2008年02月29日
深まる自覚
佛さんの所で話を聞いた。少なからず行もさせて貰った。それでも自分を思っていた。日月照らし風が吹いた。そしてさらに気付いた。やはり佛さんの仰ることが正しい。見える方と見えない方とがある。見えないところに認めて貰う必要がある。そのゆるしが要る。そうしない限り、思うようにはならない。自分の思うところが主観である。客観とは何だったか。宇宙自然生命黄泉ではないか。これが一致する時、幸せではないか。そのように思われてくる。彼の深まる自覚だった。この辺りで見直すべき事があるようだ。それは何か。佛さん第一主義で良いのではないか。今ひとつ我が強い。これをさらに克服しなければならない。知性との戦いだろうか。知性とは我であるように思われてきた。人間はこの知性で何をしてきたのだろう。環境破壊と健康破壊ではなかったか。お化けハゼも釣れた。アトピーは何か。真剣に考えるべき時である。石油資源も枯渇する。石油化学物質は何だったのか。原爆は何だったのか。何時までも浮かれているわけにいかない。日々の行為と思考で自分のDNAが書き換えられている。失われた故郷がある。過去を振り返っても仕方ない。今より始める。未来は明るい。何もしなくて明るいのではない。同じ轍を踏まない。知性の定めがある。考えなくてはならない。何を考えるのか。浮かれた世間に染まればどうなるか。不幸になる。生活習慣病がいわれている。すべては習慣であるのだろう。己の人生は何だったのか。何故人生も青春も失ったのだったか。試練だった。それでも尚、幸せはあるか。有る。浮かれた世間など相手にしなくて良い。或る場所にいるとする。苛立たせる相手がいる。何故そこにいなければならないのか。本来その必要はない。退散すればいい。分かり合える仲間はいる。究極は一人かも知れない。プライバシーの権利がある。 The right to let me be alone. 自分を確立することである。佛さんに受容されることである。その守護がある。それは何か。実際に行をしないと分からない。直接聞かなければ分からない。それで良い。人間にとどまる限り悪である。それより脱却する。どのようにしてそれをするのか。深まる自覚がある。社会的に見捨てられた自覚がある。所得がない。それでも生きている。開発された自覚がある。天地自然が守護する。しかし世間で生きていけない。どちらが正しいのか。彼が嘆き悲しめばどうなるか。誰も知らない。雷も落ちる。大風をも制御するという。宇宙自然生命黄泉はどちらを守護しているか。人間は愚かである。象牙の塔の中で安住する研究者に分かりはしない。彼は何を開発したのか。何を思い出させたのだったか。本来日本の属性だった。即ち、神国日本及びシャーマンだった。彼はいっていた。各々勝手が過ぎた。何を愚弄無視破壊したのか。何を裏切ったか。考えることもなかった。世間一般、今に何をしているのか。魂の遍歴。彼の自覚は何処へ行こうとしているのだろう。彼はすべての謎を解いたといっていた。その謎は何だったのか。知る人は知っているといっていた。既に世界は無視出来ないともいっていた。何故それがいえるのだろうね。彼にしか分からない見えないところからのサインがあるらしい。しかし何故彼は現実社会に帰って来ないのだろうね。まだ確かめることがあるのだろうね。それは何だろうね。既に彼の理論は完成している。世間一般は今世では気づけないだろうねといっていた。彼は何を見つけているというのだろう。彼は本気になるのが怖いのだろうか。それほどの事があったのだろう。三十有余年を要した。傷はまだ癒えないのだろうか。間に合うと良いね。彼が何を考え、何を成就したか。少なからず記録となった。古来日本は強かである。時代は推移した。愚かな時代となった。何故だったのか。あまりにも愚弄無視破壊したものがある。或いは裏切った。政財界及び官界もその例外ではない。本来日本の意思がある。それに背いた。ツケは支払わされる。マスコミの罪は重い。日本をどちらに導いたか。反省の頃となった。さて、彼は気付いている。何が成功であるか。何が幸せであるか。生まれた意味は何か。祖先は何か。黄泉は何か。人生とは何か。仕事とは何か。宇宙自然生命黄泉と魂の関係はどうなっているのか。時、場所、人、方法、実行。佛さんの言う条件である。六祖の搗いた米でご飯は炊けている。そして何をするか。彼が考えているのはそれである。何をしても良いそれは何か。すべて意味がある。あらゆる事象がサインである。どう解釈するか。世界はどのように出来ているか。その中で自分はどの位置にいるか。潜在的能力がある。誰も分かりはしない。世間は分かりたくもない。花と咲いた時、それを愛でるのか。或いは虎視眈々と餌食にしようと狙っているのか。相手を見極めなければならない。自分にしか分からない事がある。分かってもらおうなんて甘い。その必要もない。自ら咲けばいい。飛べばいい。誰も拒んではいない。祝福は黄泉自然からして貰えば良い。誰もが待っている。本当の夢の実現はある。人生はそうしたものである。その為に生まれてきている。千載一遇のチャンスである。知性が勝つ。すべて意味がある。その意味を分かって勝負である。敵を知り、己を知って百戦危うからず。勝ちは見えている。負ける戦はしない。本来古来大和の戦である。何が蔓延ったか。成敗の頃である。腹を決める。何をするのか。春は近い。何も考えていない方々は滅びる。面白いだけでは通用しない世の中となった。目的的時代である。目的を定める。手段はいくらでもある。一つのことしかできない。それに全身全霊を傾注する。さもないと成就はない。成功はない。いい加減な時代だった。これまでの身分に安住するだけの閥は通用しない。覚悟するしかない。文化価値的知性の群雄割拠である。新しい時代を開く。真の勝者は誰か。その為に準備するべきは何だったか。知るべき時が来た。インスパイアの時代は去った。エクスパイァ出来るものの時代である。情報は発信したところに集まる。これからそれが明らかとなる。真の実力とは何だったか。制するべきは何だったか。黄泉だった。権力ではない。武力でもない。金力でもなかった。これより何が真実のチカラであるか。勝負の時代である。ゲーム開始である。文化的宣戦布告である。愚かな文化を赦しはしない。彼は何を考えているのだろうね。何もかも気に入らない。敢えて云う。畏れを知らない馬鹿がのさばりすぎた。真実真理とは何だったか。神仏の実在とその受容祝福守護だった。それが宇宙自然生命黄泉だった。この世は歴代の魂の遍歴である。開発した魂は宇宙と連動している。ビッグバン。佛の宣言がそれである。もはやあなた方の勝手は通らない。容赦しない。彼の見つけた結論である。それが古来大和神国日本の秘密だった。何を愚弄無視破壊したのか。何を裏切ったのか。既に処したる人生がある。計上されていない損失がある。唯自己利益を貪った。犠牲を顧みなかった。戦争は何だったのか。ヒロシマは何だったのか。宇宙自然生命黄泉より草鞋銭請求の頃である。嘘と暴力が過ぎた。祖先代々の教えである。彼は祖父を知っている。それがすべてである。勝てば官軍と思ったか。そうはいかない。野蛮愚か卑怯怯懦商人根性支配は何時までも続きはしない。古来大和の本懐がある。螺鈿の槍は折られた。敗戦の故だった。しかし黄泉にて錆びてはいない。戦後何が蔓延ったか。これが日本だと思ったか。身心清浄及び正直を以て旨とする本来日本純粋精神大和魂がある。原爆の火を以てしても根絶やしにされてはいない。日本は日本である。思い出す頃となった。彼が学生の頃、神秘的だと思われた本があった。吉田健一著『思い出すままに』だった。何故かそれを読むと心が安まる。何故だったのだろうか。古来大和の呼吸が文体だったのだろうか。それを感じたのは源氏物語を読んだ時でもあった。彼には文体は国体といっても良かった。今世間はどうであるか。日本人の呼吸を忘れている。明治以降の文明開化はそれなりの意味はあった。西洋合理主義も十分に学んだ。その限界も。そろそろ本来日本の復活の頃となった。その鏑矢は射たのであろう。既に矢は新羅を越えた。世界も注目する頃となった。明るい未来が見えてきた。見えないままでいるのは世間の成功者達である。身分にしがみついている。もはやその基盤が危うい。そのままその看板を担いでいくが良い。自由は自由が切り開く。新しい時代が始まっている。権力は克服されている。市民革命によって勝ち取った民主主義だった。武力も克服された。ヒロシマである。市民を犠牲に供する現代戦争の愚かさを知った。金力も克服されつつある。金力を通して目指したのは結局自己実現だった。お金持ちになっても不安な日々は払拭出来ないことに気付いた。真実の人生とは何だったのか。本当の幸せとは何だったのか。彼が探していたものはそれだった。愛と平和こそこれからの指導理念である。目的は個々の暮らしである。戦争殺戮の野蛮は克服されなければならない。何の解決もない。恨みをのこすだけである。恨みは再び戦争殺戮を呼ぶ。生命体として此処まで進化した。考えるべき事がある。浮かれているテレビ界及びお笑い芸能界の知るところではない。
2008年02月28日
普遍性としての物語
