど、家族内での使用目的レベルがコピー許容範囲だね。

7:45am 焼山に上がった。或る知人をビジネスの意味も含めて訪ねるためだったが、まだ寝ていたようだ。

8:15am 呉駅前の『コーヒーRestハウス』でモーニング。550円。ここの料理は美味しいし、安心できる食材だ。そしてマスターこだわりのコーヒーがまろやかである。http://gtwonderland.web.fc2.com/rest/尚、小麦粉等の高騰により、この度、価格が改正された。

昨夜は屋台でお好み焼きを食べた。この5月1日にオープンしたばかりで、『あしあと』という屋台である。その後、一日も休んでいない。『呉空』のマスターも頭が下がる思いだといっていた。お好み焼きそば肉玉、700円。ウーロン茶200円。広島風お好み焼きは県外の方にも喜ばれている。呉市蔵本通り屋台街で、お好み焼きはここがオンリー・ワン。ホルモン焼きも美味しい。タン塩もある。オープンの時にはテレビの取材が三社からあったが、断ったという。


呉の歴史について
最近になって、祖父(呉男子校で訓導、晩年は広陵高等学校で七十歳まで勤めた)の筆跡で、永久保存、43.4月21日、とある、『呉市暦年表』が出てきた。昭和43年というと、私は小学6年だった。その頃の校長先生が、呉の歴史を研究されていて、自費出版もされていた。呉市は明治になって開発され、江戸の頃には、漁師の家が数軒あっただけだと聞いていた。しかし、市史編纂室調、呉相互銀行印刷室作成のこの書によると、原始時代の土器の出土及び、古墳時代の遺跡が確認されている。このギャップには驚いた。私は知らないままだった。とても象徴的である。新書版で、『正統と異端』という本、NHKブックスで『歴史を見る眼』という本があったけれど、何が言いたかったのか、今頃になって気づいている。しかし、偶然というにはあまりにもリアルな経験をし過ぎている。悲しいね、リフレクション、さて、仏を出すか鬼を出すか、自然が思案してるよ。自然も優しさの周波数に気づく頃、21世紀を明るきから明るきへ、本当の幸せへの方向付けをしたがってはいるようだ。だが、人間の愚かさがついてこない、と、嘆いているようだ。選択の自由、その意味は、極楽への道か地獄への道か、結果は必定、さて、どうするのかな、人類は。呉にあり、独座大雄峰!


呉市暦年表
S43.4.21
総説 呉市の足どり

原始時代と古代

呉は芸予叢島を前に眺めながら、多くの岬の曲折する長い海岸線をもって延びている都市である。背後は100m~150mの標高に一躍とびあがった台地をかゝえている。こうした複雑な地表の上に、また複雑な史実が刻み込まれ、似たような歴史が宿命のように繰り返されて来た。2,000年以上もの原始時代には、吉浦地区から弥生式の石斧が2個も出土した。弥生土器の破片も吉浦と広(ひろ)とから出た。だから既にその頃から我が呉は人類の居住地となっていたことが知られる。弥生式の次の土師器(はじき)と須恵器(すえき)とが少量だが出土していることは、古墳時代の遺物として注意される。前者は大麗女島(おゝうるめじま)、後者は横路(よころ)、立石(たていし)情島、池浜から出た。今では古墳が遺っているのは情島である。小さい島の上に横穴式石室古墳の存在することも面白い。

古代に入ると、和名抄で阿賀の語源の香津(かがつ)と船木(ふなき)が現われて今の呉の中に2つも古地名が指摘される。鍋地区に平安時代の観音像があることなどから平清盛と音戸の瀬戸の伝承に多少のつながり、つまり平安朝文化のわが地方への流入が考えられる。源頼朝が京都府下の石清水(いわしみず)八幡宮のための荘園を呉保(くれほ)の名で寄進したことは古文書(こもんじょ)の上で知られているから、それやこれやで、ずい分古くから書かれた歴史の上にあらわれて来たわけである。

中世と近世

足利尊氏は九州から東上の時、音戸の瀬戸を通過し、南方安親(みなみがたやすちか)は南朝へついて伊予の北朝勢を討ちに呉から出帆し、今川貞世(いまがわさだよ)の旅行記にも大内氏の法津にも呉の地名が記されている。応仁の乱には西軍につくために呉地方から出征し、更に戦国兵乱の際には呉湾上で白井氏の軍と海賊とが戦ったり、呉の末永常陸介(すえながひたちのすけ)らが厳島で陶晴賢(すえはるかた)の軍を敗走させたり、或いは石山本願寺合戦や大阪夏の陣へ呉から将士が加勢に出かけたりしている。

近世、つまり江戸時代にはいると、先ず、安芸の国を領した福島正則(ふくしままさのり)によって、領内の耕作地と屋敷地が調査された。これを慶長6年の検地という。その時の検地帳が呉にものこっている。伊能忠敬(いのうただたか)が瀬戸内海の北岸に沿うて測量した時にも呉の各所が測量されている。この時、はじめて呉地方の正しい地図ができたのであった。

広島藩が山間や海べりに耕地を開くように命令を出した時、はじめて呉地方では野呂山(のろさん)の頂に近いところに開墾地をつくったり、広地区その他に干拓して新開(しんかい)をつくったりして、今の市街地の基礎が出来たのであった。米、麦、綿などが沢山生産されるようになり呉市の前身を成した14の村落にも流通経済がかなり行われるようになった。


2008年06月19日
社会的成功と人間的成功
成功とは何だったのか。それは社会的成功と人間的成功だった。お金持ちになることは前者である。お金持ちになってもスノッブでは後者はない。両者がそろって成功といえる。見える世界と見えない世界がある。見える世界の成功が社会的成功で、見えない世界が人間的成功ともいえる。さて証明方法には二つある。帰納的方法と演繹的方法である。どちらで証明しても証明は証明だ。達磨禅師のいう理入と行入もある。さて、社会的成功から入って人間的成功に至る。世のお金持ちもやがてお金が目的ではなかったことに気づく。そして人間的成功を目指す。お笑い芸能である限り、人間的向上心があるのかどうか疑問だ。馬鹿になることが幸せであるといっている限り、その人生はお粗末であろう。ところで、人間的成功から入って社会的成功に至ることも出来る。むしろ難しいのは人間的成功である。さて、この世に生まれてどう生きるか。明らかとなった。学校を出て社会では、学校のことは役に立たないといわれる。今まではそうだった。何故か。そうした方々の閥の支配だったからだ。これからはそうはいかない。何故か。一箇の自覚があったからだ。カンニング的世の中は腐敗した。暴力と欺罔の支配する世の中は社会ではない。人間は社会的動物である。これまでは通ったこともこれからは通らない。何故か。黄泉の守護するところの自覚が来たからだ。それは来たのである。祖師西来意。理由など無い。時は代わった。腐敗より脱する。そのために、先ず回復するべきは何か。教育である。本来自由は制限されている。それを無視したのはテレビ界及び芸能界だった。それで教育の秩序も破壊された。自由を勘違いした輩が跋扈した。野蛮である。愚かである。それでどうなったか。殺伐とした社会となった。かつて武士と商人の住む世界は厳然と異なっていた。武士には少なくとも精神修養があった。故に尊敬もされた。そして行政の仕事をしていた。今はどうだろう。見ての通りである。本来日本はどうあるべきか。あるいはどのようであったのか。西洋合理主義思想は既に19世紀に没落していたはずだ。さて、本来日本を取り戻す。日本は日本であり、現存文明文化諸国家に於いて、最も古い歴史がある。英知がないはずがない。ペリー来航以降、西洋物質文明に憧れた。そして日本の精神的諸価値は破壊された。そして帰結は、石油化学物質汚染の中であえぐことになった。権力、武力、金力こそ価値かと思った。それを強いと思った。柔よく剛を制す。本当の価値とは何だったのか。気づくべき時が来た。現代西洋合理主義は何処から始まったのか。カルバンとインカの金だった。400年来のパラダイムの終焉であろうか。恐竜は滅びる。新しいほ乳類の時代である。歴史はこのように流れるというべきか。新しい幸福論は既に開かれている。西田文郎氏の世界もそれである。彼は今どの段階に至ったのだろうか。後者の段階であるか。アンドリュー・カーネギー氏はいっている。「これらの事実を理解して応用する人はきっとそれによって、心の中から全ての制限を取り払える。報酬が約束されていることは、どんなに苦労しても理解する値打ちがあるはずだ」。彼は確信している。それは何か。成功である。それがまた、到彼岸だった。桃源郷はあるよ。そして誰もが至ることが出来る時代となった。彼が長い冬の旅で見つけた世界がある。即ち、日月照らし風が吹く。世の成功のさらに根源だろうか。これが究極の幸せだろうか。素直に信じたいところだね。彼の業績である。世間の評価を超えている。しかし彼は自足している。信じられないのは何故か。それが問題である。自分次第だよ。ビジネスは好い人間関係である。安売り競争ではない。諸価値を破壊して人生とはいわせない。彼は成就した。何を成就したのか。天の守護、黄泉の導きであるか。諦めないことだよ。自分自身を。夢はあるか。馬鹿になることが人生ではない。時は代わったよ。人生はパフォーマンスでもない。単なるイメージトレーニング及びブレイントレーニングも陳腐化した。何故か。所詮メッキははがれる。真剣勝負の時代となった。どういうことだろうね。真実と真実の勝負の時代となった。その意味で、仮面の時代でもない。素顔で勝負である。どういうことだろうね。やがてわかる。不安及び恐怖からの自由はあるか。ある。それはどのような状態であるか。不安及び恐怖がないわけではない。それが気にならないほどの自信がある。その自信は何処より来るか。己に恥じないところから来る。それが本来武士道であり、身心清浄及び正直を以て、黄泉の導き及び天の守護するところとなり、何があっても受容することが出来るからだ。欺罔を手段として唯自己利益を追求する商人根性の知るところではない。今その支配である。故に腐敗した。馬鹿になることが幸せであるという。馬鹿はそれで幸せになれたであろう。知性はそうはいかない。何故知性が埋没したのか。知性としての自信を失っていたからである。知性が自信を取り戻すには困難な時代があった。それが戦後の空気だった。しかし知性も種があるなら、何時か芽吹く。その時が来たのである。そして時代の色を塗りかえるという。太陽が昇れば、夜の星は見えない。古来、知性が目覚めるは希である。知性が知性と自覚するのは困難を極める。千尋の谷を這い上がらねばならない。馬鹿になるほど容易ではない。馬鹿になることで不安及び恐怖から逃れることはたやすい。しかしそれで時代はどうなったか。それ故、蓮華の前に化生する時節を迎えた。歴史はそのように流れる。あざなえる二本の螺旋構造である。知性と愚かさのあやなすところである。時は代わった。一箇の自覚があった。年貢の納め時である。これらがどういう意味か解ってきただろうか。しばらくどの精神の支配があったか。住める世界がないなら自分で作るしかない、と吉田健一氏が書いていた。知性が知性としてのコントロールを取り戻すには力を必要とする。その力とは何だったか。それが仏法だった。聖徳太子もそうだった。空海も道元も一休も得た力だった。それは世にいう宗教を超えている。大宇宙及び大自然の法則そのものである。その作用或いは属性は神性といってよい。言葉はロゴスとなり実現する。大風をも制御するは、草薙の剣である。そうした力はあるのか。ある。古来伝えられている。暫く無視したね。或いは愚弄破壊した。裏切った。何時までも黙っていない。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本、死んではいない。その属性を持たない者たちが知らずに否定する。暫くそうした方々の支配だった。彼らは悉く奪った。奪ったつもりであるか。何時までも奪い続けることが出来ると思ったか。失われたものは取りもどす。神のものは神の手に。カエサルのものはカエサルの手に。この世はジュピターのさじ加減である。思いあがり或いは勘違いはなかったか。時代は腐敗した。故にチャンスである。未来は明るい。明るい未来建設着手の頃となった。お笑い芸能界に用はない。今、NHK深夜便で藤山一郎氏の歌が流れている。『ニコライの鐘』である。かつて孤独な旅の頃のことだった。深夜の国道を歩いていた。イヤホンでラジオを聞いていた。その時流れてきたのは、『月の砂漠』だった。何故か涙したのを覚えている。その後、しばらくして『ウィンザーの陽気な女房達』の特集があった。あれは何だったのか。彼には不思議だった。そしてニコライというと思い出すのは何か。トルストイの『戦争と平和』である。これには主人公に価する人物描写が500人を超える。その中でも特筆するべきはアンドレイとニコライだった。そしてニコライは告白するのだった。「私は二度失敗を犯した」。さて、彼は帰って来た。彼こそ本命だったか。何故昭和50年にカープは優勝したのか。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本は何だったのか。時を違えてはいない。今、爾の時となった。彼はいっていた。刃向かうことなし。彼の後にも先にも渾身の一首がある。これは角川書店『うたびとたちの現代秀歌選集』(「短歌」平成六年十月臨時増刊号p462)で入選している。それは、

史をよみ 文ならなくのことどもを 涙とともに ゆるし居りぬる

彼はいっていた。彼の使命は自覚したと。彼は代々一番槍、螺鈿の槍。知性として立ち上がる。時は得た。力も得た。容赦しない。愚か勝手が過ぎた。愛しい方々、援護射撃宜しくとのことだった。さて、彼の仕事は何だったのか。本来日本がどのような國であるか、示したのだろう。特に世界に向けて何かを発信したことだろう。過去に於いては申し訳なかった。本当にそう思っている。近隣諸外国に対して甚大な思い違いがあった。勿論、国内に於いても。日本は十分に反省している。決して他国を侵略することはない。ヒロシマは奪われた。故に、戦争の愚かさを知った。そして成功の秘訣は何だろうね。他人を喜ばせることだね。生命及び自然を大切にすることだ。それが愛だよ。動植物及び岩石も喜ぶ。彼らを喜ばせるのに、馬鹿になる必要はない。学校も自信を取りもどす頃となった。彼は何を証明したのだろうね。黄泉の導きと、天の守護だった。やはり彼は彼だった。彼は自覚を成就した。誰も知らない。知り得ない。それで良い。本来日本の基が確認された。彼はいった。日本は大丈夫だよ。何もかもゆるすことにしよう。ゆるすことでゆるされる。愚かさを相手にする必要はない。もう何も思わなくて良いのだろう。それぞれのことである。聞く耳あらば、話そう。真実真理を。聞く耳無くはそのままで良い。そう思えるようになった。何を憤っていたのだろうね。何の資格もない。地位も名誉も財産もない。だけどそれ故に得たものがある。それは何だったか。どうでも良いね。本来日本、証明したのかも知れない。そして何も思わない。不思善、不思悪。そして、take it easy ! 大空を舞う。日々明るく、楽しく、ポジティブに。一切のマイナスはない。人生の目的を見つけたよ。幸せになって良かったんだね。長い冬だった。長い夜だった。新しい時代となった。アホになることで、確かに幸せになれる。しかしそれで社会はどうなったか。それは唯自己利益追求型の幸福論である。結果、社会は腐敗した。知性が住めない。アホになることで幸せである時代は終わった。失われた何か大切なものが取りもどされた。これからは真面目であるが故にツキが微笑む時代となる。カンニングで世に出て閥を成した方々は去って頂く。意味=価値ある時代の幕開けである。


