2008年04月30日
We are the world!
アンドリュー・カーネギー氏の成功論は何を意味していたのだったろうか。彼は新しい哲学として成功論を遺した。彼の財産は寄贈という形で処分された。彼が目指していたのは何だったのか。人間的成長だった。人間の可能性の追求だった。それは自由主義でなければ実現できない。チャンスは無限であることを示した。その新しい理論は、限りなく禅だった。ここに西洋と東洋の合流を見ることはできないだろうか。生命体として目指していたのは何だったか。古来秘密だった。それが明らかとなった。それは何だったのか。誰も知らない。しかし既に新しい時代は開かれた。どういうことだろうね。わかんないね。既に世界は一つである。カーネギー氏による成功の定義は、「他人の権利を侵すことなしに、人生に求めるものを何でも得られる力」。そして「この哲学によって、あらゆる職業の男女が勇気づけられ、今の時代にチャンスがあふれていることに気づき、それを活用するようになるだろう。(中略)これまでも何時もそうだったように、こうしたチャンスを生かせるのは、大きなビジョンを抱く人たちだけなんだ。君が他人の役に立ちたいという強い願望の実現に力を尽くせば、その仕事の価値は自然に周囲に認められるようになるだろう。この考えは目新しいことではない。この世のはじめからあったもので、文明が続く限り、なくならないだろう。(中略)明確な目標の法則は普遍的な価値がある。毎日の習慣にしなければならない。この習慣がないと、成功の命取りとなる別の習慣がついてしまう。成り行き任せにする習慣だよ」。一箇自覚、天地開闢。この國の基は何だったのか。君が代大鏡。石炭はいくら磨いてもダイヤモンドとはならない。ダイヤモンドのグレードはGからだね。ハニホヘトイロハ。CDEFGAH。ト長調へ移行だね。それともG線上のアリアだ。磨くべきは何だったのか。心だね。魂だね。そして大切なのは、一切衆生悉有仏性。誰もがその可能性を秘めて生まれている。探そうともしなかったね。これより始まる。無限チャンス到来。未来は明るい。既にカーネギーが実践証明していた。掘るべきはダイヤだった。 Dig it! 何処を掘るのだろうね。自分だ! 面白くなってきたね。自由でなければこれはできない。平和でなければこれは実現しない。We are the world! ところで、何が足りなかったのだろうね。協調性だった。何故それを失っていたのだったのか。土壌或いは土俵、即ちフィールドの見極めが出来ていなかった。何を期待していたのだろう。
2008年04月29日
自己修復の最終段階
求めれば与えられる。求めなければ与えられない。何を求めるのだったろうか。随分と彷徨ったような気がする。その間、怠惰な自分が居た。それにも理由があった。それは十九の春だった。これをも乗り越える。人間はなんと偉大であるか。これも試練だった。神は耐えることのできない試練は与えないという。それにしては酷だった。しかし代償の法則があるらしい。失ったものの中にはそれと同等の或いはそれ以上の利益の種があるという。それには条件がある。それは何だったのだろうね。そして今、修復の最終段階に入ったのだろう。この世でしておかなければならなかったことは何だったか。子どもの頃に既に殆どの経験があった。勉学もスポーツも芸術も。しかし十六の頃から内面の道を模索したようだ。原因は失恋だった。十九の春には人生と青春を失った。その後の人生は何だったのだろう。思えば懐かしい。その後、何をしても駄目だった。当然だね。あまりにも深い傷を負っていた。誰も知らない傷だった。それを背負って生きることがどんなに困難なことであったか。今だからいえる。そして失われていた大切なことに気づく頃となった。それは何だったのだろうね。そして修復の最終段階である。これより修復するべきは何だったのだろう。導かれていたようだ。ナポレオン・ヒル氏の『思考は現実化する』を読んでいた。その本は書き込みでいっぱいである。そして或る程度理解したと思われた。そしてこの度、大富豪アンドリューカーネギーに学ぶ ミリオネア養成講座 明確な目標設定編 に出会った。すべてノートにとった。この種の学びに対する以前の感情的な涙はなかった。冷静に丁寧に処理された。偉大な英知に触れた思いだった。自由とは何を意味していたのか理解できた。これは何を意味しているのだろうか。私にとっては黄泉から与えられたプレゼントだった。どういう意味だろうか。以前の私は何かにつけて批判的に捉えていた。それが学問的であり、知性だと思われた。この度はそうではなかった。素直な心と謙虚さを取り戻しつつあるのかも知れない。仏さんは言っておられた。何か困ったことがあれば、悪いのは全て自分である。何か善いことがあれば、それは全て仏さんのお陰である。その通りだと思える自分が居る。自己修復の最終段階に入ったようである。生きていて良かった。人間は偉大である。人生はすばらしい。取り戻すべきは何だったのか。この世の全てに感謝する。ありがとう。そして人生と人類の英知に乾杯!
何れにしても、カーネギー及びナポレオン・ヒル氏は何を伝えていたのだったろうか。謙虚に学ぶべき時が来た。それは確かなようである。探していたものは見つかった。既に確信に至っている。何を探していたのだったか。全てが意味を持ち、つながる瞬間が来る。真実とは何だったのだろう。伝えるべきことがある。大切なことは何だったのだろうね。結局好い人間関係だね。就職した頃に研修日記をつけていた。それを人事部に提出した。そこにも書いたように思う。友達を見つけるために来た。その後、こうした精神の生きる空間はなかった。孤独だった。笑顔と優しさで全て解決する世界が無いのであるなら、私たちが作るしかない。
≪二つの心がふれあう時には、そのつながりの中に、二つの心よりも大きな力を持つ、捉えがたい第三の心が必ず生まれる。この第三の心がふれあっている二つの心の一方か両方の助けになるか、邪魔になるのかは、各人の心構えにかかっている。両方の心が調和して共感し合い、協調性のある心構えで接していれば、第三の心は双方の利益になる。二つの裡の一方か両方が、相手に反感を持ち、友好的でない場合は、そこに生まれた第三の心は双方にとって害となる。(中略)心の中でロマンスの呼び声を聞きながら、それを無視すると、君は才能を暗がりにしまいこむことになる。反対に、この知性からのメッセンジャーからの呼びかけに耳を貸し、ロマンスがやってきた時に、思いやりと理解を以て迎えれば、それは君に知識の殿堂への鍵を手渡すだろう。殿堂の扉は君の心と脳の中にある。男女の関係の中にある尊く優れたものは、神の賜である愛を通してのみ、その殿堂にやってくる。ロマンスの炎を燃やし続けなさい。ロマンスをマスター・マインドの作法の一部、それも大切な部分と捉えることだ。そうすれば、結婚という関係から、物質的にも精神的にもきわめて貴重なものが得られるだろう(アンドリュー・カーネギー)。≫
【地上ヘブン=世界論】
ヘブンというとどういうイメージだろうね。先ず、無神論というと相手にして貰えない。何故か。ヘブンは宗教を超えている。宗教は筏に過ぎない。だから、この筏に目を呉れないならヘブンは相手にしない。ヘブンを妄想していないか。ヘブンは実在する。ヘブンはむしろ知性である。インテリジェンスである。宗教を超えて現実に実在する世界である。すでにそこへ至っている方々もいる。しかし、偶然のように思われていないだろうか。偶然ではない。必然である。清浄となって至る。清浄は宗教を通して成就する。既に至った方々は必ずそうしているのではないだろうか。しかし、今までその理論はなかった。今、時が至ってそれが理論的にわかった。努力は何故必要か。努力することで、人格が向上する。それは魂の向上でもある。今生で至ることができる方もいる。要件は努力と宗教である。宗教で渡る。しかしそこは出発点に過ぎない。ヘブンでの出発点である。ヘブンに入る条件は、ヘブンの世界の住人に認められることである。ヘブンは実在する。すでにそこの住人もいる。ヘブンに至る道がある。生命のゴールである。今生で至れなくても良い。来世がそのためにある。この事を知って努力する。この事を無視すると地獄のままである。これが本来の生命としてのあるべき人生の目的だった。或る意味で秘密であったことが、庶民レベルで明らかとなったと言える。時代はリセットされた。新たなラインが引かれた。これが21世紀の約束だったのかな。さぁ、地上のヘブンを目指して頑張ろう。無理はしなくて良い。自分のペースで十分だ。その為に未来もある。後世もある。今の自分の位置から始める。マイペース。マイウェイ。何時か到達できる。全員が到達する頃が我々の宇宙の終わりかな。焦らなくても良い理由。現世で至ることができれば至福。良かったですね。安心して人生行路を進めます。ヘブンはかぎりなくやさしい世界。でも、攻めてくる者に対しては容赦ない。当然ですね。幸せの王国ですから。(2005/10/08 2:47)ところで、やはり大切なのは、経験と体験。これを通してのみ自分のチカラとなる。嘘はダメ。法律は守る。人格の表現だから。ルール。掟。社会。社会の中でしか生きられない。孤立は孤独。淋しい。幸せはある。自分でそれを手にする方法はある。21世紀幸福論。がんばりましょうね。若さは年齢ではない。若さとはいつも夢があること。幸せへの夢がね。That’s happiness!美しく生きること。美しくあること。人生の目的。ここへ至ってヘブン。地上の幸せ。隻手の音声(おんじょう)。せかいはやさしくてあたたかい。みんなの成功を見守っている。世界に迎えていただきたいものですね。一度この道を知れば、もう迷うことはない。だって、いつも自然が祝福してくれてるのだから。それが世界。大安心の幸せ世界が諸手を挙げてこちらへ来なさいって声が聞こえるかな。この道はやく見つけてくださいね。Good Luck!得天に帆を上げて大航海です。何時の世も。流した涙だけ幸せに近づける。何時か涙も枯れる。でも、亦新しい涙。哀しい涙ではない。感動の涙です。でも、この涙は人には見せられない。だってカッコ悪いから。だから、サングラスをしている人もいる。トライアムフ。ヴィクトリアス!サインはV!世界に合流。JapanShip!親孝行しましょうね。良い子していましょうね。言葉にならないこの世界。でもこれが真実の世界。いつかきっと至る。自分で見つけたものしか自分のもにならないですね。ありがとうございます。ここまで待ってくださって。何とかここまで辿り着きました。思えば辛いこともありました。しかし、今は感動を以て満足させていただいています。生きていて良かったなって。これで良かったんだなって。ありがたいばかりです。こんなに幸せ者はいなかったと。社会的あまのじゃくで良かったかな。そのように思えてくる今です。多少のしっぱいもありましたが、これもこれでよかったと。とりあえずは。まちがわないこと。間違いのモトは妄想。人とは。身とは殺盗婬。こころとは不善を念ずる[仏説]。みだれてはいけない。みだしてはいけない。門(モン)。門の中に何があるか。日でも良い。月でも良い。諾。関!ここからどちらへ進むのか。自分次第。甘受。反省。出発。ドコへ?目的は?意思は?成就。幸せ世界。地上のヘブン=世界。世界は待っている。This is the World.どうにかなるさではどうにもならない。目的的行為論。屋上屋重ねていては家がつぶれる。We’ re happy.Are you?お金はなくても。若者達は幸せの可能性に気づいている。彼らに道しるべを。あるべき本来の道標を。悪の華は咲かせないように。道元曰く。花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。と。ベートーベン第九番、歓喜の歌。オシドリ夫婦。急峻な山?穏やかな海!嵐の海?老体山!理念としてのやさしさ。ピアニッシモはただ弱いのではない。強さを保ちながら制御された微音。良い意味での緊張感。フォルテは自由。自由であって法を超えない。濁流の中で清廉を保つ勇気。蓮華の前に化生できる理由。成功の秘訣。感じていては遠い。知って始めて自信を持って歩み始めることができる。Go!Start!点検?その時々の傾向、微分!結果、成果は積分!積分されたものは何か?幸せか?21世紀自由個人主義の原則は自己責任。人生の喜び、目的は「くらし」。その為の制度、経済行為。周りが幸せであれば、その中の自分も幸せである。脅迫、詐欺の現在世の中。未来は近い。http://homepage3.nifty.com/gswonderland/gs2/pg76.html
2008年04月28日
言い逃れはできない
何が真実だったのか。求めれば与えられる。代償は大きいかも知れない。しかし見合うだけのものが与えられる。真実の中の真実とは何だったのか。求めなければ与えられない。どのレベルで満足するのか。究極は何だったか。誰もが憧れる。何時か辿り着く。それが夢だった。本当の幸せは何だったのか。古来伝えられていた。しかし浮かれていた。そして失われていた。失われていたのではあるが、確かに存在していた。雲に隠れた太陽は見えない。しかし実在している。それはどのような力であったか。黄泉も従う。或いは黄泉も待っていた。その力が確認された。それはあるのだった。テレビ界は知らない。知らずに勝手している。むしろ価値の破壊に荷担している。それは愚かさの流布だった。そして社会はどうなったか。言い逃れはできない。事実である。これからどうするのか。各々の問題である。自分を取り戻すということがどういうことであったか。その為にどのような方法があったのか。このような方法もあった。人生、生きるに価する。自分を取り戻して本当の幸せを知る。何が幸せだったのだろうね。自分確認或いは自己実現とは何だったのだろうね。自分が最終最後最大の敵だった。これを倒すことはどういうことだったのか。悪性を払拭することだったのか。悪性も含めて自分の全てを大肯定する。自分が自分の存在価値を認める。それが素直になることであり、無となることだった。そして、そこより何が出てくるか。悪ではない。自信である。その自信は絶対である。何故か。黄泉の守護を知る。何故守護されるのだろう。黄泉に愛されている。黄泉に好かれている。黄泉も子孫を選ぶのだろうか。そうであるのかも知れない。何れにしても、自分が自分をどのようにして受容するか。どのような自分であるのか。どのような自分になりたいか。自分発見することだね。すべての秘密は自分にある。自分のことは自分でなければ解らない。自分の問題は自分で解くしかない。惑わないことだ。惑わされないことだ。自分を信じよ。神仏を信じるに至る。神仏は生命体進化の目的地だね。
2008年04月27日
このブログの目的は終わりました
穏やかなとても良いお天気となりました。これを以てこのブログの目的は終わったようです。確かめるべきは確かめることができました。とても不思議なことでした。それは何だったのでしょうか。それはこのブログに書くからかと思われました。そうでもないようです。それを確認したように思われるのです。因って、このブログの目的は終わりました。君が代大鏡。何だったんでしょうね。『失われた何か大切なものを求めて』というテーマがありました。高校の頃より始めたのでした。そして色々なことがありました。埋没してもう駄目かと思われました。しかしパソコン通信から始まって、ホームページそしてブログへと展開することができました。表現の場だったのです。そしてそれは見つかりました。失われていたのは自分だったのです。それは自信の喪失でした。無理もない事情もありました。それが十九の春でした。取り戻したようです。取り戻したそれは何だったのでしょうか。幸せの青い鳥でした。或いは白鳥の歌でした。もはや求めるべきものはないかのようです。何故でしょうか。羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶でしょうか。全てに感謝申し上げる次第です。この世に生きた喜びを以て。特に黄泉及び祖先に感謝いたします。一連のテーマはここに完結です。今日はよいお天気でした。改めて思うのです。少し自覚が遅れました。このまま埋没するかに思われました。そして何か大切なものが永遠に失われたかも知れなかったのでした。しかし自覚は確信に至っています。遅ればせながら、生まれた使命は果たしたかと存じます。冷静さを失っていた過去を振り返って、申し訳なかったと反省するところ大です。故に未来の方向を定める必要もあろうかと思われます。愛と平和立国日本。その要件は満たしていると思われます。暫く蔓延った愚かさは払拭されます。黄泉の意思です。本来日本は知性の國です。高校の頃、ピンク・フロイドは同時代でした。やっと今、冷静に、『原始心母』と『エコーズ』を聴いています。これらの曲の如く、私の人生も壊れて修復されたかのようです。故に知らないことを知ったのでしょうか。それは何だったのでしょうか。既に記しました。神国日本でした。此処に至って知るのです。権力、武力、金力の上にある力があるのです。即黄泉の従う神力。古来神風も吹く大和秘密の力でした。これを未来に伝える必要がありそうですね。日本を救い、世界をも救うでしょう。本来日本はどういう國だったのでしょうね。知らなかったですね。何を愚弄粗末にしたのでしょうね。そしてどうなったか。知るべき時が来たのでしょうか。既に処したる人生があります。観念するしかないのです。ここに気づいた人は救われます。これが価値の究極だったのではないでしょうか。これを知れば、小さな不安など吹き飛びます。黄泉の守護を知るからです。お金の問題で自殺なんか考えることもありません。しかし自覚するしかないのです。知る人は知るのです。知らない人は永遠に知らない。人間関係に悩むこともなくなります。何事にも余裕を以て対処できるからです。自分確認或いは自己実現とはこれだったのではないでしょうか。西洋成功哲学がお金を通して実現しようとしていたのもこれではなかったでしょうか。二千年来の物語の伝えてきた共通テーマではなかったでしょうか。これを確認したのでした。故に未来は明るいのです。誰もが何時か至れるのです。それが一切衆生悉有仏性だったのではないでしょうか。一つの報告です。どのようにしてそこへ至るのか。その内容はどのようなものであるのか。示し得たと思われます。思えば不思議な体験がたくさんありました。夢かと思われました。現実でした。自分は何者か。
2008年04月26日
現実とは何だったのか
≪現実とは、再三言うように「人が認める力をもつ人が断言すること」なのです【アチーブメント出版刊、池松耕次著、『ネットワーク・ビジネス最強のリーダーとなる人の法則』p138】≫。人が認める力って何だったのだろうか。それが真実の力であったのかどうか。その力で何をしてきたというのだろう。黄泉の認める力もある。それが如来の神力と呼ばれることもある。さて、古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本。その力は何だったのか。仏とは佛慧と大威神力を属性とし、その発する言葉はロゴスであり、宇宙自然生命黄泉が動く。或る意味でビッグバンである。そのような力もある。天気予報が当たらない理由である。やがて誰もが辿り着く。それが生命体としての進化傾向だった。かつて王侯貴族の自由があった。限りなく庶民もそれを求めた。そして何時の世もそうであるけれど、その自由の腐敗部分がはじめに追求される。それが今のテレビ界及び芸能界である。しかし真実は那辺にあったか。それに染まらずに本来の自由を追求する者もある。それがクラシックの精神である。気づくべき時が来た。現実とは何だったのか。諦めないことである。真実が現実となる頃となった。長い冬だった。If Winter comes, can Spring be far behind. 時代は代わった。どのように代わったのか。何故代わったのか。既に記した。誰も手のつけられない秘密がある。己一箇の存在が宇宙に対して何を意味していたか。「人間は考える葦である。その葦を通して宇宙を見る」。パスカルは何を伝えていたのか。宇宙は今現在も運行している。その中の地球であり、その上での生命体である。何故に生まれたのか。幸せになるためだった。幸せとは何だったのか。日本国憲法第十三条の意味するところは何だったのか。歴史的所産ではなかったか。日本はそれを継受した。なのに、何をしていたのだったか。失われた三十有余年がある。取り戻すべき頃となった。どういうことか。これより明らかとなる。時代の色を染め換える。真に世界への合流をし、重要な使命を果たす。peopleとしての願い及び祈りは何だったのか。実現する頃となった。物質文明の限界である。新しいパラダイムを必要としている。世界が求めている。或いは待っていた。「強くなくては生きていけない。優しくなくては生きる価値はない」。フィリーップ・マーロウだった。今、ベートーベンが懐かしい。とても気むずかしく、扱いにくかったらしい。しかし彼こそ自由を勝ち取った存在だった。喜びの歌へ至った。誰もが至りうる。人類の英知が遺されている。誰もが幸せとなれる時代が来た。庶民の解放である。それが旧約聖書の目的だった。それを阻害するものは何か。本来の自由を勘違いしている方々が閥を成している。戦う民主主義の概念がある。社会契約は自由の一部を差し出している。それを恣に勝手している方々が居る。本来の自由を破壊している。これまでのテレビ界及び芸能界もその例外ではない。何を犠牲にしてきたか。思い知る頃となった。本来の価値を破壊して自由はない。その為に社会契約があるのではない。知性の立ち上がるべき時を迎えた。古来日本に英知あり。黄金の國日本復活である。これより現実となる。その時を迎えた。その為の試練は通過した。原爆という煉獄の火をくぐっている唯一の國である。理由はどうであれ、事実である。それも試練だった。そして真実の自由への道を見つけた。向かうしかない。誰もが求めていた希望の光である。人生は腐敗ではない。愚かではない。モーゼの杖はつかれた。キリストだけが神ではない。仏陀だけが仏ではない。『スター・ウォーズ』のテーマは何だったのか。『2001年宇宙の旅』のエンディングは何を意味していたか。『ダビンチ・コード』は解かれた。それは『ルーツ』のテーマだった。世界は待っていた。何を待っていたのか。『花は何処へ』。やっと見つかった。或いは見つけた。21世紀はテロの悲しみの時代かと思われた。そうでもない。これを乗り越えなければならない。その方法はあるだろうか。ある。根絶やしの思想では駄目である。共存共栄である。彼らの願いは何か。彼らも存在として認められると、それ以上は望んでいないはずである。考えるべきことがある。世界は誰のためにあるのか。人間のためであるか。自然を征服できるとでも思っているのだろうか。人間としての思い上がりはないか。生命体としてこの自然の祝福を得て幸せになれる。それを示すべき時が来た。最も自然豊かな日本の使命である。これより世界はどう動くのか。何と戦うのか。愛と平和の戦士及び大戦士の時代である。
≪ボスは駆り立て、リーダーは導く。
ボスは権威に依存し、リーダーは協力する。
ボスは「私は」といい、リーダーは「私たちは」という。
ボスは恐れを引き出し、リーダーは確信を育む。
ボスはどうするかを知っているが、リーダーはどう示すかを知っている。
ボスは恨みをつくり出し、リーダーは情熱を生み出す。
ボスは責め、リーダーは誤りを正す。
ボスは仕事を単調なものにし、リーダーは仕事を興味深くする。 [作者不詳]
どちらのマネジメント方法がより成果を挙げられるかは一目瞭然です。「ボス・マネジメント」ではダウンラインのメンバーは苦痛を感じ、自信をなくし、自暴自棄に陥ることが目にみえています。仕事への関心よりもボスへの対処に追われることになり、もちろん成果もあがりません。ボス自身も成果をあげられません。これに対し、リード・マネジメントは、
①常に、礼儀正しく、親切で、
②常に、物事は改善できるとかたく信じ(行動は選択であるがゆえに新しい選択も可能であり、より効果的な行動を選べると信じ)、
③常に、情熱的で(リーダーが成果に対して情熱をもって取り組み)、
④常に、揺るぎない態度でメンバーに接し、
⑤常に、批判したり、非難したりせず、当然の結果を経験させ、
⑥常に、言い訳を許さず、
『成功への道に導く』マネジメント方法である。ここでいう「当然の結果」というのは、明確な決意のもとに、優先順位にのっとって、当たり前のことを当たり前にすることをしなければ、当然ながら現実では厳しい結果が待っているということを示しています。叱責や批判は人を痛めつけ、ダメにします。本人も自覚する当然の結果が人を成長させるのです。リーダーは「リード・マネジメント」を実践し、メンバーの一人ひとりが質の高い仕事を成し遂げられるように導くことが、真にもとめられていることなのです。【アチーブメント出版刊、池松耕次著、『ネットワーク・ビジネス最強のリーダーとなる人の法則』p61】≫