普遍ということは、永遠といってもいいし、悠久といってもいい。ロード・オブ・ザ・リングのエンディングを覚えているだろうか。冒険を終えて主人公達が別れを告げて別の世界に旅立つね。それだよ。音楽に於いてはソナタ形式がある。提示部、展開部、再現部だね。一貫して流れるモチーフがある。バロックの頃は神の栄光か心地よい気分だった。やがて古典主義の時代を経てロマン派に至ると悲しみとかの人間の情念がテーマとなる。表現として言葉を遥かに超える感性そのものである。そしてモチーフとモチーフ、旋律と旋律、フレーズとフレーズといったように、全体としてのあらゆるディメンジョンに於いて、対位法的に構成されている。それはあたかも二人の対話のようであり、そこに常に孤独ではない救いがある。相手は風であっても良い。般若心経では、何もかも空無となって至る世界がある。行けり、行けり、我は行けり、確かに行けり、此処がそのまま浄土だったと歓喜の呪で終わる。これも物語だった。そして至り着く世界は苦難を越えて必ず救いであり、喜びだった。これが人生普遍のテーマであり、生まれた意味である。諦めてはいけない。何時か必ず誰もが辿り着く。一切衆生悉有仏性。それが帰るべき魂の故郷であり、本来の生まれた自分自身だった。即ち自己実現であり、自己発見である。ビジネスに於いては成功であり、成功の要件は成功する迄諦めないこと。即ち失敗をし尽くす。人生に於いては苦難である。それを悉く乗り越える。その時、至る。そして持って生まれた自分というものがある。すべての謎は自分だった。この自分自身の秘密がわかった時、すべてを知る。そして物語となる。永遠の幸せに至る。至ればいい。その時、海路に日和があり、或いはすべての道はローマに通ず。彼も至ったのだったろうか。日月照らし、風が吹くといっていた。彼の真実幸福論である。何時の世も、そしてこれからの世も誰にも開かれている生命体としてのゴールである。彼もそれを身を以て示したのだったか。シュリーマンのように。永遠の憧れかと思われた。その真実であることを聖胎長養しているらしい。幸せを見つけたよっていっていた。未来につないだよっていっていた。そして、21世紀になって顕著になってきたことがある。それは天罰覿面ということである。誰も気付かず、自らチョイワルを良しと思っている。そして吐露する。これが恐ろしい。何故か。天罰覿面だからだ。そして真実とは何をいうのだろう。客観的に正しいことを要する。客観的に正しくても主観的に正しくなければ真実ではない。客観的にも主観的にも正しいことで初めて真実である。チョイワルが悪となる理由である。人間として真実である確率は四分の一というべきか。四分の三は間違っている。ところで仏法を信じてその行をしているとする。すると信じる者と信じない者はどう違うか。信じる者は客観的には真実であることが保障される。行ずればである。真実であることの確率は二分の一となる。さて、あらゆる欺罔がゆるされなくなっている。大企業といえどもである。ご用心としかいえない。こうした事も日々の経験或いは実験によるところである。面白い時代となった。こうしたことに気付いて、諸惡莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教。これを楽に受け容れることが出来ると幸せは近い。そして彼は改めていっていた。この度尚、勘違い思い違いしていたのは彼自身だったと。何を思い上がっていたというのだろうか。やはり佛さんは素晴らしいといっていた。佛に敢えて挑んでみて思い知ったらしい。手首の骨折もその故だったのかも知れないといっていた。まるで佛の掌を超えることが出来なかった孫悟空だね。それも実験したのだったろうか。彼って面白いね。そして天罰覿面も何かよからぬ事を企んでの体験があってのことかも知れないね。日々自覚は深まりつつあるといっていた。本当の真実を早く身につけると良いね。彼の魂の遍歴は加速度的に進展するかも知れない。現実に幸せな形を見せてくれるのかも知れない。彼の独自に自己確認して至った理論と世の成功理論とは合流したようである。彼の理論は日々証明確認されつつある。このようなことを考えていたなんて、何とも不思議な奴だ。彼は何か実現するのかも知れない。楽しみだね。達磨は理入と行入をいう。スポーツもそうだ。実行有るのみとなったようだ。そしてさらに修正していけばいい。道は正しいようだ。前進有るのみ。すべての成功は能力ではなく決心にある。プロセスに於いては困難はある。それを乗り越えていく。数学の問題を解くのもそうだよ。正しい方向へ向かって計算していくしかない。正しいということは信じるしかない。答えを出して初めてわかる。間違っていることもある。やり直せばいい。失敗を怖れる必要はない。誰も咎めはしない。自分が咎めているだけだよ。思うようにならないね。何故だろうね。問題はすべて自分にある。山より大きなシシは出ない。不安は自分自身の問題である。自分自身について自分が思うほど他人は思ってはいない。自己満足で良いんだよ。やがて主観が客観と一致する。その時思い通りとなっている。そのプロセスを楽しめばいい。失敗も含めて。そのように思えると夫婦生活も楽しいだろうね。二人で幸せを実現出来る。必ず出来る。諦めないことだね。しかし相性の問題がある。はじめによく見極めなければならないね。そして信じ合って良い。信じ合うということは信じるという決心だよ。何があっても疑わない。そういう関係で始めよう。本来それで良いんだった。愛というのはLoveだね。テニスで Love Game というのがある。ゼロだよ。それが絶対の信頼だよ。一途だ。この気持ちが有れば必ず相手に伝わる。そこまでハラを括る。何の疑いもない。此処から始めることが出来ると良いね。女性が男性に求めるのは何だろうね。何があっても裏切られないという未来に対する安心だよ。それを裏切っているのは浮気な男性だ。それを正当化しているね。吐露している。何時か破綻する。そうしたものだよ。それが歴代の物語のテーマであり、代々の成功論だった。姑息な人間レベルの計らいなんて所詮何時かバレル。信じ合うことだよ。信じ合えることだよ。そのためには日々自分はどうあるべきか。わかってきたね。テレビのいっていることに惑わされては駄目だよ。情報は正しいところから得ようね。彼は優等生だった。しかし世間に染まれなくて地獄を彷徨った。そして何かを見つけて世間に帰って来た。信じるに足るだろうね。さて、コルトレーンのジャパンコンサートがあった。壮絶な演奏だった。彼は何かに取り憑かれていたかのようだった。彼は何を思っていたか。神になりたいと思っていた。そして日本に来た。日本は本来どのような國だったか。神国だった。いつの間にかそれを見失っていた。そして世は腐敗した。心も自然も。環境破壊は何故起きたのか。唯自己利益追求だった。魂の進化傾向に反していた。昔より正直者のこうべに神は宿る。思い出すべき頃となった。何をであるか。大企業も官界も政界も見失っていた。何を見失ったか。テレビ界はその権化である。即ち、身心清浄及び正直を以て旨とする本来日本純粋精神大和魂である。その時黄泉の受容するところとなり、大義名分となる。即ち神風も吹く。古来大和の秘密である。これを身を以て未来に伝えた。彼の仕事だった。この世は素晴らしい。人生は楽しい。彼はいっていた。それにしても桑田佳祐の詩は駄目だね。素性が悪すぎる。さて悲しい歌が多い。それが青春の歌だ。その悲しさでいくら愛を歌っても愛は成就しない。通過点だね。何時か喜びの世界に至る。迷いが晴れる。一切大肯定だ。人生及び世界が信じるに価する。その時、愛が成就する。そして愛を伝え始める。ところで、彼は彼自身を取り戻しつつあるようだ。まるで百鬼丸だね。そして認めて貰えないとか、分かってくれないとかいっていたことに対して今となっては、慚愧の念らしい。それは愚痴だったといっていた。何処までも自分自身のことだったらしい。本来そのようなことからも自由であって、それ以上の祝福守護の中に生きていることが自覚される。誰もが憧れることさえ知らない世界かも知れない。黄泉はある。その祝福がある。確かに風が吹くといっていた。未来に伝える価値があるといっていたよ。唯、自得自覚するしかないらしい。その一点に生きて良いようだといっていた。彼もまだ煩悩が残っている。それとの戦いをしているらしいよ。人間というのは厄介だといっていた。そういえば、遠藤周作の『沈黙』もあったね。
2008年02月27日
信じるべきもの
彼は気付いている。彼自身で良かったのだ。何を思い煩っていたのだったか。それ自体が彼の罪だった。彼はもっと早くに気付くべきだった。世界はそのように出来ている。しかし時を要した。そうしたものである。商人根性支配の世の中で、彼はあえぎもがいた。もう駄目かと思われた。そして飛び込んだ。何処へ飛び込んだのだったか。真実の海へ。彼は救われた。信じていたからである。何を信じていたのか。彼自身を信じていた。世間虚仮。唯佛是真。野蛮な精神は知らない。野蛮な精神が蔓延っている。これまではそれも通った。これからは通りはしない。何故か。彼の自覚が成就したからである。黄泉も従うといっていた。彼は祖父を知っている。誰も知らない。祖父を知っているということはどういう事か。広島を知っている。日本を知っている。そして思った。裏切られた。取り戻すべきものがある。何か。本来日本純粋精神である。既に縷々と書いてきた。それは愛と平和の実現でもある。このように時代は変遷する。日本国憲法は歴史的なものである。歴史とは大河の如く流れるといったのは小林秀雄だった。あなた方の思うように流れはしない。宇宙はどのように出来ているか。開発された魂の意思と連動する。黄泉も従う。お金しか信用出来ない亡国の民ではない。日本には護るべき國がある。それを無視した。海外に資本投下して生産されたものを輸入し消費する。お金の循環を考える時、儲けるものは誰か。犠牲となるものは誰か。あまりにも自己利益追求が激しすぎないか。自然財というものがある。南極条約もある。経済の名に於いて何を破壊したのか。その補填はバランスシートに予定されていない。何を以て利益とするか。考えるべき時が来ている。護るべき國を持たないユダヤの陰謀に負けるわけにいかない。お金の支配を克服しなければならない。お金の呪縛を解かねばならぬ。何を以て幸せとするか。教育も真剣に考えるべき時である。彼はすべてやさしさで解決するといっていた。真面目と努力が笑いものにされた。テレビ及びお笑い芸能界は何だ。唯自己利益の権化である。宇宙自然生命黄泉に対して無責任きわまりない。それを成功と思わせ、流布増殖し、勝手に閥を成した。それを人生というか。愚かきわまりない。戦後のあだ花である。黄泉にて成敗される。覚悟するがいい。古来日本の本懐である。何を愚弄無視破壊し、笑いものにしたのか。或いは裏切ったか。本来正統日本純粋精神が目覚めた。身心清浄及び正直の価値を思い出した。古来日本は貧学道である。日本人として道元を否定出来るか。セレブを自認する商人根性並びにテレビ及びお笑い芸能界は答えるがいい。