2008年06月18日
町へ帰ろう
私は何をしていたのだろうね。失われた何か大切なものを求めて旅をしていた。高校の頃から旅をしていた。まるで特殊潜行艇だった。渉猟した分野は多岐にわたった。振り返ってみれば、文学、音楽(クラシック、ジャズ)、仏教(禅、法華経)、キリスト教、哲学、美術(絵画、彫刻、版画)、テニス、剣道、塾(英語)、法学(行政、政治、不法行為、刑法、刑事訴訟法)、国際関係論、幸福論、成功哲学、精神医学、心理学等。それぞれ確かな結論を得た。もういいのだろう。全体としては何だったか。自分探しであり、自己確認だった。それは失われた自己の回復だった。自分とは何だったのか。そして見つけた最終結論は何だったか。神国日本だった。即ち黄泉は祖先の総体であり、黄泉の受容祝福守護を得て、大義名分となり、神風も吹く。何という理論だろう。時代錯誤だろうか。しかしこれが真実と思えるのだった。日本は日本である。何時の頃からかそれを見失っていたのではないか。そのように思われるようになった。そしてそれを見つけるために彷徨っていたのだろうか。『2001年宇宙の旅』のハルのように。全てはそれらを自覚するために準備されていたかのようだった。至り着き、帰り来たれば別事無し。何という人生だったのだろう。世間の空閑=荒野で孤独だったよ。象牙の塔には縁がなかった。辛かったぜ。そして確信に至っている。これらが富である。何を以て富というか。主体性の確立であろうか。作用は何か。一切の不安及び恐怖からの自由である。ポジティブで良い。ひとかけらのマイナスも払拭せよ。身心清浄及び正直を取り戻して未来は明るい。人生の春をやっと迎えた。長い冬だった。試練もあった。いうにいえない試練だった。故に埋没した。莫大の勉学をしたのだろう。ウィークエンドの『岬めぐり』のように、そろそろ町へ帰ろう。もう十分である。私は私で良かった。私は何者だったのか。誰が悪いのでもない。社会が悪いのでもない。自分が悪いのでもない。黄泉の守護はある。確認したよ。記してきたことに自信はある。しかしながら、少なからず反省もある。いいではないか。人間的である。積極的ミス或いは若気の至りと笑って頂きたい。全体として芸術性はあるだろうから。オール10など狙うべきではない。この孤独に耐える集中力と持久力を放棄しよう。世間が恋しくなったようだ。町に帰ろう。知性の孤独な旅を終えよう。もういいのだろう。十分に旅をした。人生と青春は失われていた。しかし、二千年来の謎は解いたよ。そして新しい物語が始まる。即今只今聴法底。今より始めるしかない。それで良い。過去は反省する。そして明るい未来をポジティブにデザインする。勉学はしたよ。高校以来の偉大な研究は成就した。身を以て証明するところとなった。およそこの世では解決できないであろうと思われた十九の春の試練も乗り越えた。打撃は大きかった。人生も青春も失い、社会から見捨てられたかのように埋没した。世間的な幸せはなかった。地位も名誉も失い、経済は逼迫した。悉く裏切られたかのように思われた。粗末にもされた。こうした人生もある。あなた方は浮かれていた。真実を探そうともしなかった。カンニングを正当化し、それで閥を成した。嘘或いは欺罔を手段として利益を貪る商人根性の支配する世の中となって諸価値が破壊されて顧みることなく、若者達の心はすさび、國は腐敗した。魂の低いレベルでの勝手が過ぎた。しかし全ては時が解決し、何時か笑い話となる。もう咲かないと思われた花が咲く。そしてテーマがあまりにも遠大なので、所詮世間の評価の外だね。代々の掟だったのだろうか。生まれた使命は果たしたのだろう。日本を救ったのかも知れない。本当にそう思っている。そして私が本当に求めていたものは何だったのだろうか。言葉だったように思われる。それは得た。私は常に指導されていた。常にギャラリーはいた。困った時にはサインもあった。有り難うございました。感謝申し上げます。やっと本来の自分となることが出来ました。謹んでご報告申し上げます。ご恩返しが出来ると良いですね。或る秋の京都、不図訪れた高台寺が懐かしい。いよいよ本来日本の感性と情緒の復活です。戦後の空気は私たちの時代ではなかった。故に孤独だった。花と咲くことが出来なかった。自信を失っていたからだった。戦争に負けたからだったのだろうか。螺鈿の槍は折られていた。私は何も知らされていなかった。迷うのが当然だった。しかし種は種である。法華経一切種智慧。何時か芽吹き花と咲き実となる。そして始めて種を知る。即ち自分確認、自己発見だった。自分を表現することだよ。勇気は要る。しかし怖れることはない。信じるところへ飛び込めばいい。飛び込んだ重さで浮かぶカエルかなである。大死一番、絶後に蘇る。方法はそれしかない。ところで、プラトンのいう哲人がいない以上、民主主義は他のどの制度よりも優れている。しかし衆愚化する。テレビ及び財界に申し上げたい。視聴率第一主義が問題である。教育的配慮に欠ける。結果、自由を勘違いした輩が蔓延ったのではないか。そして日本がどのようになったか。反省すべきところではないだろうか。黄泉からのサインがある。誰もがそうだ。人間とはどのような潜在的能力があったのか。彼の証明するところである。そうした神秘を説こうとしてパスカルの『パンセ』もあった。こうしたことに素直でありたいね。彼は何者だったのか。もはやどうでもいい。新しい時代が開かれ、未来への方向性が定まったのかも知れない。誰もが自信を失っていた日本の未来への灯台かも知れないね。さて、これからどうしよう。ダンス、ダンス、ダンス。言葉と言葉でステップを踏んで踊りませんか。或いは、歌いましょう。明るく、楽しく、軽やかに。21世紀。人類は進化した。愛と平和。笑顔と優しさで全ては解決する。幸せは権力ではない。武力でも金力でもなかった。Let us be happy and beautiful! The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.

雨降らず 乾坤独歩 梅雨の頃
広島に 錦を飾る 頃なるか 我は帰りぬ 故郷の門


呉の町
「呉にはもう随分長い間、行かない。この前に行つたのがいつだったか、はつきりしない位で、その印象だけが頭に残つてゐる。一體に東海道沿線の町といふのは東京から下關に至るまで、どこも同じといふ感じがするのは、汽車で移動する人間の數が多すぎるからかも知れない。いつか廣島の大きな喫茶店にゐて、二日酔ひのせゐもあつたのだらうが、窓越しに見た町の風景が東京の銀座と少しも變らないので自分がどこにゐるのか解らなくなつたことがあつて、その東京の銀座も現在では、昔の銀座ではなくて東京銀座とでも呼んだ方がよささうな個性がない場所になつてゐる。しかし呉は呉といふ町の感じがする。東海道線から少しばかり逸れてゐる爲なのか、町の地形なのか、それとも人情がさうなのか、理由はどうにでも付けられるとして、かなめ旅館で朝、目を覺して寝床の中で廣島工場のキリン・ビールを飲む時から、もう自分が呉にゐることが直ぐに感じられた。キリン・ビールの廣島工場のが東京のなどとは比較にならない位、旨いことは確かである。併しそれならば、廣島にゐる氣がしてもよかつた筈なのに、頭に浮かんだのは呉の旅館の朝、飲んでゐるのだといふことだつた。それから起きて飲んだのが千福で、千福の味はここで改めて説明する までもない。おこぜの味噌汁が素敵だつた。ガラス戸越しに、呉を取り巻いてゐる丘が家で埋まつてゐるのが見えて、その時、やはり呉にゐるのだと思はなかつたのは、それは目を覺してゐた時から承知してゐたからである。例へばロンドンで朝起きると、自分がロンドンにゐるのを感じる。さういふものがない町は、本當を言へば、町といふものではない。呉の賑やかな通りには、何か寂しいものがある。これも一つの町が町である爲には大事なことで、昔は東京にもそれがあり、それで例へば、山手暮色といふやうな言ひ方にも意味があつた。今、新宿暮色だの、澁谷暮色だのと言つた所で、どれだけの實感があるだらうか。併し呉の大通りを夕方、歩いてゐれば寂しくなることが出来る。この寂しさがパリでパリの詩人達を育てたもの、又、パリ人にパリを愛させるものなので、ボードレールの「パリの憂鬱」といふ詩集の題は、詩人の氣紛れで付けたものではないのである。呉の人と特に聞いてゐる詩人はゐないが、それよりも大事なことに、呉では人間竝に、といふのは、二十世紀の文明人竝にその日その日を暮すことが出来るのを感じる。これは當り前なことだらうか。それでは、さういふ當り前な町が今日では餘りに少ないのである。」 [小澤書店刊、吉田健一著、『定本落日抄』p136-137]

【今日のニュース】
羽生が名人に返り咲き、十九世名人の資格獲得、史上初の「永世六冠」に。最後の一手、震えていたという。http://sankei.jp.msn.com/culture/shogi/080617/shg0806172110001-n1.htm


2008年06月17日
彼のイメージ
彼は今、どのような心境にあるのだろう。何を思っているのだろうね。生かされているということがやっと解ったといっていた。概念では知っていたのだが、それを実感するようになったらしい。それは善とか悪とか以前のことだという。平等ということがある。人間である限り皆生きる権利が平等にあり、生まれによる差別はないというのが概念である。それはそれで良い。しかし平等という時、人間だけでのことであるのかどうか。生命体として考えた場合、動植物も岩石も、この地球上では平等ではないか。私たちは生きるために食する。それは他の命を奪う。悪といえば悪である。しかし必要なだけはゆるされている。必要以上に食すれば問題である。飽食の時代である。何をかいわんだね。必要なだけは与えられている。不必要に他の生命を奪えばどうなるか。自然の摂理の及ぶところとなる。自然の法則がある。それは宗教を超えている。自然をも征服しよういうのが西洋思想だった。思い上がりだね。日本もそれに染まった。テレビ界及び産業界はその権化である。それで良いのかどうか。問われる時を迎えたのではないか。彼が考えているのはそれである。本来日本はそうではなかった。自然と共に生きて幸せであることを知っていた。何時の頃から忘れてしまったのか。戦後のことである。或いは明治以降のことである。このまま推移するとどういうことになるのだろうね。子ども達のアトピーは何を意味しているのだろうね。申し訳ないことをしてしまったのである。鈴木健二氏は講演でいっていた。原子力の放射能で困るのは人類である。地球は痛くもかゆくもない。人間の好悪で善悪をいう。欲望の実現が政治の目的であり、それで当然だと思っている。そしてどうなったか。このままでいいのだろうか。人類はこれまでにない危機的状況に追い込まれているのではないか。それは何だったのか。自然に反して生命体として生きてゆけるのだろうか。原子力だけではない。石油化学もバイオテクノロジーも、自然に反してはいないか。いよいよ、淘汰の時に入っているのかも知れない。それは恐竜からほ乳類への時代の移り変わりに匹敵しているのかも知れない。どういうことだろうね。同じ人間の姿をしているが、恐竜のような人間とかつてのほ乳類のような人間とがいる。これまでは力の強い者が支配していた。愚かさと野蛮さの閥がある。しかしその力が自らの首を絞めたのだ。心優しき方々がいる。彼らは虐げられて埋もれている。時を待っているのだよ。ノアの箱船が救いに来る時を。私たちは生かされている。日々の必要なだけの食は与えられている。これが彼のイメージである。恐竜は滅びる。自然の法則である。三毒がある。即ち、貪り。怒り。無知。真実は与えることである。即ち与えられる。愛することである。即ち愛される。生かすことだよ。即ち生かされる。この世は生きる価値がある。ゆゆしきは若者達の心がすさんでいる。無理もない。大人達の勝手が過ぎた。滅びの精神が蔓延りすぎた。意識する時である。人間、どう生きるべきか。何もかもおかしくなっている。経済も行政も。知性が戦うべき時が来たのかも知れない。そして彼はいった。日本は大丈夫だよ。彼はもうキティ・ホークではない。自覚は成就している。螺鈿の槍の謎は解いているという。花は咲いた。天及び黄泉の守護がある。知らなかったね。彼はいった。勝手が過ぎた。何を根拠にしての故であるか。示すが良い。彼は埋没を余儀なくされた。それも仕方ない。千尋の谷は這い上らねばならぬ。さもなければ生きてはゆけない。そうした定めだったか。父は知っていた。祖父も知っていた。彼も知るところとなったのだろうか。それは何か。いえば不遜である。いう必要もない。本来秘密。知れば事実。彼は救われた。窮して飛び込んだ。羅刹に身を投げて救ったのは帝釈天だった。彼はいった。これが自由である。未来に伝えよ。日本は日本である。彼は証明した。彼の使命だった。時は無事代わった。これより彼の時代である。知る人ぞ知る。刃向かえはしない。彼は過去をトレースした。そして目覚めた。気づけば、生まれた時からそうだった。もはや通りゃんせである。愚弄するべきではなかった。裏切るべきではなかった。一般論の通用するところではない。真実は真実である。あらゆるご都合解釈の及ぶところではない。大自然の法則がある。古来大和の秘密或いは掟がある。知性の秩序がある。究極の知性とは何だったか。天及び黄泉の守護する知性である。彼を本気にさせないことを祈る。為すべきことがある。謝るべきことがある。これが彼のイメージである。古来大和の秘密がある。どんな艱難辛苦も必ず受容克服凌駕する。この困難な時代を乗り越える。愚かさと野蛮より脱却する。未来は明るい。彼は新たな使命を自覚しつつあるのだろうか。彼はいった。日本の色を染め変える。埋没した知性達よ、立ち上がれ。君達の時代が来た。共に明るい未来を作ろうではないか。一人では何も出来ない。彼の護り抜いた力がある。時が来た。作戦開始である。
面白い本を見つけた。