苦節三十有余年、臥薪嘗胆だった。もう駄目かと思われた。人生と青春は失われたままかと思われたのだった。意味のない日々だった。価値のない仕事に甘んじた。何をやっても不本意だった。誰も評価してくれなかった。当然であった。それ故開発できた。或いは開拓したか。それは何だったのか。既に示した。神国日本の基だった。このようなことが待っていたとは知らなかった。本来日本の知性が何であったのか。もはや無視できない。無視されていない。情報のキャッチボールとなった。どういう意味か。知る人は知っている。本来大和復帰着任。父もそうだった。祖父もそうだった。十分である。その地位をどのようにして勝ち取るか。古来大和の秘密である。刃向かえないものがある。それは何だったのか。示し得たのかも知れない。或いは思い知らせ得たか。これが私たちの一つのリベンジだったのだろう。規制緩和は正しかった。しかし何もかも自由で良かったのかどうか。この度ブックオフで本を買った。その本は或る大学の蔵書だった。善意の第三者ではある。しかし、このようなことがまかり通って良いのかどうか。ブックオフの各店舗は古物商取り扱い免許を持っているのかどうか。或いは店員教育はどうなっているのか。疑問である。少年窃盗犯の温床となるよ。またある時、大手書店の古書コーナーに本を持ち込んだ。定価数万円のモンテーニュの随想録の引き取り価格が10円だった。リストにないからである。これには驚いた。どのような商売をしているのだろうね。価格破壊というより、価値破壊だね。これが規制緩和の実体だよ。これでいいのかどうか。いいというなら仕方ない。衆愚の海を渡りきるしかない。そして郵政省の民営化があった。貯金及び保険部門は良いとして、郵便部門は5年もたないといわれている。何故だろうね。e-メールの普及もあるけれど、むしろ配達業務の実体が問題だ。殆どがアルバイト或いは契約社員だ。十分な給与保障のないところに通信の秘密が担保されているのかどうか。通信の秘密は当然であるといっていたよね(公約)。杞憂かな。そして敢えて記す。裁判員制度が始まるね。日本には陪審員法があってまだ生きている。裁判員は陪審員とは違う。さて問題は何か。日本政府として行財政改革がある。ツケを子孫に残さないためである。少子化がまだ顕在化していなかった頃は悠長に構えていた。ところが今となっては急ぐ必要がある。それは認める。しかし裁判はきわめて専門性を有する。それを裁判員制度で賄おうとしている。そこに司法をも財政改革の観点から合理化しようとしているわけではないよね。もしそうであるなら、末代の禍根となるだろう。そうでないことを信じている。世の中が犯罪化の中、裁判所の事務処理能力が限界に来ているのは事実だ。そして、最良の刑事政策は社会政策であることを附記する。社会秩序の回復こそ急務だ。
≪人生理念の土台に「愛」があれば、本気になれるのです。【アチーブメント出版刊、池松耕次著、『ネットワーク・ビジネス最強のリーダーとなる人の法則』p55】≫
今、社会問題となっている子ども達の自殺とか親の幼児虐待、そしていじめは何故起きているのでしょうね。それは価値の破壊だった。お笑い芸能界がその権化だね。かつてドリフターズにしてもPTAは嫌悪感を抱いていた。どうしてだったのか。価値を破壊していたからだね。それが今はどうだろう。見ての通りとなった。根本問題は何だったのだろう。それは多くの子どもたちが親を憎んでいる。それはそのまま自己否定となる。自己嫌悪となる。どうしてそのようなことになるのか。それは専門家諸氏に委ねる。問題は如何に自信を回復するかだね。つまり、自分自身の価値を見出すか。自己利益追求商人根性の帰結を如何に乗り越えるか。本来自分はどのような人間だったのか。どのようになりたかったのか。皆、お笑い芸人になりたいのか。そうではない。立派な人間でありたいと思う。社会に貢献したいと思う。知性に憧れる。感性だけの人は、知性に嫉妬している。それがどうだろう。馬鹿になることが幸せだと吹聴している。そしてどうなったか。善も悪もある。それが人間だよ。だからといって悪こそ人間と思っていないか。それを吹聴していないか。迷惑千万この上ない。何故、深層心理で子は親を憎むのか。それを現実として認識するところから始まる。親は親で良いと思えない自分がいる。親をゆるせない。それは子である自分をゆるせない。何故だろうね。いいではないか。親は親で。子は子で。親が子を支配しようとしていないか。子の方が優れている場合が多い。それを認めよう。親は子どもを理解できないという。当然であろう。魂の遍歴としては子どもの方が潜在的に先輩だともいえる。仏法ではそれを説いている。親の思い上がりだね。競争原理によって相手を貶めることで勝利するのではない。誰もがそれぞれの能力を十全に発揮できるようにすれば良い。勝ち負けはある。強い者が勝つに決まっている。それだけが価値ではない。どれだけ自分の能力を発揮したか。それが価値だよ。来世ではどちらが強いか知れたものではない。本当に強いということがどういうことか知っているのだろうか。権力ではない。武力でもない。金力でもない。腕力など論外である。知力である。感性である。黄泉の守護である。そのような価値を壊したよね。このままで済むわけがない。本来の力を知りたいのだろうか。それが荒れ狂うとどうなるか。開発された魂と宇宙自然生命黄泉は連動している。それで何が起きるか。あまりにも知らなかったね。自覚すれば、もはや実力行使はない。それぞれの問題と気づいたからだ。何を根拠に勝手し来たる哉。言い訳は許されない。自分が変わることだよ。自分の欲するところがあれば、先ずそれを他人に先行投資することだ。カーネギーのいう黄金律でもある。自己利益追求がすぎたね。何を犠牲にしたか。何を餌食としたか。何を奪ったか。奪ったものは奪い返される。それも法則だ。欺罔的商人根性の自分解釈がすぎたね。生命体としての進化傾向に反する。
ウサギとカメのお話がある。≪うさぎはスペシャリストです。寝ていいのはうさぎだけです。自分がカメだと思うなら、ただひたすらゴールだけを目指して歩んでください【同p17】≫。獅子はうさぎを追うにも全力を尽くす。何か大切なことを忘れていたようだ。渾身の力で仕事はするべきものだね。書くべきは書く。それで良い。己の現実を凝視せよ。善悪の彼岸である。本来何もない。何もないところから何が出てくるか。陶芸家が窯より何を取り出すか。壊れた器こそ愛おしい。それより始まる。それしかない。この世に限界はない。限界と思うのは自分である。やがて至る。何処へ至るのか。神仏を神仏と思うのは神仏を知らない。吉田健一氏は書いていた。天才は自分が天才であると知って、それが何でもないことに気づく。同じ人間の姿をしているね。魂のレベルはどうなんだろうね。何を目指しているのか。それが問題だ。それが価値観だよ。浮かれた時代は終わったよ。愚かなお笑いはもう時代遅れだ。
2008年04月25日
申し訳なき候
この度、どうにもならなくなって、いくらか読書することになった。ロバート・キヨサキ氏の著作によって、資本主義とはどういうことだったのかを知った。カーネギー及びナポレオン・ヒル氏によって成功哲学を学んだ。そして彼らもお金が目的ではなかったことを知った。何処までも人間的成長だったのだ。それならそれで良い。改めて自信回復するところとなった。それにしても十九の春は重かった。回復するとは思わなかった。回復したのだろうか。試運転状態である。三十有余年を要した。誰彼耐えうるところではない。その間、何を蔓延らせたか。申し訳ないことではあった。しかし、此処に日本の基を定むる。本来であれば、それは昭和五十年或いは五十六年に密かに定まるべきものだった。どういうことか。どうでも良い。大和代々の掟がある。知る人ぞ知る。知らない人は知らない。知らないことを以て否定できない。魑魅魍魎牛頭馬頭は帰って頂く。月の砂漠の孤独な旅は終わった。古来大和完全復帰である。歴史とは何だったか。よくも勝手な解釈をしてくれたものである。このまま埋没するところだった。しかし種は種である。過去を未来につなぐ種もある。畏れを知る頃となった。刃向かうこと無し。すべての条件が調った。黄泉が動く。それにしても戦後は困難だった。何がであるか。一箇の自覚である。馬鹿げた戦争をしたからである。苦労したよ。しかしながら無事開闢。天地自然の証明するところである。明治の元勲を成敗する。新しい日本を宣言する。
どんな学者も精神科医も、その人の個々の本当の悲しみを知らなければ、その人は救えない。悲しみにもレベルがある。自分を救うのは何処までも自分であることに謙虚でなければならない。持って生まれた自分がある。それを信じて諦めないことだ。何時か必ず解決する。花開く。すべては時が解決する。人間的成長である。過去からの夢の実現過程。来世が楽しみだね。失敗をしなければ解らない。何が解らないのか。それが自分の相性ではなかったということが解らない。行動しなければ失敗はない。失敗がなくなる時が来る。その時残った自分は何か。怖れる必要はない。通らねばならぬ。必ず克服できる。古来大和の秘密である。そして乗り越えれば、越後の縮緬問屋である。誰もがそうだった。後先の問題だよ。お笑いで浮かれていたのでは、結局、人生を知ることはない。愛とペーソス。人間の悲しみって何だったんだろうね。辻邦生氏だったろうか。この世に生きて存在したキシミ音を残せたらいいね。彼の文学だった。『季節の宴から』だったろうか。本当の願いは何か。本来の自分はどのようであったか。何故惑うのか。どうして餌食となるのだったのか。本来何もない。
季節の宴から―辻邦生第4エッセー集1974~1975
≪3年間真剣にビジネスに没頭し、そのことにこだわれば残りの人生は豊かに花開きます。ところが、これが中々できる人がいないのも事実です。代償の先払いは、成功のための布石であることを知らない人が多すぎるのです。まず、人生の土台となる価値観を固めない限り、「判断・選択・責任」の基準が上がることはありません。価値観から判断が生まれるからです。人は何事をするにも全て判断が伴います。判断があり、選択があり、責任があるわけです。(中略)たとえば、土地を買い、そこにアパートを建てたとします。苦労をして、贅沢をせずに耐え忍び、借金を全部返し終わった後は、その建物そのものがお金を生み出すようになります。そのアパートから入る収入だけならばいくら使ったところで、アパートがなくなることがありません。これは「キャピタルゲイン」といい、いわゆる二次所得です。スキルアップもこれと同じです。自分に投資することです。あるレベルまで自分自身を徹底的に高めることです。そうすれば身に付けた能力だけは、他人が取り除くことはできないのはおろか、そこから「富」が必然的に生み出されていくようになります【アチーブメント出版刊、池松耕次著、『ネットワーク・ビジネス最強のリーダーとなる人の法則』p97】。≫
さて、本来の自分を取り戻しつつある。長い冬だった。人生、捨てたものでない。この世は素晴らしい。生きるに価する。取り組むべき問題及び解決すべき課題がある。それからだね。
安らけく 健やかなるや 大日本 新た開闢 未来楽しも
2008年04月24日
西遊記に等しい
昨日を以てひとつの終わりとした。それは何を終わりとしたのだったか。自分を語ることを終わりとした。それが必要である理由があった。自分を取り戻す為だった。その為の作業があった。それは成就した。そしてそれは本来日本の確認となった。確認された日本はどのような国だったのか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本、即ち神国だった。これを以て過去を未来につなぐ。大きな使命だったのかも知れない。代償は大きかった。ところで、敵を知り、己を知れば百戦危うからずといわれる。論語読みの論語知らずともいわれる。己を知るとはどういうことだったのか。勇気を要する。知った己は何者だったのか。凝視できるか。それぞれの問題である。自信とは何だったのか。あらゆる不安がない。何故ないのか。このような問題と取り組む者があったか。それを経験として成就した者がどれだけいただろうか。険峻孤独な旅がある。西遊記に等しい。不惑も立志もそれより来る。思索したことだった。書いたことだった。ハーベストの時節となった。トランプ51のストップがかかった。各々処したる人生がある。年貢の納め時である。これより勝手は通らない。二千年来の謎が解かれた。法華経の名宛人は菩薩或いは爾としての神だった。故に難解である。それは亦次に来る如来の為の地図だった。法華経宿王華、一切種智慧。その種は原爆の火を以てしても根絶やしにはできない。頼朝は伊豆に流されていた。正統日本源氏である。種であるなら何時か芽吹く。芽が出て葉が出て花と咲き、実と成る。過去を未来につなぐ。日本は日本、大奥日本健在。浮かれた時代を終わる。本来日本に帰る時が来たのである。それだけの条件が整った。それだけの試練があった。この苦難を乗り越える。彼はいった。日本は大丈夫だよ。ところで今、22:36、一人、ベートーベンのピアノ協奏曲第五番『皇帝』を聴いている。ルービン・シュタインである。ベートーベンは『苦悩の英雄』といわれている。ロマン・ロランだった。彼が何を思い、何を考えていたか。或いは何を見ていたか。どのような人生であったのか。その情念はどのようであったか。テレビなど見る気もしない。失われた三十有余年がある。失った理由はあった。あまりにも孤独だった。よくぞ耐えたものであった。傷が癒えるのを待っていた。取り戻さねばならない。真剣に考えるようになっている自分が居る。この苦難、尋常ではなかった。方法はあるだろうか。久しぶりに聴くベートーベンである。心に染みるね。銀河は恒星の渦である。一つの太陽系に太陽は二つ要らない。日、出づる國、日本。日は昇った。あらゆる悪を白日の下にさらす。悪とは何だったか。愚かさだった。嘘及び暴力だった。それらで身を処したる閥の勘違いがある。いつの間にかそれが人生だと思っている。
≪成功の状態というのは、自分の願望(求めるもの)と、現在の行動(日々選択している現実)が一致している状態です。この状態は「快感」です。これが噛み合わないと人は「苦痛(フラストレーション)」を感じます。失敗の状態です[アチーブメント出版刊、池松耕次著、『ネットワーク・ビジネス最強のリーダーとなる人の法則』p24]。≫
2008年04月23日
もういうべきことはない(おわり)
もういうべきことはない。別に何をいっても構わない。いわなくても構わない。所詮、各々の問題だった。この世が天国であろうが、地獄であろうが、知ったことではない。すべては笑顔と優しさで解決することに確定した。それで良い。私の人生は無駄ではなかった。過去を未来につないだのかも知れない。それは確かである。何をつないだのだったか。君が代大鏡。或いは古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神。これを確認した。その為の人生があった。子どもの頃にはあらゆる能力の可能性を持っていたのだろう。そして何を選択したのだったか。無意識だったとしても。開発或いは発掘するべきものがあった。それは何だったか。既に記した。解る人は解る。解らない人は永遠に解らない。十九の春があった。その十字架を背負っての三十有余年も無駄ではなかった。もういうべきことはない。取り返しのつかない失敗をしたと思った。確かに青春と人生は失われたかと思われた。身も心もぼろぼろとなった。地位も名誉も財産も失った。それも試練だった。失われたものが大きければ得るものも大きい。代償の法則だった。来世に委ねよう。それだけの旅はした。幸せである。お金はない。このような人生もある。天地自然の祝福がある。古来伝えられていたことだった。それは何だったか。笑うしかない。幸せは那辺にあったか。古来大和魂は身心清浄及び正直を以て旨とする。因って日月照らし、風が吹く。大風をも制御する。或いは雷が落ちる。商人根性の与り知るところではない。何を見たというのだろう。何を知ったというのだろう。馬鹿げている。好きにするが良い。この世の秘密がある。究極の秘密は何だったか。二千年来の謎だった。解くは希である。何を破壊したのか。何を裏切ったか。知性を愚弄した。既に罪である。知性を笑いものにしたお笑い芸能界並びにそれに迎合して安易に視聴率としたテレビ界及び財界の罪がある。古来日本の価値の秩序を復活する。あなた方の勝手はこれより通りはしない。黄泉及び祖先は憂えている。あなた方は何をしているのだろう。お金がそれほど大事であるか。古来日本の諸価値よりも大切であるか。商行為は欺罔を含む。彼はいっていた。ジャパン・アズ・ナンバーワンの謎を解いたよ。それは彼だったとでもいわんばかりだった。どれだけの自覚があったのだろう。その根拠は何なんだろう。日本を救ったよといっていた。狂ってるね。やっと安堵しているらしい。生まれた使命は果たしたんだって。何をいってんだろうね。相手にしない方が良いようだ。誰も理解してくれなかったんだって。さて、もう終わりにしよう。随分と書いてきた。今となっては宝の山である。知るべきは知った。見るべきは見た。耐えるべきは耐えた。苦節三十有余年の埋没の終わりである。背負ったものがあった。およそこの世で解決できるとは思わなかった。出来るんだね。その為の要件を示すことになった。そして思わぬ宝の発見となった。それは神国日本だった。誰もが憧れていたよね。復活だよ。さて、重荷を下ろす。此処まで至れるとは思わなかった。何もかも感謝している。本当だよ。これからどう生きていくか。見えてきた。もういいよね。ありがとう。
2008年04月22日
心配しなくて良いよ
世の中、面白いよ。要は考え方次第だし、自分次第だ。持って生まれた自分で勝負すれば良い。外に何を求めるというのだろうね。開発するべきは自分だった。どんな障害を持っていたとしても、十分に生きてゆける。無いのに有ると思っている。それが不安であり、迷いだった。有るのに無い。それが不安であり、迷いだよ。自分に気づいて人生は始まる。この世は面白い。人生楽しむにしくなし。馬鹿になることが幸せではない。偉いと思って思い上がることも人生ではない。愛と平和の世の中を作っていく。負けないことだよ。餌食にされないことだ。主体的に生きる。それで満たされる。自分の欲するように他人にサービスする。おもねることではない。必ず自分に帰ってくる。どんな障害も、どんな悩みも、それ同等或いはそれ以上の幸せの種を宿している。乗り越えるしかない。前に一歩踏み出すしかない。問題解決の集積だよ。やがて問題が無くなる時が来る。必ず来る。今世でなければ来世で良い。良い種を蒔こうね。愚劣な人生を乗り越えよう。何時かきっと誰もが賢くなる。それが人生だよ。代々の魂の遍歴だ。それを認めればいい。嘘と暴力は淘汰される。人類としての或いは生命体としての進化傾向がある。世のお笑い芸能界が何を壊したか。問われる時が来た。知性の回復である。自己利益追求主義者の時代は終わる。価値の見直しである。何が本当の幸せだったのか。市場主義原理だけでは限界がある。それもここ400年来のことに過ぎない。過去より護るべきものがある。代々の約束を果たす時が来た。目覚めよ。そして起ち上がれ。一歩踏み出す。それだけで良い。それから始まる。悩んでいる時も大切だけれど、それも何時か起ち上がるための準備だった。心配しなくて良いよ。黄泉が守護する。ところで、「この世で確かなことはないのだから。何が起こるか解らないのだから」とラジオで歌っていた。そうだろうか。すべて原因があるのだよ。それを知らないだけではないか。天気予報がはずれるよね。何故だろうね。彼はいっていた。日本は大丈夫だよ。二千年来の謎を解いて一箇が目覚め、自覚したからだって。何のことだろうね。わからないね。わかりたくもないよね。知れば良い。何を知れば良いのだろうね。それもわからないね。地獄だね。畏れを知らないね。そして勝手してきたよね。もうそうでもないらしい。探していたんだって。そして見つけたという。何の話なんだろうね。君が代大鏡。わからないね。わかりたくもないよね。
2008年04月21日
正直と言葉
彼はいっていた。焦ったことはなくて。本当の幸せの道は見つかった。諦めないことである。何を諦めないのか。自分を諦めない。夢は実現する。永遠の幸せはある。どんな障害を背負ったとしても、失ったものが大きければそれだけ得るものは大きい。絶望の後にやって来るのは絶対の自信だ。それが如来だったのかも知れない。やはり正直で良かったんだ。既に処したる人生がある。勝負は決まった。何が本当の勝利だったのか。思いもよらぬ展開となった。裏ジャックかと思われた。そうでもない。オールマイティだろうか。それ以上かも知れぬ。ジョーカーを引いたのかも知れない。人生ゲームは面白いね。これはジョークだよ。笑うしかないね。笑顔と優しさですべて解決すると良いね。如是相。明明白。露堂々。所詮、過去から歩んだ己の人生だ。今更遅い。観念するしかない。人生って面白いね。楽しいね。乾坤大地を味方につけるとはどういうことだったか。天の守護。黄泉の祝福。勝敗は決した。要件は何だったか。説明不能である。少なくとも黄泉を旅し、孤独に耐えて、帰って来ることを要する。道元空手とはこれだったか。この世は過去からの夢の実現過程だった。己の内部で持って生まれた遺伝子を組み換える。どのような自分を組み立てるのか。勝負はそれからである。古来大和は負ける戦はしない。条件の整う時を待つ。クトュゾフ将軍もそうだった。本来君が代大和魂は原爆の火を以てしても根絶やしにされはしない。知る人ぞ知る。知らない者は知らない。一切種智慧、フェニックスである。大義名分は黄泉及び祖先並びに天地自然及び生命の受容守護、神風を呼ぶ。勉学も大切だよ。勿論、それだけではない。オール十のその上がある。法華経第十一番は多宝仏。黄金の国ジパング、宝島発見!そして重要なことに気づく。羅針盤は自分だった。人生は或る意味で孤独な闇夜の航海である。しかしやがて夜は明ける。何もかもが輝く白日の下に明らかとなる。それは何だったか。言葉だ。はじめに言葉ありきという。その言葉こそ宣言であり、あることを条件として、宇宙が動く。何が条件だったのか。正直だ。故に欺罔を含む商行為には限界があった。良かったよ。商行為が苦手だったことが。これも導かれていた。嘘のない言葉が大義名分となる。それが純粋な祈りであり、願いだった。愛と平和である。いよいよ実現するね。凶弾に倒れたジョン・レノンも喜んでいるだろう。正直な言葉こそ指導形象だった。実現するのは黄泉である。黄泉が動く。事実だよ。何を信じるのだったか。神か。仏か。神仏も実在する。確認済みである。信じるべきは宇宙自然黄泉の受容と祝福そして守護を得る正直な自分だった。もう十分だね。諸法実相の世界が見えた。自分を疑っていないか。自分を信じることを怖れていないか。身心清浄となることこそ仏の道だった。仏とは何だったか。この仏慧と大威神力を属性とする。人間の至るべき最終形態だった。本来不安はない。恐怖もない。迷いもない。惑乱もない。ないのにあると思っている。莫妄想!知れば良い。知らないから迷う。探そうともしない。そしてどうなったか。すべて解決はある。黄泉の解決もある。信じるべき言葉がある。要件はただ一つ、正直である。21世紀の約束は庶民の解放だった。そのように時代は流れた。その間、腐敗があった。それは暴力と欺罔によってカンニング閥を成した者たちのそれだった。それを知恵だと勘違いした。そして思い上がった。これよりそれを脱する。未来を作る。宝は発見した。人生はエネルギーを燃やして生きる。燃やすべきは熱い心である。身分に安住して安楽と思い、惰眠を貪る者たちには、この力は永遠に与えられない。腐敗を傍観する者たちに未来はない。本来日本、これより復活する。生きていて良かったですね。
2008年04月20日
呉みどり祭り
今日の呉地方はとても良いお天気で、笑顔があふれている。公園ではお父さん達が子どもと遊んでいる。花咲く木陰ではお弁当を広げているグループもある。呉市中央公園では『呉みどり祭り』が開催されている。昨日は、呉市本通りの一角で、海軍さんのカレーライスが本邦初公開された。一食500円。亦、海軍さんの肉じゃがは一食200円だった。遺された当時のレシピによって忠実に再現されている。亦、海軍さんの焼き鳥もあった。とても穏やかな日々である。平和である。Time is money. 時間は誰にも二十四時が平等に与えられている。これに使われてしまうのか。それとも、これをこき使うのか。自分次第だね。禅の目的でもある。彼はいっていた。すべての謎は解かれた。それは何だったか。古来大和の秘密だった。日本は大丈夫だよ。失われた古来大和の秩序を回復する。何が蔓延ったのか。何を根拠に勝手し来たる哉。日本は日本である。腐敗及び愚かさを好まない。自己利益追求及び商人根性を好まない。敢えて欺罔を知恵と混同する商行為は苦手である。身心清浄及び正直を以て旨とする本来大和魂に反する。暫く息もできなかった。しかし復活した。古来大和健在。時は来た。未来は明るい。彼はいっていた。この世の秘密は解いた。この世はどのようにできていたか。それは古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の謎だった。二千年来の謎だった。思い知ることになるかも知れない。彼は自覚したという。一箇の自覚とかいっていた。思えば、生まれた時からそうであったらしい。不思議な経験をしているらしいよ。それは何だったのだろう。大鏡とかいっていた。どうでもいいね。彼もどうでも良いらしい。しかしながら、解かれるべくして解かれたともいえる。すべては準備されていた。このような謎もあったのだったろうか。わかってみれば馬鹿馬鹿しい。しかし事実である。真実である。知れば良い。すべて笑顔とやさしさで解決する。そうでないなら、相手にする必要はない。本来そうであった。そのように世界はできていた。ダビンチ・コードは解かれた。合流する。何に合流するのだろうね。過去からの因縁がある。或る意味で因縁通りである。生まれて使命がある。それを解くまでは試練である。解けば隻手の音である。どういうことだろうね。縁とは何だったのだろうね。過去からの赤い糸だよ。これに背いても思うようになりはしない。これを満たす条件がある。それを満たすしかない。思うようにならないよね。何故だったんだろうね。縁だよ。所詮、縁がなければ花は咲かない。結ばれはしない。梅は咲いたか。桜はまだかいな。梅に桜は咲かない。桜には桜の縁がある。梅には梅の縁がある。それを知る必要があった。それを自覚すればいい。白鳥は白鳥である。これが解らなかった。誰も教えてくれなかった。よほど都合が悪かったらしい。しかし水鳥の…である。道を忘れはしない。何時か辿り着く。それからだよ。浦島太郎の玉手箱だ。開けてびっくりである。開けて知った自分は何者だったか。謎は解かれた。年貢の納め時となった。夢物語である。実現するだろうか。夢は何だったか。胡蝶の夢だった。笑えるね。本当に笑える。過去からの夢の実現過程。代々の過去の実績がものをいうとはね。知らなかった。過去はある。黄泉はある。但し、解くべき謎がある。それが条件だった。この世はすばらしい。知る人ぞ知る。古来大和の秘密だった。法華経には雑華経がある。何処にあるのか。黄泉にある。玉手箱である。何もかも失った。悉く裏切られた。それで良かった。それ故至った。感謝申し上げる。