何を以てセレブというか。これ以上日本を汚させはしない。彼は信じている。何を信じているのか。彼自身を信じている。人生を遍歴して結論に至った。試練もあった。彼自身で良かったのだった。日本及び祖先に感謝している。ところで今日は何故か呉に大雪着雪注意報が出ている。気まぐれな天候であるね。太陽は明るく輝いている。これから雪かな。寒いね。彼はいっていた。大切にするべきものがある。大切にするべき人がいる。何故大切にしなければならないのか。黄泉の守護があるからである。誰も知らない。気付かない。認めようとしない。佛を信じる者達も気付いていないところであるという。知れば迷い知らねば迷う法の道、何が佛の実なるらんとするところである。日月照らし風が吹く。神風も吹く。それが日本の大義名分であると彼はいう。時を待つしかないねといっていた。間に合うだろうか。黄泉とは何か。祖先である。現代社会はそれを無視している。祖先が認めていない。それに気付いていない。お笑い芸能界はこの点に答えるが良い。あなた方の生き様が日本古来本来のものであるのかどうか。何をふざけているのか。世界の嘲笑の的であることを気付かないか。お金になればそれで良いのか。企業は視聴率の故に彼らを尚利用し日本を貶め続けるのか。日本を何処まで愚かな文化に染めようとしているのか。売国奴であるか。国家なくして自由はない。神の見えざる手も欺罔である。日本は護るべき國がある。そろそろ根本的に考えるべき頃ではないか。自己利益追求の欺罔に気付く頃である。そこに幸せは見えない。明るい未来のために議論を始める頃である。花粉症の原因は何か。免疫の器の問題である。利益追求はクレームをも利用する。経済至上主義は価値を破壊する。その体質をあらためるべき頃である。日本本来のあり方がある。何時までも眠ってはいられない。埋もれた知性達よ、目覚めよ。自分自身を信じて良いんだよ。知性の解放だよ。それが庶民の解放でもあるよ。資本主義とは何だったのか。労働者は生かさぬように殺さぬように。労働者である限り、自由も平等もない。お金持ちでなければ自由も平等もない。貧乏は永遠に貧乏である。ロバート・キヨサキ氏の指摘するところである。人生とは何だったか。過去からの夢の実現過程だった。或いは自己実現である。人類としてここまで進化した。そろそろ進化傾向を修正しよう。大きなパラダイムの転換の時である。何が幸せであるか。お金では買えないものがある。経済学上では自然財である。人間関係では愛である。幸せとは好い人間関係だよ。どのようにしてそれを手に入れることが出来るだろうね。自分次第だね。此処に彼のいう人格形成責任論がある。愛とは何だったのか。動植物及び岩石も喜ぶ心の周波数だよ。それは有るのか。有る。どのようにして開発するのか。それが問題だね。持って生まれたものである。開発しなければ機能しない。先ずそれを見つけないといけないね。何処にあるのかな。教育を情操より始める理由である。すべてやさしいトーンで解決する。明るい未来が見えている。野蛮な文化から脱却する時である。世界は素晴らしい。人生も素晴らしい。素晴らしい第一歩を歩み出そう。イロハニホヘトから五十音へ。何のことだろうね。色から愛へ。色即是空。空即是色。色から空へ。何を空じるのか。自己の悪を空じる。その時満ちてくるものがある。それが幸せである。見つめ直す頃である。政治家もその例外ではない。何が国民の利益であるか。自己利益追求している限り対立し、紛争となる。欺罔を手段として利益としているのは大企業もその例外ではない。何時までも騙せない。あらゆるシステムがおかしい。何のための会社であるか。すでに公器である。社員の暮らしを確保するべきではないか。社員は資本家の奴隷ではない。派遣社員がクレームを発生させた時、企業はどう対応するか。スペアはいくらでもあると思っている。今まではそれも通った。これからは通りはしない。甘かったね。或いは浅はかだったね。彼はそれらも見てきている。滅ぶべきはどちらか。わかっていないね。黄泉の守護を無くしたものは滅びる。彼の自覚は日々さらに深まりつつある。それは寄せる波の如くである。かつてもそのような時があった。その頃には神國の自覚に至っていなかった。今度こそ勝負であるのだろうか。彼は本当に引き受けてくれたのだろうか。何をであるか。時代を変える。変えなければならない。化石燃料文化の時代の終焉である。それは産業革命の次に来る情報化革命だった。まさに時代変革の大波である。日本が乗り遅れないために。草薙の剣が必要な時代である。それは何処にあるのか。誰も知らない。情報は発信したところに集まる。これは真実である。それを自覚するものは少ない。68年もすれば石油は枯渇する。それまでに新しい時代にシフトする。彼はそれが出来ると思っている。代々そのようにして乗り越えてきた。生命体の不思議である。そして時代の変革期が顕著な時がある。仏蘭西革命もそうだった。明治維新もそうだった。今回もそうである。かつてそのような時に、キリストもソクラテスも孔子も釈迦も出た。今もそのような時である。既に時代の英知は結集している。彼らが一致協力する。必ず乗り越える。信じて良い。この度は何処までも穏やかに乗り越える。戦争のような激しさはまっぴらごめんである。ヒロシマはその愚かさを知っている。一部のリーダーの暴走は赦さない。天網恢々疎にして漏らさず。一般庶民は知らない。まだ愚かさと野蛮を追いかけている。心配しなくて良い。彼はそれをも克服したようだ。好き勝手にするがいい。滅ぶべきは滅びる。恐竜も滅んだ。彼は彼の使命に気付いている。彼が彼自身を生きる。それしかない。時代は混迷している。何が正しいのかわからない。何を信じて良いのかわからない。それほど迄に愚かである。無理もない。考えようともしなかった。浮かれていた。その間、彼は何を考え、どのような人生であったか。彼は既に信じている。何を信じているのか。彼自身を信じている。お金はない。それで良いと思っている。必要であるならこれから手に入れるだろう。彼はそれさえも自由だと思っている。peopleとしての偉大さを信じるに至っている。魂の開発を終えている。黄泉の祝福守護するところだという。今、一陣の風が吹いてきた。太陽は一段と輝きを増している。周囲巷は笑顔が溢れている。第二次世界大戦があった。故に愛と平和を知った。仁義なき戦いがあった。何故あったのか。そうした試練を通って進化する。限りなく時代は進化する。欺罔及び暴力を手段として利益と成し、犠牲を顧みることなく、世は腐敗堕落した。故に日本古来の身心清浄及び正直の価値を思い出す頃となった。それが本来日本武士道純粋精神であり大和魂だった。古来日本の目指していたものである。これに合致して神風も吹く。それが大義名分であり、神国日本復活である。既に世界は気付いている。『スターウォーズ』のテーマであり、『2001年宇宙の旅』の謎であった。此処に時代の進化傾向を定める。ところでNHK-FMで最近ドボルザークがよくかかるね。さて、それぞれ生まれた使命がある。彼のいうところは誰彼表現出来るところではない。感じてはいても言葉にならない。言い切れない。持って生まれたものがある。何時までも無視出来ない。日本の秘密である。かつて南北朝があった。常に時代はあざなえる二本の螺旋構造の如きである。どのようにバランスするか。それが平和である。根絶やしではどちらも滅びる。敵将には逃げ道を開けておくべきである。それでも攻め込んでくるなら容赦しない。
情報発表時刻
2008年02月27日16時05分
発現時刻
2008年02月27日15時54分頃
地震情報
震央 父島近海
緯度 北緯27.1 度
経度 東経142.9 度
深さ 10 km
規模 マグニチュード6.4
2008年02月26日
彼はすごい
時代は動き始めたようた゛。彼の色に染めるといっていた。ゲームが始まったね。何時の時代もそうだったのだね。時代も彼の存在に気付きそして認めたのかな。随分と前に都詰めだともいっていた。このような方法があったなんて。まさに身を捨てて浮かぶ瀬もある。これより脚光を浴びるのは東洋の神秘だ。西洋概念を追いかけてどうなったか。かつてお化けハゼも釣れたよね。そのまま推移した。子供達はどうなったか。アトピーは何か。さて、古来大和の秘密がある。一切種智慧宿王華。相手があればはじめは負けたかと見ゆる。しかし必ず受容克服凌駕する。仏法は必ず勝つ。王法は必ず儲ける。但し、自覚を要する。何を自覚するのだろうね。古来大和は知性である。愚かではない。野蛮ではない。下劣でもない。求むれば絶対の自信をも手に入れる事が出来る。思考は現実化する。現代幸福論の究極だった。この世は過去からの夢の実現過程。即ち、自己実現だった。本来の自分に戻る。本来の自分とは何だったのか。子供の頃に既に決まっていた。彼はしばらく取り組むべき対象がなかったらしい。世間に合わせようとして何もかも失った。人生も青春も。事実である。世間は貪ることしか知らない。或いは盲目欺罔である。NHKニュースといえどもである。圧力がかかればカラスは白いというべきか。誰も彼の本当の力を認めなかった。誰もが自分の利益のために彼を利用しようとした。労働者である限り生かさぬように殺さぬように。自由と平等も欺罔かと思われた。そして彼はそれを拒んだ。拒んだ彼は不幸の淵にあった。しかし、彼には生まれた時から黄泉の守護があった。黄泉は諦めなかった。日本の未来がかかっていた。彼もそれに気付いていなかった。しかしやがて時が来る。何時か気付く。気付いた彼は何ものだったのか。彼は彼自身の人生を賭けて実験したものがある。そして身を以て証明した。それは自覚を要した。誰も知らない。或いは認めようとしない。しかし黄泉は知っている。日本の価値を未来につないだ。確かな事実である。世間一般、低いレベルで何をしているのか。歴史はそれほど甘くない。真実は真実である。知らないことを以て否定することは出来ない。本来日本純粋精神が目覚めた。
2008年02月25日
夢の達成