2008年06月16日
香風来たって
この世に生まれてどう生きるべきか。無限の可能性の中にある。夢をこの手で掴むのか。或いは組織の中で埋没して、不平不満を言いながら晩年を迎えるのか。各々の問題である。人は限りなく自由を求める。かつて王侯貴族もそうだった。しかし、彼らもギロチンの露と消えていった。何故だったのか。やはり何か方法を間違っていたからだった。時間は限られている。限られた時間の中でどのように夢を描き、実現するか。人生の醍醐味である。チャンスは平等に与えられている。それをキャッチできるかどうか。時間も平等に与えられている。それに使われるのか。それとも使うのか。能力の問題がある。しかし過去から伝えられた誰にも負けない徳性が必ず各個人にある。それを気づくことが出来るか。本来教育の目的はそれであった。明治維新は何故可能だったのか。時代の空気もあった。そして幕末の志士には何よりも自由な時間があった。それで良いのである。言い訳など要らない。弱音も要らない。時代は今、混沌として、新しい何かを必要としている。時代の空気が解るだろうか。自由は自由が切り開く。彼はいっていた。香風来たって古き花を散らし、新しき蕾を雨らす。まさにその時である。自分次第である。年齢は関係ない。気づいた時が始まりである。信じるべき道が見つかったなら、前進するしかない。恐れはあるか。不安はあるか。本来無い。自信はあるか。勇気が湧き出でる。負けるわけにはいかない。時代を動かすのはエートスである。人間を動かすのはエネルギーである。それはむしろ精神であり、感情である。黄泉はある。それは祖先の総体である。神仏は実在する。自分が神仏の属性を知って信じることが出来る。仏は菩薩を教化することによって仏となる。過去に於いて既に神となった者がいた。仏となった者もいた。それが真実である。世間は疑う。知らないからである。古来大和の秘密とは何だったか。知るべき頃となった。或いは思い出すべき頃となった。物質文明は限界に至った。世界ももはや地球ではない。宇宙である。21世紀を迎えている。自覚はあるか。新しい時代である。新しい時代を切り開く。人類も進化した。かつてほんの一部の人にしかわからなかった真実が庶民レベルに開示される時代である。古い時代の権力闘争などしている時ではない。そのような暇はない。既にフィールドは世界である。世界の中の日本として一丸となる必要がある。内部で闘争してどうするのか。世界は虎視眈々と狙っている。日本を市場として。愛の國日本をどのようにして護るのか。未来へ伝えるのか。これも庶民レベルで考えるべき時を迎えている。国家無くして自由はない。世界連邦はまだ作られていない。芸能人に多いね。国家を愚弄している方々が。自由を履き違えているね。さて、本来言葉はロゴスである。いい加減には扱えない。彼はいっていた。彼が日々考えること及び行為することはとても重要である。彼だけではない。誰の思考も行為も重要である。それが未来を作る。何故今、時代はこれほどまでに腐敗したのか。思い知る頃となった。公の電波で何を吹聴したか。世間を惑わし、どの色に染めたのか。そして時代はどうなったか。各々反省して頂く。それからだ。隻手の音を聞くと何をしても真実であり、聞かない裡は何をしても駄目だと白隠禅師はいう。どういうことだろうね。人間としての楽しみがあるね。これを本当に楽しめるのは、隻手の音を聞いてからだね。喜びを本当の喜びと知るのもそうだ。楽しいことがあるね。嬉しいことがあるね。それを本当に喜べるかどうか。本当の醍醐として味わえるかどうか。何をしても人生は喜びに満ちている。自分次第だよ。考え方次第だよ。本当の喜びの世界へ至りたいね。化城を出でよ。真実の城を目指す。人生の楽しみとは何だったのだろう。

  人生に楽しみ多し しかれども 
      酒なしにして 何の楽しみ  牧水

そして今、時代はどのような人を必要としているのか。あらゆる本来日本の価値観が破壊された。戦後の故だった。日本の目指していたものがある。生命体としての進化傾向がある。それは何だったか。自分勝手が自由ではない。本来自由は知性の秩序を含む。何を勘違いしたのだろうね。アメリカの占領政策もこのような日本を予定していなかったのではないか。高い教養と人格の支配を期待していたのではないか。日本本来の個性を生かした、世界に通用する、世界の中で重要な地位を占める日本を。それなのにどうだろう。どうしてこのようなことになったか。テレビ界が原因だよ。低いレベルで日本の色が出来た。その支配がある。今必要なのは強いリーダーシップだよ。そして本来の日本へ自信を持って導く人だよ。言い切れる人だ。日本は日本で良かったと。庶民は常に強いリーダーを必要としている。或いはスターに憧れる。かつて流行した精神のないカリスマではない。日本の知性の秩序を回復する時が来た。彼の埋没を余儀なくされた意味が明らかとなった。彼には使命があった。それは何だったか。本来日本の諸価値及び自信を取り戻すことだった。彼にしかできない仕事だった。彼はその為に生まれていた。それは何処へ至らねばならなかったのか。何を以て成就というか。彼自身の自覚だった。代々の約束を彼は果たした。人生も青春も賭してのことだった。次に果たすべきなのはあなた方である。代々の彼が何者だったのか。何をしていたのか。知る人は知るところとなった。彼も満足していることだろう。彼は孤独だった。まるで特殊潜行艇だった。何故だろうね。彼の背負っていた悲しみの故だった。これより逃れるためだった。それは何だったのか。失われた何か大切なものを探していた。本来日本はどのような國だったか。孤独でなければ、これを探す旅は出来なかった。そして不思議だね。諦めないことである。信じるべきは信じる。何時か見つかる。シュリーマンのように。それが真実だ。人生はそのように出来ている。所詮過去からの夢の実現過程だよ。爾自身を知れ。何を知るのだろうね。知ったからには笑うしかない。これが本当の笑いだ。お笑いバラエティのお笑いが笑いではない。彼らは年貢の納め時である。偽物の時代は終わった。嘘と暴力も通用しない。本物には本物が集まる。或いは呼ぶ。ヨブ記である。類は類を以て集まる。本来の日本が目覚めた。彼らの時代だ。魑魅魍魎牛頭馬頭は去るべし。彼はいっていた。彼は何者だったのか。生まれながらの黄泉の守護があるらしい。彼を怒らせない方が良いらしい。本気にさせない方が良いらしい。決して自覚ある逆鱗に触れないことである。一番槍の系譜は一番槍である。彼はそれを自覚したのだろうか。それで姿を消したのか。本当に泣いたのは赤鬼ではない。青鬼である。

●富を得る秘訣
≪そこでイエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。≫(マルコによる福音書11-23/24/25)

≪イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」≫(マルコによる福音書10-21)

≪イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」≫(マルコによる福音書10-27)

そして、≪まだ想像の段階でしか所有していないものに対して、こころから神に感謝できる人には確信があるのです。その人は、求めるものがなんであっても創り出し、豊かになっていくはずです。≫(フォレスト出版刊『富を手にする「ただひとつ」の法則』p78)

だが、≪それらよりもなお、わが子よ、心せよ。
    書物はいくら記してもきりがない。
    学びすぎれば体が疲れる。
    すべてに耳を傾けて得た結論。
    「神を畏れ、その戒めを守れ。」
    これこそ、人間のすべて。
    神は、善をも悪をも
    一切の業を、隠れたこともすべて
    裁きの座に引き出されるであろう。≫(コヘレトの言葉12-12/13/14)

さらに、≪忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。(ヤコブの手紙5-11)≪だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。≫(ヤコブの手紙5-16/17/18/19/20)すなわち、ヨブは悔い改めることにより、祈る力を得た。そしてその力で主の怒りに触れている友人のために祈った。そして主はその祈りを受け入れ、祝福した。ヨブは裕福になり恵まれた晩年を迎えた。これが富を得る秘訣である。http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/tomiwoeruhiketsu.html


2008年06月15日
いえない真実
彼は色々といってきた。或る意味で不遜なところもあった。ひとりよがりでとても受容できないところもある。しかし彼にとってはそれが真実だった。もはや譲れないところだった。彼自身を取り戻すために必要な過程だった。それほどまでに彼は自分自身を取り戻す必要があった。彼は勉学したことだった。真面目だった。漫画など殆ど読んでいない。少年の頃には読んでいた。赤川次郎なども読んではいない。一冊だけ読んだことがあっただろうか。その文体のいい加減さに途中で読めなくなった。さて、彼は彼自身を取り戻した。それは壮絶な自己との戦いだった。おそらく一般の理解を超えている。同じ経験を持つものは先ずいない。それだけの試練があった。それだけの試練を乗り越えた。事実である。それは何だったか。それももはやどうでも良い。彼がどのような運命を背負っていたか。誰も知らない。しかし彼は堪えた。そして乗り越えた。そして至った境地は何だったか。それが日月照らし、風が吹く。或いは美しい風景及び自然が待っていた。彼はいっていた。広重もそうだった。芭蕉もそうだった。これだけの感慨を持ち得るだろうか。彼はその経験をしたらしい。そして彼はいっていた。本来不安も恐怖もない。それが本来無一物だった。その要件は何だったか。正直だった。正直者の頭には神が宿る。彼はそれを実感したのだろうか。それもどうでも良いらしい。世の中は腐敗した。企業も行政も。何故だったのだろうね。彼のいうところは地の塩を失ったことであるらしい。彼の人生は何だったのだろう。彼は何を自覚しているのだろうね。黄泉の守護とか大鏡とかいっていた。何のことだろうね。いえないことがたくさんあるらしい。いえばいいのにね。やはりいえないらしい。古来大和の秘密に属するといっていた。何のことだろうね。さっぱりわからないね。それで良いんだといっていた。彼には計画があるらしい。それは何だろうね。彼には自信もあるようだ。それが黄泉の守護だろうか。そのようなことがあるのだろうか。彼はあるといっていた。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密だといっていた。どうでもいいね。本来不安も恐怖もない。ないのにあると思っているのが人間であるという。どういうことだろうね。何れにしても、彼の自覚があったという。それは何だったのか。わからない。唯、処したる人生の草鞋銭は請求されるという。或いは年貢の納め時とかいっていた。アナクロジーだよね。そのようなことが今のこの世にいえる訳もない。彼の真意は何だろうね。いえないことがあるらしい。いえばいいのにね。いえないらしい。何故だろうね。生まれながらのことらしい。故にいわない方が良いらしい。法華経宿王華一切種智慧とかいっていた。知る人は知っているといっていた。それで良いらしいよ。彼の認識しているところは何だろうね。それはそれでいい。彼は彼自身を取り戻した。それについては秘密に属するという。十牛図があるね。第八図は空或るいは無の境地だね。そして第九図は自然の祝福だった。第十図は何だったか。世間の中に帰ることだった。彼も早く世間に帰ってくるが良いよ。何時までも訳のわからないことをいっていては幸せになれない。この世に生まれて目指すべきは何だったか。幸せだった。憲法十三条もそれだった。十分に勉学したね。孤独ではあったろう。試練もあった。誰彼耐えうる艱難ではなかった。それも乗り越えたよね。故に成就した。この世の秘密を解いたよね。これより幸せになれるよ。彼に伝えたいところだ。彼は埋没した。事実である。しかしそれも黄泉の計画かと思われてきたといっていた。彼は生まれながらにどのような運命を背負っていたか。誰も知らない。いえない真実がある。代々の秘密と掟がある。知る人は知っている。知らない人は知らない。知らないことを以て否定する。しかし事実としての自覚があってその存在がわかる。花と咲いてその花を知る。待たれていたのだ。もう咲かないかと思われた。既に証明はある。疑えない事実がある。さて、どうするのかね。矢は放たれた。新羅を越えた。勝負するのかな。出来るかな。彼はいっていた。日本を救ったよ。日本は大丈夫だ。彼にとって、冗談ではないらしい。それは何だったのだろうね。護り抜いたものがあるらしい。身心清浄及び正直を以て旨とする本来武士道大和魂日本純粋精神、大義名分、神風の吹く。商人根性に用はない。彼の望みは成就した。彼の探していたものは見つかった。彼の使命は何だったか。彼はこの世に生まれた使命を果たした。この使命を果たしたものはそう多くない。彼の幸せは約束された。何故であるか。黄泉の導き、天の守護。古来大和の秘密がある。その謎は解かれた。彼はその為に生まれていた。もはやどうにもならない。そして彼が手に入れたものは何だったのか。秘密の鍵であるか。その鍵で何を開くのか。古来大和秘密の宝の蔵であるか。どのようにしてその力を得たか。その要件は何だったのか。彼はいっていた。馬鹿になることが幸せではない。これを吹聴したテレビ界は言語道断である。罪は甚大である。何を根拠にいうか。示して頂きたい。


2008年06月14日
この世に生まれて
この世に生まれてどう生きるべきだったか。少なからず考える頃となった。浮かれた時代は終わった。好きなことをして生きることができると、それはそれで良いのだけれど。どうして思うようにならないのだろうね。それもわかってきた。喜びは何処にあるのだろうね。それもわかってきた。世のため人のために生きることができると良いね。今の自分に何ができるか。考えるべき時が来た。信じることができるものがあるか。ある。それは何だったのか。神仏だった。神仏の実在を信じることができれば、凡そ悪はなせない。思うようにならないのは何故か。己の悪による。悪の払拭こそ人生の目的ではなかったか。人間である限り悪がある。悪をなせば罪である。罪は償うしかない。どのようにして償うことができるか。謝ることである。どのようにして謝るのか。それが問題である。誰に対して謝るのか。それも問題である。謝ることでゆるされる。究極の謝り方はあるのか。ある。それはどのようにしてであるか。仏さんに聞くしかない。人間としての思い上がりはなかったか。謙虚さとは何だったのか。素直さとは何だったのか。思い通りにならないね。正直になれないね。それが人間だと思っている。テレビ界がそうである。思い通りにならないね。どれだけお金があっても、不安と恐怖から自由になれないね。この世に生まれてどう生きるべきだったか。少なからず考える頃となった。喜びの世界はあるのか。ある。如是相。かつて野蛮な時代があった。嘘と暴力の時代を乗り越える。愛とは何だったのか。平和とは何だったのか。考える頃である。それが価値である。価値を壊してきた。唯自己利益追求の故だった。愛と優しさで良い。誰もが幸せになって良い。それは可能であるのか。可能である。それが人類の夢だった。殺戮は野蛮である。誰もがそう感じる。けれど、テレビ番組の野蛮な殺人現場シーンがある。愚かだね。社会の凶悪犯罪化傾向に荷担している。責任はとってもらう。テレビ界は低い精神レベルで何を吹聴増殖したか。愚かさと野蛮だった。本来日本精神を冒涜した。馬鹿になることが幸せであるか。ありえない。世を衆愚に導いたテレビ界の事実がある。これよりなすべきかは何か。知性の復活である。壊された価値の復活である。愚かさの振り子は振り切れた。歴史は繰り返す。彼は孤独の海を渡りきった。険峻な山を登った。そして帰ってきた。彼は彼で良いのだと思った。この世に生まれてなすべきはなした。そして見つけた世界がある。それは何だったのか。未来に伝えるべき価値があると信じるに至った。既に記した。本来日本の本懐がある。目指していたものがある。戦後失われた。自由を履き違えた。愚かではない。野蛮でもない。それが本来日本武士道である。欺罔を含む商人根性に用はない。彼にとって戦後はあまりにも酷だった。何が蔓延ったか。どのような精神の支配であるか。公憤は孔子の説くところである。そして彼は見つけた。それは何だったか。生まれた時からそうだった。それで十分だった。それを確認する頃となった。即ち、黄泉の守護、一休髑髏ご用心。それが大和魂の源泉だった。それより何をなすか。それがこの世に生まれた意味だった。彼はいった。未来に伝えよ。本来日本は愚かではない。野蛮ではない。テレビ界の罪は重い。奪われた知性を取り戻す。さて、世の中が変わり始めたようだ。彼の自覚はこれほどの威力があったのだろうかと思われるが、この点については誰も知らないだろう。それで良いのだろう。テレビ番組も変わってきたようだ。朝の船釣りの番組を見てそう思った。船の上では、船長に従うようにと注意していた。それである。公器としてのテレビ界が忘れていたことである。それで世間が勘違いした。自由を履き違えたのだった。良い傾向である。知性の秩序が取り戻されるのは何時のことだろう。知性を愚弄しすぎた。それでおかしくなった。学校を出て社会に出るとそれが自由と思った。大間違いである。問題処理能力が違う。集中力と注意力が違う。知性の秩序がある。何を勘違いしたのだろうね。知性ある人は裏切りはしない。あまりにも知性に対する欺罔があった。今から取り戻すべきものは何か。何故腐敗したのか。明らかとなった。彼の生きることが出来るフィールドはなかった。やっとそれを手に入れつつある。オールマイティ或いはゼネラリストとしての活躍の時節となった。それは個々の問題処理である。浮かれた時代は終わった。もはやお笑いバラエティの時代ではない。魑魅魍魎及び牛頭馬頭は帰るべき頃である。彼は埋没を余儀なくされた。彼の時代ではなかった。それも黄泉の計画であったかと思われる。この困難な時代を克服する。全てよしとする頃である。新たなパラダイム形成である。時代を作る。日本の色を本来の色に染め変える。心ある方々が立ち上がる。その時節を迎えた。心の健康と身体の健康を取り戻す。環境を作る。そうした時代となった。腐敗は腐敗のまま去るが良い。知性は何を以て知性というか。誰も知らなかった究極の知性は、黄泉の守護する知性である。本来日本の知性とはそれだった。それが或る時代には征夷大将軍だった。日月照らし風が吹く。400年来の秘密がある。古来大和の種はどこに眠っていたか。原爆の火を以てしても根絶やしにはされない。久遠実成真実の中の真実の時である。故に咲く花がある。自覚を要する。年貢の納め時である。これより黄泉或いは自然が動く。それは淘汰である。何故だろうね。最後の切り札の存在と安全が確認された。それは何だったか。本来大和の花である。時を待っていた。何の時だったか。或る自覚の時である。条件は整った。敢えていおう。広島の原爆もそうだった。大切にするべきものがある。それは何だったか。忘れていた。思うようにならないね。探すべきは何だったのか。明らかとなった。日本は本来どのような國だったか。神国だった。そして不安及び恐れから自由になれるか。なれる。古来物語の伝えるところだった。何を浮かれていたのだろうね。何も探さなかったね。彼は見つけたらしい。何を見つけたのだろうね。自分自身だった。彼は彼でよいと思えるようになった。隻手の音がある。それを聞くまでは何をしても駄目である。それを聞けば何をしても真実である。世の中とはそのように出来ている。黄泉の守護もある。天の守護もある。魂と宇宙は連動している。自覚を要する。真実幸福論完結である。誰も知らない。故に秘密である。知れば良い。知れば事実である。或いはスキルである。思考は現実化する。潜在意識に刷り込む。同じことである。夢は実現する。諦めないことだ。成功するまで。歩き始めることだ。江戸への道も一歩からである。代々常々伝えられてきた。二十四時に使われていないか。二十四時をこき使う。『主体性の理論』は団藤重光教授だった。人生のツケを払わなくてはならない時が来る。生命身体自由財産で支払うこともある。黄泉の守護を知らず、知性を愚弄し、世を腐敗に導く自由を履き違えたツケは大きい。