【今日のニュース】皇太子さまは18日午後、第19回全国「みどりの愛護」のつどいに出席のため、宇部市の山口宇部空港から山口県入り。19日に山口市である式典に出席、市秋穂農林水産物加工施設など市内各所を見学される。 空港到着後、山口市の香山公園にある国宝瑠璃光寺五重塔を訪れ、塔内部では、住職から説明を受けた。2層目に上がる木はしごを5段ほど上り、上の様子を確認。軒下を見上げ、「すばらしい建築ですね。屋根の葺き替えはあるんですか」などと質問、さまざまな角度からカメラで塔を撮影された。山口訪問は、2006年11月の国民文化祭以来、1年半ぶり。http://news.goo.ne.jp/article/chugoku/region/Tn200804190030.html
未来に伝えるべきこと
暫く怠惰だった。暫くではなかった。もう三十有余年、怠惰だった。それを認めざるを得ない。それでどうにもならなくなった。経済的にも人間関係もである。どうしてそうなったのだったか。その原因を探すことになった。その作業が一連のブログだった。そして見極めることができた。それは何だったか。真実成功論だった。何故埋没したのだったか。それは自信の喪失が原因だった。どうしてそのようなことになったのだったか。自分から逃げていた。それで生きてゆけると思った。そうせざるを得ない事情もあった。それが十九の春だった。しかし此処に来てどうにもらなくなった。この世に生まれたということはどういうことだったか。それぞれ生まれた意味がある。或いは使命がある。それに気づいた。この世の人生は過去からの夢の実現過程だった。それが使命であり、それを果たさずしてはあの世でゆるしてもらえない。私の人生は何だったのか。それを知ることになった。それは古来大和の秘密だった。解かねばならない謎があった。二千年来の謎だった。時代は21世紀である。時代は開かれている。それがどういう時代であったのか。歴史は大河の如く流れるという。権力の主体は推移した。それはどういうことだったか。未来は明るい。何を意味していたか。あらゆる事象がサインである。それはどういう意味だったのか。自分の問題は自分で解くしかない。それは黄泉及び祖先を含む。そして自覚しなければならない。何を自覚するのか。誰も知らないことだった。本人でなければわからないことがある。それが謎である。その謎とどのように取り組むのか。その為に試練がある。どれだけの試練があるというのか。それを乗り越える為の要件は何だったのか。本来日本はどういう国だったのか。生命体として何処を目指しているのか。それらが価値だった。孤独な旅があった。導かれていた。それは冒険だった。何を見ていたのか。未来に伝えるべきことがある。既に記した。世界は一つ。未来は明るい。
【地震情報】平成20年04月20日01時04分 気象庁地震火山部 発表
20日01時00分頃地震がありました。震源地は愛知県西部 ( 北緯34.9°、東経137.4°)で震源の深さは約30km、地震の規模(マグニチュード)は4.2と推定されます。
2008年04月19日
太陽が輝く ~真実の人生~
個々の魂の遍歴がある。百代の過客である。何処から来たのか。何処へ行くのか。この世の人生は過去からの夢の実現過程だった。人は成りたい自分と成る。この世で終わりではない。何を来世への土産とするか。誰もが探している。求めている。自分を基準とすると見えないものがある。何時もそして何時までも謙虚でなければならない。知ればいい。知ればすべて解決する。何が本当に大切だったのか。立ち向かうべきは自分自身だった。戦争を知らないと歌う。それでは解決できないものがある。戦争は知っている。その悲しみも愚かさも。DNAにすべて記憶がある。まともに対峙できない。深淵をのぞいてはならない。深淵に飲み込まれてしまうからとスタンダールがいった理由である。しかし吉田健一氏はいう。深淵に飲み込まれるなどというのは地獄を知らないからだ。自分を知ってすべては解決する。だれもがやさしさを求めている。そのように生命体は進化してきた。それが愛と平和だった。これからもテーマは同じである。それを探して旅をしている。野蛮と愚かさがいじめである。テレビのお笑いもその例外ではない。さて、どうするか。どうもしない。それぞれの魂の遍歴である。国語の解答は問題作成者の意図だった。それがコミュニケーション成立の条件であるからである。しかし上司がカラスは白いといえば白い。真実は黒い。どういうことか。誰もが他人に認められたいと思う。しかし他人の基準が間違っているとどうするか。真実真理を感じていてそれを表現することが他者から認められないと思う時がある。心を閉ざしてしまう。心を閉ざせば社会から無視される。孤独となる。内面の道を歩む。そして真実へ至る。神仏を知る。神仏及び宇宙自然生命黄泉との交信がある。その受容祝福守護がある。そして自信を回復する。そうした人生もある。その時、証明するのは宇宙自然生命黄泉である。そして再び心を開く。ナポレオン・ヒル氏の福音は代償の原則だった。失われたものが大きければ得るものも大きい。再び現実世界に帰ってくる。その時、喜び世界が開けている。太陽が輝く。誰もが幸せを求めている。幸せとは何だったのか。喜びとは何だったのか。それが本当の価値である。知れば良い。知って個々の問題に対処する知恵も出てくる。病気もそうである。障害もそうである。人間は生命体として皆平等である。テレビ界のお笑いの本質はいじめである。商行為は多少の欺罔を含み、勝てば官軍である。失って初めて気づく。何が大切だったのか。解決するべき問題がなくなった時、それが無であり空であり、幸せだった。そこより真実の人生が始まる。『喜びの歌』であり、般若心経のギャーティの世界が開ける。21世紀真実幸福論である。彼はいっていた。仕事はしたよ。使命は果たした。やっと自由を得た。この世は美しい。本当だよ。生きていて良かったって思える時が必ず来る。それは何時なのか。そのために何をするべきか。探すべき宝は何だったのか。古来物語として伝えられていたのは何だったのか。それは事実だった。シュリーマンのように。それが信じる者は救われるということだった。仲良く生きてゆこう。笑顔とやさしさですべて解決できると良いね。できるんだよ。本来日本はどのような国だったか。本来人間は何をめざしていたのか。考える時が来たね。誰もがお金に困っている。国だって地方公共団体だって困っている。何故だろうね。何か間違っていたんだね。何を間違っていたんだろうね。この世の秘密は何だったんだろうね。それぞれの魂の集積がこの世だった。どういうことだろうね。磨くべきは何だったのか。探すべきは何だったのか。自分だった。そしてお金持ちになると幸せだろうか。不安はないのだろうか。恐怖はないのだろうか。聞いてみたいところだね。どのようにして不安とか恐怖から逃れるか。その方法はあるのだろうか。あるよ。探すべきはそれだった。日本にある。伝えられている。それが黄泉及び祖先だよ。そうとしかいえない。導かれている。護られている。しかしそれには条件がある。それは何だろうね。この世はすばらしい。日本は現在文明文化諸国家に於いて世界で最も歴史が古い。それは使命があるからだね。それは何か。商人根性ではない。自己利益追求でもない。彼はそれを探し当てたという。本当の幸せの基であるらしいよ。よかったね。誰もが至れるんだって。それが21世紀の約束だったんだって。殺戮の時代は終わって、誰もが愛と平和に生きることができる世界へ移行していくことが具体化するんだって。そのために必要な要件を見つけたっていっていた。この世は所詮男と女だ。人間は動物の一種だ。制度は一夫一婦制だ。市民社会は自由の一部を差し出している。素直な心で自分のすべてを受容した時、すべてわかる。勘違いしていたね。何もかも。いよいよ、これからだよ。時代を立て直そうよ。それはできる。私たちの時代を作ろう。それができることが確認された。どういうことだろうね。それが国民主権だよ。王政復古はない。時代の流れだ。権力の担当当事者が推移した。公務員は事務の委託を受けているだけだ。彼らも勘違いしているみたいだけれど、権力の主体ではない。使用者は国民である。テニスでも誰もが選手になって勝てるわけではない。勉強だって誰もが十をとれるわけではない。だけど、勝つ人もいる。とる人もいる。現代諸制度は失敗している。失敗した者たちが修復しようとしている。おかしな論理だよね。考え方の基礎を変えないといけないね。国民は何を願っているか。そこから議論を始めないか。それを具体化することを考えないか。一部の利益階層のためにこの世があるのではない。納得できればそれ以上求めはしない。制度は何のためにあるのだろうね。何を餌食にしていたのだろうね。何を勘違いしていたのだろうね。誰もが賢者に憧れる。知性は力である。それを自己利益のために無視愚弄破壊した。或いは裏切った。そうした事実にも気づかなかった。そして時代は腐敗した。安全は吹っ飛んだ。さて、どうするんだろうね。住む世界を失った虐げられた知性は何を探さなければならなかったか。何処へ至ったのか。真実の幸せだった。それはお金ではなかった。お金持ちもお金を通して実現しようとしていたのはそれだった。それは何だったか。自己実現或いは自己確認だった。それはどのようにして実現するのだったか。黄泉の受容祝福守護だった。証明は、日月照らし、風が吹く。そのために何が必要だったのか。その内容については既に記した。神仏及び黄泉並びに祖先は実在する。それが真実だった。あなたの書くことを見ている。あなたのいうことを聞いている。あなたの行為することを見ている(ここで見ていると書いたけれど、見ているのではなく、声を聞いているように思われる)。何時も導いてサインを発している。そのサインはあらゆる事象及び自然現象を含む。さて、この世の客観的事実を物質的のみに捉えていなかったか。精神的なものをあまりにも知らなかった。それはないと思っていた。それが無知である。こうしたことも知れば良い。それが古来伝えられていた。無視したね。愚弄したね。破壊したよね。そして裏切った。それで腐敗した。それが人生だと思った。大間違いである。生命体としての人間は何処を目指していたか。進化の最終形態は何だったのか。神仏だった。自分は人間である。神様ではないというよね。神は全能であり、人間は不完全だ。そこに問題がある。それ故、腐敗を人生だと思っている。確かに事実として人間には足りないものがある。しかし目指しているのは完全だったんだ。肉体と精神との両方だよ。精神については考えたこともなかったね。だけど、古来伝えられていた。そうした本は読んでいないよね。そして勝手している。それで一番にならなくても良いと歌う。おかしいと思わないか。生命体としての価値秩序を破壊していることに気づかないか。破壊のあるところには愛も平和も論理的にあり得ない。世界は一つだ。暫く自信がなかった。自分を表現することができなかった。何故だったのか。自分の悪性を怖れていた。それが重荷だった。重荷は下ろしたよ。自分の悪性も含めてすべて自分だった。それを認めてそれより始めるしかない。それで良いのだった。悪性もあって良い。それを知り、認めれば良い。自分を全肯定することで自分を信じることができる。それを認識した自分はそれを以て裏切りはしない。幽霊の正体見たり枯れ尾花である。そして他者全肯定が来る。お互い悪も善も含めて全肯定すれば良い。それがトータル・イズ・ナッシングで愛となる。愛はラブ即ちゼロだよ。すべてを肯定することで愛することができる。認め合うことだよ。どんなに病気でも。どんなに貧しくても。どんなに障害があっても。それが野蛮及び愚かさからの脱却だよね。そして庶民の解放となると良いね。人生は面白い。人生は楽しい。人生は素晴らしい。自分解決を急ぐ必要がある。それからが真実の人生だ。幸せはある。成功もある。諦めないことだ。その為に必要なことは何だったか。信じることが出来る自分の開発だった。それからが真実の人生だよ。怖れることは何もない。不安もない。本来無いものを有ると思って勝手に悩んでいるだけだ。どうして不安があるのか。自分を疑うからだ。どうして疑うのだろうね。知らないからだよ。知ればいい。学べば良い。殆どの解答が既に準備されている。それが歴代の英知だ。調べれば良い。それをしなかったのは教育の怠慢だった。見直すべき時が来た。その最たるものが、社会に出ると学校の勉強など役に立たないとする思い上がりである。学校で習った知識が役に立つのではない。学校にいる間に開発した自分の問題解決方法が役に立つ。目先の利益しか考えない低いレベルの成功論で世の中がどうなったか。反省の頃である。問題は山積みである。問題は解くためにある。各々の問題は自分で解くしかない。何をしているのだ。何をしてきたのか。計上されていない利益がある。計上されていない損失がある。何時までも隠せはしない。そのままにしておくことも出来ない。人間、本来愚かではない。怠惰ではない。急げ。この世には為すべきことが多いとベートーベンもいっている。人間って何だったのだろうね。エネルギーであり、周波数だよ。それが精神だ。不完全燃焼は悔いが残る。燃え尽きることだよ。道元もいう。薪の灰となって、薪には薪の境界があり、灰には灰の境界がある。どういうことだろうね。精神を燃やして事を為す。それが人間だ。真実の人生が見えてきたね。わかったら実行するしかない。必ず結果が来る。その結果は日々の努力と行為の積分だ。方向性は傾向を微分すれば良い。その傾向は何処を向いているか。幸せか。成功か。明るさか。日本の夜明けである。暫く自信を失ってもがいていた。その理由もわかった。今更それはどうでも良い。これからだよ。太陽は輝く。未来は明るい。
裏を見せ 表を見せて 散るもみじ
2008年04月18日
一点集中
再び家庭教師を一件している。今年中学一年になった子である。三ヶ月のつきあいだ。この世に生まれて、勉強が何故必要であるのか、その意味をやっとわかってくれた。目を輝かせそして若干潤わせて勉強するようになった。はじめは怖いからいやだったらしい。それは自分の足りないところ或いは逃げていたところが明らかにされるからだった。誰もが学べばわかるようになる。学ぶことの意味と喜びを知れば良い。彼はそれを知ったようだ。本当の意味で勉強する方を選ぶという。そして何でも話してくれるようになった。或いは疑問に思っていることを聞く。わかることは答える。知らないことは知らないという。この度、親にもいっていなかったことを話してくれた。聞くと上級生グループからいじめられている。どのように対応しているのかと聞いた。ごめんなさいと土下座しているという。それでは解決にならないことを伝えた。このままいけばどうなるか。お金を要求されることになる。必ず解決の方法はある。この問題を解決することはこの世での君の使命かも知れないね。自分一人の力ではどうにもならない問題がある。それを自分一人で担ぐ必要はない。義務もない。担任の先生に助けてくださいって相談するようにいった。亦、漢字を覚えていないという。それで覚えるということがどういうことであるかを伝えた。唯、書いて覚えればいいというものではない。考えながら書く。考えることでわかる。考えてわかったものしか自分のものにならない。そのようにできている。その時、一点集中することを要する。そうしないと覚えられない。考えたことにならない。何か心配があったり、悩みがあれば一点集中にならない。それで書いて覚えたつもりが実は覚えていない。心配とか悩みとか、自分で解決できないことがある。解決できない問題を一人で悩んでいる。その間、勉強できない時が流れる。わからないところができる。そのまま大人になる。そして後悔する。それが人生だと思う。わからないまま勝手する。それが自由だと思う。解決はある。それを知っている者が必ずいる。その人を探して聞けば良い。場合によっては助けを求める。亦、過去からの英知がある。これを探す。そして解決する。必ず解決できる。それは行為であり、経験である。経験となった知識は自分のものとなる。これを哲学では認識という。知識を内面に照らして認識となる。今度、同じような問題で困っている人がいれば、その解決方法を伝えることができる。自分で解決できない問題を抱えて一人悩む時、勉強などしても無駄である。一点集中できていない。自分のものとならない。勉強にはこの意味での集中力が必要である。これさえあれば、誰でも漢字を覚えることができる。学校の整えるべき環境がある。これまで教育は暴走族にも人権或いは自由を全面的に認めていた。人権或いは自由を破壊する者に、その部分に於いて保障すべき人権或いは自由はない。誰のための人権並びに民主主義及び自由社会であるか。戦う民主主義である。何故いじめられるのか。弱いからである。特に本人の努力の外である体力的弱さが狙われる。ところで、知は力である。勉学することがいじめから逃れる最良の近道かも知れないね。どんな障害も解決がある。どんな病も解決がある。それがあるが故に知るべき大切なことがあることに気づく。人類の進化傾向がある。21世紀、新しい時代である。愚かさと野蛮から脱却する。誰もが持って生まれた自分の能力を十全に咲かせることができる幸せを自覚する社会を目指す。身分に安住し、世の腐敗を傍観する者は消極的共犯である。
2008年04月17日
月光菩薩
本来の自分となる
古来大和正統日本純粋精神
どれだけの涙の後ぞ月光菩薩今宵静かに微笑み返す
生かされている お陰です
よく聞く言葉だけれど その実体は何か
思い煩う事なかれ 明日は明日の風が吹く
宵越しの 金は持たぬが 江戸の粋 愛と平和を 生きる日々(にちにち)
喜びと 君を愛する しあわせを いとも楽にて 今日を楽しむ
本来は 不安なきなる 無一物(むいちもつ) 軽ろき命を 大空に舞う
絶望の 淵より帰る 幸福は 永久の喜び 如何に至れる
黄泉の守護 克ち獲り至る 春日かな
法華経はインド南部の海洋都市で成立した。それ故、その他の経典とはその性質を異にしている。多くの比喩を用いて真実を語る。全体として物語のようである。法華経の本質は何だったか。一切種智慧と宿王華だった。何故難解であるか。名宛人が菩薩或いは爾としての神だった。聖徳太子が受容した仏法は法華経だった。彼の統治は四天王を使った。平家納経も法華経だった。道元が最期に読んでいたのも法華経だった。日蓮が法華経ではない。http://www.pc-kure.net/GS2/pg71.html
瞑想とは何だったのでしょうか。何も考えないのではないのです。喜び世界を思うのです。それがイメージトレーニングとなって、禅では行住坐臥にそのほとりを離れずです。喜び世界はあるのです。それが知恵の経典『般若心経』のギャーティでした。それは呪と呼ばれている部分です。即ち、『喜びの歌』です。今朝、ラジオで面白いことをいっていました。瞑想している方の脳内ではガンマ波が出ているそうです。これが喜びの正体らしい。母親は子どもを愛するから世話をしますね。その時に発しているのもこのガンマ派です。それが愛する心でしょうか。そして私たちはこの方向で生存競争を勝ち抜いてきたというのです。であるなら、これからの傾向もそうですね。それ故、開発するべきはやはり愛の力です。すべてのものが愛おしく思えてきます。それが一佛成就悉皆成佛ですね。本来の自分となる。それは何だったのでしょうか。愛とは何だったのでしょうか。動植物及び岩石も喜ぶ周波数だったのです。それを知ればすべてを愛おしく思えてくるのです。あらゆる存在が光を発するのです。野蛮及び殺伐とはさようならです。それは愚かさの証明と気づきます。その意味で世間虚仮です。何をしているのでしょうね。何をしてきたのでしょうね。破壊された価値の秩序を修復する頃となりました。この世で実現するべきものがあります。皆の幸せです。皆の喜びです。それが個々の暮らしの確保であり、庶民の解放です。言葉で表現することは簡単です。それを如何に実現しますか。人々の祈りと願いは無駄ではありませんでした。いよいよ、実現の頃です。無意味な時代は終わりました。それが第三の波の意味するところです。目的的時代です。そのために手段を考えるのです。本来不安はありません。ないのに考えるから悩むのです。人生は個々の問題の解決の集積です。今を解決すればいいのです。その為に必要なことは何でしょうか。やはり勉学ですね。勉学のないテレビ界は猛反省です。世の中を腐敗に導いたことは事実です。脱妄想です。すべて与えられています。解決できるのです。それを探すのです。それを考えるのです。人生の目的は破壊ではありません。破壊は積極的なものだけでなく、消極的なものもあります。何時までも傍観していては何の解決もありません。どうして傍観せざるを得なかったのでしょうか。自信を喪失していたからです。日本人としての知性の自信は何故失われていたのでしょうか。第二次世界大戦敗戦の故でした。どうしてあのような馬鹿げた戦争をしたのだったか。その理由も明らかとなりました。本来大和の戦ではなかったのでした。私たちは私たちで良かったのです。その証明も既にできたかと思われます。本来日本に帰りましょう。情緒豊かな知性の国です。野蛮及び無知を嫌います。今も昔も黄金の国です。彼の開発したものは何だったのでしょうか。何を発掘発見し成就したのでしょうか。本来日本でした。或いは愛でした。愛とはすべてをはぐくむ力です。母なる力です。それは動植物及び岩石も喜ぶ周波数でした。それを如来といってもいいのです。これから為すべきことは何でしょうか。言葉を綴ることかと思われます。愛の周波数を発する言葉です。蚕が絹の糸を吐くように。言葉を愛の形として紡いでゆくのです。鉱脈或いは水脈が発見されました。それは心の泉です。涸れることはありません。惜しむ必要もありません。コンコンと湧き出でるのです。既に世界は一つです。権力は克服されています。それは市民革命による民主主義の獲得でした。その世界に真に合流する頃です。その意味を初めて知ったのかも知れません。そして目指すべきは、自由と平等の制度的保障です。その具体的目的は個々の暮らしの保障です。愛と平和の国、日本を目指すのです。人権及び安全等、あらゆる価値の実現です。そして世界で重要な使命を果たすのです。日本人は本来、価値を好むのです。しばらく失われていました。あたかも魑魅魍魎の跋扈する国となっていました。牛頭馬頭には帰って頂きます。私たちの国を作るのです。内容及び意味のある文化国家を目指すのです。生まれた意味などないと歌う世の中を変えなければならないのです。生まれた意味はあるのです。色を染め直す必要があるのです。本来日本の色に。身心清浄及び正直の国です。そして世界へ向けて価値ある情報を発信するのです。彼はいっていました。この世に生まれた意味は何だったのでしょうか。本来の自分のこの世での建立だといっていました。それは本来自分を知って本来自分になることだといっていました。その時、言葉はロゴスとなるのです。この世の秘密は何だったのでしょうか。本当の幸せは何だったのでしょうか。何が幸せを実現するのでしょうか。祖先及び黄泉だったのです。その受容祝福及び守護でした。その為には黄泉に認めて貰う必要があります。常に導かれています。あらゆる事象がサインです。それは黄泉に好かれることを意味します。その時、本当の幸せを知るのです。自分を空しくするというのもそれでした。無ということもそれだったのです。本来の謙虚さはその時に出てきます。これを知らないことが無知です。そして勝手していたのです。それが自由と思っていたのです。結果どうでしたか。満たされないものがありますね。人間である限り、完全ではないのです。そして思うのです。それが人間であると。そこで諦めている。大いなる目的は、人間から神仏への道があることを示していたのです。それに気づけなかったですね。しかし今、気づいたのです。彼はいっていました。謎は解いたよ。二千年来の謎だった。此処より始めればいい。二十一世紀の約束だった。
見るべきは見た
聞くべきは聞いた
読むべきは読んだ
学ぶべきは学んだ
考えるべきは考えた
悩むべきは悩んだ
愛すべきは愛した
失うべきは失った
解くべきは解いた
そして知った
何を知ったのだったか
この世の真実真理だった
それは神仏だった
或いは本来日本だった
あらゆるこの世の幸福の実現は
黄泉の受容祝福守護だった
それは祖先を含む
彼はいっていた
自分の守備範囲は調査完了した
そして論点は摘示した
彼の務めは終わった
後の余の事はそれぞれの課題である
この世に生まれた使命は果たしたよ
仕事はしたよ
すべてはその為に準備されていた
それは一箇の自覚だった
解いた謎は二千年来の謎だった
彼はいっていた
黄泉は何を思っていたのか
黄泉は誰を選ぶのか
黄泉は何を喜ぶのか
その試練はある
人生も青春も奪われるだろう
しかし乗り越える
そして至ることができる
真実真理の世界がある
そこに至って本当の喜びを知る
それが幸せだった
人生 焦ったことはない
この世に生まれて何を掴むべきだったか
何を来世への土産とするか
急がば廻れ
富は廻転する
やがて自分の所に戻ってくる
本来自分に帰る それからが真実の人生だった
人生に一切無駄はない
自分の足で大地を掴め
宝はある
何が宝であるか 何処にあるのか
地中にある 空中にある
黄泉にある
本来日本 今も昔も黄金の国
如是相より何を見抜くのか
本来の自分とは何者だったのか
何故この世に生まれたのか
すべて顔に書いてある
嘘はバレルよ
唇寒し秋の風
真実真理とは何だったのか
木枯らしの吹く冬の時代は終わった