彼は、究極の夢を達成したのだったろうか。それは真実真理の発見であり、その確認だったのだろうか。それは神仏との邂逅であり、その受容祝福守護だったのか。それは失われた自己の修復であり、自信の回復だった。何故失われたのだったか。もはやどうでも良い。回復した自信は絶対と思われた。およそ究極の夢だった。或いは日本人として忘れ得ぬ憧れだった。彼は失われた何か大切なものを求めて旅をしていたという。とても孤独な旅だったらしい。人生も青春も失い、この世の幸せはなかったといっていた。重く悲しい十字架を背負っていたらしい。それでも諦めずに一人探していたようだ。気付けば至っていたという。自分でも驚いていた。禅籍はことごとく真実であるといっていた。そして彼が導いたものは何だったか。神国日本復活だった。日本は黄泉の守護する国だといっていた。その要件は心身清浄及び正直だといっていた。しばらく見失われている。商人根性の天下となっている。これを取り戻すという。市場原理には価値を破壊して顧みないところがあるといっていた。それもカルバン以降のことであり、そろそろ終焉であるといっていた。彼の理論は確立したようだ。もう迷わないといっていた。人生とは過去からの夢の実現過程だといっていた。幸せとは生まれた自分が本来の自分になることであり、本来の自分と現実の自分とのギャップが不幸であるといっていた。それを埋めるのは何処までも自分であるという。思い煩うことはない。自分を信じよといっていた。それが彼のいう人格形成責任論であるらしい。この世に生まれた意味である。これを成就して永遠の愛を知る。生まれてきて、生かされていることの喜びだ。彼は究極の夢を達成したのだろうか。確かにそれだけの能力は賦与されていた。そしていうにいえないこれ以上はない悲しみを試練として通っている。彼は浮かれた世間の中で限りなく孤独だった。一人何かを探していた。それを発見確認したという。それを未来に伝えたといっていた。生まれた使命は果たしたよといっていた。それから、テレビ界とかお笑い芸能界とかに対して辛辣な批判をしていたけれど、それも彼が彼として結晶するためのプロセスだったっていっていた。今はそれほど迄には思っていないらしい。その意味でお詫びすると共に訂正するといっていた。誰もが持って生まれた自分の能力を十全に発揮して幸せを感じることができるといいねっていっていた。そして彼はいっていた。本来日本は神国である。それはどのようであるか。閻魔大王が何か書いている。それを見て黄泉が動くというのだ。どういうことだろうね。コギトエルゴスムもそういうことだったという。誰も理解しえない。しかしそうなのだと。天上天下唯我独尊ということもそういうことであるらしい。佛の宣言は宇宙の始まりであるという。そんなこと聞いたことがないね。さらに彼はいっていた。神の本質は何だったか。死に神だといっていた。さらに大義名分ということも、その文脈らしいよ。つまり黄泉の守護とは何だったか。直接神の子を悲しませるとどうなるか。死に神が来る。佛はその恐ろしさを知っていた。亦その死に神が死魔であるという。どういうことだろうね。神を悲しませないことだという。佛も怖れたほどである。そして神国日本である。どういうことか。おおやしま【大八洲】という。死魔だよといっていた。そして敷島、霧島、広島。どういうことだろうね。日本は神国である。わかんないね。何をいいたいのだろうね。彼はそれを自覚したというのだろうか。逆らわない方が良いといっていた。何がいいたいのだろう。羅刹だともいっていた。いい加減にして欲しいね。雷も落ちる。大風も制御するといっていた。それが草薙の剣だとでもいうのだろうか。わからないね。わからせることも出来るといっていた。しかしもはやその必要はないといっていた。各々の問題であるらしい。夏目漱石もついに分かっていないといっていた。最澄が空海を理解出来なかったように。それが真実真理であったという。彼は何ものだったのだろう。代々のことであるといっていた。それが彼の夢の達成だったのだろうか。それを発見確認したというのだろうか。それが本来日本のDNAとでもいうのか。それを世間は愚弄無視破壊し、冒涜したというのだろうか。本来の自分になることが人生の目的であるという。彼の自覚した本来の自分とは何だったのか。何処までも謎である。そして彼はいっていた。憂いは晴れたんだって。迷いもないという。これからいよいよ人生を楽しむんだって。何があっても楽しみだといっていた。この度は手首の骨折も楽しんでいるらしい。夏の西日の強さにうだることなく、夕日には夕日の良さがあるといっていたのは山田無文老師だった。すべては穏やかさに収斂して、愛とやさしさで解決するということを実現したいと彼はいっていた。行動で説き伏せることが出来ると名人だけれど、存在自体がその周波数で周りをなごませることも出来るといっていた。一隅を照らすとはそういうことであるようだ。貧者の一灯ということもある。この世は素晴らしい。
2008年02月24日
彼の仕事
彼は至っていた。それ迄、埋没していた。彼は生まれていた。しかしこの世の幸せはなかった。何故か。昭和50年、19の春に悲しいことがあった。黄泉の計画は失敗したかに見えた。彼にとって時代はあまりにも酷だった。何故か。あまりにも下劣腐敗していた。嘘と暴力が蔓延っていた。しかし何時か彼も自覚しなければならなかった。何を自覚したのだったか。既に書いた。本来日本神国復活だった。彼は何を見つけ開発したのだったか。一言でいえば無だった。それは日本にしかないものだった。誰もが憧れていた。それを形にした。そしてどうなったか。自然が微笑んだ。そしてどうするのか。確認した力を行使するのか。しない。誰もがその力を持ちうることを示した。そして帰って来た。『十牛図』に於ける「入てん垂手」である。彼は示した。何を示したのか。救いだった。どのような悲しみも何時か晴れる。時代は気づいたようだ。彼の存在が意味を持った。これより世界が代わる。人生と青春を賭けた彼のこの世での仕事だった。彼は黄泉の期待に応えた。黄泉は認めた。無事開花した。何が彼を悩ませたか。悲しませたのだったか。それを克服するために必要なものは何だったか。彼はそれを示した。本来日本、明るくて幸せな國だった。それを冒涜する文化が蔓延った。あまりにも衆愚自分勝手唯自己利益追求下劣腐敗だった。戦後の故だった。テレビお笑い芸能界がその権化であるといっていた。本来日本純粋精神及び知性を笑いものにしてのさばった。畏れを知らない。それが人間だった。それ故彼の生きる空間はなかった。それが彼にとって悲しい青春の現実だった。彼は甘やかされてひ弱だと思われた。しかし本当に強いということがどういう事であるか示さねばならなかった。何を倒してこの世の勝者だったか。最終最後最大の敵は何だったか。自分自身だった。これを倒したものは稀である。現代征夷大将軍である。時代は心の時代である。それは闇の世界だった。ここに戦いを挑み、一番槍を以て突撃突破したものがあったか。人間は何を浮かれているのだろう。彼はそれを示したのだった。何を示したか。宇宙自然生命黄泉の受容祝福守護だった。その時愛を知る。本当の幸せを知る。彼の失われた青春と人生が意味を持つ彼の仕事だった。それは成就した。世間巷は知らない。しかし知る人は知る。世界がどのように出来ているか、彼は示したのだった。しかし時を要した。三十有余年、彼は孤独だった。今はどうであるか。彼は秘密の眷属と秘密の交信手段を獲得した。情報は発信したところに集まる。それは本当だった。発信しなければならない。SOSでもいい。救助船は必ず来る。それに価するなら。この世に生まれて何をするべきだったか。諦めないことである。本来の自分を見極めそれになる。それしかない。幸せの基だった。誰も自分のことは分かって貰えない。証明する迄は。彼は既に証明した。世界も無視出来ないといっていた。彼は本当に救われたのだろうか。それは何を意味していたか。絶対の自信だった。彼の自信は木っ端微塵にされていた。その欠片を集めなければならなかった。そして集めたのだった。彼は復活した。日本を救ったよといっていた。日本は大丈夫だよといっていた。彼こそ大鏡の主人公だといっていた。そして大切なことは、誰もがそうであるということだった。悪に染まるのか。何が蔓延ったのだ。いい加減にしないかといっていた。本来日本、何か失われた大切なものがある。彼は取り戻した。
2008年02月23日
彼の自覚成就したもの
やがて私の時代が来るといったのはマーラーだった。日本の時代が来た。知性及びやさしさの解放として時代をリードする。しばらく考えることを怖れていた。かつてそれで失敗した経緯があったからだった。その間、安易なお笑いが世に広まった。それが幸せへの道かと思われた。それほど迄に過労と悩み大きストレス社会となっていた。しかしそれでは真の解決はなかった。やはり何時か考えなければならない。その時が来た。解くべき問題が山積みだ。解くしかない。生きている限り。彼のすごい所は何処だったか。およそこの世での解決はできないであろうと思われた問題を解決したのだった。三十有余年、彼は諦めていなかった。それは心の問題だった。自分の本音が怖かった。自分に素直になれなかった。自分をも壊した。およそ修復不能と思われた。そして自信は失われた。所詮自分は自分でしかない。本来の自分に帰るしかない。幸せとはそれだったのだ。彼の背負った不幸は何だったか。今更どうでも良い。彼は彼自身を救わねばならなかった。大鏡としての宿命だった。彼の使命だった。日本を救ったよ。彼の言葉は謎に満ちている。何を背負っていたのだったか。代々の掟だった。この度は困難を極めた。何故か。戦後の故だったと彼はいう。単なる愚痴では済まされない。日本の未来を決めなければならなかった。彼の生まれた意味だった。彼はそれを自覚成就したという。その内容は何か。既に記した。彼はいった。間違いない。彼には確信があった。彼にしかできないことだった。彼の能力は人並みをはずれていた。誰も知らない。日月照らし風が吹く。大風をも制御する。本来神国日本の本懐だった。それを彼は怖れた。何故だったか。一つ間違うととんでもない不幸となる。