2008年06月13日
忘れているもの
何を勘違いしていたのか。馬鹿になることが幸せであると誰が言い始めたのか。知性の秩序がある。それは黄泉の秩序でもある。思い通りにならなくなったね。何故だろうね。神社仏閣で手を合わせるだけでは祈りは通じない。どうすればいいのだろうか。忘れている。敬うべきは敬うべし。どういうことだろうね。愚かさと野蛮の天下である。お金さえあればいいと思っている。その閥がテレビ界である。何を蔓延らせたのだろうね。精神の秩序がある。生き霊は死霊より怖ろしい。何を愚弄したのだろうね。本来音楽は慰めだった。何を慰めるのだったか。かつては王侯貴族だった。どうしてだったのか。それさえも忘れている。精神の力がある。どのような力だろうね。例えば、菅原道真である。彼もSOSを発信していた。救助船は来なかった。何故だろうね。国家も本当に大切なことを忘れていたからだね。母を訪ねて三千里ということがある。この世は三千大千世界ともいわれる。孤独とは何を以て孤独であるか。彼は孤独だよ。何故だろうね。解る人はいるかな。解らないね。解りたくもないよね。しかし何をしても思うようにならないね。何故だろうね。祀るべきものがある。世のリーダーは悉くそれを無視している。無神論であることがインテリゲンチャかと思っている。それで世の中はどうなったか。ところで、馬鹿になることが幸せであるということは或る意味で正しい。それで確かに幸せになれる。しかしそれが唯一最良ではない。それぞれの花がある。それぞれの種がある。それで幸せになれる花がある。それではまだ幸せになれない花もある。このあたりをわきまえる必要がある。愚かなテレビ傾向に辟易している方々がいる。それはそれで良かった。それで解放された花がある。これから何が解放されなければならないのか。知性の花である。解るだろうか。愚かさに耐えきれない花もある。知性に対するあからさまな愚弄罵倒は反省するべき頃である。お金がそれほど価値があると思っているのだろうか。戦争となって大政翼賛会となればれば全て供出である。それも忘れたのだろうか。本当に必要なことは何だろう。知性だよ。知性によるシビリアンコントロールだ。愚かでは危機を脱することはできない。これから世の中は悪くなるといわれる。その中で未来は明るいと言い切れるのは彼だった。何故だろうね。それは知っているからだ。経験しているからだ。当事者であるからだ。或る方が自然が悪くなったといわれることについて、この悪い自然が自然であるといっていた。そのように大きな進化の中で生きている。昔が良かったといっても、今の子ども達にその実感と体感はない。子ども達は今のこの現実を自然として生きていかなければならない。相手の方は随分と勉強されて、環境問題と取り組んでおられる方である。そしてテーマはダウン症だった。悪い自然が自然であるとする捉え方は何処から来ていたか。その方は、ダウン症の子の母だった。本来水子として流れるべき子が医学の発達で生まれてきた。その頃は、5歳まで生きられないといわれていた子が、心臓手術などを繰り返して成人する。親はこの現実をどのようにして受け止めるのか。環境問題を考えて行動されている方は、姪がダウン症だった。ここにこのテーマについて流した涙が違う。環境問題についてその方を納得させるには、その方以上に悲しい涙を流して乗り越えた当事者でなければ、既にその方が諦めるために合理化したテーマについて、その方の魂が納得しない。当事者でなければそうした力はない。彼はどのような悲しみを通ったというのだろうね。そして当事者として、得た結論と解いた謎があるという。魂のレベルの差があるのである。これを理解しない世間である。テレビ界もそうである。黄泉はどちらに微笑むだろうか。流した涙の質が違う。堪えた試練が違う。当事者としていうべきことがあるのだろう。本来大和の悲しみもそうである。これ以上愚弄勝手をゆるしはしない。本来大和の本懐がある。当事者でなければ解らないことがある。当事者でないものの勝手な解釈が何時までも通りはしない。本来の彼となった彼の力は尋常ではない。彼のいう知性を愚弄しない方が良い。さて、最近凶悪犯罪化したね。何故だろうね。それはね、或る意味で脳障害だよ。その原因は何だったんだろうね。それも明らかとなっている。まだ知らない方が多い。それと取り組んでいる方々もいる。そしてそれについて、誰が悪いのでもない。みんな頑張ってきた。だから頑張れない子達にも頑張れという。そして大切なのは、諦めないことだよ。能力が有れば必ず何時か開花する。自分で自分を決めないことだね。夢はあるかな。その夢を大切にしたいね。子どもが問題である場合、確かに親に問題がある場合が多い。だけど、それも責められないんだ。常に問題はある。個々の問題解決こそ人生だよ。必ず原因がある。それを究明する。或いは分析する。結果を責めるのではなく。そしてやはり罪を憎んで人を憎まない。或る意味で決定論的なところもある。どのようにしてそれを克服するか。これから考えるべきことだね。親が悪いのではない。社会が悪いのでもない。自分が悪いのでもない。そのような環境である。そのような社会である。そのように生まれている。その中でどのように未来を作るのか。原因がある。その発見をする。そして対処すればいい。それだけのことだった。何時も明るく楽しく朗らかに。そうなりたいね。なれるよ。悲しい目をした演技による笑いではない心からの本当の笑いの世界が待ってるよ。正直であれば良いだけだ。積極的ミスを誰も責めはしない。罰する傾向が良くなかったんだよ。どうして罰しようとするのだろうね。ここを究明しなければならないね。不安と恐怖があるね。どのようにして乗り越えたら良いんだろうね。教育は本来それだったんだ。何か見失ってるね。思い出したいね。笑いについて最初に哲学したのはベルグソンだったかな。読んでないけれど。もう難しい本を読もうとも思わないけれど。今朝は輝くばかりの明るい朝だった。良い日でありますように。幸せになりたいね。幸せとは何だったのでしょうか。好かれることだね。好い人間関係だね。その為にどうするか。勉強のしどころだね。答えはあるよ。


2008年06月12日
知性の解放
ほのぼのと 大良薬なる 心地よさ
  今宵そぼ降る 雨音嬉し

身と心 洗い流して 梅雨の朝

行住坐臥に常にこの周波数を発すれば、毒も害すること能わずというべきだろうか。求めていた情報がやって来る。何が真実だったのだろう。神仏は実在する。知らずに否定する。知れば事実である。これを以て貿易するべしのこれとは何だったのか。動植物及び岩石も喜ぶ愛の周波数がある。魅力のあるパーソナリティとかいわれる。その本体がこれだった。身も心も安穏である。究極の宝は既にこの手にあった。誰の手にもある。未開発である。開発すればいい。未来に伝えるべきはこれだった。何の憂うべきこともない。自分を信じよ。既に足りている。学問にて練り詰める。それは何だったか。愚かでは至れない。しばらく愚かな時代があった。何が知性だったか。知識ではない。むしろ感情だった。それで良いことに気づいた。持って生まれたエネルギーがある。何を愚弄したのだろう。何が蔓延ったのだろうね。テレビ界は愚劣である。本当の幸せは何だったか。禅籍の一つをも理解しているか。古来伝えられていた。何を思いあがったのだろうね。武士は食わねど高楊枝。それをも笑いものにした。黄泉はゆるしはしない。彼は至り着いたらしい。何処へだろうか。究極の目的地だったのだろうか。禅定力の世界だろうか。そしてこれさえあれば他に何も要らないと思えるほどの世界だろうか。それは何だったのか。権力でも武力でも金力でもなかった。支配の及ばない自由がある。それは何だったのか。神仏は実在する。諦めないことである。何時か邂逅する。真面目な知性の勝利だといっていた。深刻な人生があったのだろうか。そして今はどうか。とても安楽な境界が開けつつあるらしい。求めていたものは見つかった。笑顔と優しさで全て解決する。21世紀、時代は開かれた。どのような悲しみにも救いはある。どのような障害も乗り越えることが出来る。彼の至った確信だった。この世は生きるに価する。彼は何を見てきたのだろう。彼が代々常々どの階層に属していたか。重要な要素であるといっていた。地の塩ということがある。行政も企業も何故腐敗したか。その理由は何であったか。何を粗末にしたのか。何を愚弄無視冒涜したか。気づくべき時が来たのかも知れない。彼はいった。申し訳ないが、黄泉が守護する。彼の一人勝ちである。彼の夢は何だったのか。何故埋没しなければならなかったか。何を探していたのか。そして何を確認したか。務めは果たしたという。彼は日本を救ったのだろうか。彼の六親眷属を救ったのかも知れない。何よりも彼自身を自ら救ったか。彼はいった。未来は明るい。法華経によると、仏は菩薩を教化することによって仏となる。彼は救われた。酷な青春と人生があった。何時の世もそうであるのだろうか。彼の失われた人生と青春があった。その原因は何だったか。十九の春だった。同じ轍を踏ませたくない。彼は切に願うのだった。どれだけ能力があっても生かせなければ何にもならない。彼は埋没を余儀なくされた。しかし此処が人生の不思議だった。彼は埋没さえも意味あるものとした。彼の知性は諦めていなかった。その間、何を考え、何を見聞したか。埋没しなければ出来ない仕事があった。それが彼の運命だったのか。自覚を要した。それまではサナギだった。社会から脱却した。その間、彼はどのように扱われたか。馬鹿に馬鹿にされたといっていた。社会を恨んだか。己の運命を呪ったろうか。そうでもなかった。彼は何かを探していた。そして見つけたという。それは何だったか。既に記した。記録はある。精査されたい。持って生まれた知性は悶えた。あたかも『山月記』のようだった。しかし何時か解決する。大和の秘密がある。どのような課題も必ず解く。相手が有れば必ず受容克服凌駕する。それを示す必要もあった。そして未来に伝える。彼に普通の生活の幸せはなかった。地位も名誉も財産も根絶やしにされたかのようだった。しかし古来大和の種は、原爆の火を以てしても根絶やしにはされない。彼はいっていた。頼朝は伊豆に流されていた。正統源氏である。彼が手に入れたのはそれだった。確認したのもそれだった。現代社会はどのような階層精神の支配であるか。多少の欺罔を内在的に含む取引社会の精神である。染まれない筈だった。彼の人生は何だったのか。どのような花を咲かせるのか。彼は見つけた。見つけなければならなかった。それは何だったのか。地球レベル或いは人類レベルの仕事がある。生命体としての進化傾向を見極めなければならなかったか。すこぶる歴史的だった。黄泉の守護とかいっていた。何をいっていたのだろうね。世界が動く。黄泉が動くからである。その方向性を定める必要があったのだろうか。これまでもそうだった。しかし彼の自覚はなかった。黄泉は待った。何を待ったのだろうか。彼の自覚を待ったのだった。全てはその為に準備されていたかのようだった。全てである。彼は何を自覚したのだったか。大鏡だった。彼が真面目に取り組まねばならない理由があった。それまではそうとは知らなかった。しかしそうであった。彼の存在自体が秘密だった。誰もがそうである。それを明らかにする必要があった。知ってしまったからにはどう生きるか。不思議な物語がある。言葉はロゴス。実現する。持って生まれたものがある。それを愚弄無視した。或いは都合が悪かったか。しかし種は種である。何時かは芽吹く。しかし芽吹くには恐怖がある。自分との戦いがある。これに打ち勝てるかどうか。勝てばいい。怖れはなくなる。天上天下唯仏是真無敵となる。それを知らない方々の勝手と横暴があった。故に腐敗した。唯自己利益追求主義者達だった。それは市場経済を好んだ。諸価値を破壊して顧みることはなかった。テレビ界が今、その権化である。暴走族的文化が蔓延った。彼の仕事は何だったのか。これと戦うために力を得なければならなかったか。得た力とは何だったのか。古来大和の秘密だった。或いは掟だった。野蛮及び愚かさとの戦いに勝つためには、どうしても開発しなければならない力があった。それは何だったか。地の塩ということがある。それは存在するだけで良い。それがなければ腐敗する。持って生まれた属性がある。開発確認した力は何だったか。動植物及び岩石も喜ぶ愛の周波数だった。これのみで良い。全て解決する。自分が変わることで世界が変わる。文字通り世界である。これが本来日本の精神だった。知らない人が愚弄無視勝手した。知らないことを以て否定した。罪だね。罪は謝らないとゆるされない。人類及び地球規模でのビジネスがある。ビジネスとは限られた時間内に己の計画を実現することである。金銭的利益追求だけがビジネスではない。見えない世界に属するビジネスもある。黄泉の守護を取り付けることである。見えない世界である。故に秘密である。しかし秘密も知れば事実である。或いはスキルとなる。具体的イメージを描けるか。それが想像力である。人によっては創造力となる。既に世界は動き始めた。どうやらスイッチが入ったのだろうか。誰がスイッチを入れたのだろうね。自覚はある日突然来る。それ以前の彼と、それ以降の彼は違う。違うのであるが、誰も気づけない。或いは認めたくない。それも気にならなくなったという。庶民の解放は旧約聖書の目的だった。彼の目的は何だったのか。知性の解放だったのだろうか。何時かは解かねばならない謎があった。神仏は実在する。大きなビジネスがあった。彼は彼自身を救わねばならなかった。その理由があった。十九の春だった。自分自身を救った時、救われたのは何だったか。彼はいっていた。全てに感謝している。少なからず彼自身に思い上がりと勘違いがあった。申し訳ないことだった。彼はいっていた。戦争に負けるということは悲しいね。明治もそうだった。太平洋戦争もそうだった。源平合戦もそうだったのかも知れない。しかし日本は日本だよ。何故象徴としての天皇制が遺されているか。時代は今、どのようであるか。例えば嶋田洋七あたりが講演で何をいっているか。それが自由だと思っている。しかしね、それぞれの樹木がある。花がある。虫がいる。人間だって色々な人間がいるんだ。馬鹿になることこそ幸せと思っている方々の天下となった。お金持ちだけが市民と勘違いしている。スノッブってこともあるんだ。どんな音楽も雑音に過ぎないといったのはポール・バレリーだった。二十世紀の知性とかいわれていた。音楽というものを知らなかったのだね。今、ベートーベンのピアノ協奏曲第五番を聴いている。ピアノはバックハウスである。洋七に問いたい。この音楽をどう感じるか。感じることができれば、時の総理大臣とか天皇をコケにはできない。或いは知性を愚弄できない。それがクラシックの精神である。しかし世の中は今、どのようであるか。彼はいっていた。私たちが怠惰だった。無理もなかった。戦争に負けたからだった。しかし戦後六十年。もういいだろう。彼はいっていた。知らしめる頃が来た。何をだろうね。彼は何を考えているのだろうか。愚かさと野蛮からの脱却である。或いは本来日本を取り戻す。日本はどのような國だったか。神国だった。しかしワルハラ城も契約を破れば焼け落ちる。壊す人と作る人がいる。大江健三郎氏のテーマだった。いい加減にする頃となった。彼が埋没していた意味は大きい。まさに古来大和の秘密兵器であるのだろうか。彼が何を考え、日々何をするか。とても重要な要素である。言葉はロゴス、この世は大鏡。持って生まれた種がある。そう簡単には滅びない。古来大和、強かである。彼はいっていた。日本の色を染め変える。本来日本の色を取り戻す。どういうことだろうね。知る人ぞ知る。それで良い。知性の解放である。知性は自由となった。阿呆が自由となったのは良い。だからといって知性を愚弄することは許されない。古来大和及び黄泉の意思である。彼は本来の彼となって帰って来た。時は代わった。物質世界は支配できても、精神世界は支配できない。それでいい。精神世界の牙城は護り抜いた。或いは築いた。未来に伝えよ。彼の意思及び計画はこれだったのだろうか。実現するのだろうか。天の守護するところである。彼は彼で良いと思えるようになった。