日本に春が来た
本来日本に帰る時である
黄泉とは歴代の知性だった
彼はいっていた
日本を救ったよ
世界を救えるかも知れない
大きな仕事をしたものだね
何を考えていたのだったろうね
壮大な夢があったのだね
それが実現したというのだろうか
そのために 何を探していたのだろうね
どのような人生だったのだろう
試練はあったというその試練は何だったのか
そして何を見つけているというのだろうね
その証明は済んだといっていた
彼は今 幸せであるらしい
この世の喜びを知ったといっていた
お金はないといっていた
発芽するための子葉の養分は過不足なく使い果たしたらしい
これからが楽しみだね
どのような花を咲かせるのだろうね
そしてどのような実を遺すのだろう
彼の花はこの世の現実世界だといっていた
それが達磨の花であるらしい
色を染め直すといっていた
朝日を浴びて輝く菩薩像の黄金の色に
かつて成績に於いては十を並べた彼だった
しかし孤独な旅をしたらしい
社会には彼に対する評価基準はなかった
彼は社会に見殺しにされた
彼は何を見てきたのだろうね
彼は何者だったのだろうね
そして今 何処で何をしているのだろうね
どうでもいいけどね
2008年04月16日
探していたもの~勉学の復活~
我思う。故に我ありとかいわれます。我思う。故に世界ありということもあるのかも知れません。人間は考える葦であるといったのはパスカルでした。それは『メモリアル』の一夜を経た神秘家としてのことでした。パンセは神秘を庶民に如何にわかりやすく説明するかについての草稿でした。そしてパスカルはいうのです。その葦を通して宇宙を見る。望月の欠けたることのなしと思えばというのもありました。同じような心境でしょうか。古代エジプトの『死者の書』の内容もおよそ想像できるのです。どうしてあれほどのピラミッドの建設があったのでしょうか。ミイラも含めて何を後世に伝えようとしていたのでしょうか。日本に於いては古墳です。彼らはどのような力を持っていたのでしょうか。その理由はまだ解明されていないかのようです。神社には鳥居がありますね。鳥が居たのですね。その痕跡です。鳥とは宇宙人だったのかも知れません。その宇宙人は神仏だったのでしょうか。そうした力があったのです。今もあるのです。知る人は知っている。知らない人は知らない。知らないことを以て否定できません。事実は事実です。真実は真実です。何をいっているかわかりますか。神仏は実在するのです。今も昔も。しばらく見失っていました。誰もがその可能性を秘めています。忘れていたのです。物質文明こそ科学と思っていたからでしょうか。それを探す旅もあるのです。それを確認する人生もあるのです。その種は遺されていました。それが芽生えたのでしょうか。探していたものは見つかりました。それは何だったのでしょうか。言葉は文体です。それはそのまま人格です。世の中が乱れています。何故でしょうか。殺伐とした空気の原因は、テレビかも知れません。あまりにも精神及び情緒を欠いているのではないでしょうか。ホッとする時間を奪っていないでしょうか。この辺りを見つめ直すことも必要なことですね。人と人がやさしく生きてゆく。だれもが願っていることです。どのようにして実現しますか。何がそれを阻害しているのでしょうか。本当に大切なことって何だったのでしょうか。静かに自分を見つめる時間も必要ですね。何が幸せだったのでしょうか。この世に生まれた意味は何だったのでしょうか。探していたものでした。見つかったように思われます。愛とは何だったのでしょうか。平和とは何だったのでしょうか。見つけたからには実現したいですね。愛と平和の国、日本。甘えて身を委ねて良いのです。甘えることができるなら。何も拒むものはありません。不安も迷いもありません。ないのにあると思っているだけです。自己と宇宙は連動しています。それが大鏡です。世界を作るのは私たちです。未来を作るのも私たちです。そして幸せになりましょうね。氾濫している情報の中で真実の情報は何だったのでしょうか。幸せになるための情報は何だったのでしょうか。これから、そうした情報を発信できるといいですね。さて、幸せとは何だったのでしょうか。自由だったのです。不安がないともいえます。それは自分からの解放でした。そしてあるがままの自分と他者との関係を素直に全肯定する。八方美人はあり得ません。人間関係は同レベルで触発します。すべての人にわかって貰う必要はない。わかるもの同士の世界がある。愛する関係もそうでした。どうにもならない相性の問題があります。相手が至っていないのに無理強いすれば、それは犯罪です。お金で自由になれるかと思われました。そうでもなかったですね。仏さんに縛られている方々もいる。暫く自信を失っていましたね。取り戻しましょう。そして私たちの住むことができる世界を作りましょう。しばらく腐敗と堕落に負けていました。今こそ矯め直す時です。埋もれていた知性達よ、立ち上がれ。私たちの時代が来ました。暫く愚かな文化の支配する無意味だった時代を意味のある時代にする時です。私たちが怠惰であったことを認めましょう。それは自信の喪失の故でした。その自信も回復しました。私たちは私たちで良かったのです。復活です。仏さんは、困ってうずくまっている人を見ると、我が子と思います。それが慈悲の心でしょうか。何故我が子と思うのでしょうか。ここに秘密があるのです。それは自分の過去の姿なのです。それ故に愛おしいのです。その人の気持ちがわかるのです。そして思うのです。大丈夫だよ。必ず解決するよ。心配しなくて良いよ。それで我が子と思う。手を差し伸べるのです。それにしても、彼の人生は何だったのだろうね。彼の見つけたという真実に世間が追いつくのは何時のことだろうね。所詮現世で評価されることはないだろう。その評価基準がない。しかし黄泉が認めていることは確かである。その証明もある。彼の人生の旅は何だったのか。四聖への旅でした。或いは黄泉での彷徨でした。そして彼は帰ってきました。過去を未来に伝えたのかも知れない。一里塚にはなったようだ。或いは黄泉の灯台となったか。世間は誰も知らない。故に彼は満足している。日本を救ったよ。彼は何をいいたいのだろうね。それはそれとして、今思い至っているのは、やはり謙虚に学ぶということです。既に人類の英知があります。高校の倫理社会でカタログ的に学んでみても、それだけではわからないのではないでしょうか。自分のオリジナリティがあるとしたら、学んでそれに何か新しいものを一つでも付与することでしょうか。しかし過去からの巨人の肩に乗ることです。見えてきます。その時、巨人には絶対の信頼を置いて良い。亦、巨人の偉大さを知るのです。その時、果たして自分の付け加えるべきことがあるのかどうか。あるとすれば素晴らしい。無学とか畢了とかという言葉もあります。それは虚心坦懐に学べるようになったということであって、学ぶべきことが無くなったというのではないと思われます。そこより謙虚さも出てくるのです。そしてすべての他者を敬う気持ちも生まれます。そのように思われてきました。であるなら、学校の勉強など役に立たないとする世の常識は如何なものでしょうか。やはり勉学、学問、努力等、諸価値の復活ですね。少なくともその価値を知る方々は傍観してはいられないのではないかと思われます。世の中がどんどんおかしくなっています。商行為絶対主義かと思われるのです。本来の価値の秩序を回復するべきではないでしょうか。少なくとも、出版社のパーティで、文学者が末席で、漫画家が主役というのはおかしくはないですか。それで日本は良いのでしょうか。疑問とするところです。視聴率第一主義は何を帰結しましたか。衆愚の思い上がりではなかったでしょうか。文化の破壊ではないですか。それとも「日本の男はこれで良い」とするのですか。ますます日本は駄目になるのですか。取り戻すべき価値の秩序があるように思われます。世のミュージシャンも、愛とか自由とか歌っていますが、あまりにも内容がないのではないですか。何か大切なものを破壊していませんか。それが自由ですか。本来の自由は価値を破壊するものではないと思われます。知性のない愛は愛ではないと思われます。佛の慈悲を考えたことがありますか。腐敗した日本立て直しの時節です。生まれた意味はあるのです。この世の人生は過去からの夢の実現過程だったのです。勉学の足りない方々が、生まれた意味はないと歌う。そして勝手する。それが自由だと思う。結果、大切な価値の秩序を壊している。公の電波で無条件に流せば社会はそれに染まります。闘う民主主義という概念があります。精神の自由は絶対ですが、表現の自由は無条件ではない。護るべき価値があって、それを破壊する表現の自由は自由ではないのではないでしょうか。私的コンサートで歌うのは構わない。考えるべきところがあるのではないでしょうか。社会に対して判断の基準を整理して示すべき時かも知れません。その意味で価値を知るサイド(教育)が怠惰だったのではないでしょうか。腐敗の原因のひとつと思われます。原因が明らかになったのであれば、対処できますね。勉学して、そして自分の考えがあるのです。それぞれの魂の遍歴があり、魂の秩序があります。護るべき価値の秩序があります。
2008年04月15日
探していたものは見つかりました
探していたものは見つかりました。それは何だったのでしょうか。日本本来の知性を示すことになったのかも知れません。これが古来大和の秘密だったのでしょうか。誰も知らなかったのでしょうか。それも当然だったのかも知れません。すべては準備されていました。時を要したものでした。或いは長い冬でした。日本を救ったよ。彼はいっていました。センスとは、違いがわかることだったのですね。何が違いだったのでしょうか。何を勘違いしていたのでしょうか。明らかとなったのかも知れません。真実日本が芽生えました。久方の光のどけき日本の春です。明るい未来の夜明けです。日本の男はこれで良いのです。未来もこれで良いのです。一つの確信は、新たな或いは本来の確信が来た時、謙虚に道を譲るべきです。
2008年04月14日
それが愛
本来何もない
何がないのだろう
自分がない
悲しみがない 苦しみがない
辛さがない 不安がない
迷いもない
惑わされていただけなんだ
浮かれた世間にね
あるのは何だろう
本来自分がある
愛がある 幸せがある
喜びがあり 楽しさがある
美しい君がいて 美しい風景がある
可愛らしい 生命がある
どのようにして至るのか
愛を発する
愛は周波数 伝搬する
動植物も岩石も喜ぶ
それが愛
やがて自分に帰ってくる
情報は発信したところに集まる
何を発信するのだろう 広めるのだろう
知性だね 愛だよね
それは回転する
自分を発信する
自分が帰ってくる
本来自分となる
帰ってきた自分は何だったのか
一天四海皆帰妙法
不思議な法則を見つけたよ
幸せの関数だね
何をインプットするのだろう
善因善果 楽しいね
人生塞翁が馬と思っていないか
或いは 腐敗堕落だろうか
それとも幸せは馬鹿になることだろうか
それでは幸せは掴めない
幸せはあるよ 自分次第だよ
何故だろうね 諦めないことだ
黄泉が認めてくれるまで それが自助努力だよ
幸せは黄泉が実現する それが大乗だよ
愛一色に染まると良いね
不安はない 迷いはない
自信が絶対となって
この世はすばらしい
生きていて良かったね
この世に生まれて良かったね
Welcome to this world !
試練はあるよ
試練は越えるためにある
越えてはじめて本来の自分
精錬だよ 鍛錬だよ 練習だよ
何に結晶するのだろうね
持って生まれた自分だった
祖先に感謝だね 日本に感謝だよ
最終最後最大の敵は自分だった
自分を制して 黄泉がほほえむ
征夷大将軍は自分だった
己の悪を払拭せよ
身心清浄正直 古来大和魂大鏡
卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統神国日本純粋精神
そして人生は開ける 成功する
古来大和真実日本幸福論
幸せになろうね
それが愛
愚かさに負けないでね
必ず至ることができる
諦めないでね
知性は復活するよ
失敗を怖れないでね
罰はないんだから
やってみることだよ
失敗して良い
失敗すれば良い
失敗に反比例して成功がある
絶望の次は永遠の幸せがある
失敗し尽くせ そして
失敗がなくなれば幸せだよ
時代は代わったよ
失敗真実成功論
世の大人達に惑わされないでね
悩みの原因は何だったのだろうね
調べようともせずに考えるからだね
知ればいい 探せばいい
知っている人に聞けばいい
何を探すのか 意味だった
考える暇があったら行動すればいい
何処かにバグがある
それを埋めるのは具体的行動しかない
理由は知らない しかし
そのように世界はできている
そしてわかる それが経験だった
それが 飛び込んだ重さで浮かぶカエルかな
帰ろうよ 本来自分へ 或いは 本来日本へ
好きなら好きといえばいい
いわないから悩む 先へ進めない
いわない自分が悪い
何故いわないのだろうね そこだよ
いえば良い 何も怖れることはない
本来何もない 何もないのに悩んでいる
唯 自信を失っていた
それで知性が悩んだ 迷った
その間隙に何を蔓延らせたのか カンニング閥
日本も迷っていた 教師も迷っていた
何故だったのか
その自信を回復せ令むる
その他の問題は全て解決するよ
それが正義だった
本が読みたければ読めばいい
音楽を聴きたければ聴けばいい
意味がわからないから迷う
教えるべきは何だったのか
意味だよ クイズにはそれがない
何を愚弄無視し 破壊したのか
そして裏切り 勝手したのだったか
野蛮愚かな閥による 知性の破壊だった
これを取り戻す
それが愛 即ち一番の使命だった
私たちが怠惰だった
さて、確かに虐げられたことでした。それは事実です。或いは悉く裏切られた観がありました。それも事実でした。それは失われた自信の故でした。これを取り戻す必要がありました。何をしても駄目でした。それは自信の喪失の故だと知りました。何故自信を失っていたのでしょうか。その理由も原因も明らかとなりました。それはそれで良いのです。最も逃げていたのは十九の春でした。それも気にならなくなりました。これは驚きでした。まさか、この意識をもてるとは思ってもみませんでした。そして救われたのでした。或いは、解放されたのでした。戦ってみるものですね。自分と。そして十九の春が気にならなくなったところで新たな課題が見えてきました。それは何でしょうか。所詮、悪舌は功徳の種を断ずるのです。どういうことでしょうか。人間の自分認識の型には4つのパタンがあります。自分肯定他者否定。これは自信過剰。他者肯定自分否定。自己卑下ですね。自他共に否定。これは破滅です。そして自他共に肯定。これが繁栄の基礎でした。愚かさを嫌った自分がありました。何故だったのでしょか。それにも理由はありました。しかし今になって思うと、彼らは知らなかった。その知らないことについては、彼らに責任はない。彼らも知れば良い。賢くなればいい。それを拒んだのは私たちだったのでした。彼らにも生きる権利があります。共に生きるのです。その為に必要なものは何だったのでしょうか。彼らも学習しての故だったのでした。何を学習したのか。それが問題だったとしても。そして自分に自信がなくてはどうにもならない。先ず自己肯定で良いのです。それだけの自己人格の形成を要します。そして次に、他者肯定です。彼らに間違いはあります。それも事実です。それを責めるのではなく、共に良い方へ進んでいくようにすれば良いですね。その時、言葉にすれば相手は反発します。それが人間です。で、どうするのでしょうか。行動及び姿で示せばいいのです。良寛さんが親戚に呼ばれました。放蕩息子の教育のためでした。三日三晩投宿しました。その間、何もいいませんでした。帰る段となりました。草鞋を履こうとしました。放蕩息子が草鞋をそろえてくれました。良寛さんの涙が落ちました。放蕩息子は見逃しませんでした。それより立ち直ったのでした。全肯定でよいのです。誰もが幸せになりましょうね。幸せになれる時代です。
【時は来た 】
本来の自分とは何だったのか。結局、ここに収斂する。自己人格形成上の問題である。修復過程に入った。まだ本来の自分とはいえない。自己の魂と宇宙及び世界の関係がある。自分とは何だったのか。解明するべき問題が残っている。代々の約束がある。それは確信している。自分たちは何者だったのか。どうして自信を失っのだったか。それは明らかにされた。そしてそれぞれ生まれた時からの使命がある。それも確かである。自分次第である。どういう意味か。一般化できない。それで良い。確かめるべきは確かめた。それが基礎作業だった。悪いのは全て自分だった。どういう意味か。知る人は知っている。知らない人は知らない。故に勝手する。これまでその勝手が通った。これからは通すわけにいかない。それが自覚だった。申し訳なかった。私たちが怠惰だった。無理もないところはある。それほどまでに自信を喪失していた。帰らねばならぬ。本来の自分へ。それはどういうことか。魂と宇宙は連動している。しばらく何を蔓延らせてしまったのか。反省しなければならなくなった。私たちが怠惰だった。そう思う。思考は現実化する。今も昔も変わりはしない。世界はそのようにできている。しばらく物質文明の時代だった。やがて時が来る。私たちの時代である。立ち上がろうではないか。世の眷属たちよ。集い給うべし。作戦開始である。大鏡健在。世は腐敗した。本来の実力を示す時である。それは何か。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神である。こうして時代は流れる。自覚した者たちには見える。隻手の音が聞こえる。自己人格形成を急がなくてはならない。自己の魂と宇宙は連動している。本来の自分は何だったのか。この世に生まれた意味は何だったのか。自分はどのような自分であったのか。惑わされたことである。その必要はなかった。所詮この世は火宅である。何も知らずに浮かれている。本来の自分となる。その傾向は子どもの時に決まっていた。何を愚弄したのか。何を無視したのか。何を破壊したのか。何を裏切ったか。嘘及び暴力並びにカンニングで身を成した者たちの暴走族的閥に用はない。愚かさと野蛮を廃する。腐敗を脱する。見える世界の旅がある。見えない世界の旅がある。見える世界の旅は評価される。見えない世界の旅を知る者は殆どいない。黄泉への旅もある。帰ってきた者は少ない。表現した者も少ない。故に知らない。知らないが事実である。四聖への旅もある。これからの課題である。既にそこを旅した人もいる。世間の評価の達していない世界がある。世間の知らない世界がある。それが真実の世界である。世間虚仮。唯佛是真。此処にいたって絶対の自信を得る。古来伝えられていたことである。世間は知らない。知らずに浮かれている。地獄にいることを知らない。そこより逃れる方法はある。西洋重商主義思想はこれを知らない。祖師西来意。達磨はどうしてやって来たのか。理由などない。旅に出る。何故出るのか。理由はない。帰ってくるところがある。『十牛図』第八、第九、第十図。帰ってこない者もいる。さて、何れにしても勝手がすぎた。何を以ていうか。代々の秘密である。上には上がある。しばらく眠っていた。或いは埋没した。糸車の針が刺さったのだった。時が必要であった。目覚めるためにはね。そして世間は低いレベルの秘密に従った。それが成功の秘密かと思った。それがテレビ界だった。しかし内容はどうであるか。見る者は皆辟易している。秘密とは何だったか。即ち、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等。秘密であるからには秘密である。開示する必要はない。知る者には明らかである。それが明明白である。或いは事実であり、真実である。所詮、一箇の目覚めであった。全てはその為に準備されていた。黄泉もその時を待っていた。それは何であったのか。爾自身を知れだった。知った爾とは何であったか。いう必要はない。この世は何だったのか。神とか仏とかいう。いうが知らない。知っていればいわない。一箇の高レベルの夢の実現過程に入った。故に年貢の納め時である。神は高きを低くし、低きを高くする為に来る。この世はジュピターのさじ加減であるともいえる。何故戦争が正当化されるのか。何故正義は相対的であるのか。知る者はあるか。それが神の意識であるというか。答えることができる者はいるだろうか。埋もれた三十有余年、無駄ではなかった。求めるものが大きければ、それだけその代償は大きい。当然である。それに耐えることができるかどうか。集中力。忍耐力。持って生まれたものがある。それが全てである。そうでなければ、モーツアルトの天才は説明できない。安易な世の中だった。それ故、何が蔓延ったか。問題である。これより真実の諸価値が復活する。どういうことか。時代の担い手が代わった。浮かれた時代は終わった。芸能界もミュージシャンもその例外ではない。歴代の秘密である。自覚するまでは醜いアヒルの子である。何を愚弄したのか。何を無視破壊したのか。何を裏切ったか。知るべき時が来た。真実真理とは何だったか。何処を切っても金太郎飴である。時は来た。
【NHK「台地の祈り」という曲をバイオリンで聞きながら 冒険論 】
冒険家風間さんが骨折した。複雑骨折だった。アフリカに入って、突然それは起こった。5m先から車両が現れた。全て覚えていた。気を失ってはいけないと思った。足下から心臓を超えて突き上げるものがあった。目まで来たら気を失うと思った。必死でこらえた。気合いだった。救急車が来るまでは、と。氏のぎりぎりのサバイバルだった。複雑骨折。全部終わったと思いながら。辺りには砂の採石場があった。その車両だった。4日目のことだった。
初めにかつぎ込まれた病院がよかった。ダイアナも入院した有名な病院だった。幸運の一つだった。転院してからが亦よかった。西洋的治療法では切断もあった。そこでの治療は、戦前からロシア(東)で行われていたものだった。骨折した瞬間に歩ける理論であった。一発でよくなった。霧で見えなかった前がぱっと見えた。状態が明るくなった。加わってくれた先生がよかった。再び歩けると思った。
この怪我が自分の個性であることを諦めた。これを飲み込めたときに腹がくくれた。元気になれた。吹っ切れた。家族。先生。社会のお陰だった。退院したとき、生命の生還であった。骨折はそれだけの意味がある。今でこそ言えるけれど。火中にあるときはどん底だった。顔も真っ青だった。家族はそれに驚いていた。
風間さんの冒険の原点は少年の頃、1月10日のことだった。消防団の出初め式だった。梯子でのパフォーマンスを見たときだった。自分でもしてみたいと思った。しかしその時思ったのは、標高500mの裏山をバイクで登ることだった。急峻な山で道はない。だれもしたことのないことだった。子供の頃、お弁当を持って登ったり、チャンバラをした山だった。バイクが好きだった。機械が有難い時代だった。モーターがある。できないことを実現してくれる。5cmを登るのに悪戦苦闘だった。午後3時頃から始めてどのくらいかかっただろう。突然まわりがぱっと明るくなった。明るくなったことで頂上だった。その時のパノラマは覚えている。眼下に車がぴかっと光る。遠くに富士も見えていた。原点はこの時の感動だった。達成感だった。ピアノに感動した人は必ず偉大なピアニストになるように風間さんはその時バイクだった。
はじめに性格があり、そしてアイデンティティとなる。風間さんはバイクが好きだった。バイクに惚れていた。
今回富士山に登った。まだそのような状態ではない。松葉杖で登った。今回はゆっくり登った。何時か頂上は極まる。今に於ける富士の意味。人生に重複する意味がある。91年南極点到達。その時、マイナス50度だった。目は凍りはしない。私たちは氷河期を経ている。粘液が目を護ってくれた。50を超えてこれから人生を折り返していく。新しい風が吹くかと思った。富士は3776m、日本最高地点である。高いところがあれば高いところへ到達したい。
日常がよければ夢に向かうことができる。日常の暖かさが自分を押してくれる。冒険ができる。到達して思うのはすぐに家に帰ることである。帰りたいと思うのである。家族は日常の代名詞。家族へと帰る。家族は社会の縮図であり私である。日常を棄てるのは逃避。これはダメである。日常あっての冒険。夢に向かって進むことができる。
今の自分を自分の中でみとめていく。生きる勇気が湧いてくる。足二本だけでなく手も使って登る。その手は松葉杖でもいい。手も足であることに気づく。苦の向こうに何かある。苦しいことはこの意味で良いことである。帰るべき日常を知ること。これが生きるということであった。冒険ということの真の意味を知ると、ロックは聞けてもフォークは聞けない。(2005/10/06 11:31am)http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/boukenron.html
2008年04月13日
のんびりずむ
何もかも 解き放たれて 桜かな
さきほど送迎のアルバイトをして帰ってきました。何とも気楽に生きてゆけそうな気分です。のんびりと。そういえば、もう三十数年前のことだけれど、誰かさんと手紙のやりとりをしていました。のんびりずむがいいですねってやってたっけ。これで良いんだと思います。道元の身心脱落、脱落身心というのがありますね。かつて三途の川で、アレクサンダー大王とディオゲネスだったでしょうか、出会いました。アレクサンダー大王は何時かこの高名な哲学者のディオゲネスとお話がしたいと思っていました。ディオゲネスは樽の中で昼寝していました。近づいていうのです。はじめまして。お話をさせてください。するとディオゲネスがいいました。願わくば三歩下がってくれないか。私は日向ぼっこしている。お前さんがちょうど陰になってるんだ。
春の海 ひねもすのたり のたりかな
母を訪ねて三千里というのがありました。泣かないでアルジェンティーナというのもありました。デビー・ブーンという歌手がいて、パット・ブーンの娘ですが、これが良いのです。何が良いのでしょうか。