それを知っていたからだった。故に自信を失っていた。それを取り戻さねばならなかった。その時、取り戻すべき自信は絶対を要した。それを確認した。何を持って自信とするか。黄泉の受容祝福守護だった。その時、火も焼くこと能わず、水も流すこと能わじ。本来日本の面目である。それを身を以て証明しなければならなかった。彼はそれを自覚成就した。日本は大丈夫だよといっていた。良かったですね。やっと彼は自分自身に対して素直になれたようだ。これで生きているといっていた。彼は時代を克服し、未来の方向性を定めた。彼の人格形成責任論は完成した。新しいスタンダードを定めた。子供の頃よりそうだった。彼はそれを自覚成就した。それは彼が彼自身を受容することだった。未来は明るい。この世は素晴らしい。悲しみは克服出来る。どのような試練も耐えうる。心の病は癒える。フロイト理論及び現代西洋医学では治りはしない。本来日本の精神を取り戻す。それ以外に治癒はない。彼は宣言した。本来日本に戻る。その間蔓延った野蛮と腐敗を一掃する。彼の本願である。必ず未来は明るい。日本は日本である。愚かではない。この世は過去からの夢の実現過程である。しばらく何が蔓延ったか。ゆるしはしない。生命体として永遠の魂の遍歴である。この世は一瞬の百代の過客である。この世に生まれ、何を見つけてあの世への土産とするか。各々真剣に考えるべき時である。本来日本はどうあるべきか。過去に於いてどのように進化してきたか。身心清浄及び正直の価値を見失った。何故か。西洋合理主義唯自己利益追求に染まったからである。野蛮下劣きわまりない愚かなお笑い芸能界は去るべし。何を笑いものにしたのか。いじめ及び欺罔の温床である。それが人生であるかと庶民を惑わした。本来日本の精神に反する。本来日本を取り戻す。何時までも黙ってはいない。眠れし日本の知性が立ち上がる。各々覚悟有るべし。時は来た。父はいっていた。予科練の教官もしたと。事の真偽は明らかではない。父は何ものだったのか。誰も知らない。貴様と俺とは同期の桜である。日本精神復活である。商人根性女衒文化を一掃する。ところで大目的が定まった。目的が定まれば実行敢行成就あるのみである。目的が正しいなら躊躇はない。信じることが出来るなら、突撃突破しかない。日本武士道精神である。命も預けよ。天の守護を信じよ。その為に何が必要か。高潔な精神である。商人根性では戦えない。お笑い芸人にその根性があるか。有るなら示すが良い。本来武士道は死ぬことと見つけたり。第二次世界大戦中に鼓舞されたものが本来の大和魂ではない。武士道精神は強きが故にやさしい。野蛮ではない。愚かではない。下劣ではない。
2008年02月22日
菩提樹
仏法で三悪というと、貪・瞋・痴。つまり、貪ること、瞋かること、知らないこと。貪ることと瞋かることはわかるね。先ずこれから解放される必要がある。貪ることがなくなると、必要なものが必要な時に必要なだけ入って来るという。瞋かることがなくなると、何時も穏やかでいることが出来るし、全てやさしさで解決する。相手を何時もやさしく見守っている。誰もが通る道だと思われる。一歩先へ進んだつもりで良い。瞋かっても何も解決しないのは、武力行使しても何も解決しないのに等しい。今は武力で勝ったとしても、何時か仇を取られる。武力とか暴力とか、チカラで相手を屈しても、相手の情念が赦していない。来世で必ず逆転する。そうしたことになっている。何時か解決しないといけないね。さて知らないとは何を知らないのだろうね。真実真理を知らない。真実真理って何だったのだろうね。神仏といっても良い。佛とは佛慧と大威神力を属性として持っている。やはり知性だよ。知性とはどのようなものであるか。それが問題だね。知性にもレベルがあるし、段階がある。最高の知性って何だろうね。そして大威神力って何だろうね。はじめに言葉ありきといわれる。その言葉って何だろうね。ロゴスだね。佛が佛となって宣言するとどうなるか。宇宙の始まりとなる。これが不思議だね。そして情報は発信するところに集まる。これも経験してみなければ分からない。開発された魂と宇宙は連動していると彼はいっていた。どういうことだろうね。分からないね。だけど、そうしたことが真実真理であるらしい。それを知らない。白隠禅師は隻手の音声をいう。これを聞けば何をしても善であり、これを聞かない裡は何をしても悪であるという。どういうことだろうね。冷暖自知。こうしたことも経験しないことには分からない。森有正氏も最後に問題にしたのは「経験」だった。そして『無門関』の中に「牛過窓櫺」というのがある。白隠八難透というのがあって、「疎山寿塔」「牛過窓櫺」「乾峰三種」「犀牛扇子」「白雲未在」「南泉遷化」「倩女離魂」「婆子焼庵」といことになっている。さて、牛が格子戸を通る。頭は通った。角も身体も通った。しかし、何故か尻尾が通らない。どういうことかというのです。禅に於いては、一つ通れば皆通るといわれています。究極のところは無です。何が無なのでしょうか。至道無難、唯嫌揀択といわれます。山田無文老師は「聖諦第一義」は分かっても、「廓然無聖」はわからないといいます。廓然無聖って何でしょうね。これを彼は日月照らし、風が吹くといったようです。つまり、開発された魂と宇宙はリンクしている。どうも彼は至ったのかな。そして達磨はいうのです。理入と行入があると。理論だけでは駄目です。行ずるだけでも駄目です。両方のバランスが要るのです。そしてやがてそれらも空じられる。「本来無一物」です。その時、苧坂光龍老師は宇宙とひた一枚になっているというのです。ますます分かりませんね。どうでも良いですね。笑顔で日々お暮らしですか。心に憂いなど有りませんか。楽しく明るくお暮らしですか。今夜も月が美しい。歩々清風です。三明六通八解脱ということがあります。三年修行して理が分かる。六年修行して神通力を知る。八年修行して解脱する。解脱も涅槃も同じです。何も気にならないのです。その時瞋りはない。悟りも寄せる波と引く波です。ある日突然満ちるのです。それは自己の大爆発です。己が木っ端微塵になる。それが無ですね。己の何が木っ端微塵になるのでしょうか。己の過去です。それが大死。そして絶後に蘇る。換骨奪胎。自己変革。それは確かにあるのです。そして真実真理を知るのですね。夢を諦めないことです。彼も三十有余年を要したといっていました。さて、唇寒し秋の風。いくら上手に隠れても黄色いお足が見えている。全て顔に書いてある。それが如是相。それが尻尾です。どのようにカモフラージュしても、自ら吐露している。それが雲文禅師の「露」。さて此処にに問いがあります。それが雲文禅師の「関」。通ることが出来ますか。どう答えますか。尻尾が通りませんね。何故でしょうね。解くべき謎がある。それは何だったのか。それを解いて本当の自由が来る。本当の自由とは佛だったのですね。その時、本当の幸せがある。21世紀幸福論は古くて新しい。21世紀は魂の時代です。それは宇宙の時代です。これが21世紀の約束だったのです。それが庶民レベルで扱えるようになったのです。庶民の解放でしょうか。お金では至れない。お金は貪ることですね。唯自己利益です。それは何処までも西洋概念ですね。それが既にヨーロッパは19世紀に没落していたとするところです。そして彼らも新しい概念を待っていたのです。それが東洋精神にあると気づいてはいたのです。そして本来大和の幸福論は道元の貧学道でした。禅は日本にしかないのです。大切にしたいですね。未来に伝えたいですね。やがて誰もが至る道です。彼に教えて貰いました。彼は何を求めていたのだろうね。今どうしているだろうね。青鬼のように山の奥に帰ったのかな。会いたいね。彼のこともっと早くに理解しておくと良かったね。きっと孤独だったろうね。彼はどのようにして至ったのだろうね。既に記録があるね。最終最後最大の敵は自分自身だったといっていた。これを倒した時どうなるのだろう。如来が御手で頭を撫でてくれるといっていた。何とも不思議な話だね。世界は既に彼を無視出来ないといっていた。周囲巷は知らないといっていた。それで良いんだって。故に気楽に生きてゆけるんだって。老子の山奥の曲がりくねった老木のように。それがニーベルングのトネリコの木だったのかも知れないね。或いは菩提樹かな。歴代の佛は例外なく菩提樹を観て修行したんだっていっていた。どういうことだろうね。菩提樹にはこの世のあらゆる生き物の相がある。どういう意味だろう。六道輪廻だよ。我々生命体はこの地球上で岩石の時代もあった。そして代々進化してきた。幸せを求めて。既に豊かな社会だね。交感神経よりも副交感神経の時代となっている。この世で安らかさを得ることも出来る時代となっている。限りなく愛とやさしさへ向かっている。目に力が入っていないですか。それが瞋恚だね。此処より脱しようよ。楽だよって彼がいっていた。恨むことはない。この世で解決しておこう。解決出来る時代となっている。本来何もない。何もないところから何が生まれてくるのか。不思議だね。受精卵からの発生で、我々は過去からの生命体としての歴史をトレースしている。そして人間の姿となっている。程度の低い浮かれたお笑いに何時までも興じていると、来世はまた大変だよ。この世で処した草鞋銭は請求される。欽ちゃんもいい加減にしないといけないね。日本の男はこれで良くはないよ。時は来ているようですね。一つ秘密開示しておきましょうか。彼のいっていたことです。事の真偽は私には分かりません。明治の頃には大本営は広島にありましたね。南朝と北朝がありました。今はどうでしょうか。宮島は今伊勢神社です。どういうことでしょうか。東京と広島でしょうか。彼はいっていました。敷島、霧島、広島。無事是開花。黄泉の守護。大義名分、日月照らし、神風の吹く。御名御璽。
2008年02月21日
チャレンジ