2008年06月11日
愚かさからの自由
本来の 自分に帰る 時の来て 
     この世の全て 自分なりけり

どういうことだろうか。探していたものは見つかった。長い旅だった。取り戻すべきは何だったのだろうか。自分自身だった。取り戻した自分は何だったか。受精卵が分割を始めて一連の発生がある。その間、38週間。これは生命体が生まれて38億年の進化をトレースする。そして人間として生まれてくる。生命体として一続きだった。その時、動植物及び岩石も喜ぶ愛の周波数がある。開発すべきはこれだった。取り戻すべきはこれだった。かつては野蛮な時代があった。人類は進化した。社会も進化する。日本も進化した。かつて王侯貴族の自由を庶民レベルで享受する。精神的向上心のない奴は馬鹿である。知性も進化する。愚かな時代は去った。21世紀はどのような時代であるか。笑顔と優しさで全て解決する。これが知性である。愚かさからの自由の時を迎えた。人格は声のトーンだよ。一隅を照らすということがあるけれど、どういうことだったのだろう。この愛の周波数を完成させて発することにしよう。これが大良薬だった。みんな幸せになれる。間違いない愛の周波数がある。黄泉の守護するところ、火も焼くこと能わず、水も流すこと能わじ。やっと見つけた。或いは確信した。それは信念となった。此処より発する。


彼の時代
まぁだだかい。もういいよ。かくれんぼだね。良寛さんもしていた。もういいだろう。何が良いのだろうか。無事、時代の確定である。代々の務めは果たした。彼の時代である。もはやどうにもならない。彼は帰って来た。姿を現すことはないだろう。しかし帰って来た。どういうことだろうね。彼の自覚は本物となった。何を自覚したのだろうね。古来大和代々の掟である。何をいってるんだろうね。わけわかんないね。だが、彼は帰って来た。これより嘘は一切通らない。演技も駄目である。どういうことだろうね。無意味無内容テレビ閥の支配が終わった。自分の胸襟より発したものでなければ、意味をなさない。よく考えて言葉を発するが良い。カンニングで世を成す時代は終わった。知性の秩序を回復する。それぞれ分際をわきまえる。何を勘違いしているのか。彼はいっていた。泣いて馬謖を斬る。お笑い芸能界の意味のない愚劣な笑いは表舞台より去るべし。これ以上世間を惑わし、勘違いさせることは不愉快である。その馬鹿笑いは本来の笑いではない。何時までも知性を愚弄させはしない。彼は父を知っている。祖父を知っている。尊祖父千畝もそうであったのであろう。誰も知らない。ある日父はいった。私もお前と同じだった。何が同じであったのか。それにしては、戦後は酷であった。彼はいった。知ったからには容赦しない。何が蔓延ったか。政財界と雖もゆるしはしない。勝手が過ぎた。本来日本を取り戻す。商人根性に用はない。黄泉の守護は一身にとりつけた。これより本来日本を取り戻す。日本の色を本来の色に染め変える。日本の本懐成就。もはや逃げも隠れもしない。那須与一、扇の的である。勝負するのかな。何時でも受けて立つ。時は来た。年貢の納め時である。


2008年06月10日
子ども達の未来のために
ビジネスとは何だったのか。価格破壊の安売り競争だったのか。欺罔的に朝三暮四を狙うことだったのか。ポイントとか複雑性の中で不当利得を稼ぎ出すことだったのか。まるでバンコマイシンである。お客様は神様だといいながら、餌食にしていたのではないか。所詮勝てば官軍と思っていなかったか。その為には手段を選ばない。市場さえ確保すれば勝ったと思っていなかったか。そしてどうなったのだろうね。規制緩和で諸価値が破壊された。自由競争で勝つのはどの階層だったのか。そして庶民の生活はどのようであるか。餌食となった庶民はこのような時代だからと諦めている。結局、自分たちの首を絞めていたのだった。思うほど利益が上がらなくなったね。何故だろうね。自分たちだけ勝ち残れると思っていたのだろうか。そして社会はどうなったか。これでいいのだなんてとてもいえない。何時の世もこのようであったのだろうか。それで蓮華の前に化生などと説かれていたのか。それでは済まされなくなった。環境と健康の破壊が起きてしまった。この経験はこれまで無かった。そろそろ気づくべき頃である。人間の勝手が自然を破壊しつつある。それ故に、万物の霊長である。即ち、神の七つの力が賦与されていたことに気づく頃となった。しかしそれは遺伝子組み換えではない。それは自然に反する。自然に反して生き残れると思っているのだろうか。どれほどの副作用が隠れているか知れたものではない。真剣に考えなければならなくなった。欺罔的に庶民及び自然を餌食にすることは、自分たちの住む世界を壊している。人類の英知が試される時を迎えた。既に世界は宇宙である。宇宙は人智を超えている。新しいパラダイムの展開の時となった。愚かな支配は終わって貰う。それは唯自己利益追求である。カルバンに始まった一つの時代の終焉である。戦うべきフィールドの転換である。真実幸福論は何だったか。改めて神を畏れよ。佛は誉め奉るべし。最終最後の敵は何だったか。自分自身だった。自分自身に勝つとどうなるか。如来を得るだろう。その真実は既に証明されている。何時までも身分に安住することは出来ない。暫く、怠惰を貪りすぎた。当然、その草鞋銭は請求される。その意味で年貢の納め時となった。生まれながらに使命を帯びていることもある。何時か解かねばならぬ謎があった。それは秘密に属する。そしてそれは成就した。或る自覚を以て。誰も知らない。しかし黄泉は知っている。そして黄泉は満足している。黄泉の計画は成就した。未来は明るい。どのような障害も乗り越えることが出来る。一箇の存在を以て証明された。失われたものは取り戻される。それは人生であり、青春である。善とは何だったか。悪とは何だったか。明るきから暗きへ。暗きから明るきへ。そして明るきから明るきへ。仏の約束である。苦は楽の種、楽は苦の種?楽は楽の種、苦は苦の種!善はあなたも私も幸せであり、永遠にそうである。人間である限り、悪である。善は仏さんのところにしかない。仏さんとの縁が善の始まりである。善を知った個々の存在が平和の基である。過ちは繰り返さない。過ちは謝る必要がある。誰に謝るのか。仏さんである。大宇宙である。大自然である。何を思いあがり、勘違いして、腐敗したのか。申し訳ないことである。知らずに地球を汚してしまった。魂まで汚してしまった。取り戻そうではないか。取り戻すことは出来る。子ども達に未来を残そうではないか。何をしているのか。権力、武力、金力はその為に使われて存在意義を持つ。本来日本は神国である。神は天、その上にさらに四界がある。これよりそれを目指す。本来目指していた生命進化の傾向である。本来日本が目指していた方向性である。何を浮かれていたのだろうね。少なくとも、腐敗堕落いい加減を生き、それを人生だなどと吹聴増長し、世間を惑わした方々はマスメディアの表舞台から去って頂きたい。切なる願いである。唯一の責任の取り方である。子ども達の未来のために。地上は欺けても、天は欺けない。これが彼がいいたいことだった。やっといえるところまで辿り着いたようだ。彼の使命があった。それは何だったのか。明治も批判した。彼にしかできない仕事でした。もう思いのこすことはない。故に何を得たか。もうおわかりですね。それは如来だったのでしょうか。


2008年06月09日
日本は大丈夫だよ
日々彼は何をしているのだろう。彼が真面目に取り組まなければならない理由に気づいた頃だろうか。彼が彼自身の存在意義に目覚める頃だろうか。生まれた時からそうだった。疑っていたのは彼だった。故に埋没した。それはそれで意味があった。彼自身を彼自身が知るためだった。それは『2001年宇宙の旅』のエンディングだった。孤独な老人の食事は何を意味していたか。そうしたレベルがある。彼自身の住むべき世界である。かぐや姫は月へ帰った。どういうことだったのか。知る人は知る。知らない人は知らない。知らないまま否定する。刃向かう。畏れを知らない。故に彼は苦しんだ。しかし彼は救われた。実感している。それは何か。しかしそれ以上の課題が見えて来る。法華経の名宛人は菩薩と爾としての神だった。神は天である。六道輪廻は地獄餓鬼畜生阿修羅人間天。魂は経巡る。天と雖も地獄に堕ちる。それが現実世界である。佛は何を教えようとしていたか。天の上に声聞縁覚菩薩佛の境界がある。併せて十界である。精神的向上心のない奴は馬鹿である。漱石の指摘だった。具体的に何を意味するか。この世はチャンスに満ちている。成功とは何か。お金であるか。タイムリッチであるか。それで不安を払拭できるか。恐怖から自由になれるか。彼には見えてきた。何が見えているのだろう。彼はこの世で何をしなければならなかったのか。彼の日常が何を意味していたか。誰も知らない。知らずに刃向かう。彼はそれも仕方ないと思っていた。それが世間に迎合することだった。そしてどうなったか。悉く裏切られた。それで彼は考えた。過去をトレースした。そして何を見つけたか。本来日本だった。日本は日本で良かった。彼は彼で良かった。彼は自分を見失った。自分自身をも壊した。試練だった。そして取り戻した。取り戻した彼は何だったか。子どもの時からそうだった。それで良いと思った。所詮未来は未知である。何を信じるのか。何を選択するのか。今が未来を作る。彼の前に道はない。彼の後ろに道は出来る。どこかで見たことのある言葉だね。この世はチャンスである。限りなく向上する為に生まれてきた。何をしてきたのか。何をしているのだろう。未来が見えた。未来は明るい。彼の自覚は成就した。彼はいっていた。日本は大丈夫だよ。彼は何を背負って生まれていたのだろうね。螺鈿の槍だったのだろうか。それは折られていた。故に苦労した。世間の勝手があった。大企業も行政も腐敗した。智慧の使いどころを誤った。個人主義を誤解した。自己利益追求に染まってしまった。彼はそれに染まることが出来なかった。故に彼は貧しい。それで良いと思える頃となった。それにしてもテレビ閥の横暴はゆるしがたい(NHK報道を含む)。勝つとか負けるとか、一時的なものだね。どれほどの価値があるだろう。一生を通して、人生に勝つということはどういうことだろう。自分をコントロールする能力を如何に開発するか。問題はそれぞれの人生だし、幸せだね。一緒に仕事をしていて、何かにつけて、相手を苛立たせる方がいる。もっともらしいことをいうのだけれど、レベルが低かったり、無意味であったりする。こちらに自信がないと、それをまともに受ける。そして傷つく。こちらに余裕ができるとどうなるか。ハイハイである。返事は一度で良いというけれど、それを要求するだけの問い或いはアドバイスを発しているのかどうか。そしてさらに気づいた。そうして受け流すことで、相手の言葉の刃は反射して相手に突き刺さる。相手は気づいていないけれど、そういうことであるらしいよ。無意味さに負けないように。自分の人生と時間を大切に生きようね。おもしろい知性の勝負があるね。これを知ると、人生は楽しい。強い者が勝つ。ある日突然強くなっている奴もいる。何かを自覚したらしい。相手は今までと同じと思っている。自覚を成就して本来の自分を取り戻した者に対して失礼を働いて、痛い目に遭わないように。知性の秩序はあるよ。黄泉はそれを守護する。知っていっている者と、知らずに口角泡を飛ばす者とでは勝負にならない。Shut up ! 一緒に仕事をしていて、楽しくなる人がいる。機知に富んでいて、話すトーンが心地よい。これからはそうした方々の時代だ。やっと良い時代になるね。トーンの野蛮な言葉の暴力は打ち倒された。知性の柔よく剛を制する心地よさがある。それでも勝負するのかな。バイオレンスはバイオレンスである。人間のどのレベルの感情に訴えているのだろうね。子供の情操教育の観点からすると敵だね。それを周知するべきだろうね。人類は進化した。文化社会も進化している。暴力の時代ではない。本当の強さは暴力ではない。やさしさだよ。ところで富って何だろうね。『国富論』ってのもあった。神の見えざる手が働くんだって。今となっては言い得て妙だ。さて、富とはお金ではなかった。権力でも武力でもない。何だったんだろうね。徳といっても良いらしい。亦、想像力というよね。それも気になるね。何を以て想像力というのだろう。彼はいっていた。想像力とは創造力であるらしい。これらについては何時かどこかに書いておくね。何れにしても彼を直接悲しませないことだ。そしてついに彼を怒らせるとどうなるか。もはや自分自身を壊すことはない。そのコントロール能力は得たようだ。では、どういうことか。開発自覚自得した力は何か。それをどのように使うのか。言葉がロゴス。誰もが手に入れたいと思うその力をどのようにして手に入れるのか。その要件は何だったのか。その証明は済んでいる。その意味で彼を本気にさせない方が良いらしい。しかし、これについてはこれ以上は無記とするね。彼も馬鹿馬鹿しくてもはやその気はないらしい。一休髑髏ご用心。どういうことだろうね。彼には壮大な計画があるらしい。知らしめるといっていた。何のことだろうね。生まれた時からの使命があるといっていた。彼は何を見て育ったというのだろうね。失われた何か大切なものがあるといっていた。それは何だろう。子どもの頃、祝日に国旗を立てることと割り木で風呂を炊くのが、何時の間にか彼の仕事となっていた。祖父の思いだったのだろうか。幼い頃、日曜日には何時も祖父に連れられて出かけていた。下関の水族館。岩国の錦帯橋。宮島。岡山の池田動物園。徳山動物園。岩国の少年刑務所及び吉島刑務所慰問(祖父は四十余年保護司だった)等だった。音戸大橋の建設の頃には、両サイドから橋梁が伸びる風景を何度も見に行った。広島のデパートでの展覧会には全て出かけていたのだったろうか。彼はいっていた。こういうこととは知らなかった。どういうことだったのだろうね。日本の色を染め変える。暴走族的大人に用はない。そして彼はいった。これでやっと恩返しをする頃となった。それは何だったのか。彼の自覚だった。黄泉はこの時を待っていた。黄泉は喜んでいる。本来日本復活である。時はあまり残されていない。彼の計画は間に合うだろうか。彼は何処まで本気なのだろう。もう十分であろうに。彼の本当の望みは何だろうね。もう自分の幸せを考えると良いよ。誰も拒みはしない。拒めはしない。何と戦っていたんだろう。何に耐えていたんだろう。もう十分だよ。よく耐えた。君の時代だ。