何もかも 失い気づく 春の風
地位も名誉も収入も失ってわかることがありますね。本当に大切な何かがあるのです。それは何だったのでしょうか。この人生をこころから愛しく思えてくるのです。やさしさとおだやかさがどれだけいいものなのか。さわやかな風が吹いてくるのです。その時、大いなる力を知るのです。そして生きていて良かったと思うのです。生まれた意味を知るのです。道元貧学道を知るのです。日本ってすばらしい国ですね。
自己ゆるし 帰りなむいざ とわの春
真実真理って何だったのでしょうか。それを探す旅もありますね。とても峻厳孤独な旅です。人生も青春も奪われてしまう旅です。しかし誰もが何時か至るのです。
知れば迷い 知らねば迷う 法の道 何が佛の 実なるらん
この世に生まれて、なすべきことは何だったのでしょうか。自分確認と自己形成。それは本来の自分となって花を咲かせることでした。代々の魂の遍歴があって、過去やり残したことがあるのです。それをこの世で実現する。その為に生まれてきたともいえるのです。そして確認した自分は何者だったのでしょうか。それが禅の目的でもありました。世間に染まって浮かれてこの世を終わるのか。それとも自分を見つけて本当の幸せを知るのか。それぞれのことです。知らないことを以て否定できない真実があります。それを探す旅もあるのです。一を知って十を知る。一番にならなくても良いという。一番にならなければわからない世界もあるのです。何を求めていますか。夢は実現するのです。諦めないことです。求めたものが姿を現すまで。裏切られても良いのです。所詮それだけの相手だったのです。自分の求めたものが何だったのか。愛ですか。平和ですか。それもやがて訪れるでしょう。人生の平安を知るでしょう。
21世紀。時代は代わった。気づいている方々は少ない。少なくともテレビ界は知らない。何時までも市場経済ではない。市場経済はシェア主義であり、価値を破壊して顧みない。テレビ視聴率主義は何だったか。衆愚支配だった。その権化がお笑いバラエティだった。その時代は終わった。何故か。価値の復活と目的が大切となった。勿体ないということが価値である。何が勿体ないのか。この考え方は大量消費に対する。これまでのビジネスは売上げこそが指標だった。それでどうなったか。嘘欺罔的取引行為でも、勝てば官軍だった。そしてどうなったか。見ての通りである。あらゆる価値が破壊された。愚かな文化となった。安全はあらゆる分野で犠牲となった。規制緩和もそうだった。今更後戻りはない。此処より出発である。指標が代わったのである。どのように代わったか。愚かさから知性へ。今にわかる。既に始まっている。これまで埋没していた方々の時代が来た。それが庶民の解放である。善良で知的な階層の台頭である。故に埋没していた方々である。嘘と暴力を手段とするカンニング文化閥を一掃する。本当の実力が問われる。それは何か。人格である。暫くそれ故に埋没していた階層がある。敢えて商取引が苦手であった。今お金持ちということはどういう事だったのかがわかる。明治維新に等しい。或いは啓蒙思想である。ロック、モンテスキュー、ルソー等だけが啓蒙思想家ではなかった。むしろ指導原理は全体としてのエートスだった。明治維新もそうである。幕末の獅子たちだけがヒーローではない。大切なのは時代のエートスである。既に始まっている。時代の空気と言っていい。第三の波である。時代は変わる。消費者が求めていたのは何であったか。見極めるべきはそれである。権力は既に克服されている。市民革命による民主主義の獲得だった。武力も既に克服された。戦争開始はリーダーの専権事項である。これに対するシビリアンコントロールが確保されている。戦争はヒロシマで克服された。無価値であることに気づいた。ほかに執りうる手段は必ずある。自己利益追求主義階層のみが戦争を正当化する。時代は推移した。あらゆる制度の目的は何だったか。個々の暮らしの保障だった。公務員の使用者は国民である。彼らはその事務の委託を受けているだけであって、権力の当事者ではない。しかし戦後六十年、彼らは勘違いした。或る意味で世襲化している。自分が公務員の身分を退くことで、何故自分の子どもが公務員になれるのか。彼らの知恵であった。ばかばかしい。価値と目的が復活する。故にこれまで埋没していた知性が復活する。21世紀の約束だった。歴史は流れる大河の如くである。王権神授説のアナクロニズムではない。しかし神仏の実在は事実であり、それが真実である。あざなえる二本の糸が螺旋状に絡み合う。どういうことか。一つの時代が終わった。新しい時代である。時代の担当当事者が交代する。明治維新もそうだった。腐敗は嘘と暴力だった。或いはカンニング閥だった。本来清浄に戻る。そして始める。知性を以て。本来の価値が新しく芽生える。その種は遺されていた。原爆の火を以てしても根絶やしにされていない。そういうことである。そのための埋没があった。そして時を待っていた。時は来た。時代に辟易していた方々の時代である。愚かさより脱する。野蛮より脱する。日本開闢。何を笑いものにしてきたか。思い知る時が来た。本来の実力は何だったか。スーパースター達復活の時節である。これより各地で産声を上げるだろう。埋もれていた知性達である。彼らの市場が開かれた。愚か野蛮カンニング閥よさようなら。棲める世界がないなら作るしかないと吉田健一氏もいっていた。私たちが怠惰だった。懺悔である。嘘と暴力に負けていた。社会の実体を見抜けなかった。それほどまでに自信を喪失していたのだった。しかし申し訳ないが、知ってしまった。何を知ったのだろうね。取り戻したよ。何を取り戻したのだろうね。そしていう。何が蔓延ったか。何故に腐敗したか。何を根拠に勝手し来たる哉。言語道断。幸せになろうね。何処かで会ったらよろしく。私たちの時代が来た。安芸霊鷲、大空を舞う。
【今日のニュース】千葉県八千代市の県立八千代西高校(大迫太校長、339人)が、入学金未納の新入生2人を入学式に出席させなかったことが12日分かった。大迫校長は「授業料滞納が目立ち、未納は負担の先送りと思った」と話すが、県の公立高校教職員組合は「非教育的対応」と批判している。県教委と同高によると、新入生159人に、入学金、教材費など9万円を8日の入学式に持参するよう求めていた。http://www.2nn.jp/newsplus/1208048407/ (弁護士は死刑が確定した被告人の刑に従う意思に反しても、上告手続きをする。被告人の利益のために、手続き上の不利益を克服しておく。当該高等学校の校長の考え方の基礎がわからない。誰のための学校であるか。生徒のための学校である。方法はあったはずである。公務員として身分が保障されていると、払いたくても払えない事情がわからぬか。)
2008年04月12日
菩薩の秘密
何を信じるのか。自分を信じる。それぞれ持って生まれた使命がある。それに気づき、確かめ、知る必要がある。菩薩は既に佛になれる存在である。それも修行を要する。そして菩薩の身分で何をするか。渡し守である。或いは愛のキューピットである。秘密がある。それは何か。目をかけるということと、それに対して報いるということ。これで思いが実現する。どういうことだろうね。他人の幸せを喜ぶということがある。どういうことだろうね。縁の下の力持ちとしてだ。それを自覚すれば良い。それが縁だった。全て黄泉が塩梅する。実現する。気づいていない方々が多い。それで友達と思っている。水は高いところから低いところへ流れる。感謝することを知らない。その形を知らない。それは思い上がりである。何だったんだろうね。知った自分自身って。そのような役だったとは。一人は悲しいね。自分が信じられるか。信じた自分は何だったのか。生まれた時からそうだった。どういうことだろうね。解りはしない。自分が基準だ。自分より上は見えはしない。祖先がある。黄泉がある。妄想ではない。事実である。そして秩序がある。しばらく無視破壊し、裏切った。しかし種は種である。何時か芽吹く。原爆の火を以てしても根絶やしに出来ない。日本の秘密である。それが芽吹いた。長い冬だった。やっと春を迎えた。安堵の春である。愛と平和が定まった。感謝しようね。戦争の選択もあったかも知れなかった。デリケートなところであるね。誰も知らない代々の約束がある。螺鈿の槍である。何時までも勝手しない方が良い。時は代わった。刃向かわない方が良い。それほどの自覚があった。それほどの苦難を越えた。祝福である。黄泉が動く。富の配分もそうである。目に見える富と目に見えない富がある。黄泉は何故動くのか。それが神風であることもある。何を生かし、何を淘汰するのか。何が基準であるか。誰を通して見るのか。古来秘密である。黄泉の申し子がある。知らないことを以て直接悲しませないことである。それだけの使命を帯びて生まれた存在もある。しかし試練がある。孤独な旅がある。並大抵ではない。その賦与された能力がある。開発するべきものがある。代々伝えられていた。一朝一夕で出来ることではない。魂の遍歴である。それを証明する時代もある。その人もいる。何を思い上がったか。何度でもいう。既に発掘発見開発確認成就したものがある。それが禅だった。禅は今、日本にしかない。護るべき國がある。それが日本である。何をしているのだ。何をしてきたのだ。黄泉はご立腹である。反省の頃である。本来日本とはどういう國だったのか。日本人とは何を目指していたのだったか。探していた。それが失われた何か大切なものだった。見つけたよ。神国日本。それは自分自身の中にあった。それが全てだった。私の使命はそれだった。謎は自分にあった。自分自身を解かねばならなかった。そして解いた。十分である。何時死んでも良いと思われる。仕事はしたよ。具体的報酬はないけどね。何時もそうだった。故に、目的はお金ではない。私に対する報酬は何だったか。黄泉の守護だった。或いは美しい風景と思い出である。この世は素晴らしい。勝手したよね。商人根性。何を愚弄無視破壊し、何を裏切ったか。年貢の納め時、請求の頃である。計上されていない利益がある。計上されていない損失がある。何時までも隠せない。人生とは何だったのか。永遠の幸せとは何だったのか。わかったような気がする。代償は大きかった。探してみるべきである。何時か見つかる。大鏡。知ったからには容赦しない。菩薩とは何だったか。既に佛である。しかし佛とは成らずにする渡し守である。或いは縁の下の力持ちである。目をかけられた誰も知らない。やがて裏切る。お陰を知らない。行きはよいよい帰りは怖い。いとあはれである。人の幸せを喜べる理由を知らない。見えない世界の力を知らない。愛も思いも周波数である。或いはエネルギーである。育む力である。何時か気づく。自覚する。それからが幸せである。幸せになりたいね。なれるよ。黄泉の受容だ。私たちは地上に住む。大陸はかつて一つだった。何時か五大陸となった。分裂した。心もそうだった。宇宙は一つである。世界も一つである。心も一つである。やがて帰る。一つである魂の故郷へ。何時か辿り着く。代々の魂の遍歴である。それが悟りだったのだろう。何時まで勝手しているのだろう。何時まで浮かれているのか。来世も至難の道だろうね。全ての現象はサインである。何を知らせようとしているのだろう。知らないことを以て否定する。真実は真実である。幸せはある。何を以て幸せか。魂は宇宙である。それは一つである。倩女離魂の謎である。仲良くしようね。笑顔でいいね。やさしさで良いね。時代は推移した。人々の願いと祈りは無駄ではなかった。実現の時である。一切の腐敗を廃する。本来の日本に帰る。その時が来た。私は生きた。私は愛した。私は書いた(スタンダール)。故に私は生まれた。目的的時代となった。目的が定まれば手段はいくらでもある。目的達成は、個々の目標達成の集積である。目標設定の要件は、期限を定めること及び具体的実現可能性のあること。期限のない目標は実現しない。そして目標へ至った自分をイメージする。何故か。人間には潜在能力がある。現代心理学の至った結論である。それは人間の心の動きに忠実である。その意味で客観的であり、冷血である。亦峻厳である。できると思えばそのように現実化する。できないと思えばそのように現実化する。現代成功理論の至った結論である。潜在意識は、亦、宇宙自然生命黄泉だった。これが大前提となる。小前提としての人間の思考である。人間の思考が現実化するメカニズムであり、全て黄泉の塩梅するとするところである。人間の思考習慣が如何に大切であるか。その積分が現実となる。お笑い芸能界の傾向で日本は良いのか。それで何時までも黄泉が許すとでも思っているのか。日本とはどういう国だったのか。何を目指していたのか。どうして現代文明文化諸国家間に於いてもっとも古い万世一系の歴史を有しているのか。何時まで浮かれているのか。勝手しているのか。ペリー来航以降、何に染まり、何を追いかけていたのか。重商主義に染まった。そしてどうなったか。それ故、無意味な負け戦、茶色い戦争もしたのではなかったか。反省する頃となった。このままでは人類は危うい。人類が滅んでも地球は困りはしないと鈴木健二氏もいっていた。何が蔓延ったか。故に知性が埋没した。日本が真に世界と合流する時を迎えた。それが大いなる目的だった。その時、日本に使命がある。世界に於いて何を発信するのか。西洋思想は既に19世紀に没落していた。それはカルバンに発する重商主義思想だった。それに基づく市場原理は諸価値を破壊する論理を内在的に含んでいる。ビルゲイツもその例外ではなかった。技術者の成果をシェア獲得目的に於いて商業的利益を独占した。資本主義はシェア主義である。価値を破壊して顧みない。それが現代資本主義である。即ち資本の支配である。そして労働者はどのようであるか。労働者である限りタイムリッチはない。何故であるか。資本がないからである。お金は資本に変えない限り霧散する。消費社会の中で消費する。PRの目的は何であるか。テレビ界は何を以て利益していたか。そのようにできている。これより価値的な時代となる。何故であるか。資本主義は物質文明である。それは消費を前提としていた。何を消費するのか。物質だった。その資源は何か。悉く地球内部の資源であった。かつて世界は地中海だった。その後大航海時代を経て世界は地球となった。地球はまだ無限と思えた。しかし此処に来て地球の限界が資源的にも見えてきた。資源の枯渇である。そして世界は宇宙となった。宇宙とは何だったか。時代は推移した。21世紀は心の時代といわれていた。宇宙とは魂だった。魂とは精神である。物質文明より精神文明へ移行する。それが21世紀の約束だった。既にそれを見つけていた方々もいた。例えば四聖だった。それが庶民に開放される時代となった。庶民の解放は旧約聖書の目的だった。今を楽しむ。それが幸せである。不安がない。迷いがない。どのようにしてその世界へ至るのか。切実な問題である。誰もがそうした自由を得たいと思っている。どのようにして得るのか。何をしていたのか。何をしているのか。何時までも浮かれてはいられない。お笑い芸能界の愚かさは辟易である。さて、どうするのか。考えるべき時である。そのヒントは既に記したはずである。精査されたい。現実だけが世界と思っていないか。腐敗堕落が人生だと思っていないか。さて、潜在意識に何をインプットするのか。それが情報である。潜在意識は不思議な関数である。何を入力するのか。結果、何が解として出てくるか。面白いね。それを楽しめば良い。悲しむ必要はない。非常に客観的である。科学的である。こうした不思議を楽しめる時代となった。能力のある一箇の人生と青春を賭しての壮大な実験の成果である。此処より始めれば良い。自分が如何に重要であるか。一人の生命の価値は地球より重い。何を以て粗末にするか。殺戮するか。その時代は終わった。どんな障害を持っていても良い。人間は人間である。生命体として平等である。何故障害があるのか。化学物質の弊害である。人生は過去からの夢の実現過程であり、魂の遍歴の一齣である。或いは百代の過客である。腐敗してはならない理由がある。愚かであることは進化傾向に反する。嘘と暴力は腐敗する。それは周囲に伝搬する。社会がその色に染まる。何時までもゆるすわけにいかない。十九の春は何だったのか。衆生病む、故に我病むということもある。イエス・キリストもそうだった。彼は人間の苦難を背負っていた。その苦難には何があったか。調べるが良い。それより復活したのである。そして示した。何を示したのだったか。個々の問題である。自分の問題は自分で解くしかない。方法はある。探すしかない。政教分離の理由である。宗教の自由の理由である。愚かな時代だった。こうしたことを無視した。或いは破壊した。そして裏切った。そしてどうにもならなくなった。当然である。これが真実真理であり、今も昔も変わりはしない。そして福音がある。それより逃れることができる。むしろ簡単明瞭であった。それが明明白だった。何を思い煩っていたのだろうね。一切の不安は本来ない。ないのにあると思っている。そこである。何故思うのか。それを解明する。そして自由である。お笑い芸能界の馬鹿になることが救いでは決してない。必ず後悔する。愚かでは救いはない。何時か必ず至れる。賢くなれる。それが亦魂の遍歴である。或いは憧れである。これ以上、世を惑わす事なかれ。真実が目覚めた。暫く眠っていた。糸車の針は抜かれた。時は代わった。21世紀である。心の大地が開かれた。新々大陸発見である。目的地は定まった。その航路も開かれた。行こうではないか。喜びの大地へ。それが般若心経のギャーティだった。代々伝えられていた。それが庶民に開かれた。庶民解放の意味するところである。誰もが幸せになれる。素直になることである。何を以て素直というか。全ての自分を認めることである。そうすればわかる。何がわかるのか。自分解決である。自分確認である。自分解放である。全ての謎は自分にある。夢は実現する。なりたい自分になれる。21世紀の約束である。その道が開かれた。未来は明るい。このメカニズムを知って実践する。単純明快である。黄泉も従う自分となれる。どのようにしてであるか。修行を要する。日々の実践である。難しくはない。動かすべきは潜在意識である。どのようにして動かすのか。開発するべき能力は何か。神力といって良い。知らなかったね。知らないことを以て否定してきたね。何事も時が大切である。今、その時が来た。何故であるか。一箇が目覚め自覚したからである。その自覚は確信に至った。全てはその為に準備されていた。奪ってばかりだったね。それが商人根性だった。積むべきは天徳だよ。時が来れば自分の所に回転する。それがナポレオン・ヒル氏の指摘する代償の法則だった。本来武士道日本純粋精神は身心清浄及び正直を以て旨とする。没落した西洋思想が求めていたのはそれである。それが例えば『スター・ウオーズ』のテーマでもあった。本来日本復活である。日本は日本で良かったのである。それは愚かではない。野蛮でもない。全ては黄泉の支配であり塩梅だった。これに反すれば淘汰される。日本神国発見。既に確認している。間違いない。世界を救うこともできる。日本自信復活である。務めは果たした。生まれた時からの使命だった。言葉はロゴスとなる。その力をどのようにして得たか。至りついた手段は佛のための故だった。 Yes, sir ! ところで、小さな政府が叫ばれて久しい。そして行財政改革となった。税が行政の財源である。問題がある。税は何処からどのような形で徴収しようとそれは構わない。目的の財源を確保すれば良い。要は縦割り行政もそうだけれど、一割自治である。つまり機関委任事務である。これを理由に地方への財政的保障があった。故に国及び都道府県の市町村に対する補助の削減は別論ではないか。そもそも税の徴収手段の配分を間違っていないか。或いは、市町村を財源的に切り捨てる理由がほかにあるのだろうか。あるのなら、以上の観点からその根拠を示すべきではないか。市町村に独立の財源はあったのか。疑問である。何処にツケを回そうとしているのか理解できない。国は国固有のスリム化を目指すべきではないか。都道府県もそうである。自分たちは大企業と同じ合理化論理で事が済むとでも思っているのだろうか。結果困るのは庶民だ。行政の目的は何か。誰のための行政であるか。さて、母はいっていた。笑った時が恐ろしい。どういうことか。相手を見極める。本気であればライオンの如く厳しく接する。中途半端であればウサギの如く優しく接する。自分はどのようであるか。何を求めているのか。真実真理を求めているのか。そうであるなら、険峻孤独な旅を経なければならない。それだけの価値はある。報いもある。私たちは試されている。何処まで本気であるかを。求めよ、さらば与えられん。何を求めるのか。求めるものの価値に応じてその代償は異なる。であるなら、色々いうべきこともない。それぞれの問題である。しかし看過するにはあまりにも受忍限度を超えた。誰かがいわねばならなかった。世の不安は知らないからである。知ればいい。知る人は知っている。何を知っているのか。既に記した。本来日本が黙っていられなくなった。あまりにも愚かさが蔓延った。それだけのことである。笑った時が怖い。黙った時はもっと恐い。人間は感情的動物である。理屈で動くのではない。理屈は良くないという。その理屈とは何であるか。これをいうことで考えることの価値を放棄していないか。思考は現実化するといわれている。これは考えることである。誰もが人生の目的を或る程度達成して、最後に求めるのは哲学である。女性も同じである。これと矛盾しないか。矛盾していない。何故か。理屈が良くないという理屈は、思考のない理屈である。思考を伴う理屈は理屈ではない。思考を現実化するのは感情である。感情はエネルギーである。エネルギーを得た思考は理屈ではない。お笑い芸能界のお笑いの理屈の知らない世界がある。現実化する思考がある。お笑いにそれがない。笑いものにした瞬間、価値が死んでいる。しかし視聴率が高い。何故か。知ったことではない。お笑いで世界が動くのではないことは事実である。知性の時代となった。諸価値を復活する。面白い時代となった。どうして不安がなくなるのか。不安はどうしてあるのか。自信がないからである。何を怖れるから不安であるか。失敗を怖れる。どうして怖れるのか。それがプライドである。プライドは捨てる。それは馬鹿になることではない。失敗するべき失敗をし尽くす。失敗より学ぶ。失敗は成功の母とするところである。失敗のない成功者はいない。するべき失敗がなくなる。その時不安はない。あらゆる方法論を研究習得している。それが経験である。お笑いにして逃げていては経験と成らない。愚痴も批判も同じである。不安がなければ自信となる。何があっても大丈夫である。死をも克服しているだろう。その時、勇気もある。これが基本にあるかどうか。自信があれば勝敗は決している。必ず勝つ。究極は黄泉の守護を取り付けているかどうかである。これは説明不能である。自ら経験するしかない。失敗はどのようにするか。行動によってする。はじめより成功はない。必ず失敗する。失敗の中で工夫がある。何故失敗を怖れるか。罰があるからである。積極的失敗に罰はない。刑法の世界でもそうである。罪を憎んで人を憎まずがそれである。教育が間違っている。或いは教師の意識にそれがない。これを改める。失敗するが良い。諦めた時が終わりである。終わりは終わりである。さてまだ色々愚図愚図いっている自分がいる。これもそろそろ終わりとなりそうだ。何故このようなことをここしばらくいわなければならなかったのか。あまりにも現実が悲惨であるからである。量販店からの受注は今月はゼロである。就職すればいいのかも知れない。今更それは負けを意味するような気がしている。自由は自由が切り開くとまでいった。切り開かねばならない。何故失敗したのだったか。あまりにも社会を知らなかった。世界がどのようにできているのか知らなかった。知る必要があった。そして知った。本来の自分に戻る必要があった。何処かで自分を誤魔化していた。その原因を見極める必要があったのだ。どうして自分は自分を放棄していたのだったか。何故に世間に迎合し、餌食にされたのか。その理由が欲しかった。そしてわかった。正直でなかった。素直でなかった。自分を偽っていた。本音で語れない自分があった。これでは失敗するに決まっていた。本来の自分を受容していなかった。夢が実現する要素を欠いていた。何故だったのか。重荷を背負っていたからだった。それがプライドだった。それを捨てなければならなかった。それは何を意味していたか。馬鹿になることではなかった。知性を復活させるためだった。怠惰だった自分がいた。今にして思えば無理もない。それほどの理由があった。それは十九の春だった。しかし思えばそれも試練だった。乗り越えなければならなかった。乗り越えることができるとは思えなかった。しかし神は乗り越えることのできない試練は与えていない。必ず救いを用意している。それは何だったのか。黄泉の守護だった。何故の事であったか。祖先だった。或いは本来大和だった。何時か埋没した。その理由もわかった。使命だったのだ。そのように思えてきた。その時、十九の春を受容した。そして捨て去ることに決めたのだった。それより逃げていた。それほどの打撃だった。そして自由を得た。これをしなければならなかった。そしてこれは同種の悩みを持つものの福音となった。仕事はしたとする所以である。迷いはない。不安はない。どのようにしてであったか。示し得たと思っている。自分を制して黄泉が受容する。そして祝福守護する。そのようにできていた。思考は現実化するの具体的要件である。これを証明しなければならなかった。そうしなければ私の人生はなかった。間に合った。悪舌は功徳の種を断ずる。プラス思考で良い。この価値を見出すことができた。幸せの極意である。求めていたものはこれだった。見つけたようである。もう愚図愚図いわない。みんなそれぞれ生きている。それで良い。しかし三十有余年、よく孤独に耐えたよね。これで解放されたんだね。ハイ!