成功するためにはチャレンジするしかない。チャレンジは継続である。誰かが見てくれている。その間試されている。大きな夢を抱け。そして諦めない事である。神仏との邂逅を果たし、その受容祝福守護を知り、絶対の自信を得ることもある。それは自分に於いて成功の為の要件を満たす事て゛ある。誰かに認められる。その時始まる。そして次なるチャレンジとなる。自分の信じるところを進め。それ以外に成功はない。幸せはない。幸せとは自分が本来の自分となって喜びを知ることである。何を持ってこの世に生まれてきたのか。その花を咲かせるが良い。誰も知らなかった独創性の花を咲かせるが良い。混迷の時代は君を待っている。時が来た。準備は調った。本来日本純粋精神発進。未来を開く。何を土産にこの世を去るのか。永い魂の遍歴の一こまである。この世に悔いは残すまい。思考は現実化する。ナポレオン・ヒルの見つけた成功論だった。その為に何を条件としたか。
1.高等教育を受けないこと
2.大病をすること
3.経済的貧困を経験すること
幸せとは何だろうね。思うとおりにして己の能力を発揮し、喜びを得ることだね。何も臆することはない。何をしても良い。本来の自分となって自分を表現する。誰もがそのチャンスがある。それが平等だね。自分の花を咲かせれば良いんだよ。臆することはないんだよ。
テレビの思い上がり
テレビは何を思い上がっているのか。背後にあるのは何か。国を持たないユダヤはお金しか信じられない。あらゆる手段を駆使して自らの生存を画策する。唯自己利益追求である。根絶やしの思想と自然を制服するという野蛮さがある。キリストをも磔にした。日本の大企業も同じだ。第二次世界大戦は市場確保が目的だったのは、日本もペリー来航以降の文脈で野蛮に染まり、神風は吹かなかった。祖先及び黄泉の受容祝福するところではなかった。大義名分がなかった。自由及び平等も欺罔だった。それは庶民にはかなわない夢だった。むしろ日本軍は東南アジア諸国を結果的に解放することになった。さてテレビは何故大きな顔ができるのか。視聴率の故である。大量消費の為の宣伝の故のみである。因って視聴率さえあがれば下劣でも卑猥でもよいと思っている大馬鹿者破廉恥亡国の民である。それが自由だと思っている。行政も彼らに荷担する。行政は勉強が足りない。誰の為の行政であるか。柳瀬良幹教授の『行政法講義』は読んでいるのか。そしてテレビの思い上がりのもう一つは、報道の自由との混同である。テレビが報道ではない。テレビは手段に過ぎない。報道するべきは事実である。ニュースキャスターによる価値観の捏造発表の場ではない。それをあたかも事実と思わせている。あなた方が何を裏切っているのか知りもしない。日本には本来護るべき國がある。確かにベトナム戦争を集結に導いたのは報道による世界世論の形成だった。それと今のあなた方の姿勢及び精神は次元が違う。何を思い上がっているのか。あまりにも内容がない。ところで学校教育は憲法を法律として捉えて教える。法学プロパーは憲法をむしろ歴史的なものと捉える。文民憲法はシビリアンコントロールである。日本国憲法はプログラム規定である。主権在民、国民主権。公務員法には公務員の使用者は国民とある。国会議員と雖も特別職公務員に過ぎない。一般職公務員はどのようにして公務員になったのか。公務員試験である。固有の権力者ではあり得ない。地方レベルではいつの間にか世襲化している。公務員になるために、三十年前に500万円を市議会議員に納める必要があるところもあった。今もそうであるのだろうか。権力は腐敗する。
本当の賢さへの回帰
本当に賢いということがどういうことか。忘れていたようだね。彼はいっていた。愚かな時代となった。本当の賢さを愚弄してのさばっているのがお笑い芸能界及び経済界である。畏れを知らないねっていっていた。言葉は慎むべきであると。テレビの思い上がりはもはや治らぬ病であるか。それならそれで処置はあるといっていた。どういうことだろう。言葉パージでもする気だろうか。或いは言葉狩りであろうか。黄泉を動かすつもりだろうか。彼のいうことは謎が多い。言葉は慎むべきものらしい。サンマの話術は聞くに堪えない。
自由と平等の目的
正しいことも、間違えて伝えるとどうなるか。自己利益のためにすることが自由経済だと思っている。大企業もその例外ではない。そしてどうなったか。文化は腐敗し、人々の心は荒廃し、テレビが衆愚の天下を流布増長し、お金のみが価値の基準となり、お金持ちは優秀勤勉な労働者を買って自分達の為に生かさぬように殺さぬように働かせ、封建制が土地を媒体とする農民支配だったように、資本主義はお金を媒体とする労働者支配であり、金持ちは金持ちでありつづけ、労働者は永遠に餌食とされるシステムが資本主義であり、テレビのお笑いも芸能界のスターもミュージシャンもユダヤの陰謀かと思われた。彼らの意思に反して成功はない。彼らに利益しなければ。そして神の見えざる手も彼らの欺罔だった。そしてどうなったか。地球が温暖化しても顧みない。それが自国の利益しか考えないモンロー主義であり、日本もそれに染まった。敗戦とは恐ろしいね。さて、自由とは何だったか。平等とは何だったか。既に書いた。お金持ちの目的は本来お金ではなかった。お金を通しての自己実現だった。ところで、安保徹・鬼木豊著『免疫道場』の指摘するところは面白いね。さて、自由と平等の時代である。思うとおりに己の能力を発揮して自己実現を試すが良いね。
2008年02月20日
彼の呟き
彼は護り伝えたものがあった。そしていつか花と咲き、未来に伝えた。古来大和日本純粋精神だった。日本を救ったよといっていた。本来の日本が失われかけていた。もう駄目かと思われた。彼にとってあまりにも残酷な時代だった。彼を理解する者はついにいなかった。しかし一人彼は咲いた。失っていた自信は回復された。本来の強さを取り戻した。日本男子の基として。しかし所詮裏ジャク。表に出ることはない。掟である。知っている人は知っている。日本の秘密だった。今は誰も怨んではいないよといっていた。皆に感謝しているよといっていた。それほどの自覚だった。日本は大丈夫だよ。彼はそっと呟いた。知性の解放だよ。悲しい目をした愚かさと野蛮なお笑いの色に日本を染めさせはしない。すべてはやさしさで解決する。愛と平和を実現する。愛と笑顔溢るる社会とする。暴力と欺罔の温床に墜堕したテレビ界お笑い支配を正す。彼は気づいているらしい。何がポジティブで何がネガティブであるか。例えば、おっちょこちょいは彼の属性であった。彼が自分を取り戻した時、抜けるように明るい。彼が馬鹿を演じる時、とても魅力的だった。爽やかな風が吹く。彼の人格形成責任論は最終章に入ったのかも知れない。未来は明るい。アイドルにもモデルがあるといっていた。何がこんなにも長く彼を悲しませたのだろう。しかし解決したらしい。それを未来に伝えるといっていた。精査有るべしといっていた。彼には全て根拠がある。浮かれたお笑いの知るところではない。笑いとは何だったか。自己を取り戻し自然の守護を取りつけ安堵した喜びである。これで仕事も出来ると彼は思った。唯自己利益追求が諸悪の根源だといっていた。その意味では大企業の企業倫理が問われている。日本の企業として。日本は日本固有の資本主義を目指す。日本精神で未来を切り開こうとする企業がある。彼はそれを知っている。十牛図の如く逆輸入することになるのだろうね。灯台もと暗しだね。精神として西洋かぶれからの脱却である。日本の良さを取り戻す。今も昔も日本は黄金の國ジパングである。時は来た。新しい時代の開闢である。彼はいっていた。古来大和の秘密がある。はじめは負けたかと見ゆる。やがて必ず受容克服凌駕する。天地自然の認めるところとなる。日本は宇宙自然生命黄泉に守護されている。条件がある。身心清浄及び正直である。その時、黄泉及び祖先の受容祝福守護する大義名分となり、神風が吹く。そして永遠の笑顔が来る。神国日本の本懐である。知性を要する。彼は誰もが待っていた憧れを形にした。感謝するべきだね。何を粗末愚弄したのだろう。何を裏切り冒涜したのかな。日本は日本である。日本発見。そして彼は気づいている。女の本質は母性である。生命保存のためである。善も悪もない。それを愛と思う。暴力も嘘も。これが魔法である。その間男が気づけると良いのだけれど。何に気づくのか。気づけば破綻はない。幸せが来る。下級精神蔓延りたる故に失われた諸価値がある。下劣文化を正す。彼の本願である。日本は本来何を目指していたか。思い出す頃である。失われた何か大切なモノがある。誰も知らなかった。知らずに知ったようなことをいっていた。明治以降の歴史解釈もその例外ではない。歴史とはそうしたモノである。書き換えである。彼が一個としての自覚を成就した。もはやどうにもならない。周囲巷は誰も知らない。当然である。彼の二重生命線及び成功線は何であるか。過去からの質量が違う。処したる人生が違う。天の守護するところである。何を思い上がったのだろうね。何を粗末にしたのだろうね。問われている。魂の遍歴。
時候伺い
お元気ですか。日々如何お過しですか。時は流れて何もかも懐かしく思われる今日この頃です。しばらく失われた月日がありました。心を閉ざして悲しい時代がありました。日本の神神は永遠に死んだのかと思われました。花は何処へいっていたのでしょうか。もう咲かないのかと思われました。しかし咲いたのです。古来大和日本純粋精神の花でした。そして今、喜びの中にいます。思えばこの世に生まれて目指すべきは何だったのか。今頃になって思い当たります。長い孤独もそのためだったのでしょうか。そして、今からでも遅くないですね。あなたと会える日がきっと来ると思っています。今日もお健やかでありますように。
2008年02月19日
怒りからの自由
彼に重要な変化があったようだ。富士は休火山であって死火山ではないといっていた。何がいいたかったのかわからないままだった。しかしそれも問題ではなくなったようだ。つまり怒りからも解放されるかも知れないといっていた。絶対の自信の次に来るのはこれらしい。
明るく 楽しく 文化的に