2008年06月08日
フォトンベルトの嵐
この世に生まれてどのように生きるべきだったのか。戦争を知らない子供達と歌って、何がいいたかったのか。男は度胸、女は愛嬌である。如何にも卑怯怯懦な方々が世を支配している。テレビで雁首を並べて頭を下げれば済むとでも思っているのだろうか。その後、彼らの生活はどのようであるのか。隠し財産をして破産など笑うしかない。それが知恵であるか。この世はだませても、あの世はだませない。そうしたことも忘れてしまったか。戦後財をなした方々の始まりは何であったのか。海軍工廠の鉄くずから始めたのではなかったか。或いは所有者のいない土地を勝手に囲い込みはしなかったか。亦、警察官は警察官職務執行法第七条を知っているのだろうか。暴走行為に対して人権を発動しなかったか。教育界はいじめる子に対して子供の人権を配慮しなかったか。おかしくはないか。衆議院を解散して選挙をするという。その選挙の実体はどのようであるか。勝つためにはお金による絨毯爆撃が待っている。庶民は何も知らされていない。何かがおかしい。どうしてこのような世の中になったのだろうね。何時までも通りはしない。フォトンベルトの嵐が吹き荒れている。今宇宙の力学バランスはどのようになっているのか。それは何を意味しているか。淘汰である。ノアの箱船は来ている。本来身心清浄及び正直を以て日本武士道とする。既に汚れた方々は自らの看板を背負っていくが良い。まだ汚れていない子供達は幸いである。持って生まれた災難がある。環境ホルモンによる。しかし、どんな障害も乗り越えることができる。それが生命進化である。それも証明された。かつて硫化水素の海から生命体は生まれた。常々問題解決である。個々の問題は次世代が解いていく。身分に安住して安全であると思っているのだろうか。寝ぼけた精神で何をしているのだろうね。時代は進化した。目覚めよ。


2008年06月07日
謙虚さへの回帰
彼は彼自身で良かった。私は私自身で良かった。日本は日本で良かった。身心清浄と正直を自覚して自分自身を取り戻せば、美しい風景が待っている。貪瞋痴は仏法でいう三毒である。公憤は孔子の説くところである。悪舌は功徳の種を断ずるとは法華経だ。さて、他を批判しても何にもならない。それよりも全肯定で良いのではないか。罪を憎んで人を憎まずは刑法である。刑法はとても人間的であると教わったのは筑間教授からだった。引き返すべき黄金の橋が常に架かっている。敢えて実行の着手をすれば犯罪である。裁くのは裁判所である。さて、どう生きるか。日々明るく、楽しく、軽やかに。笑顔と優しさで全て解決する。己の好まぬところはどうするのか。君子危うきに近寄らず。それで良い。批判することはない。これまでの悪舌を反省しよう。いう必要のないこともある。仏法でいう無記ということもある。誰もが幸せになればいい。その為には解決しなければならない問題がある。過去からの因縁もそれである。これを解決しなければ起きることは起きる。そして新たな因縁を作らないことだ。真実真理は何だったか。種があって芽を出す。そして葉が出て花が咲いて実となる。結果を見て初めて原因がわかる。仏法は縁のみを着眼する。縁がなければ何も起こらない。しかし原因はある。結果はある。さて、どう生きるか。既に日本にその英知がある。何時までも愚かでは生きてゆけなくなった。自覚を要する。勝手が通る時代は終わった。宇宙間に厳然とした法則がある。規律がある。知性の秩序がある。見失われていた何か大切なものがある。テレビ界の罪は大きい。それが人生ではない。生命体としての進化傾向ではない。本来日本は何を目指していたか。それを無視愚弄冒涜破壊して何が蔓延ったか。戦後、自由を勘違いしていなかったか。そして社会はどうなったか。考えるべき時に入った。大企業も行政もその例外ではない。自分だけで幸せであることはない。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せである。解決するべき問題がある。解決できる。人生はどのような障害も乗り越えることが出来る。乗り越えた時の喜びはどれほどであるか。世界はそのように出来ている。いうべきことがある。伝えるべきことがある。勉学はするべきものである。浮かれた時代は終わった。この世で何を学び、過去の何を修正し、未来に伝えるべきか。真剣であれば必ず成就する。此処に来て再び思うことがある。それは何だったか。謙虚さへの回帰である。仏さんによると、悪いことは全て自分に原因があり、善いことは仏さんのお陰である。この点に於いて思い上がりはなかったか。自分がどれほどの者か。見える世界と見えない世界を合わせて実相である。自分は今、どのような境遇であるか。理由はどうあれ、地位も名誉も財産もない。禅僧でもあるまいに、嘯いても何にもならない。悲惨な現実がある。最大の資産は自分自身である。利益を生む段階に至るには自覚を要する。尊大な自尊心が他者による支配を拒んだ。それ故不幸であるか。それだけであるか。そうではなかった。ロバート・キヨサキ氏によると、インテリジェンスには3つある。
1.知的インテリジェンス 
2.エモーショナル・インテリジェンス
3.ファイナンシャル・インテリジェンス
人生で最も大切なのは、エモーショナル・インテリジェンスだった。これが人間関係を作る。感情のコントロールである。人を感動させる力である。これが人を動かす。助けたくなる。手伝いたくなる。協力したくなる。人は感情的動物である。この点を疎かにしていた。成功などあるはずもなかった。所詮、人の世である。これに気づけば、謙虚さへの回帰である。これでやっと十九の春とつながった気がする。本来求めていたものだった。何時の頃からか逸脱していた。かつて目指していた価値だった。世間に迎合することで生きようとしていたか。それほどまでに自信を失っていた。本当に強いということがどういうことだったか。マスコミが強いのか。権力が強いのか。それと闘おうとしていたのだったか。それも無意味であることに気づいてくる。彼らの知らない価値がある。それは何だったのか。象徴としての大鏡。わけわかんないね。主権在民。国民主権。憲法の文言は何故そのようになっているのか。偶然はない。自覚を要する。主権行使の頃となったのだろうか。それは口角泡を飛ばすことではない。おだやかで良いのである。笑顔とやさしさで良いのである。既に封建制時代の世ではない。時代は推移した。世界の中で重要な地位を占める。その為に必要な要件は何だったか。それを開発する必要があった。それは人格だった。子供の頃にはそのように扱われていた。それを疑ったのは自分だった。世間に負けたのだったか。復活しなければならない。人格はエモーショナル・インテリジェンスだった。これからどのように生きていくか。明らかとなった。失われたものは取り戻された。何を信じるのか。信じたのなら前進である。仏法は必ず勝つ。王法は必ず儲ける。王とは主体性を確立した個々の自由人である。そしてグループ或いはチームを成す。生きていくことは素晴らしい。この世で何を見つけるか。何を宝としてあの世への土産とするのか。レベルの差がある。知らずに議論している。相手にされていない自分に気づけないことが愚かであるか。黄泉との対話もある。申し訳ないことだった。導かれていた。感謝申し上げる次第である。これで自分を取り戻せたか。やっと自分の足で歩けるのだろうか。三十有余年、失われた自分を取り戻すには長すぎた。しかし遅すぎるということはない。謙虚さを取り戻そう。制度だってついてくる。そうしたレベルがある。祖先代々のことである。粗末には出来ない。所詮、人の世である。おもしろい本があった。『フジマキ流シビれる人生をつくる人脈の教科書』。それにしても、どのレベルの精神が社会を規定し、支配していたのだろうか。高校の頃のことだった。女友達はいっていた。感じることは感じるのだけれど、うまく表現できないところを表現してくれる。その場の空気を読んでのことである。誰の利益のために発言するか。そのような能力があったのだったろうか。しかしそうした自分を殺していた。ずいぶんと悶々としたことだった。そのように指導されていた。今となっては口惜しい。しかし何時か目覚める。目覚める時までの試練がある。それは何だったか。直接いえば角が立つ。それで例えば音楽もあり、小説もある。文化装置として。ところが世の中はどうなったか。そうした価値まで破壊したのだろうか。いうべき時が来たようだ。埋もれた知性達よ、立ち上がれ。彼らにデリカシーはない。何時まで黙っていても彼らは犠牲にして顧みることはない。日本の色を塗り換えよう。私たちの時代である。アンドリュー・カーネギー氏はいっている。今の地位及び所得も己の人格の結果である。一人では何もできない。如何に価値観を共にする方々とチームを作るか。これにかかっている。己を表現することについて臆する事なかれ。表現の過程で本来の自分が何を求めていたかわかってくる。誰もがよちよち歩きからだよ。既に至った方々はそうして歩き始めた人をあたたかく見守っている。年齢は関係ない。彼らはいうだろう。期待はしているが、あてにはしていない。そうした世界がある。積極的ミスには寛大である。怖れることなかれ。山より大きな獅子は出ない。本来不安はない。ないのにあると思っている。勇気はどのようにして出てくるか。自信はどのようにして回復するのか。人生は至り得ておもしろい。おもしろい世界はある。軽薄なおもしろさではない。あまりにも軽薄な世の中だった。テレビ界の罪である。相手にしなくて良い。時間は限られている。無駄にはできない。古来大和の秘密がある。相手があれば必ず受容克服凌駕する。課題があれば必ず解く。諦めはしない。それが大和魂である。愚かな時代があった。秘密の力がある。開発済みである。実験段階は終わった。埋没した三十有余年。無駄ではなかった。十九の春はつながった。本来の自分自身に帰る。思い煩うことはない。何故か。即ち、日月照らし風が吹く。求めていたものは何だったか。生まれた意味は何だったのか。世界はどのように出来ていたのか。この世は過去からの夢の実現過程だった。その夢とは何だったか。所詮魂の遍歴の一齣である。どのレベルでの魂だったか。人はそれぞれ皆違う。醜いアヒルの子もいる。往々にして踏みにじる。裏切る。しかし何時か目覚める。目覚めた自分は何だったか。それが本来の自分だった。持って生まれた悪性がある。それをどのようにして克服するのか。最終最後最大の敵は自分自身だった。これに勝つとはどういうことだったか。時を要する。長さだけではない。振り子は振りきれる。その時知る価値がある。取り戻すべきは何だったのか。生命体としての進化傾向がある。本来日本の目指していた方向性がある。何時までも低いレベルで推移しない。2012年。フォトンベルトは何を意味しているか。今世界の状況はどのようであるか。宇宙の中の地球である。地球の中の生命体である。世界の中の日本である。見えているのだろうか。黄泉の守護もある。彼は何処を彷徨っていたのだろうね。何を見たというのだろうね。世間は何を浮かれているのか。むしろ不思議である。ノアの箱船が来ている。火宅を出る時である。化城を出でよ。真実の城を目指す。目的地は見えている。真実真理とは何だったか。神仏の実在とその守護ではなかったか。知らないから否定する。調べようともしない。探そうともしない。そして世は腐敗した。企業も行政もその例外ではない。庶民レベルで七つの海を渡る時が来た。眠れる知性達よ、目覚めよ。真剣さが要求されている。暴走族的なお笑い文化に用はない。何に憧れたのか。知らずとも世を腐敗に導いて、その責任もとれまい。黄泉の守護はある。自己人格形成責任論。唇寒し、秋の風。賓主歴然。歴然であるのにそれに気づけない。腐敗堕落を人生と思っている。生命体としての進化傾向に反する。どうして蔓延ることが出来たのか。既に蔓延っている。毒矢が刺さって苦しんでいる人がいる。この矢は何処から飛んできたのか。成分は何か。そのようなことはどうでも良い。今為すべきことは、その矢を抜くことである。市民革命を経由した自由は市民或いは庶民の自由である。社会契約に基づく自由を履き違え、腐敗堕落を人生などと吹聴増殖した方々は責任をとって頂く。自由を破壊する自由はない。システムを複雑化することで、欺罔的手段によって庶民から不当利得を奪い、己の利益とすることが智慧ではない。ビジネスではない。コンプライアンスの次に問題となっている要素は社会的貢献である。これも既に彼が指摘していた。彼の言葉はロゴスだったのだろうか。実現する。実現するのは黄泉だといっていた。彼を直接悲しませないように。人間のどのような可能性に気づいたのだろう。二千年来の物語の秘密が解かれたといっていた。それだけの人生を歩みきったらしい。既に四聖は気づいていたという。庶民レベルでそれに気づくべき時が来たといっていた。それが21世紀の意味であるとでもいうかのようだった。J.J.ルソーは『エミール』と『社会契約論』を遺した。教育界では、『エミール』は幼児教育の憲法とまでいわれた。問題にしたのはピープルだった。ルソーの現実人生はどのようであったか。流浪したらしい。そして旅先で、私生児を何人か遺した。彼には具体的ロマンはなかった。何故か。それだけの試練を背負っていた。どれだけの試練だったのか。もはや知る由もない。『影を無くしたペーター』というオペレッタがある。彼の得たものは何だったか。古来大和の秘密だといっていた。まさか自分がそれとは知らなかったらしい。誰も知らない。無記に属するのだろう。それで良いのであろう。彼は満足していることだろう。同じ轍は踏めない。彼の自覚である。本来の自分を取り戻してかつての余裕が帰って来る。そして謙虚さへの回帰である。己の力を確認して、潜竜のままで良かったようだ。世に出ても仕方ない。彼はいっていた。本来大和を未来に伝えよ。彼は代々の使命を果たした。螺鈿の槍は一番槍。彼こそ本命だった。彼は誰も知らない祖父を知っていた。父を知っていた。カエルの子はカエルである。