2008年04月11日
愛と平和
どうして此処まで追い込まれたのだったか。その理由がわかった。身心清浄及び正直が大和魂の本質であり、それ故に黄泉の認める大義名分となることは確認された。その為には何が必要であったのだったか。最終段階の謎を解くことになった。それは自己のすべてを認める必要があった。私の場合は何だったか。十九の春だった。この秘密を解かねばならなかった。重い荷物は下ろしたよ。その為にはすべてのプライドを捨てる必要があったようだね。プライドを捨てるとは馬鹿になることではなかったことが証明された。愚かでは黄泉は喜ばない。日本の本懐ではない。そして自分は自分で良かったと知る。それで本来の自分に帰れるんだった。かぐや姫だよ。月に帰るとはどういうことだったのだろうね。本来自分に帰ることだった。それはやはり身心清浄だ。世間で汚れてしまった自分を捨て去ることだった。それが十九の春だったなんて。三十有余年も密かに担いでいた。重かったよ。それを捨て去らねばならなかったのだね。やっと気づいた。それは自分のすべてを認めることだった。それが正直だ。それが素直ということだった。そして黄泉の守護が確定するのだった。さらに謎を解くことになったようだ。そろそろ終わりかなと思えてきた。本当に風のように軽く生きてゆけそうだ。そのような感慨だ。思い煩わなくて良い。不安はない。迷いはない。こうして至るのだったのだね。楽になれそうだ。何も気にしなくて良い。本来無一物だった。或いは唯嫌揀擇だった。何だろうね。この気軽さは。お金はない。地位も名誉もない。それでいて大きなことをいっている。その必要もない。知ってしまった。何を知ったのだろうね。三十有余年、無駄ではなかった。すべては準備されていた。素直に従えば良かったんだね。この世はすばらしい。日月照らし、風が吹く。穏やかで良いんだね。やさしくて良いんだね。笑顔で良いんだった。それが愛であり、平和だったんだ。重荷は下ろしたよ。私は何者だったのか。禅の目的だった。そして一切衆生悉有仏性。誰もが至るよ。良かったですね。明るい未来だ。決定!十九の春。それを密かに担いでいた。捨て去れば良い。そして始まる。それまで始まらない。悪いのは自分だった。これが私の懺悔です。そして愛と平和が来るのです。豊かな日々となるのです。幸せとは何だったのでしょうね。思い煩うことのないことでした。こうして知るのです。何を知るのでしょうか。長い冬でした。春が来て桜は咲きました。
嬉しい春です。何を思い煩っていたのだろうね。過去は過去だよ。実体はない。何時までも引きずっていたのは自分だった。まるで復讐を引きずるジャンゴのように。放つべきは過去だった。きれいさっぱりさよならすればいい。それはできる。そして新たな種を蒔く。成りたい自分があるよね。愛とやさしさに包まれて生きてゆきたいよね。それはできる。過去の出来事は過去の種だったんだ。間違いに間違いと気づけばいい。そして希望の種を蒔く。今度は必ず幸せになれる。そう信じればいい。信じるものは救われる。何を信じるのだろうね。成功する自分だよね。失敗するかも知れないと思えば失敗する。引きつけの法則とかいう。それが磁力となって引き寄せる。人間って不思議だね。思いが磁場を作る。過去の失敗の記憶が消えない。消せばいい。思考は現実化するとはそれだった。夢は実現するもそれだった。自分次第だった。思い煩う事なかれ。神はすべてを救う。神とは何だったんだろうね。心だったんだね。心が決まれば不思議なことが起こる。それまでの忍耐だよ。結果は必ず現れる。善因善果。悪因悪果。原因は心。心より生じる。一切応無処住而生其心だよ。無にするべきは過去だ。それは過去の記憶を消す。そして新たな心が生まれる。反省だね。そこに住すれば良い。失敗は成功の母だよ。そういうことになっていた。失敗しないと至れない。失敗が大きければ大きいほど、気づくべき反省も大きい。代償の原則だね。そして得る幸せの確信がある。黄泉の守護を確信するにも至る。自由だよ。まったく不安がなくなる。何があっても大丈夫と思える。不幸せの時が長ければそれだけ幸せの時も長い。不幸せが絶望であれば、立ち直った時は永遠の幸せだ。それが桃源郷。それが悟りだよ。悟りはあった。この世でそれは実現するのだった。私たちは人間であり、万物の霊長である。それは神の七つの能力が与えられていた。それを開発する時が来た。どのようにして開発するのだろうね。学業成績に等しい。それは十段階ある。十だよ。とれる人もいればとれない人もいる。とれない人が一番になれなくて良いと歌う。知らないからだね。何時か必ず至れる。諦めないことだ。それが人間の可能性だよ。殺戮なんかの時代ではない。愛も平和も周波数を帯びている。或いは磁力がある。それは周囲に伝搬する。或いは引き寄せる。類は友を呼ぶ。幸せは好ましい人間関係の中にある。何でもゆるせる。助け合うことができる。損失だなんて思わない。必ず回転する。愛のブーメランだ。帰ってくる。呼吸は吐くことで吸うことができる。愛を発信する。愛が帰ってくる。情報を発信する。情報は発信したところに帰ってくる。何を発信するのだろうね。何を始めるのだろうね。何を広めるのだろうね。愛と平和だね。何処から始まるのだろうね。自分からだ。すべての原点は自分だった。その心は愛と平和。必ず未来は愛と平和となる。殺伐としているのは何故だろうね。その原因は何処にあるのだろうね。皆の心だよ。いつの間にか染まってしまった。お笑い芸能界の殺伐だ。これを廃する。クラシック音楽のハーモニーを知っているかな。その調べこそ愛と平和の心のトーンだよ。故にクラシック。伝えられていた。知的だよね。情緒があるよね。思い出さないか。朝のすがすがしさを。自分が変わることで世界が変わる。真実だった。自分が発信源となればいい。何を発信するのだろうね。もうわかったよね。日本はすばらしいね。本来日本はどういう国だったのか。スティービー・ワンダーも歌っている。愛の園だった。暫く染まっていたね。野蛮の空気に。何時の頃からっだったのか。それも明らかとなった。ペリー来航以降、西洋重商主義に染まってからだよ。本来日本に帰ろう。そして世界へ向けて発信しよう。私たちのDNAは記憶している。愛とやさしさの国を。野蛮な支配階層の時代だった。本来武士道は強いが故にやさしい。それを知らない方々の支配だった。それが邪魔だった方々の支配だったんだ。見つけたよ。本来日本。使命は果たした。未来は明るい。一隅を照らす。何を以て照らすのか。もう明らかだね。教育の目的もわかったね。本来日本で良かったんだよ。コスモクリーナーが見つかった。それは代々培われた大和魂だった。身心清浄及び正直を以て旨となす。大義名分の基であり、これを以て神風も吹く。これが日本だ。朝日染め抜く私たちの国だ。失われた何か大切なもの発見。取り戻す。本来大和発進!愛と平和の未来を作る。その基が定まった。探し続けた本来の城を目指す。三十有余年の埋没より脱した。自己を制した。黄泉も従う。天下平定である。日本の基が定まった。宇宙自然生命黄泉が受容祝福ししている。日月照らし、風が吹く。穏やかでさわやかな春の日である。今日は私の誕生日だ。間に合った。辿り着いたようだ。発見したものは何だったか。真実だった。夢は実現した。探していたものは何だったか。『失われた何か大切なものを求めて』。完成したようだ。確信である。The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me. このような人生もある。腐敗を脱する。世を正す。
【地震情報】平成20年04月11日05時41分 気象庁地震火山部 発表
11日05時33分頃地震がありました。震源地は宮城県沖 ( 北緯38.8°、東経142.1°)で震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は4.7と推定されます。
2008年04月10日
何か失われた大切なものの本質
世界が見えてきた。世界はどのように出来ていたか。何をメッセージとしていたか。幸せとは何だったのか。この世は素晴らしい。素晴らしいこの世とはどのようであったのか。生きるということはどういうことだったのか。永遠とは何が永遠だったのか。あらゆる芸術は何を伝えようとしていたのだったか。果てしない未来へ向けて何を発信していたか。解決するべきものがある。そして見えてくる。学ぶべきことがある。そして知ることがある。それは何であったか。諦めないことである。何を諦めないのか。考えるべきことがある。何を考えるのだったか。本来の自分となって世界は開ける。開けた世界はどのようであったか。あらゆる物語のテーマは一つであった。そのテーマとは何だったのか。歌うべきは何か。書くべきは何か。伝えるべきことがある。書くべきことがある。それは何だったのか。あらゆる先達は何を問題にしていたのだったか。その問題はどのようにして解くのか。その解は何だったのか。あらゆる学問の目的は何だったのか。今も昔も変わりはしない。変わらないそれは何か。時代の流れがある。それが見えるだろうか。沈みいく船に乗っていないか。それは焼け石に水ではないか。自分を救って人を救える。どのようにして自分を救うのか。救われるとはどういうことだったのか。この世は地獄であり、火宅である。その中で遊んでいないか。それが人生だと思っていないか。何か失われた大切なものがある。禅においては一を悟ればいい。一を知れば全て知る。その一とは何だったのか。探すべきは何だったのか。開発すべきは何だったか。日本の本懐がある。それは何だったか。この世に生まれて何を考えるべきだったか。この世の人生を無駄に出来ない。人生に無駄はない。どのようにして無駄が無駄でなくなるのか。美しい風景が待っている。シャッターを切る瞬間が待ってくれている。芭蕉もそうだった。広重もそうだった。知ってはじめてわかる世界がある。それが、Top of the World だった。至らなければ解りはしない。どのようにして至るのだったか。私は生きた。私は愛した。私は書いた。スタンダールは何をいいたかったのか。悲しい人生がある。嬉しい人生がある。楽しい人生がある。人生とは何だったのか。黄泉の祝福がある。それはどうしてであるのか。黄泉の導きがある。それがサインである。探すべきである。諦めないことである。何時か必ず至る。それが一切衆生悉有仏性だった。知らないことを以て否定できない。真実は真実である。それが21世紀の鉱脈である。誰もが掘ることができることになった。それを掘らなければ幸せはない。Dig it! 夢はあるか。何を求めているのか。この世は過去からの夢の実現過程だった。夢は実現する。思考は現実化する。21世紀の約束である。既に夢を実現した方々が居る。心からエールを贈っている。夢を諦めないことである。夢は実現する。アインシュタインはいっていた。何時か自分の理論も克服される。フェルマーの最終定理も解かれた。量子力学も明らかとなった。ダビンチの夢は悉く実現している。新しい時代である。何を夢に描くのか。愛と平和である。殺戮の時代ではない。小さな権力闘争の時代でもない。権力は既に克服されている。市民革命による民主主義の確立だった。茶色い戦争もあった。武力はヒロシマで克服された。市民を犠牲にする愚かさを知った。戦争開始はリーダーの専権事項である。戦争の目的は何だったのか。戦争を知らない子供達と歌う。DNAは知っている。お金こそ幸せかと思われた。お金が目的ではなかったことを以て金力も克服される。旧約聖書の目的は庶民の解放だった。奴隷解放、女性解放の次に来る解放である。百姓は生かさぬように殺さぬようには今、労働者であるか。労働者が餌食にされた時代は終わる。庶民解放の時である。テレビ界及びお笑い芸能界の欺罔も暴かれた。カンニング文化閥だった。或いは暴走族的憧れだった。何がセレブであるか。何を犠牲にしてのことであったか。何を探していたか。虐げられたかに見えた。さにあらず。探していたのだ。そして見つけた。それは何か。失われた自分だった。見つけた自分はどのようであったのか。祝福。そして重要なことがある。世のセレブを自覚している方々に申し上げる。上には上がある。黄泉の守護がある。神仏の祝福がある。そうした存在を直接悲しませるとどうなるか。その申し子に対してもそうである。それが黄泉の秩序であり掟である。或いは古来大和の秘密である。これが真実である。それが一休髑髏ご用心だった。どういうことか。既に記した。佛はこれをどういうか。他土におく。あなかしこである。或いは神は何をいっていたか。唯、神を畏れよ。何を愚弄無視したか。或いは破壊したのか。そして裏切ったか。知るべき時が来た。何故であるか。一箇の自覚の故である。時代は推移した。そして時が来た。弥勒である。それほどの自覚があった。誰も知らない。知らないことを以て否定できない。既に自覚である。それだけの経験があった。試練もあり、克服された。即ち、日月照らし、風が吹く。さて、人生はゲームである。どのフィールドで参加するか。オリンピックが近い。如何にしてゲームに勝つか。剣道に於いては勝敗は構えた時に決まっている。強い者が勝つ。どのような者が強いのか。県警の窪園七段に係稽古をして頂いたことがある。小学校六年のことだった。竹刀は随分と太い。身動き一つしない。くるりくるりと体を入れ替えるだけである。係っていけばさらりと振り払われる。そして一瞬の一撃がある。切っ先が面に食い込む。まさに目から星が出る。そうした係稽古もある。テニスに於いては球拾いから始まる。その間、先輩のイメージが焼き付く。フォームが潜在意識で形成される。その後練習である。一日たりとも休めば選手にはなれない。そして強くなる。強くなってからゲームに出ることができる。その時には勝てる。練習の間にあらゆる技術は研究習得しておく。試合では無意識の裡に習得した技術で球を打つ。時には信じられないような神業も出る。それが試合を見る者にとっては醍醐味となる。試合中に考えているのは技術ではない。勝つためのゲーム展開である。つまりゲームの組み立てである。それが先手をとるということであり、先手必勝である。相手のペースにはまっては勝てない。亦、試合はとてもデリケートであり、精神的なものが作用する。負けるかも知れないと思えば負ける。戦争であれば死を意味する。勝つことしか考えていない。それがプラス思考の正体である。剣道であれば教えられたこともない下がり小手で一本となる。突如として反応している。何故か。過去の記憶である。DNAが覚えている。それが仏法に於いては正憶念である。現代心理学では潜在意識である。或いは第六感である。これを開発する。それが訓練であり、練習であり、鍛錬である。こうした価値がある。それを忘れている。安易なお笑いが天下を取った。馬鹿げている。団体戦であればどうするか。個々のメンバーが相応の技術を習得し、ゲームに於いては試合の組み立てを考えてのチームプレーとなる。日々の学校の勉強の意味も此処にある。こうした能力の基礎的開発だった。そしてプレイヤーとなる。十分に強くなってのことである。ゲームに出て初めて上級者の目にとまる。上級者は常にそうした真実のプレイヤーを探している。或いは待っている。上級者が認める。それからが新たな真実のプレイヤーとしての始まりである。改めて基礎を学ぶことになるだろう。潜在的能力があれば必ず成就する。夢が叶う。夢が叶うというのはこういうプロセスである。誰もが叶うのではない。能力と訓練を要する。諸価値を破壊してのお笑いなど要らない。何を思い違いしたのか。人生はこの意味で真剣勝負である。それが生まれた意味である。人生とは過去からの夢の実現過程の意味するところである。こうした価値を笑いものにしていた事実がある。カンニング文化閥とするところである。それでどれだけの能力が埋没したか。罪は重いとするところである。罪は罪と定まった時、償わなければならない。その時が来た。日本は本来の日本を取り戻す。それは古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統神国日本である。それを取り戻す。暫く蔓延った商人根性を廃する。日本の知性復活。それは身心清浄及び正直を以て旨とする本来大和魂である。それが大義名分の根拠であり、神風の吹く理由であった。この度発掘された失われた何か大切なものの本質である。この人を見よ。誰を見るのか。黄泉の守護する人である。或いはその申し子である。その人の後を制度がついてくる。憲法は歴史的事実である。憲法は変遷した。今、主権在民、国民主権である。その真意を知る者はいなかった。知るべくもない。歴代の秘密であった。そして日本国憲法はプログラム規定である。その成就の時を迎えた。かつて中国の首脳はいった。この問題(戦後処理)は後世のものが解決するであろう。その時を迎えたのである。何故であるか。一箇の自覚の故である。すべてはそのために準備されていた。これが歴史である。歴史はすべてを飲み込み大河のごとく流れるといったのは小林秀雄氏だった。深淵をのぞき込んではならない。のぞき込めば深淵に飲み込まれてしまうといったのはスタンダールだった。深淵に飲み込まれるなどというのは地獄を知らないからであるといったのは吉田健一氏だった。表現は正確ではない。『思い出すままに 』である。知ったからには容赦しない。何を知ったのか。己自身である。父もそうだった。祖父もそうだった。尊祖父もそうであったであろう。何が蔓延ったか。何を無視愚弄し、破壊したのか。何を裏切ったのか。示し申すべきことがある。本来日本大和魂は健在である。原爆の火を以てしても根絶やしにされはしない。何を意味しているか。何度でもいう。何を根拠に勝手し来たる哉。何をしているのだ。自由及び平等を履き違えた。ゆるされはしない。黄泉からのメッセージである。探していたものがある。発掘発見開発確認した力がある。誰が知っていたか。誰も知りはしない。知っていればこのような世の中になってはいなかった。世を正す。桜が咲いている。やはり美しい。古来大和の謎がある。仮説では解けはしない。それを解くには何が必要であったのか。本来武士道大和魂である。使命は果たした。何故にであるか。祖父を知っているからである。故に特殊潜航任務完了無事帰還着任である。或いは父を知っているからである。故に新たにトラトラトラである。本来日本に帰る。或いは取り戻す。もっとも安堵しているのはアメリカであろう。このような馬鹿げた人生もある。笑えるだろうか。決闘の極意がある。遅れて撃っても勝てる。勝敗は黄泉及び神仏が決する。父は西部劇とニニ・ロッソが好きだった。配分の問題がある。どういうことか。或る時間、或る電車が満員である。三両編成だった。これを四両編成にするとどうなるか。車両編成上の問題である。富の配分もそうである。朝三暮四であるか。行政及び予算の編成は何をしているのだろうね。全体のバランスの中で考えるべきことがある。パイは変わりはしない。行政の指導理念は自己利益追求及び競争原理ではない。行政が民法化したのは日用品の購入等に限ってである。何か勘違いしていないか。精神まで民法化して貰っては困る。それとも腐敗は理念さえ考えられなくなったか。
【今日のニュース】
①10日午前6時半ごろ、東京・国分寺市の国分寺駅の南側にあるJR東日本の変電施設付近でケーブルなどが燃えました。この火災の影響で変電施設から架線への送電を止めたため、JR中央線の快速電車は東京と高尾の間で運転できなくなっていましたが、午後3時に上下線ともに7時間ぶりに運転を再開しました。「あずさ」や「かいじ」などの特急については、10日は終日、運休することが決まっています。この影響で、411本の電車が運休するなど50万人に影響が出たほか、乗客9人が気分が悪いと訴え、病院などで手当てを受けました。JRによりますと、再開後も通常の4割程度の本数に制限して運転するということで、帰宅ラッシュの時間帯も混雑が続く見込みです。東京消防庁や警視庁によりますと、この火事で変電施設の配電盤付近が最も激しく燃えていました。変電施設は当時無人で、これまでのところ外部から侵入した形跡はないということです。http://www.nhk.or.jp/news/k10013491231000.html
②鳩山法相、4人の死刑を執行。
2008年04月09日
学ぶということ ~ Top of the World ~
学ぶということはどういうことだったのか。他人の知恵も利用することができるということだった。利用というと語弊があるかも知れない。しかし利用で良いのである。目的はこの世に生まれて如何に生きるかであった。それは頭脳と心の鍛錬であり、限りなく進化する。そして大切なことは、大いなる自然の力を知ることだった。人間の力ではどうにもならない。それを神仏といっても良い。そして思考は現実化するのであるが、至れば、思考を現実化するともいえる。そこまで至れるかどうか。世の中が腐敗していくのは仕方ない。何時の世もそうであるのだろう。その中で、如何に生きるかである。優先順位を考えるとよくいわれるが、これだけ情報が氾濫すると、考えるべきはむしろ後先順位であるらしい。即ち、何をしないかである。世にあまたの書籍がある。そのすべてを読むことはできない。何を読むべきかではなく、何を読まないかである。世の富豪はテレビなど見ない。その世界に染まることを怖れる。自分のペースが狂ってしまうからである。知らないことを以て否定できない真実がある。それは見えない世界に属する。それが大いなる自然の力である。それは存在している。そして生命体としての進化傾向がある。これに背けば淘汰される。こうした事実を認めなくてはならない。しばらく見失っていた。取り戻すべきものがある。本来日本はどういう国であったか。何時までも浮かれてはいられない。その時代は去った。考えるべきことがある。カンニング文化閥に用はない。学ぶべき人類の英知がある。それは神仏を含む。人間は万物の霊長である。神の七つの力が賦与されている。開発するべきはそれであった。そして透明人間となれば良い。世界を動かすこともできる。何故だろうね。潜在意識は無限の知恵である神への送信機だとナポレオン・ヒル氏は書いていた。そして神からの計画と知恵の受信機でもある。それがインスピレーションである。それを誰もが使える時代となった。それなくしては生き残ることができなくなりつつある。それほどまでに時代は腐敗した。或いは餌食とされる。それを利用して自分を確立する。それとは何か。本当の人生はそれからである。この世は一度しかない。無駄にはできない。思うとおりに生きていく。そのために学ぶべきは何だったか。教えるべきは何だったか。考えるべき頃となった。過去は過去である。未来は未来である。明日は明日の風が吹く。今が大切である。今をどう生きるか。お笑いでは解決できないものがある。思い違い、勘違いを正す。そういう時が来ている。破壊された取り戻すべき諸価値がある。暴走族的文化に憧れすぎた。これでは世界が認めてくれない。教育を取り戻す。この代は開けたようだ。随分と時間を要した。思わぬ試練もあった。それも乗り越えたらしい。思えば三十有余年を要した。その間、青春だった。自分の求めていたものは何だったか。テーマは『失われた何か大切なもの』だった。頼朝は伊豆に流されていた。原爆の火を以てしても根絶やしにされない日本の宝があった。取り戻したようである。そのように生まれていた。そのように育てられていた。祖先に感謝する。私は私で良かった。生まれた務めは果たした。もう思い煩うことはない。随分と試練だった。今となっては楽しませて貰った。私は私を自覚した。それは何だったのか。永遠に謎となった。未来へ伝えるべきは伝えた。それは古来大和の秘密だった。余生を楽しむ。代々の掟としての仕事は既に成した。これより失われた自己の修復である。世間に染まろうとして失ったものを取り戻す。私の日々の選択は重要である。何故か。不識。不思議ではない。自分が変わることで世界が変わる。失われた自分を取り戻す。あるべき自分に結晶する。人生の目的だった。何を求めていたのか。その為にはどれほどの経験を要したか。父に感謝する。母に感謝する。人間は偉大である。人間より神仏となることもできる。過去より伝えられていた。自分の周りにそれが無かった。それで否定しようとした。しかし真実は真実である。野生のカマスの話がある。水槽の中に野生のカマスを入れてアクリルで壁を作る。餌を入れても食べられない。やがてカマスは諦める。アクリルの壁をはずしてもカマスは餌を食べようとしない。飼い慣らされたカマスとなった。このカマスを野生に戻すにはどうするか。新たな野生のカマスを水槽の中に入れる。飼い慣らされたカマスはそれを見て自分を取り戻す。何が蔓延ったのか。どんな文化であるか。魂は自由を限りなく求める。それが生命体としての進化傾向である。何と闘うのか。最終最後最大の敵は何だったか。自分自身だった。自分に勝ってどうなるか。神仏を知る。佛は困っている人を見ると我が子だと思った。何故だったのだろうね。それは過去の自分の姿だった。誰もが通る道である。そして最後に至るのが佛だった。何か困ったことをする人がいる。或る病院の駐車場がある。マナーの悪いドライバーが多い。車道に車の鼻先を飛び出させて我先にと思っている。それも過去の自分の姿だった。そう思えば哀れである。憐憫の情でゆるせばいい。困った人は全てそうである。所詮困っている。お先にどうぞでいいのである。暴走族もそうであったのかも知れないね。自分が穏やかでいることがどれだけ利益であることか。そのように思えてきた。可哀想である。だからといって自らその犠牲となることもない。去る者は日々疎し。不幸な関係とはだんだんと縁を切ればいい。そして幸せと縁を結んでいく。Rome was not built in a day. 幸せは自分次第である。幸せは自分で作っていくしかない。幸せも学ぶべきものである。生きて良かったと思える。未来は明るい。