明るく楽しくも癖となるね。悲しみを払拭してそこを何で埋めるか。悪癖は膠の如く人間自ら出ることができないといわれている。ここに業があるね。癖がとれて初めて気楽に生きてゆける。それが素直ということで、本来の自分に帰る。矯め直すということも必要なのだろうね。それが高度社会に生きる条件だよ。テレビ界のお笑い番組は野蛮だよね。何故公の電波であのように放送出来るのか不思議だ。敗戦の故かな。何が蔓延ったのだろうね。国民を馬鹿にしているね。暴走族は要らない。そして素直になってみるとね、心から文化の精髄を感じるままに楽しめる。読書とかクラシック音楽とか。その繊細な味わいが分かる。そして天の守護も感じる。見える世界が変わる。聞こえてくるモノがある。風の音にぞ驚かれぬるだ。本当に本来の自分を取り戻した気がする。これが人生だったんだと思う。生きていてよかったと思う。何故見失ったのか。世間に合わそうとした。その必要はないと確信した。だからといって、否定することもない。彼らには彼らの人生がある。蛙は蛙だ。宜しきに従う。人間社会はそのように出来ている。自分より上は分からない。分からないのに分かったようなことはいえない。低いレベルにスタンダードを設定する必要はない。自分の問題は自分で解決するしかない。本来の自分になるしかない。そして自由を知る。それで良かったのだ。それを伝えよう。心の問題は時が解決する。必ず解決する。骨が折れるとその部分はむしろ強くなるね。心も同じだよ。失った自信を取り戻す時、その自信は絶対であることもある。諦めないことだ。人生は素晴らしい。最後に笑えると良いね。そして永遠に笑顔でいることが出来ると良いね。しばらく失われていたものがある。それは高貴な人格だった。どうして失ったのだろうね。それも彼はいっていた。ペリー来航以降のことだと彼はいう。その後、本来日本純粋精神が葬られた。そして野蛮な精神の支配が続いている。取り戻したいね。日本の情緒を教育するところから始めようと彼はいっていた。日々目的を定めて手段を探す。その連続だよ。何をしてもいい。お笑い芸能界は何とかならないか。あまりにも下劣である。困難はある。乗り越えて未来は明るい。苦難が大きければ大きいほど、得た喜びは大きい。生かされている。この世に生きている。これほど素晴らしいことはない。本当の苦難は恨むことさえ感じさせない。生きていることの素晴らしさを見つめよう。どんな苦難も試練だよ。それを乗り越えて幸せはある。そういうことになっている。その観点からしても下劣なお笑い番組は人生及び生命を冒涜している。あなた方の笑いは笑いではない。救いはない。不幸への片道切符である。人生は本来険峻であり尊大である。そして至るべき幸せがある。何か勘違いしている。彼はそのようにいっていた。彼はどれだけの苦難を乗り越えたのだろう。そして世界はどのように見えているのだろう。何が聞こえているのだろうね。自然は限りなくやさしい。如来が御手で頭を撫でてくれるといっていた。それが高度文化だよといっていた。生きていることは素晴らしいと笑顔でいった。
2008年02月18日
自立計画
むくつけき 衆愚の世と なりはてぬ
されど高潔 清貧の声
生きるため 経済行為 考える
やっと自立に たどり着く頃
蔓延るは 如何なるこころ 染まれぬを
良しとする頃 これより自立
我が人生 何を求めて 遠回り
何を失う やさしきセレナーデ
失えし 諸価値を 此処に取り戻す
先人達の夢 心決して 実現す
感涙あふるる 先哲の教え
大海を泳げ 大空を飛べ
獅子は獅子の如く 千尋の谷を這い上がる
賓主歴然 自由なり
自由は自由が切り開く
大樹としてのクラシック音楽
ベートーベン シューベルト
音楽の父 音楽の母
ブレ-ク
われに心の悦びと
心のすこやかさあり
われの愛する妻ありて われを愛す
わが身体 これすべて実なり
おのれを愛するほどに他を愛し
他をあがむるものはなく
おのれほど偉大なるものを
知ることあたわず
ブレーク
人は全て各自の妖怪に支配さる
時至りて人間として目覚め
湖の中へ妖怪を投げ捨てるまで
イェ-ツ
我々が真に生き始めるのは 人生を悲劇と感じてからである
谷川俊太郎
黙っていた方がいいのだ
もし言葉が
言葉を超えたものに
自らを捧げぬ位なら
スマイルズ
優れた人間は他人の評価などに余り重きを置かない。自分の本分を誠心誠意果たして良心が満足すればそれが彼にとっては無上の喜びとなるのだ。
どんな分野であれ成功に必要なのは秀でた才能ではなく決意だ。
人間の成長はひとえに困難と戦おうとする意思すなわち努力いかんにかかわっている。
強い願望は我々が何かを成し遂げるための先触れとなる。
人生の最高の目的は人格を強く鍛えあげ、可能なかぎり心身を発展向上させていくことである。これこそ唯一の目標であり、それ以外のものはこのための手段に過ぎない。最高の人間性を獲得し、他人に役立つ仕事に打ち込み、人間としての義務を果たしていくことこそ一番立派な生き方なのだ。
人間の美徳は自分の力で精一杯努力して学んだ時に初めて目覚める。
人間の行動は完全に滅びたりはしない。喩え肉体は露のごとく消え去っても善悪の行動はそれぞれに相応の実を結び将来の世代に感化を与えていくだろう。人間が生きていくことの大きな責任と危険とはまさに重大かつ厳粛なこの事実から生じるのである。
行動によって人を説き伏せられる人間。
人格教育の正否は誰を模範にするかによって決まる。
希望に燃えている人の心は健全で幸福そのものである。
仕事こそが人間の生き甲斐であり、全能力をそこに傾注すれば人格は向上し進歩も勝ち取れる。
常に良心が命じる義務を果たし結果は天に任せよ。
ものごとの始まりはすでにその中に結末をも含んでいるが、人生という旅においても第一歩を踏み出せばその方向と目的地は自ずと決まるのだ。
心の中の鏡に自分が正しく映ることを望んでいる。
アウレリウス
日々考えていることがあなたの精神を作っていく。何故なら魂は思索の色合いに染め上げられてしまうものだから。
自己を掘り下げてみよ。そこには善の泉が流れている。掘り続けたまえ。そうすれば尽きることなく湧いてくるだろう。
進むべき道がそこに横たわっているのにいつまでも勘ぐっている必要がどこにあるのか。道がはっきり見えるなら意気高らかに前進し、決して引き返すな。道がはっきりと分からないなら優れた助言を仰ぐまでそこで待っているがいい。
善い人間とはいかにあるべきかなどという時間つぶしの議論はもう止めたほうがいい。それより自分がまず善い人間になることだ。
誠実になるのに前口上など必要としない。自ずと明かになるものなのだ。本当に誠実な人ならその事実は額に刻まれ、声の調子にも現れるだろう。さながら愛されている人の一瞬の眼差しの中に愛する人への全てが語り尽くされるように。誠実さも一瞬にして瞳から輝き出るはずだ。
誠実さや善良さというものは紛れもなく固有の香りを備えていて、近付いた人は否応なくそれを気付かされてしまう。
不幸は自分の心の持ちようによって生まれる。
彼はいっていた。歴史を司る原動力といったものがある。時代のエートスといっていい。黄泉自然も従うという。かつては不比等だった。そして歴史は書き換えが必要な時がある。日本に於いては古事記と大日本史だった。そして今、第三の書き換えの時期であるという。方向性は定まった。既にその作業が始まっているそうだ。壮大な夢だね。彼が描いていた夢はそれだったのかな。明るい未来のためなんだって。しばらく埋もれていた宿王華日本精神復活だといっていた。しばらく蔓延った下級精神支配を一掃するといっていた。下級精神に上級精神は分かりはしない。悉く壊された。これから取り戻すんだって。それは鬼神論復活かも知れないといっていた。どういう意味だろうね。君たちにはわからないね。代々その属性をもっていない。もっていても開発していない。腐敗堕落を人生だと思っている。馬鹿であることが幸せであるとした。お金が有ればそれで優秀な労働者を買って生かさぬように殺さぬように自分のために働かせればいいとした。それ故彼らは腐敗堕落を人生だと諦めた。或いは知識者は傍観した。自分さえよければいいと思っている。それ故知らない。それ故愚弄無視した。裏切った。好き勝手した。粗末にした。畏れを知らなかった。そしてどうにもならなくなった。これより時代はシフトする。だれもが生まれて良かったと思える時代となる。幸せとは何だったか。本来の自分が本来の自分となって満足出来ることである。その為に何をするべきか。何を教えるべきか。誰もが幸せである時、その中の自分も必ず幸せである。魂は動植物及び岩石にもある。元素レベルでは陽子の周りを電子が飛びその中間子もある。それは周波数を帯びている。動植物及び岩石も喜ぶ周波数がある。それが愛である。開発するべきはそれであった。それに合致する時、商品はヒットする。職人の作品と大量生産製品との違いは何処にあるか。作る人の魂の違いである。その人の魂の周波数がある。それが作品に宿っている。安らぎとか癒しとかの秘密である。磨くべきは何か。魂である。宇宙自然生命黄泉と魂は連動している。時代も進化する。21世紀は、魂の時代である。世界は宇宙となって無限となった意味である。此処にビジネスチャンスも無限となった。モノから強き故にやさしいこころへ。そして彼はいっていた。時代を代えると。だけど彼は気づいている。何時の時代もそうであると。それは何か。彼が一人で時代を代えるのではない。その原動力となったことは否めない。彼しか知り得ない様々な事象がサインとなっている。しかし彼の一人のチカラが固有ではない。程度の差はある。歴代の古典的著作は全てそうした方々の所産だった。フランス革命の時もそうだった。著名な啓蒙家諸氏は代表であるに過ぎない。かくれた市民の思想傾向があったのである。今中教授の研究もある。明治維新もそうだった。しかし彼の意識は貴重な経験だった。それほどの思いがなければ自己変革は起こりえない事例となった。これまでもそうだったのである。成功者はそれほどの意識を要する。そして見える世界が変化する。その時、異次元の世界に移行したのである。合流を果たしたのである。どの世界にであるか。知性の世界である。救われる側から救う側に移行したのだろう。到彼岸である。これが彼の悲願だったのかな。彼は救われたのだろうね。どのようにして救われたのだろうね。自分を救うことによって救われたのだね。