2008年06月06日
気づきムーブメントについて
NHKラジオで面白い番組があった。気づきムーブメントに関する、トレンド調査をしている方のコメントだった。彼の求めていた動きが動き出した。彼は満足していることだろう。しかし失われた彼の人生と青春は戻らないね。評価の外でもある。しかし彼の仕事は偉大だった。大きすぎて評価できない。歴代の仕事だったよ。感謝しようね。それ以上、彼は求めていない。しかし彼のことは誰も知らない。彼が何を経験したのか。何を発見し、何を方向付けたのか。悲しいといえば悲しいね。トレンドは定まった。流行の基についても彼はいっていた。何とも不思議な彼だった。これで良いんだと思う。みんな幸せになれるね。お金ではなかったんだよ。一定の行動計画を制限時間内に実現することがビジネスだとすれば、彼の仕事はビジネスだった。直接報われることはなかった。しかし何時か廻転することだろうね。徳は天に積むべし。何時か自分の所に帰ってくる。誰も知らない。知る人は知っている。それでいいよね。しかし彼こそ本命だったね。どのレベルでのことかな。代々のことだったんだ。それにしては粗末にした。一休髑髏ご用心ともいっていた。夢は叶った。これより彼は自由に生きるといっていた。怖れはなくなった。不安もないといっていた。取り戻した自分があるらしい。それは何だったのだろうね。自覚が要件だといっていた。黄泉の守護があるんだって。それが古来大和の秘密であったらしい。誰もがその可能性を秘めているといっていた。本当の幸せはその辺りにあるらしい。それを知らない方々の支配があったんだって。それで腐敗した。本来日本の目指していた方向性がある。身心清浄及び正直だった。嘘と暴力が蔓延った。故に彼の自覚があった。人生って面白いといっていた。どんな悲しみもそれ以上の喜びの種があるんだって。それに気づいて育むことだといっていた。みんな幸せになっていい。それが21世紀、庶民の解放なんだって。おだやかで良いそうだ。これより愚かな支配から脱するといっていた。自由は自由が切り開くといっていた。そして時代は推移した。野蛮と愚かさからの脱却である。勝つとか負けるとか、低いレベルで何を考えていたのだろう。テレビの傾向も反省されるだろう。世の不倫化傾向がある。テレビの影響が大きい。暴力もそうである。これらを肯定的に扱っていなかったか。その責任は問わねばならない。取り戻すべき日本の情緒がある。しばらくどのレベルの支配があったのか。嘘と欺罔が蔓延った。根本的な羞恥心を欠いていた方々の支配がなかったか。テレビ界の罪である。文化は限りなく庶民化する。それは堕落ではなかったはずである。何を面白がっていたのだったか。精神的向上心のない奴は馬鹿だ。漱石の感慨である。日本はどの方向を目指していたのだったか。全体としてのボトムアップの頃である。知性が愚弄されていた。知性が息も出来なかった。それ故、彼は苦しんだのだったか。埋没を余儀なくされたのだった。日本文化の質的向上の時を迎えた。これまでの支配は淘汰される。勝手が過ぎたとするところである。彼の計画は成就したのだろうか。失われた人生と青春は戻って来ない。社会を恨んでいるのではなかった。彼自身が怠惰だったことを反省している。誰もが仲良く幸せになればいい。他を犠牲にして幸せはない。日本の基は定まった。火も焼くこと能わず、水も流すこと能わじ。古来大和の秘密は自覚を要する。日本は日本で良かった。日本の自信の復活である。何か失われた大切なものがある。それらを取り戻す頃となった。和を以て尊しとなす。類は類を以て集まる。暫く個が宣揚されていた。そしてどうなったのだろう。それはそれで大切であり、必要でもあった。しかしその個は嘘と暴力で閥を成し、他の個を攻撃した。そして社会はこのようになった。知性としての個は踏みにじられた。これを取り戻すためには何が必要なのだろうね。グループだね。チームだね。無視愚弄冒涜破壊されて裏切られ、相手の幸せを思ってする失われた何か大切なものに対する価値観を共有し、分かち合おうとする者たちの団結だね。その為にのみお金も価値を持つ。唯自己利益追求は野蛮だった。そしてそれと戦う必要がある。日本の色を染め変える。新しい気づきのムーブメントとして。彼の三十有余年の特殊潜航があった。その間、オーストラリアでは最後の特殊潜行艇の発見もあった。家には父の持ち帰った新品のパラシュートとがあった。尊祖父千畝の肖像画もあった。祖父の遺した彫刻刀もあった。祖父の版画は朝井清氏の版画の裏側に隠されていた。家伝直伝秘伝螺鈿の槍は折られていた。全て意味がある。あるいはサインである。どういうことだろうね。何れにしても彼の仕事があった。彼が探し、確認し、確定したものがある。それが彼のこの世での使命だった。それは果たされた。試練もあった。誰も知らないところで。彼はいっていた。基は定まった。失われていた日本の自信は回復された。未来は明るい。後は宜しくとのことだった。もういいだろう。あなた方の勝手もここまでである。


2008年06月05日
本来何もない
いろいろと書いたことだったけれど、いろいろな思いもあったけれど、山田無文老師はいっておられた。自分が書いたものは全て紙くずに過ぎないと。しかし後からやって来る人のために、何らかの道しるべともなるかも知れないと思って書いたって。過去を乗り越えて未来へつなぐ。大切なのは今をどう生きるかだった。仏法も筏に過ぎなくて、渡ってしまえばもう必要がない。だけど、後から渡る人のためにおいていくという。あらゆることが日々新しくて、そして聖書には日の下に新しきことなしともいわれている。要は主体性の確立であって、本来不安も恐怖もない。無いのにあると思っている。これも経験することしかなくて。もう臆することはなくなった。何故埋没してしまったのだろうね。それも既に乗り越えた。好きなことをして生きればいい。自分を取り戻せばいい。何を遠慮していたのだろうね。何を怖れていたのだろうか。何も怖れる必要など無かった。黄泉の守護もある。日月照らし風が吹く。それでいいではないか。取り戻した自分は何だったのか。どのような力があったのか。人間としての可能性は何処にあったのか。知るところとなった。これをまともに表現する必要はない。既に気づいた方々がスターダムにのし上がっていたのだろうか。それにしては日本の男はこれで良いとは何事であるか。この点は見逃すわけにいかない。どうしても納得できない。理由など無い。感情がゆるさない。何時までも勝手は通らない。開発した力は何だったか。埋没しつつ、何を見聞してきたか。やはり容赦しない。今思えば、あまりにも酷な人生だった。何をしているのだろうね。何をしてきたのだろうね。この世は甘くない。何を以て真実というか。知る時が来たのだろう。自分を取り戻した。あまりにも尊大な自分だった。それで良いのだとやっと思えるようになった。何を裏切ったのか。何を粗末にしたのか。やはり問わねばならない。どうしてこのような世の中になったのだろうね。今までとは違う。夢はあるか。必ず実現してみせる。何時までも黙っていない。勝手が過ぎた。何度でもいう。覚悟するべき時が来たのかも知れない。神は高くを低くし低きを高くするために来ると聖書にある。古来大和の精神は修復された。失われた人生と青春がある。取り戻すしかない。何もかも思い通りにならなくなったね。何故だろうね。何が明らかになったのだろうね。いい加減が過ぎた。黄泉は憂えている。本来日本はこのようではなかった。身分に安住する者たちの寝ぼけた議論など聞きたくもない。このようなことを書いていて、再び問題点が浮上してきた。それは怒りと不満である。此処を克服しないといけないようだ。感情のコントロールが問題点である。急がなくてはいけないね。喜び世界は見えている。最後の関門だろうね。乗り越えなくては成らない。何を乗り越えるのだろうね。埋没した理由はこれだった。偏に自分が怠惰だった。難問は解いている。それは秘密でもあった。乗り越えたいね。そして幸せを具体化したいね。問題点は見えている。解決するしかない。仏さんの威力を借りる必要もある。


2008年06月04日
新しい課題
とても楽になれたようだ。ポジティブでいることができるようになった。このように楽な気持ちになれたのは初めてである気がする。どうしてかというと、試練の中にあったからだ。いろいろな成功理論を紐解くと、全て自分次第だという。しかしその試練が例えばひとつの病気だったらどうするのだろう。それ故、人生も青春もロマンも失い埋没したとするとして、それをも自分次第というのはあまりにも酷ではないだろうか。原爆病院で病は気からというに等しいのではないか。世の成功論だけでは幸せになれない。既に環境は病んでいる。その中で生命体が汚染されれているのではないか。子供達はその中でアトピーとか背負っている。それも自分次第というか。世の常識者の常識を疑う。何も見えていないのではないか。自分ではどうにもならない苦しみを背負って生きている人の悲しみがわかっての理論だろうか。私には救うべき課題がある。そのように思われてきた。これから何をしよう。試練の故にある力を知った。それは何だったか。そして取り組むべき課題があるのだろう。私でなければできないことがあるのかも知れない。いうべきことがあるのかも知れない。既に力は確認している。何をしてきたのだ。やはり私はこうして問い続けなければならないのだろうか。自分だけ安楽な世界で惰眠をむさぼるわけにはいかないのだろう。価値がある。取り戻さなければならない。環境もそうである。知性もそうである。情緒もそうである。何を壊したのか。何が蔓延ったか。このスタンスに帰するのだろうか。世間一般勝手がすぎた。私がどの階層に属し、何を見聞してきたか、重要な要素である。戦うしかないのだろうか。愚かさと。ある程度の欺罔を当然内在する商人根性の世の中で。卑屈な成功理論などいらない。精神のない成金に用はない。そして新しい課題としてどう生きるか。明るく、楽しく、軽やかに生きれば良い。それぞれの分際があると彼はいっていた。それはどういう意味だったのだろうね。思いあがりはないか。勘違いはないか。自分を基準にしていないか。本来の価値を得知らずして壊して来なかったか。壊したのだったら作り直しである。唯自己利益追求を乗り越える。彼はいっていた。黄泉を制したと。どういうことだろうね。わからない。頼朝は伊豆に流されていた。家康は時を待った。400年周期説は旧約聖書に秘められていた。旧約聖書の目的は庶民の解放だった。市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来る解放である。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神復活。原爆の火を以てしても根絶やしにされはしない。戦後継受した自由及び平等並びに民主主義及び人権が開花結実する時を迎えた。その間、勘違いした自由があった。カンニングで世に出て閥を成しての支配は終わった。暴走族的自由は自由でない。故に埋没していた知性が蘇る。真実の強さとは何だったか。真実のやさしさとは何だったか。強いが故にやさしさがある。それが武士道である。武士の心をあまりにも知らなかった。日本精神は武士道に結実していた。それは或る意味でデリケートであった。決して野蛮ではない。これまでどの階級の解釈であったか。今更であるが口惜しい。しかし大丈夫である。本来武士道復活の頃となった。古来日本の目指していた方向性である。面舵いっぱい。進路よし。武士道は明治以降の解釈の野蛮では決してない。愚かな精神の支配する時代があった。それだけはいいおく。


エピローグ
このブログも目的を達したようである。何か失われた大切なものを求めて旅立ったのは高校の頃だった。三十有余年の旅があった。そして帰ってきた。何を探していたのだったか。何を見つけたのか。このテーマが完結するとは思わなかった。その過程で色々な試練と体験があった。全てに感謝申し上げる次第である。次のステージに進むことにしよう。