西遊記 何を求めて 自己となる 自由を生きて この世楽しむ
2008年04月08日
新しい日々~自分を開く~
人生に楽しみ多ししかれども酒なくして何の楽しみ(牧水)
人生に楽しみ多ししかれども神仏なくて何の楽しみ
本来の自分に帰り語らんと世界の何処君を探さん
微笑みの こぼれて開く 人生の 楽しみここに 始まらんとす
十牛図 自然祝福 そして来る 市民日常 やさしさの日々
心地よき 人間関係 築かんと すべてやさしさ 花の咲く頃
異文化の 交流楽しむ 頃となる 心素直に すべて実なり
距離を置く ことも確かに 必要と 友人関係 見直す頃かも
これよりは 新たに認む 長所かな およそ人間 わからぬものを
やさしさと 愛に満ちたる 人生を やっと歩める 頃の来たれり
我こそは 我こそあらめ 何故ぞ 自己を開きて 世界定まる
殺伐と 愚かな文化 廃さんと 知性は此処に 立ち上がり居り
愚かなる 知らぬを以て 勝手する 牛頭馬頭廃し 日本に帰る
ところで文学の楽しみって何でしょうか。自分の目でみて、自分の頭で考えて、自分の言葉で表現しているところですね。亦、人間関係の楽しみって何でしょうね。好ましい人との時間共有ですね。夫婦もそうですね。所詮異文化交流です。日々新しく伴侶の良いところを発見していく。そして共通の経験を重ねる。楽しいですね。好ましい時間。その累積が幸せだったのです。本当の富は何だったのでしょうか。タイム・リッチ。それが自由だったのです。お金持ちになりたいですね。その目的もそこにあったのです。旅の目的もそうでした。自分発見とタイム・リッチ。人生の目的が定まりましたね。遊ぶように生きてゆけると良いですね。この代を楽しみましょう。来世をもっと豊かにするために。大切なのは今です。前向きに生きたいですね。それが人生です。人生を語らずとか歌っていた時代は過去です。人生を語りましょう。そしてもっと豊かになりましょう。幸せになりましょう。私たちの人生は私たちが作るのです。あらゆる制度の目的もそれです。勝手はゆるされません。祖先及び黄泉の秩序があります。これに反して幸せはありません。それが大義名分であり、神風も吹くのです。それが本来人間の能力だったのです。見つかりました。嬉しいですね。楽しいですね。今が旬。しかし、何れにしても世界はどのように出来ていたのだったか。何時の時代もそうだったのだろう。今もそうである。即ち、大江健三郎氏のテーマでもあった。作る人と壊す人がいる。自分が変わることで世界が変わる。どういうことでしょうね。実は変わりはしない。見え方が変わるのです。今まで見えていなかった世界が見えてくる。そして本来そうだったことに気づく。見えていなかった自分に気づく。自分が変わるということは見えてくるということだった。世界からのメッセージがあるのです。同じく、黄泉からのメッセージがあるのです。それがインスピレーションです。お笑いにはそれがない。姑息な傍観者にもそれはない。自己利益追求者にもそれはない。何か失われた大切なものがある。それを見つけたというのです。世界は自分のためにあったと自覚しても過言ではないのです。知らないことを以て否定できません。そこまで自覚できるかどうか。自由の定義です。何をしても良いのです。他人の権利を侵害しない限り。野蛮ではないのです。愚かでもないのです。知性復活。未来は明るい。時代の空気を変えなければならない。何が蔓延ったか。祖先に申し訳ない。その為にはエネルギーのある言葉を発するのです。そして色を染め変えるのです。その為に何をしているのか。このブログの目的であります。地獄は地獄で救う。象牙の塔の中から救えはしない。自分が自分に成るしかない。それしかないのです。主体的に生きる。餌食とされないように。棲める世界がないなら作るしかないと書いていたのは吉田健一氏だった。作ったのかも知れない。そのように思われる。それが自分が変わったということだろうか。主体的に生きるとはどういうことだったのか。二十世紀の知性といわれたスタンダールはいった。私は生きた。私は愛した。私は書いた。そして吉田健一氏は書いていた。読むものがなくなって、作家は書き始める。そして一般に作家は処女作に向かって書き進める。どれほどの体験があってのことだったか。何を見てきたのだったか。妄想ではない。真実或いは事実である。神仏は実在する。この世に生まれてその確認ができた。十分であろう。宇宙自然生命黄泉の受容祝福守護を知った。ほかに求むるべきものはない。それが幸せであり、自由であったといえる。どれだけの人がそれを知っているだろう。或いは求めたか。この人生に無駄はない。此処に至ってはじめていえることである。それが白隠禅師の隻手の音であったのであろう。勝敗は決した。昭和三十一年生まれの最終ランナーだろうね。やっとゴールである。これより新しい時代である。時代は開かれた。大きな仕事をしたと思っている。評価できる者はあるか。評価基準はあるか。この人生、精査されたい。祖先の故だった。古来大和の故だった。何を求めていたのだったか。何を探していたのか。明らかとなった。幸せだった。チャンスはいくらもあった。これからもあるだろう。自信を失っていた。それにも理由があった。十九の春だった。立ち直れるとは思えなかった。それほどの打撃だった。しかしノアの箱船が来たのかも知れない。とことん追い込まれた。それがサインだった。或いは正受老人の無底船である。沈みはしない。それが救助船だった。柴田連三郎氏は乗っていた船が撃沈された。彼はどうしたか。プカリプカリと浮いていた。力を尽くして泳いだ者たちは海の藻屑となった。やがて救助船が来た。ナポレオン・ヒル氏は書いていた。人生が必要とするすべての可能性は、あなたの想像力の内側で待機している[『思考は現実化する』p546]。どういうことだったのか。彼は見えない世界を問題にしていた。今も昔も変わりはしない。それが人類の英知だった。知るべき時が来たのである。何を知ったのか。この世に生まれた意味だった。そのように生まれていた。それで良かったのだった。世間は知らない。むしろ愚弄する。それで良い。自分は何者だったのか。日本とはどういう国だったのか。未来に伝えるべきことがある。獅子は千尋の谷を這い上がる。千尋の谷とは何だったのか。先達の英知である。それは神仏を含む。ツアラストラは何時か山を下りる。それは己を制して絶対の自信を得た時である。
2008年04月07日
知性の勝利~卒業証書 & an invitation to the world ~
良い時代となった。或いは良い時代とする。私たちに係っている。私たち次第である。暫く混迷の中にあった。何が幸せであるのかわからなかった。模索していた。それはお金かと思われた。そうでもなかった。お金があっても、不安から逃れることができない。何故不安であるのか。それがわからなかった。自信が持てなかった。生まれた自分に自信がなかった。しかし、自分よりほかにありはしない。気づけばこれほどまでに祝福されていた。黄泉の守護を知る。これが幸せだった。それは祖先だった。或いは古来大和正統日本だった。魂の遍歴である。或いは百代の過客である。美しい風景が待っている。嵐の中の出会いもあった。何故だったのか。黄泉は知っている。祖先は知っている。導いている。素直に従えばいい。幸せとは本来の自分となってそれを生きることだった。腐敗堕落がそれではなかった。真面目と努力で良かった。世の閥はカンニングで身を成した。分を超えた。それに染まる必要はない。愚かである必要はない。野蛮は要らない。自由を破壊する者にその部分に於いて自由の保障はない。それを教育界は錯覚していた。戦う民主主義という概念がある。やっと日本もそれがわかってきた。自由と平等を錯覚していた。そうした方々が先に蔓延った。故に腐敗した。黄泉及び祖先は悲しんでいる。国家なくして自由はない。芸能人は何を勘違いしているのだろう。彼らの色に染まってしまった。テレビ界の罪である。罪は償わなければならない。本来の日本を取り戻す。教育より始める。子ども達の未来を開く。何を教えるのか。教育界の知らないことがある。世界はどのようにできているのか。知れば、未来は明るい。知性の勝利である。怖れはない。不安もない。憂いも迷いもない。真実真理である。何がちょい悪おやじであるか。暴走族的テレビ界及びお笑い芸能界の天下は終わってもらう。良識ある庶民の時代である。子ども達の笑顔を取り戻す。明るいウィンザーの陽気な女房達の日常を創る。何を餌食にしたのか。何を裏切ったのか。既に犯した罪がある。何を愚弄無視破壊したのか。日本の諸価値及び情緒を取り戻す。それは何か。議論するべき所となった。あらゆる制度の目的は何だったか。人々の日々の暮らしである。企業もその例外ではない。社会的責任がある。計上されていない利益がある。損失がある。これよりそれが問題となる。企業のあり方が問われる。目的は何か。香風来たって古き花を散らし、新しき蕾を雨らす。何故埋没したのか。何故住みにくかったのか。やっとわかった。本来の自分を否定していた。そのようには教えられていなかった。松は松であり、竹は竹である。梅は梅であり、桜は桜である。知らなかった自分が愚かだった。これにて自由である。自分で自分を証明しなければならなかったとは、酷な世の中であった。しかし、それ故に人生は楽しい。世界はすばらしい。自由の根源は那辺にあったか。探り当てたようである。これが鉱脈である。自己の内面を掘り下げてみよ。何が出てくるか。此処掘れ、ワンワン。背水の陣であった。作戦は完了したようである。特殊任務遂行成就。最終最後最大の敵は倒した。誰も右に置かぬ。暫く勝手がすぎた。行きはよいよい、帰りは怖い。目覚めたからには通しはしない。通りはしない。この代は代々どのようにできていたか。
Rome was not built in a day. Yes! By the way, why have I been in solitude. I had no knowledge on it. I found the reason. I haven't believed in myself. What am I? I am in the process of the spirit from ancient for future. I realize the fact, so I'm happy now. I can be in the heaven on this world, because I have conquered against myself that was the last, the biggest and the most powerful enemy. It is wonderful to let me be in this world, the sun and the moon shine and the wind blows. I appreciate my ancestors, Japan and all over the world! Thank you.
さて、明るく楽しく生きていく。すべて笑顔で解決する。本来の自分で良かったんだね。何をあくせくしていたのだろうね。その必要はなかった。それで生きられないなら、生きる価値はない。マイ・ペース。マイ・ウェイ。この世は素晴らしい。生きるに価する。何が蔓延っていたのか。相手にするべきではなかった。すっかりやられてしまったよ。何故だったんだろうね。敵を取られたかな。そうであるなら、今度はこちらの番である。具体的にどうってことはない。好きにやるだけだ。本来の自由とは何だったか。探すべきはそれだ。見つかると良いね。何処かで逢ったら宜しくお願い申し上げます。祖先代々の掟はあるよ。知らないからといって否定できない。カンニング文化は凄まじいね。それで閥を成した方々達の結果だ。それ故に真実の真面目、正直、素直、努力、忍耐等が光り始める。それも一朝一夕にしてではない。世間の評価の及ばないレベルがある。だって彼らにはその評価基準がない。だって知らないのだから。探そうともしなかった。黄泉が認めるかどうか。知らなかったね。だから勝手出来たよね。だけどそうだったんだ。もはや遅い。だけど今からでもやり直せる。それが宇宙自然生命黄泉のやさしさだよ。やり直そうよ。明るい未来のために。日本の男はこれで良いのだなんて、いえないよ。何に知恵を絞ったんだろうね。月が笑ってる、三四郎。一、二、三、士。3*4=12。一に勉強。二に勉強。三四がなくて五に勉強。125=5*5*5。五が三つ。五と三。五十三。どうでもいいね。自信はあるか。ある。それは見つけたのか。見つかったのか。見つけた。どのような自信であるか。絶対の自信である。何を以て絶対というか。黄泉の守護を以ていう。それはあるのか。ある。何故にあるというか。日月照らし、風が吹く。エンジン全開。全速力前進。明るい日常へワープする。日に日に新に。全てが意味を持つ瞬間が来る。雪隠も光り始める。あるいはカンシケツ。よかったね。あらゆる無駄が無駄ではなくなる。東洋精神の精髄である。西洋成功哲学プラス思考症候群の知らないところである。懐が深い。富士は何故高いか。裾野があるからである。富士は何故美しいのか。不識。日本の基が目覚めた。身心清浄及び正直を以て旨とする本来大和魂である。ゾンビに用はない。牛頭馬頭及び魑魅魍魎は帰っていただく。やれうつな。負けるな一茶これにあり。
2008年04月06日
想像力について~勝利宣言~
「人間の限界は、ひとえに想像力とその利用にかかっているといってよい。想像力を通して、また想像力によって点火された思考力を通して、私たちは自分の心と宇宙を動かすエネルギーとを関連づけている。つまり私たちは、幸運とは切っても切れない関係にある宇宙と、努力次第で上手に付き合っていくことができるのである。(中略)思いつきが願望と出会い、それに行動が伴えば、どんなことが可能になるか。(中略)幸運の背後には幸運以上のものが存在する。あらゆる人の心は、人間に抵抗できない力をも動かすことができる。(中略)人生が必要とするすべての可能性は、あなたの想像力の内側で待機している[ナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』p-545-546]」。
ナポレオン・ヒル氏の成功哲学は何を問題にしていたのだったか。これを理解するにはどのような経験を要するのか。だれもが理解できるだろうか。『2001年宇宙の旅』と同じくらい難解ではないのかと思われる。世界はかつて地中海だった。大航海時代を経て世界は地球となった。暫く支配した精神は重商主義だった。地球は無限と思われた。21世紀になって地下資源に於いて限界が見えてきた。航空機も発達して、すなわち、地球は有限となった。物質文明の限界であろうか。そして今、世界は宇宙となった。宇宙は黄泉に属する。或いは魂の世界でもあるといえる。見えない世界を開拓しなければならなくなった。精神文明への移行であろうか。それがパラダイムの大転換であろうか。お金を通して富を得ることが西洋哲学理論の骨格である。それに対して東洋精神の精髄がある。それは何だったのか。暫く、物質文明優位の時代だった。世界が今模索しているのは、精神文明である。日本は暫く西洋に憧れた。しかし公害もあった。貧富の差は子どもの間でのフタコブラクダ現象で固定化されたかに見える。支配層の精神的堕落がある。何か大切なものを見失って久しい。日本には古来英知がある。それを無視破壊し、裏切ったのではないか。本来日本は神国だった。仏法を受容した。日本の目指していた方向は何処だったのか。誰もが幸せになりたい。本当の幸せとは何だったのだろう。浮かれた時代があった。その間、考えなかった。探そうともしなかった。思い出す頃である。取り戻す頃である。何をであるか。身心清浄及び正直。嘘と欺罔が多すぎる。野蛮が蔓延った。故に大義名分はない。神風は吹かない。本来の日本ではなくなった。幸運の背後には幸運以上のものがある。それは何だったのか。宇宙をも動かすエネルギーとは何だったのか。仏の宣言で宇宙が動く。それがロゴスだった。人間には抵抗できない力とは何か。黄泉ではなかったか。黄泉の受容祝福守護がある。人生が必要とするすべての可能性である。こうした神秘がある。知らないことを以て一笑に付した。そして勝手した。思い上がった。勘違いした。宇宙自然生命黄泉の秩序がある。何時までも黙っていない。これに気づくことができる。それが想像力である。そして思考する。黄泉が認める。黄泉が動く。故に実現する。知る人にとっては事実である。知らない人にとっては神秘である。知らないことを以て否定できない。真実は真実である。証明は何か。日月照らし、風が吹く。かつて天界より人間のために火を持ち帰った神がいた。この度、人間のために何を持ち帰ったか。黄泉の力だったのだろうか。だれもがこれを使えるようになるのだろうか。巨大化した恐竜は滅んだ。彼らは彼らとして幸福を目指した。しかしチラノザウルスの野蛮があった。或いは隕石の落下だったのだろうか環境の変化に適応できなかった。人類も滅ぶ。選択を間違うとね。しかし万物の霊長である。ここまで進化している。神の七つの力が与えられている。何時までも戦争殺戮であるか。それが人類の目指した幸福追求であるか。考えるべき時が来ている。21世紀、何を想像し、何を選択するのか。未来は明るい。
さて、一連のブログを始めたのは何時のことだったか。2005/11/26だった。色々なことがあった。それは過去のトレースだった。そして至ったようである。試みてみるものだね。何処へ至ったのだったか。桃源郷かも知れない。この世に生まれた使命は果たしたと思われる。それほどの感慨がある。私の人生が開花した。密かに咲く野辺の花である。誰も気づかないかも知れない。しかし咲いている。黄泉は知っている。確信がある。古来日本の魂がある。暫く見失われていた。見出したのだと思う。祖先に感謝する。日本に感謝する。生まれて良かったと思う。悲惨な青春があった。その後埋没した。孤独を極めた。自分を表現することはなかった。しかし何時か時は来る。その間も諦めてはいなかった。何を諦めていなかったか。自分を諦めていなかった。ジャパン・アズ・ナンバーワンの頃よりである。信じて良かった。何を信じていたのだったか。自分を信じていた。仏法も知った。本来古来神国日本も知った。不思議な出逢いと経験がある。もはやどうにもならない。黄泉の守護がある。歩み通したのだと思う。日本は大丈夫の國であることを確認した。務めは果たした。身も心もボロボロではある。経済も逼迫した。それほどの戦いだった。何と闘っていたのだろう。自分とだった。そして宣言する。勝利である。即ち、日月照らし、風が吹く。この代は一箇の大鏡だった。これを自覚すれば、天下無敵である。信じてみないか。代々の掟であり、秩序である。幸せの基である。古来大和の秘密だった。すべての謎は物語の如くであった。二千年来の謎を解いたと思った。それも誇張とはいえないほどの体験がある。真実は真実である。どのような評価も及ばない。誰もがその可能性を持って生まれている。それが生まれた意味だよ。浮かれていては勿体ないよ。本当の幸せはあるよ。きっと富も手にすることが出来る。それほどの不安からの自由がある。諸悪莫作。身心清浄及び正直。取り戻さないか。日本の基だよ。嘘と暴力が蔓延りすぎていないか。本来日本はそのような國ではなかった。自由と平等概念を履き違えたのだよ。それだけのことだよ。本来日本は愚かではない。野蛮ではない。見つめ直すべきものがある。何を笑いものにし、何を愚弄無視破壊し、裏切ったのだろうね。黄泉が何時までも黙っていない。時は来たよ。年貢の納め時だ。処したる人生の草鞋銭は請求される。腐敗堕落が人生ではない。政財界及び官界も含めて、何をしているんだろうね。何をしてきたんだろうね。記録は全て天にある。天網恢々疎にして漏らさず。観念するしかないね。それぞれ脛に傷があろう。色々と書いた。今となってはどうでも良い。本当にそう思う。それぞれの人生だよ。それだけのことだよ。幸せになろうね。私は導かれていた。天の声に。怪しいね。確かな自由を得たようだ。本当の自由を見つけたよ。本当だよ。埋没した三十有余年は無駄ではなかった。私は私で良かった。絶対の自信はある。どのようにしてそれを獲るか。このようにして獲る。日本知性の勝利だよ。勝敗は決した。諾。
地獄にて この花咲くや 君が代ぞ
咲けば良し 黄泉も喜ぶ 春の来る
本来の 日本を思う 櫻花
咲き出でる 日本を救う 大和花
大和なる 日本の春の 巡り来る
原爆の 火をくぐりたる 大桜
これよりは 櫻の日本 立て直す
勉学の 意味を教えて 感動の 涙の光る 生徒は学ぶ
君が代の 日本目覚めて 継受する 自由平等 真実の花
失えし 日本の心 灯をともす ために生まれて 使命果たせり
我が人生 ここに完結 喜ぶは 黄泉と祖先と 花と咲き居る
大和なる 古来の謎を 解き終わる 真実真理 ここに定むる
秘密とは 金座銀座の 基かな 本来日本 黄金の國
この度の 発掘したる 黄金は 言葉はロゴス 黄泉の従う
真実真理 如何ならん 身心清浄 正直の 神仏いたり 國を定めん
この世に生まれてどう生きるか。それぞれの問題である。自由になりたい。幸せになりたい。誰もが思う。自由とは何だったのか。幸せとは何だったのか。本来の自分を見つけてそれを生きる。その時不安も憂いもない。それが自由だった。幸せだった。あらゆる制度の目的もそれである。國も会社もその例外ではない。何を犠牲にしてきたか。これより問われる。本来の自分以外に自分はない。持って生まれた自分で十分である。その可能性を開く。教育の目的はそれ以外にない。自分を見出すしかない。餌食とされていないか。考え方の基本に問題はないか。自己利益追求は諸価値を破壊する。市場経済そのものが問題である。必要なものを必要なだけ作ればいいのではないか。不必要な物質的生産は地球を壊していないか。ソフトである創造的文化は地球を壊さない。音楽などがそうである。文学もそうである。それらが価値的なものである。時代は諸価値を取り戻す。時代は目的的時代となり、芸術的時代となる。戦争の目的は何であるか。議論すべき所である。原爆の火を以てしても根絶やしにされていなかった日本の諸価値がある。ヒロシマは平和の基である。現代戦争の愚かさを知った。市民を犠牲に供する。國は何の目的で存在しているのか。人々の個々の暮らしである。戦争開始はリーダーの専権事項である。何時までも看過できない。広島より発信するべきものがある。強くなりたい。本当の強さとは何だったのか。強いが故のやさしさがある。強くなくては生きてゆけない。やさしくなければ生きている価値はない。フィリップ・マーロウである。或いはロバート・キャパの妻に対する愛は何だったか。ゲバラは野蛮である。破壊は何の意味もない。現代のお笑いに価値があるか。ありはしない。空しいばかりである。本来知性は如何に生きるべきか。新たな冒険が始まる。生きている限り青春である。冒険である。世の大富豪は全て、晩年になって目覚めた。お金が目的ではない。しかしお金がなければ実現できないものがある。世のセレブ諸君は目的を誤っている。人生如何に生きるべきか。永遠の課題である。何を愚弄していたか。知性だった。知らないことを以て否定した。罪である。罪は償うを要する。償っていただく。どういうことか。これから明らかとなる。21世紀、新しい時代である。時代は開かれた。権力は既に克服されている。市民革命による民主主義の確保だった。しかし政治家及び官僚は思い違いしている。公務員の使用者は国民である。即ち主権在民、国民主権である。一枚の公務員試験で権力の当事者となったと思ったか。国民から事務を委託されているに過ぎない。権力の淵源は何処までも憲法制定権力である。それは国民である。公務員は何をしているのだ。国会議員と雖も特別職公務員に過ぎない。武力はヒロシマによって克服された。今、金力も克服されつつある。どういうことか。お金が目的ではなかったことが明らかとなった。お金を通して自己実現或いは自己確認しているに過ぎない。ビル・ゲイツは過程に於いて何をしたか。知らない人が多い。サイバー攻撃の対象となっている理由がある。それが人生だと思っていないか。そう思っている限り、黄泉は微笑みはしない。どんなにお金持ちになっても、不安から逃れることはない。真実の幸せとは何だったか。知る頃となった。一箇の自覚があった。人類にとって福音である。どのような孤独及び艱難辛苦があったか。誰彼耐えうるものではない。知性を要する。忍耐を要する。そして時代は開かれた。ある価値が確認された。中道。此処より始めればいい。黄泉の掟がある。代々の魂の遍歴がある。知らなかったね。未来は明るい。
2008年04月05日
責任の取り方