2008年06月03日
時代の空気
時は来たようだ。彼はいっていた。何もかも気に入らないと。どういうことだったのだろう。何がゆるし得ないというのだろう。何故彼は埋没したのだったか。時代の空気だったのだろうか。彼は取り戻すといっていた。彼は何を開発したのだったか。今となっては謎である。しかし時代は動き始めた。感じている人は感じている。彼は何者だったのだろうね。これも時が来なければならなかった。彼は耐え抜いたのか。それにしてもこの時代の空気は何なのだろう。古来大和の秘密だといっていた。彼にとっては冗談ではなかったのだろうね。それだけの試練を通ったといっていた。秘密は解いたといっていた。どのような秘密だったのだろうね。既に謎である。彼は取り戻すといっていた。彼の夢は何だったのか。既に取り戻しつつあるのかも知れない。或いは取り戻したのかも知れない。求めるものが大きければ、時間もかかる。その為に必要な力の開発も必要である。彼はこの世でそれを果たしたというのだろうか。彼は戻ってくるだろうか。今となっては懐かしい思い出がある。失って初めて気づくものがある。花と咲いて初めて知る。彼を大切にしておけば良かった。彼には幸せになって貰いたい。彼でなければ出来ないことがあった。それは何だったのか。知る頃となったのだろう。そして世間は知らない。事実としての記録がある。知る人にとっては事実である。知らない人には不思議である。愚かな支配があった。しかし何時か振り子は振りきれる。彼がどの階層に属し、何を探していたか。そして何を見つけたのだったのだろうか。あなた方の支配は終わった。これより時代の空気を塗りかえる。彼はいっていた。DNAの螺旋構造は何を意味していたか。鋳型である。新たな鋳型が作られる時節となった。時代が必要としている。時は待つべきものである。日本に英知がある。世界が必要としている。公害を乗り越えるためには既に乗り越えた日本の技術がある。その他の技術も再評価される。日本のお家芸、技術立国日本。環境を救う。世界が待っていた。嘘と暴力に用はない。時代は進化する。時は来た。彼の夢は何だったのか。それが実現しつつあるというのだろうか。日月照らし、風が吹く。黄泉の守護を取り付けたといっていた。それが古来大和の大義名分であり、神風も吹くという。古来大和は負ける戦はしないといっていた。日本は大丈夫だといっていた。彼の自覚は何だったのか。彼は何を探していたのか。そして何を見つけたのだったか。彼は生まれながらにどれだけの能力を秘めていたのか。その彼が何故埋没していたのか。全ては準備されていた。全てに意味があった。その意味を確認しなければならなかったらしい。彼の孤独な旅とするところである。世間は浮かれていた。時代を救ったのかも知れない。既に記録がある。精査されたい。彼を直接悲しませないことである。勝手が過ぎた。彼は耐え抜いた。そして力を得た。その力とはどのような力だったのか。本当に泣いたのは赤鬼ではない。青鬼である。真実とは何だったのか。彼自身だったというのだろうか。あまりにも悲しい人生があった。故に未来が拓かれたのだろうか。何をしてきたのだろうね。何をしているのか。問われている。そして彼にとって悲しい時代は去った。長い冬を越えると永久の春だった。彼は至り着いたといっていた。不安はない。悲しみもない。恐怖もない。本来無かったのだと。七つの海を渡りきったか。彼は希望の未来へ船出したのだろうか。ポジティブに転じた彼の幸せな日々を祈ろう。どんな悲しみの中にも、それと同等か或いはそれ以上の喜びの種がある。彼が見つけたのはそれだった。これから種まきするのだろうか。どのような花が咲くのだろう。楽しみだね。何れにしても自分次第だったのです。幸せになりたいですね。その為にはどうすれば良かったのか。既にその方法はあるのです。探してみませんか。そして本当の幸せを手に入れませんか。誰もが幸せになれるのです。誰もが幸せになって良いのです。それが自由主義であり、民主主義を選択している理由です。故にこの価値を破壊するのは良くないですね。それは敵として扱わなければならないでしょう。そして嘘と暴力も敵です。かつて野蛮状態の頃にはそれも力でした。しかし時代は進化しました。肉体的な強さから精神的強さへ。そして鍔競り合いするのです。その時、勝負は決まっています。本当に強ければ、十分に相手は気づくでしょう。本当に強い人を直接悲しませないことです。何を以て本当に強いのでしょうか。極めるべき人格はどのようなものだったのでしょうか。誰からも好かれたいですね。黄泉からも好かれたいですね。黄泉の守護はあるのです。黄泉にも好悪があります。この世は見える世界だけではなかったのです。権力も武力も金力も見える世界での力です。見えない世界に通じる力は何でしょうか。その力を誰もが扱える時代となりました。それも開発しただけでは意味がありません。使えるものに磨き上げるのです。その意味でこの力もスキルです。幸せもスキルです。生命体としての進化傾向があります。それは決して愚かでも野蛮でもなかったのです。時代を今支配しているのは何でしょうか。新しいパラダイムの登場です。古いパラダイムはかすんでしまいました。本来日本の目指していたものがあります。それで良かったのです。暴走族的国家を目指すのですか。野蛮状態を見過ごすのですか。戦う民主主義という概念もあります。彼のスタンスでの戦いもあったのです。彼は戦っていたのです。密かに力を開発していたのです。そして時が来たようです。目指す方向が定まりました。知性が真面目に生きていける時代の可能性が切り開かれました。社会に出ると学校教育は役に立たないといわれていたのは何故でしょうね。そうした閥が支配していたからですね。支配はやさしい目をして嘘をつくことを当然とする方々の閥によるものでした。彼はそれと戦っていたのです。そしてそれに勝つためにはどのような力が必要だったのでしょうか。彼が探していたのはそれでした。戦後跋扈した似非自由は手強い相手でした。時を待たねばならなかったのです。彼らが腐敗しきってしまう時を。一掃するべきは下級精神による支配です。取り戻すべきは上級精神による支配です。何時の間にか失われていた自信の回復です。決して裏切ることのない純粋精神の復活。


2008年06月02日
潜在的な価値
この世に生まれた意味は何だったのでしょうか。歴代の魂の遍歴です。この世に生まれた時に色々なものを持っています。その中からの属性の選択があります。どんな種が秘められているか。それを探す旅があります。それを自覚するまでは芽が出ない。何をしてもその気になれません。本来の自分ではないからです。本来の自分を自覚して驚くのは自分です。持って生まれた種です。それで良いのです。そしてどの花を咲かせるのか。往々にして思い違いしているのが人間です。相手の潜在的な価値を認めるところから始めませんか。何を持って生まれているか解らないものです。それなのに、たいていの場合、顕在化しているところしか相手を認めようとしない。隠れながらにどのような力を持っているか知れたものではありません。故に謙虚であるべきです。とんでもない力を持っている人もいるのです。それは黄泉の守護であることもあります。そうした人を直接悲しませるとどうなるか。黄泉による成敗もあります。不思議であり、怖ろしいところです。例えば始めに言葉ありきといわれます。この意味をどのように解釈しているかで、およそその人がどれほどの人かわかります。何を自覚し、何を意識し、どのような体験をしているか。自分のことは自分しか解りません。或る程度の行をしたことがある人が、平気で神も仏もいないといいます。神も仏も人間の脳が作り出したものだというのです。既に限界を自分で作っている。それ自体に気づけない。それで源氏物語ではあはれとなります。ところで、源氏物語は内容よりもその文体こそ伝えるべきところです。翻訳にどれほどの意味があるのか私には疑問です。さて、神仏の実在を信じるという人がいます。神仏を知っている人もいれば、憧れている人もいます。前者と後者の差は絶大です。神仏を知って、或いは神仏と邂逅してのことなのかどうか。此処が正受老人が白隠の一回目の悟りをゆるさなかった理由です。見れば解るのです。それは知っているからです。知らないで信じるのと、知って信じるのとでは雲泥の差があります。知らないで否定するのは論外です。永遠にこの世が地獄であることに気づけないでしょう。そして地獄で良いというのです。地獄はまっぴらごめんです。此処より逃れる方法はあるのです。既に代々、伝えられていたのです。今も至った方々が伝えつつあるのです。それがチャンスです。それに気づけないのは何故でしょうか。ぼんやり生きていませんか。そうした世界があることさえ知らないまま、この世を終わるのは残念ですね。しかし多くの方がそうなのです。例えばアンドリュー・カーネギー氏も至り得た方でした。常にチャンスはあります。所詮この世は地獄です。そこより逃れるためにはこの世の全てに意味があることを知るべきです。佛は因縁だと仰いました。佛の力を借りないとこの因縁の解決は出来ません。真実に周波数を合わせることです。それは集中力でした。数学の問題を解くのに、途中で諦めていませんか。少なくとも4時間考え続ければ、たいていの問題は解けます。ひらめきがあるのです。そうしたものです。しかしその事実さえ知らない。教育は何をしているのでしょうね。そして今、世の中はどのレベルの方々の支配でしょうか。カンニングで世に出た方々の天下ではないでしょうか。そして世の中はどうなりましたか。いい加減な世の中となりました。何時の世もそうだったのでしょうか。そうであるならそれだけに、これからはそうはいかない。どういうことでしょうか。本来の真面目がやっと自覚したからです。取り戻すべきものがあります。嘘欺罔が蔓延りすぎました。大企業もその例外ではありません。行政もそうです。何か見失われています。腹を切るだけの自信と勇気さえ笑いものにしていないですか。本来武士道を考え直す頃となりました。日本は本来神国であることを思い出す頃となりました。この度は誰が言い始めたのでしょうか。グランドデザインはこうして描かれるのでしょうか。顕在化したものだけが価値ではないのです。歴史上の人物だけが偉大ではないのです。代々の本当の価値は見えないところにあるのです。こうして歴史は流れます。それを自覚できる人がどれほどいるでしょうね。力を持つ方々が健全な心でありますように。何を裏切ったのでしょうね。知る頃となりました。彼はゆるさないといっていました。通りゃんせです。行きはよいよい、帰りは怖い。意見をいうことは自由です。どのような意見があっても良いのです。しかしその意見をいう自分が野蛮な音声では誰も聞いてくれません。この世は自己人格形成過程です。未来につなぐのです。貴重な時間を何に使うか。伝えたいことがあるなら、それを伝えるために、自分を磨くのです。自分の思う方へ時代を導くことも出来ます。所詮ローマは一日して成らず。既に歩んだ人生があります。草鞋銭が請求されます。どのような人生を歩んできましたか。過去から持ってきた魂はどのレベルだったのですか。日本をどの色に染めるおつもりですか。魑魅魍魎の跋扈する時代は終わりました。お帰り下さい。素晴らしい世界があります。伝えるべき世界があります。作るべき人間関係があります。申し訳ないですが、そうした上級精神の世界があります。しばらく埋没を余儀なくされていました。その理由もありました。しかし既に日本の方向性は定まりました。日本は日本です。愚かではありません。野蛮でもありません。日本の目指していた世界があるのです。それを取り戻す頃となりました。この度は黄泉を制してのことです。代々の螺鈿の槍及び弁慶薙刀が抜かれました。この度は十分な反省があってのことです。同じ轍は踏めません。欺罔を含む商人根性ではこの艱難困苦を乗り切れません。さて、自分探しの旅がありました。見失われた自己がありました。本来の自分を取り戻す。とても過酷な試練でした。しかしそれも実現するのです。時を要します。時とは過ぎ去った時間と満ちる時間です。いつかは辿り着くのです。それで良いのです。諦めないことです。本来の自分を信じることです。そして自分を取り戻すのです。取り戻した自分とは何者だったのでしょうか。歩んだ人生がありますね。読破した本がありますね。すべては準備されていたのです。二千年来の謎を解くこともあります。それも人生です。この世に生まれて良かったですね。人生は素晴らしい。これからを宜しく。

2008年06月01日
本当の幸せを知る頃
幸せって、何だったのでしょうか。権力でしょうか。武力でしょうか。それとも金力だったのでしょうか。これらの本質は支配することです。或いはコントロールすることでした。自分の思い通りにすることが出来たなら、それが自由であり、幸せですね。しかし思い通りになりません。不安があります。恐怖があります。本当は何をコントロールするのだったのでしょうか。自分自身だったのです。特に、私の場合は感情のコントロールでした。これが出来ていなかったのです。それで何もかも壊してきたのでした。自分さえも壊していたのでしょうか。それが十九の春だったのでしょうか。さて、色々と調べました。教えて貰いました。考えてきました。そして何が一番大切だったのか、確認が出来たように思われます。それまでは無意味な人生でした。此処に至って、それまで無意味だったことが全て意味を持つのです。そして全てはそこへ向けて導かれていたかのようです。そしてそれをこの世で自覚しなければならなかった。そのように仕組まれていたかのようです。亦、その為に全てが準備されていたように思えます。それとは何であったのでしょうか。結局、仏さんでした。あれこれと思いあがっていたのは自分でした。自分と対峙して、自分と戦うことが使命だったのでしょうか。そして仏さんの偉大さを知るに至りました。気づくと何もかもが教えです。「我以外みな師なり」と吉川英治氏はいいました。本当にそのように思えてくるのです。そして見つけたものは愛の周波数でした。動植物及び岩石も喜び、反応します。佛の周波数かも知れません。座禅することで開発するのもこれだったのでしょうか。身心脱落、脱落身心の境地です。不幸があるとすれば、それは全て自分のパーソナリティに起因していました。アンドリュー・カーネギー氏のいわんとしていたところです。人は社会の中で生きています。自然状態ではありません。ビジネスも人間関係であり、価格破壊競争で安ければいいという方法が人間関係を破壊し、人間性を喪失させました。さて、これからどのように生きるべきでしょうか。それぞれの問題です。神仏を見失って久しいのですが、それ故、殺伐とした世の中となりました。無神論者達の閥である世のリーダ達が、テレビ界を通して、日本の価値観を壊してしまいました。だけど、日本は日本です。そう簡単には滅びません。古来大和魂の復活となりました。その種は遺されていたのです。ところで、彼はほぼ万能でした。誰も彼の実力を知りません。彼こそ本命中本命だったのでしょうか。日本の秘密は相手が有れば、亦、課題が有れば必ず受容克服します。仏法は今、日本にしかないのです。しかしその本質を知る人は殆どいない。そして勝手した。ビジネス界も行政も。彼はこの世で何をしたというのでしょうか。何を追求していたのでしょうか。そして何を得たのだったのでしょうか。庶民レベルで黄泉を制したといっていたように思い出されます。その一番槍の仕事は済ませたといっていました。これで誰もがこの問題を扱えるだろうと。21世紀は世界が宇宙となりました。過去に於いては地中海であり、地球でした。そしてその意味は庶民レベルで魂の問題を扱えるようになったとのことです。これほどの仕事をしたというのでしょうか。世間は彼のことを自分と同じと思っているようです。上級精神世界があって、それが本来日本精神であることを得知らず、一番にならなくても良いなどと歌っているといっていました。そして日本は腐敗したのだと。本来日本大和魂を取り戻すといっていました。此処に来て今、彼のいっていたことが実現しつつあるように思われます。何処かで彼は時代の流れを見つめていることでしょう。帰るべきところは何処だったのでしょうか。仏さんのところだったと思われてきました。美しい風景を思い出します。何もかも有り難く、懐かしく思われてきました。日本を取り戻しつつあるからでしょうか。仏さんとの約束を思い出したように思われます。それを思い出せとばかりに何もかもが示されているように思われます。それに気づいて、仏さんに対して申し訳ないことだったと心から思った瞬間、何が起きるでしょうか。仏さんは人智を超えています。そして導いてくださっています。仏さんは偉大です。信じるに足ります。これを知った瞬間、身心脱落、脱落身心を知るのです。それが愛の周波数状態でもありました。これを確認するために彼はどれほどの孤独な試練の道を歩んだことだったのでしょうか。人生も青春或いはロマンも失っていたといっていたっけ。大切なのは誰もがアガペの可能性を持って生まれていることです。仏さんの約束です。全て自分の心次第です。幸も不幸も。さて、日本は久方ぶりの大漁となりました。心の豊かさの大漁節です。喜びの時節を迎えました。権力でもなく、武力でもなく、金力でもなかった本当の幸せを知るに至りました。道は開かれました。過去が未来につながりました。今、夜の送迎アルバイトをすませ、事務所に帰って、このブログを修正し、白牡丹のカップ酒を飲んでいます。西条のお酒です。懐かしい思い出に酔いながら。あの頃の仲間は、みんなどうしているだろうね。何れにしても日本の方向性は定まった。失われたものは取り戻された。日本本来の本懐が明らかとなった。彼が命をかけて探し求めたところだった。彼はいっていた。刃向かうなし。征夷大将軍のつもりなのかな。まるでドン・キホーテだね。笑うしかないね。しかし、一休髑髏ご用心は気になるね。どういうことだろうね。どうでもいいね。或る秋のことだった。母と姉と妹とで京都に紅葉狩りに出かけた。不図、高台寺を訪ねたくなった。境内に上がった。黒塗りの車があった。菊の御紋があった。皇太子様の車だった。向こうを見るとその御姿があった。偶然のことだった。偶然などありはしない。彼はいっていた。仕事はしたよ。使命は果たしたよ。しかし世間の評価の外である。彼の現実は悲しすぎる。彼はいった。もう良いんだよ。