どんなに偉そうな事をいっても、どんなに社会的地位があっても、人を正当に評価できない方々がいる。その方々が評価できないのは何故だろうね。自分の利益が基準となっているからである。そして、目に見えるものしか判断材料に出来ないからだ。亦、いわゆる社会常識しか基準がないからだ。そうした方々の支配だった。それで悉く腐敗した。子ども達が犠牲となった。愚かな世代を創ってしまった。そうした方々が、尚、それを変えようとしている。退散されては如何か。それが責任の取り方であろう。日本古来の潔さを所詮知らないか。ところで、テレビ界は表現の自由の解釈を間違っていないか。自由を破壊する暴走族に自由の保障はない。文化及び諸価値を破壊する表現の自由はない。国家なくして自由はない。「潜在意識は肥沃な畑に似ている。しかし、肥沃な畑は、細心の注意を払って良い作物の種子を蒔かなければ、雑草だらけになってしまう[ナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』p541]」。現代世の中、何が蔓延ったか。何を笑いものにしてのことであるか。これで良いのだろうか。考えるべき時が来ている。考えるのは行動するためである。このブログは行動である。黄泉及び御祖先も御照覧である。そして動く。日本を変える。或いは取り戻すためである。明るい未来のために。既に開発した力がある。ナポレオン・ヒル著『思考は現実化する』を読んで、さらに確信度が高まった。本来日本、人類の知性に於いて重要な使命がある。愚かさの支配を脱する。浮かれている場合ではない。傍観している時でもない。既に人類の危機が迫っている。自然は容赦しない。時は待ってくれない。人間の思い上がりがあった。何も知らずに浮かれていた。何をしているのだ。何をしてきたのか。尚、小さな利益追求と権力闘争をするのか。人類の存亡がかかっていると思わないか。あまりにも障害児の出生が多い。何故なのか。それが産婦人科医及び小児科医の不足の原因ではないのか。何時までも隠蔽できない。政財界の癒着腐敗及び公務員の怠惰などどうでもいいくらいに、問題は急務である。ところで、何事も自分次第とわかった。自己一身の問題であった。要は決断力だった。憂いとか迷いとか不安とか何故あったのか。自信がないからだった。優柔不断だった。何かを怖れていた。それほど暇だったのか。何事も怖れる事はない。だからといって肘を逆に曲げるような無理をするわけでもない。沈思黙考である。熟考する。そして決断である。一度決めたからには後戻りはない。一切迷うことなく猪突猛進である。その間不安はない。そうしたものだった。一番槍である。何故不安だったのか。何を怖れていたか。自信がなかった。どうしてなかったのか。知らなかったからである。何を知らなかったのか。何を知ったというか。黄泉の守護する自分である。それが代々の大和魂だった。それを見つけなければならなかった。そうしない限り、自分の人生はなかった。暫く見失われていた。明治以降商人根性支配の故だった。何もなくて良い。持って生まれた自分があればいい。十分であった。道元眼横鼻直、空手。しかし自覚を要する。何を自覚するのだったか。もう良い。卑怯怯懦商人根性及び低レベルの愚かなだけのお笑いを廃する。本来日本を取り戻す。誰かをあてにしていた。そのような者などいなかった。本来の自分しかない。本来の自分になるしかない。それからが勝負である。最終最後最大の敵は何だったか。自分だった。自分を制する。その時を黄泉も待っていた。そして黄泉が動く。夢は実現する。思考は現実化する。わすれていたね。本来日本を。取り戻したのだろう。新時代である。敗戦の故に知った。本来日本は必ず克服凌駕する。自由とは何だったか。思うとおりにしてしかも法を超えない。既に孔子の見つけていたところだった。遵法精神は社会的人間としての人格の外形的表現である。自由である事が即ち幸福である。お金では買えないものがある。お金で黄泉は動きはしない。何を求めていたのだったか。自由である。幸福である。幸福追求権は憲法第十三条で永遠に保障するところである。この文脈での表現の自由である。それを破壊する自由はない。お笑い芸能界の自由の解釈は間違っている。本来目指すべき価値を破壊した。衆愚化する事が民主主義の目的ではない。無条件の自由は野蛮である。社会契約下における自由である。制限されている部分がある。愚かな社会は要らない。取り戻すべき日本秩序がある。さて、私はとても能力があった。16歳まではね。しかしその頃から内面の道を歩み始めていた。原因は失恋だった。そして高校に入ると同和教育の嵐だった。学校の勉強など無意味に思えた。訳のわからない本を読み始めていた。そして十九の春に決定的に自分を壊した。その後の人生がどのようであったか。凡そ想像を絶する。社会の評価はどうであったか。見えるところからしか評価しなかった。思うだけの人生と青春はなかった。わかるだろうか。わかりはしない。これで終わるのかと思われた。そうでもなかった。試練だった。乗り越えなければならなかった。そして乗り越えたのだと思われる。その間、何を見ていたか。何を聞いていたか。すべてが意味を持つのだった。そして見つけたものは何だったのか。どのような力を確認したのだったか。象牙の塔の中で身分及び地位の保障された状態での研究ではなかった。すべて経験に基づく。レベルが異なる。閥による評価及び縁の知るところではない。取り戻した自信は絶対となった。その自覚は人類にとって福音であるともいえる。違うだろうか。そしていう。勝手がすぎた。単なる仮説ではない。日月照らし風が吹く。
2008年04月04日
代償の原則
「自然は奪うだけではないのだ。生まれながらの権利や恩典を人から取り上げるときは、必ず何らかの形で、それに見合った利益の可能性を与えてくれる[ナポレオン・ヒル著『思考は現実化する』p454]。「10回以上失敗して、なお努力を続けられれば、あなたの心には天才が芽生え始めている。その場合には希望と信念という陽光を浴びて、大成功に育つまで見守っていただきたい。自然は災いをふりかけて人を打ち倒すことがあるが、それは起き上がって再び闘うのは誰なのかを探るためであろう。(中略)あらゆる失敗や災いには、必ずそれに見合った利益の種子が含まれているのだということを思い起こしていただきたい。そして、その種子の発見に全力を傾け、その種子が芽を出すように行動を起こすのだ。そうすれば、どのような現実であれ、失敗として受け止めないかぎり、失敗はこの世にはないことがわかるはずだ。[同p455]」。「運命は、ときには物語じみたやり方を使って、失敗をものともせずに立ち向かう粘り強い人間に報いる。この現実の世界には限界がないということを、いつも自分に言い聞かせていなければならない。限界があるとすれば自分の心の中に自分でつくったものか、他人がつくるにまかせたものにすぎないのだ[同p457]」。「失敗や不運に見舞われても運命の手が別の方向へ行くように合図をしたと受け取り、その合図に従えば、その経験は必ず恵みとなる[同p454]」。「悲しみは魂にとっての薬である。悲しみを知らないために、魂の存在にまったく気づいていない人も多い。(中略)肉体だけの存在と精神的な可能性との間に立ちはだかる障壁を、悲しみが打ち消すのである[同p465]」。「悲しみの川をすべて渡った私だが、一つだけ最後に残ったものがあった。それは最も深く、大きなものであり、私にはまだ免疫のない、新しい種類の悲しみだった。この悲しみが含んでいたものは、あらゆる感情のうちで最も深く最も危険なもの……愛、であった[ヒル博士の離婚のこと]。(中略)ようやく私は報われぬ愛の悲しみを知った。そして、この経験を何か建設的な行動に変える方法はないものかと考えた。(中略)こうして、悲しみのどん底にあった私は、人生最高の宝を手にした。代償という永遠の法則が償ってくれたのである。人生最高の宝、私の妻は、私に残された人生を最後まで手を取り合って歩いていくのに、まったくふさわしい人である[同p469]」。「奇跡とは、一つひとつが神秘的な潜在力でくっきりと縁どられていて、その潜在力は正しく解決した人に大きな利益となるのだ。偉大な奇跡の谷を旅するにつれて、そのことに気づくだろう。さらに、心の平和は自然の法則を正しく理解し、正しく対応する人にだけ与えられるということにも気づくはずだ。もし、あなたがこの点を見落とされるなら、私を本書の執筆に駆りたてた大きな目的に気づかずに過ぎてしまう[同p472]」。もういうべきことはない。人生を悲しみと知って、すべては始まるのだった。最も大きな悲しみをナポレオン・ヒル氏が知ったのは50歳を過ぎてからだった。もしも16歳でそれを知り、その後、自分をも壊して不治の障害かと思われる十字架を背負い、三十有余年を埋没して人生と青春を失ったかに見えるものがいたとして、それでも諦めずに求め続けていたものがあって、それが黄泉の導きである試練であったことに気づくとき、その悲しみは如何ほどのものであったか。そして代償の原則が機能するとすれば何を得たのだったか。本来の自分自身だった。それは持って生まれた神力を含む。そして知った自分とは何だったか。先祖代々大和魂だった。しばらく勝手が過ぎた。知らないことを以て愚弄無視破壊し、裏切ったものがある。原爆の火を以てしても根絶やしにされはしない。頼朝は伊豆に流されていた。正統源氏復活である。観念するしかない。愚かではない。野蛮ではない。すべては一箇の自覚のためにあった。その一箇が目覚めた。古来希である。日本の色を取り戻す。明るい未来を作る。
2008年04月03日
21世紀成功理論
ナポレオン・ヒル氏の成功理論は何だったのか。明確な目標を持ち、それを紙に書くことが大切なのは何故だったのか。要は潜在意識だった。それは第六感でもある。思考は周波数の振動であり、エネルギーだった。他の思考と同調することも出来る。潜在意識は思考の発信機ともなるし、受信機ともなる。一人でするのではない。マスター・マインドといったものがあって、例えば共通の問題をそれぞれ真剣に考えて、自由に自分の意見を素直に話し合う。そこで形成されるものがある。それがアイデアであってグループの意思となる。一致団結となる。目的は成就する。思考と思考とが同調するだけではない。人智を超えた「あるもの」がある。それとの交信となる。此処に英知がある。神といっていい。この力を開発した者が、あらゆる智慧を得る。そして成功するのである。この理論はそういうことだった。思えば、私は黄泉の守護とかいってきた。日月照らし風が吹くとかいってきた。神秘は知らない者にとっては神秘であるが、知る者には事実であるともいった。自分確認には十分だった。私のいってきたことは悉く正しかったと知った。ところで西洋成功哲学は、富を通して自己実現しようとする。しかし、物質文明に限界が見えているのではないか。むしろ日本の成功理論としての自己実現は道元貧学道だった。21世紀の幸福論として西洋に対する東洋の優位とするところである。考えるべき事がある。見直すべき事がある。精神である。必要な時に必要なものが必要なだけあればいい。これも仏さんの所で教えて貰った。個々の願いがかなうことが幸せといえる。どのようにしてかなえるのか。ナポレオン・ヒル氏はいう。根本に願望があって、それを潜在意識にすり込む必要がある。強い感情でそれはすり込まれる。感情を伴う意思の力である。その時、積極的な感情と消極的な感情がある。少しでも消極的な感情が入ると成就しない。100%ポジティブになることで実現する。不安及び恐怖がある。それらから自由になる。その時、自信となって勇気が湧いてくる。夢は実現する。思考は現実化する。そういうことだった。自己実現こそ夢の実現。その方法論は第六感。日本の得意とするところです。今日も明るく笑顔で元気に参りましょう。日々問題解決です。今が大切。過去は過去で良いのです。何もかも自分次第でした。自信を持って参りましょう。悲しみは時が解決します。何もかも知ればいいのです。自分が自分に納得できるかどうか。人の幸せを願えるかどうか。そのためにはどうするのか。それだけのことです。ハッピーで参りましょうね。
ある日、風は左から吹いて参ります。かもめ橋を渡るといつものアオサギがいるのです。ふと目をやるともう一羽いるのです。この前見た夫婦でした。潮は今から満ちようとしています。陣取りの開始だったのです。やがてこの二羽が河口の一番南を占拠し位置を確定しました。すると一羽のカモメが飛来しました。どうも出遅れたらしいのです。少し上流にカモメの一群がすでに待機しています。羽を休めているのです。羽を繕いながら潮の満ちるのを待っているのでした。その中央に一羽のアオサギです。周りに対していかにも威厳です。しかし一羽でありました。今度は白鷺が羽ばたきました。見るとこの白鷺も夫婦でした。アオサギは水と陸を支配しています。白鷺は流れの一つを支配しています。カモメの群れは中州にいます。するとアオサギの一声。その時雀たちが河岸で羽ばたきました。後ろの方で烏が鳴きました。そしてそれぞれの声が聞こえてきました。カモメたちはみんな羽を休めています。みんな南(河口)方を向いています。まだ飛んで来るカモメもいます。準備完了でしょうか。鉄橋を下り電車広島方面行きがガタンゴトンとゆっくりと発車です。風は穏やかです。工場の音が聞こえてきました。まるで小春日和です。チュンチュン雀が歌います。そして亦一番上流には白鷺が二羽いるのでした。(2005/09/16 13:40 二河川河口にて)その後の観察で、常に風向きを向いているのはアオサギであることが解りました。そして一羽であることの意味、夫婦であることの意味、群れをなしていることの意義も。(2005/09/20)そしてある駅のモト機関区操車場で貨物列車の貨物の入替をみていました。そして機関車の一声。青い電気機関車でした。その汽笛を合図に白赤のヂーゼル機関車が動き始めました。(05/09/22)http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/aosagi.html
One day, there was a soft wind blowing in from the south. Usual AOSAGI was there. The sea gulls alreday got to the land. The two AOSAGIs were husband and wife seen some days before. From now on, tide tends to be in. It was the start of an encampment. Soon, these two birds occupied a south point of the river, and decided the important position. Then, one sea gull came flying. Seemingly, it was late somewhy. A group of the sea gulls had already stayed by for the upstream for a while. Feather was rested. It was waiting for tide to be in, mending feather. There was another AOSAGI in the center of the land. It was truly dignity to the surroundings. However, it was one bird. The egrets fluttered at that time. When seen, those egrets were also husband and wife. AOSAGI was governing water and land. The egrets were governing one of the flows. The group of the sea gulls were in a sandbank in the center of the river. Then, there was a voice of AOSAGI. Sparrows fluttered behind then in the riverbank. The crows began crying. And each voice of all the birds was been heard. All of the sea gulls were still resting feather. They were all for the south. There were some sea gulls which still flew to the land. Was it the completion of preparation? Train's sound got down from an iron bridge and the direction going of the train was for Hiroshima. It departured slowly with the sound GATANGOTON from KURE STATION. The wind was quiet. The sound of a factory had been heard. It was like an Indian summer day completely. CHUNCHUN sparrows were singing. And another couple of egrets was in the upstream. (2005/09/16 13:40 at the NIKOU RIVER) By subsequent observation, it was sure that AOSAGI had always turned to the wind. And I understood the meaning of being one bird, the meaning of being husband and wife, and the meaning of making a group. (2005/09/20) And some days after I was seeing the exchange of the cargoes of a freight train in an old engine-train department classification yard of a certain station. A voice of an engine-train. It was a blue electric locomotive. Then a white and red locomotive began to move. The whistle was a signal to start. (05/09/22)
2008年04月01日
真の知恵ある人
「『真の知恵ある人』というのは、必要とするものをすべて、他の人の権利を侵害することなく手に入れることを習得した人のことである。学歴ある人と『真の知恵ある人』とは必ずしも同一ではない。真の知恵は内から生まれる。教えられて習得するものではない。もがき、苦しみ、努力して、考え抜いたうえで得られるものである。(中略)つまり(この)プラスアルファの魔法の重要性を理解すれば、いつでも容易に利用できるのである[ナポレオン・ヒル著『思考は現実化する』p375]」。プラスアルファの魔法とは、「報酬以上の仕事[同p365]」だった。それは、「成功への戦いに勝利を収めるノウハウ[同366]」であり、「自分が好きでやった仕事は決して無駄にはならない[同p363]のであって、「奉仕する精神を養うことができる[p366]」のだった。そして奉仕することは、(中略)義務としてではなく、特権としてであった[p372]。しかし往々にして大好きな仕事をする過程は、「仕事そのものは楽しかったが、その報酬はといえば、返済の見込みのない借金の山だけが積み重なっていた[p357]」ということになる。それは安定よりは冒険であるからである。しかし必ず報われることになる。やはり、諦めないことである。さて、ナポレオン・ヒルも数多くの失敗があったという。しかし信念は変わらなかった。多くの大成功者は50歳を過ぎてからである。夢がある限り、生きている限り青春である。カール・ベームは80歳になっていった。私の音楽に若さがなくなったら言ってください。何時でも式壇を降ります。そうしたものである。そして世界がこのように出来ていることがわかってきた。或いは確認かも知れない。そして思う。悪舌は功徳の種を断ずるとあるのは法華経だった。マイナス思考は破壊する力である。自分がそれに染まってしまえば不幸である。愚かな社会が泥であるなら、やはり泥の中から蓮華の前に化生である。一切批判する必要はない。それぞれの問題である。自分はそれに染まらなくて良い。禅の話に、耳が汚れるということがある。聞きたくないことを聞いたときである。今のテレビ界がそうであろう。身心清浄となることを以て解脱涅槃である。仏の目的はそれ以外にない。それを仏道として示した。誰もが歩めるように。「そのルールとは、特別なものではない。誰でも習得することができ、応用できるはずのものなのである。(中略)日々の行動の中のどこかにそのルールが隠れているはずだ。カーネギーはその一部を明らかにした。しかしすべてを明らかにすることは絶対に可能である[同p358]」。西洋成功理論である。此処まで至っている。その精神は禅に等しい。此処より始めれば良い。人類としての進化傾向である。あまりにも怠惰ではなかったか。私自身、反省するところである。夢は実現する。良い時代である。野蛮及び欺罔並びに腐敗堕落及び軽薄な暴走族的お笑いではない。傍観する知性ではない。「他の人の権利を侵害することなく手に入れることを習得」することができる。自由の定義である。即ち「自分の思うとおりにしてしかも法を超えない」。既に孔子の見つけていたところである。既に世界は一つである。世界の中の日本である。世界に真に合流する時が来た。そして世界を救う原動力となる。それは何だったか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日
本純粋精神ではなかったか。西洋と東洋の合流である。そして重要な使命を果たす。古来日本に英知あり。今も昔も黄金の国である。小さな権力闘争の時ではない。日本国民の願いは何であるか。単なる個々の閥の利益追求の時ではない。日本の知性復活である。世界は混迷している。或いは危機である。未来への方向を定める時である。その羅針盤は何か。愛と平和を進化傾向とする本来日本だね。さて、仕事とは何だったのだろう。色々な形態がある。政治もビジネスも宗教も仕事である。仏さんは仕える事だという。何故失敗したり、挫折したりするのだろう。思う自分となれなかったのか。「やったことすべてに直接的な報酬が得られないと、騙されたような気持ちになる。(中略)次元の低い人間は、この気持ちを次のような言葉で表現するだろう。私はこの仕事の分の給料はもらっていない。ばかばかしい!こんなこと、やれるもんか。こうしたことを口にするタイプの人間で、成功した人は1人も見たことはないし、成功することは、これからも皆無だろう[同p376-377]」。残念ながら、私もそうした思いの頃があった。それ以前はボランティアもしていたが、それは余裕があった頃だった。その後、その本質を知らねばならなかったのだろう。悉く正当な報酬はないと思われた。それも試練だった。通らねばわからなかった。仕事とは何だったのか。「自ら進んで他人のためになることを行うのであれば、相手は誰でも、またどんなことでもかまわないのだ。(中略)(これを)適切な心構えで(自分は失敗しないのだという信念のもとに)行うなら、かつて成功を実現した人たちが発見した法則をあなたも発見することであろう。その法則とは、奉仕をしてその報酬を得ないということはない。それは、仕事をしなければ報酬を得られないのと同じくらい確かなことである[同p377-378]」。需要は自分で創るとはいわれる。多くの企業における社是に社会貢献が謳われている。仕事とはこれだった。何時の間にか忘れていた何か大切なものだった。しかし、コスト削減こそテーゼとなってどうなったか。企業は自分たちで自分たちの首を絞めている。派遣社員の実体を知っているだろうか。何の社会保障もない。そして時給750円から800円で働いている。職種によっては、一日5時間のことも多い。この条件下でサービス残業もしている。制度そのものがおかしくなっている。何故だろう。自己利益追求主義が諸価値を破壊した。システムが制度疲労しているのだろうか。或いは構造的脱線であるか。考え方の基礎が壊れている。自分さえよればいいと思っている。現代セレブがそれだ。芸能界の思想もそうだ。何をテレビで吹聴しているのか。単なる成金スノッブであろう。お里が知れている。もはやどうにもならなくなっているのか。テレビは本来日本の情緒及び情操教育を笑いものにして破壊した。何がテレビに自由をであるか。自由を破壊したのではないか。それで嬉しいか。むしろ恥ずかしい。ゲームもそうである。アヘン的に子ども達の大切な時間を奪って餌食とし、利益とするは何事であるか。責任はとって頂く。欺罔がすぎた。それを知恵と思った。そして日本は犯罪国家となった。安全国家神話は崩れつつある。政治のあり方も含めて、何かがおかしい。取り戻すべきものがある。西洋成功理論は正しい。しかし適用を誤っていないか。あまりにも芸能界的になっていないか。NHKもそれに染まろうとしているのか。それがエンターテイメントであるか。東洋精神を賦与して西洋成功理論を修正する必要があるのではないか。世界は待っている。世界は悲鳴を上げているのではないのか。日本こそ救えるのではないか。最後の切り札ではないのか。一考を要する。お笑いでは救えない。むなしさが残るだけである。真の救いは何か。まだ時は来ていないのか。ますます衆愚腐敗するのか。それならそれで良い。その看板を担いでいくが良い。地獄の門より抜け出せない。
【地震情報】平成20年04月01日11時02分 気象庁地震火山部 発表
01日10時50分頃地震がありました。震源地は広島県北部 ( 北緯35.0°、東経132.8°)で震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は3.6と推定されます。