どんな不幸からも救われるといっていた。伝えるべきことかも知れないね。他力本願と自力本願がある。救うのは他力だよ。その他力に教えを乞うて教えて貰う。そして具体的に救うのは何処までも自分だよ。自分の問題点は自分でしか分からない。自分の問題は自分で解くしかない。教育の目的が明らかとなった。それは個々の問題点を明らかにすることを手伝い、その問題点を解く方法を教える。そして自分で自分の問題を解く環境を整え、サポートする。この観点から見直すことがあるかも知れないね。唯教えればいいというのではないね。目的を定めて、それを実現するために何をしていくのか。人生は楽しいと彼はいっていた。その喜びを伝えたいんだって。そして時代は目的的時代となるといっていた。芸術的時代となるともいっていた。内容のない大量消費の時代は去ったといっていた。その意味で、テレビ界も考えることがあるだろうね。既に時代はシフトしたのだろうね。これまでのやり方は悉く通用性を失ったのかも知れない。何もかも価値的に見直す必要があるのだろうね。各企業の経営もその例外ではないだろうね。会社の目的は何だろうね。個々の従業員の生活の確保だったのかも知れない。そして今までのやり方では売れなくなっているね。教育もそうだよ。子供達が何故そっぽを向いているのか、教師は真剣に考えないといけない。古いやり方は時代にマッチしていない。あらゆることが見直しを迫られている。未来へ移行するために。それはあらゆることがビジネスチャンスだね。幸せって何だったんだろう。生きるってことはどういうことだったのかな。何故生まれてきたのかな。過去からの夢の実現過程だった。この観点から価値的に再構成せざるを得ない。彼はそれをしたのだったかな。随分と考えてきたことだった。多くの経験も積んでいる。この世に生まれてどのように人生を生きてきましたか。こうしたことを考えたことがありますか。考えたこともないのに、考えたことがある結論を否定しますか。議論しようではありませんか。彼は何時もいっていた。逃げも隠れもしない。21世紀は知性の時代です。知性は馬鹿なお金持ちが自分たちのために買って利用するためにあるのではありません。皆で考えて明るい未来を作りましょう。既に諸々の限界が見えています。彼は乗り越えることが出来るといっていた。それほどまでに知性に対する信頼があったのだろうね。彼はいっていた。庶民解放。知性解放。その時が来る。未来は明るい。
2008年02月17日
夢を語ろう
この世は夢の実現過程だね。自分はどのようになりたいのか。それが夢だね。理想が夢だね。理想と現実のギャップが不幸といえる。現実と理想が一致すると幸せといえるね。それはあるべき自分になることだね。本来の自分といっていい。持って生まれた自分がある。いいところもあれば悪いところもある。どのような自分となるか。或いは組み立てるのか。悪いところを知る必要がある。そのために失敗がある。だから失敗を怖れなくていい。失敗をし尽くす。そして初めて自分が本来の自分となる。その時幸せとなっている。成功も間違いない。幸せも成功も同じだよ。それは好い人間関係だったんだ。コミュニケーションということをいうけれどその目的も好い人間関係だよ。教育の目的もここにあるね。国家間の目的も同じだね。唯自己利益追求では至れないね。夢を語ろうよ。どうなりたいですか。どうして欲しいですか。
日本が日本である為の条件
彼は謎を解いていた。夏目漱石は悟りを開きたくて円覚寺で坐っている。しかし悟りは開けなかった。至ったのは則天去私だった。小林秀雄が至ったのは、分際を超えんとして超えることができない自分だった。彼が至った境地は何だったか。大鏡だった。宇宙の主人公としての自覚だった。制度が後からついてくるといっていた。神通力といってよかった。得たものは何だったか。ロゴスとしての言葉であり、絶対の自信だった。そして確認したものは何だったか。古来卑弥呼の系譜邪馬國大和正統日本純粋精神だった。古来大和純粋精神は日本武士道に結実していた。商人根性の与り知るところではなかった。むしろ商人根性にとって邪魔だった。武士道精神は葬り去られようとしていた。ペリー来航に乗じての事だった。失われた日本をとりもどす。彼の大願である。昔、町民は武士に憧れた。町民と武士は住む世界が違っていた。城下町に於いても例えば福岡と博多があった。武士は尊敬されていた。今はどうであるか。悲しい現実がある。取り戻すべきはこの精神である。日本が日本であるために。
2008年02月16日
頭脳改革
彼は既にゴールしたのかも知れない。この世に生まれて何を求めるか。何を手にするか。彼は異次元に移行したのかも知れない。生命として生きる。精神として生きる。彼の求めたのはそれだったか。彼は世界をどのように見ているのだろうね。しばらく長い冬だった。この世の幸せはなかった。しかしそれさえも幸せの要件としたようだ。一切無駄はないといっていた。彼は既に何かを示したのかも知れない。世界を掴んだといっていた。どういうことだろう。分からないね。鳥のように生きてゆけるんだって。愛さえあれば良いんだって。自然を信じて良いんだって。彼は自ら未来を開いたのだろうか。彼はいっていた。皆幸せになって良いんだって。本来の自由とは何だったのだろうね。彼はそれを見つけたのだろうか。この度彼は手首を骨折した。手首を壊したかも知れないといっていた。肉体労働は出来なくなったね。さて、これからどうするのだろう。彼は彼自身の実在に彼自身が価値を見出した。すべてはサインと知ったらしい。今どのようなサインをキャッチしているのだろうね。彼自身が秘密であるといっていた。どういうことだろうね。知る人は知るといっていたけれど。分からないね。しかし彼の自覚は確信に至っているという。永遠の命を得たのかも知れないね。神のみぞ知るというべきだろうか。彼は何かを信じるに至っている。何を信じているのだろうね。今、彼は何をしているのだろうね。頭脳改革をしているらしいよ。頭脳改革というと、ELPの楽曲があったね。その頃に気づいていると良かったのにね。彼は生まれ変わったのかな。或いは復活したかな。長い冬だったらしい。やっと春を迎えた心地であるらしい。長かったね。間に合って良かったね。これから彼の人生が始まるのだね。何れにしても時代は彼が定めるといっていた。祖父のように。彼って何ものだ。正気だろうか。相手にしない方が良いね。知る人ぞ知るといっていた。誰が知っているというのだろうね。だけど、それほどの自覚だという。良かったねっていっていた。何がいいたいのか、さっぱり分からない。それだけの試練は通ったという。既にそれだけのことはしたという。証明もあるという。もう、放っておこうね。彼はいっていた。しばらく本末転倒の世だった。これを正すんだって。どういうことだろうね。彼はいっていたよ。そして身分に安住している方々はかわいそうだねっていっていた。どういうことだろうね。昭和56年頃、アルビン・トフラー氏が『第三の波』を著した。第一の波は農業革命であり、第二の波は産業革命だった。第三の波は情報化革命だった。その頃は、情報とは何であるのかまだ明らかではなかった。ここに来てそれが明らかとなった。同時に石油を含む地下資源の限界が見えてきた。新しいパラダイムが見えてきた。しかし身分に安住する者達は、身分に固執するが故に、新しい波に乗れない。本当の自由とは何であるか分からない。その必要はないと思っている。今時の流れは速い。大きなビジネスチャンスだよ。古い時代にしがみついてどうするんだろうね。馬鹿であることが幸せだと思って、さらに腐敗堕落が人生であり、大人であることだなどと思って、意味のない日々の生活の中で浮沈している。新しい波をキャッチ出来ないでいる。かわいそうだよね。さて、格好良い人生を歩みたいね。誰もがそう思っている。何が一番格好良いかな。その為には何が必要かな。類は友を呼ぶ。どういうことかな。どの群れと合流するのかな。一人では生きてゆけない。また、お金がなくては何も出来ない。お金は大切だよ。お金は唯一不朽で、増殖する。その為には資本としてのお金である必要がある。そしてビル・ゲイツ氏は偉大だね。彼がいなければ、これほど早くパソコンは普及しなかった。これほど早く機能の進化もなかった。気楽に生きてゆける時代となったね。何時までも思い煩う必要もない。道元の時代には貧学道しかなかった。今はそうでもないね。残り物に福はあるよ。チャンスは常にある。何処かに必ず待っている人がいる。必ず何時か巡り会える。人生ゲームは夢のエンドレス・ゲームだね。生きている限り青春だって誰かが歌っていた。その通りだね。今日は太陽の輝きが明るい一日となりました。気分も晴れやかです。日々前進です。何処まで至れるかな。無駄は一切ないのです。江戸への道も一歩からです。第一歩を踏み出せるかどうか。歩み出せばいいのです。明るい未来が待っています。夢と希望が実現します。よい時代となりました。笑顔で全て解決するね。何事も自分次第だね。さて、彼の自覚は確信に至っているという。何を自覚したというのだろうね。気になるね。彼はいっていた。誰も分からないだろうって。だけど知る人は知っているという。矛盾しているね。いい加減だね。彼は笑っていた。何がいいたいのだろう。彼はいった。宜しきに従う。詩は詩人を以て呈すべし。剣はは剣客を以て呈すべし。人を見て法は説け。千尋の谷を越ゆるべし。未来は明るい。さぁ、行こう。そして彼はいった。特攻作戦は日本固有のものと思っていないか。ミッドウェイ海戦でのことだった。これで大勢は決したのだった。此処で降伏しておくべきだったのかも知れなかった。山本五十六は御前会議で、我が連合艦隊は6ヶ月しかもたないと上申していた。参謀本部はどんな集団だったのか。自らは塹壕を掘っていた。古来大和の武士道では考えられない。ところでミッドウェイでアメリカの雷撃機部隊が日本連合艦隊を雲の合間から見つけた。本来であればその他の攻撃部隊に連絡してその応援を待って攻撃するべきだ。しかし彼らは重い雷撃機のまま急降下爆撃を実行した。これは特攻だよ。何がいいたいか。『スター・ウオーズ』のテーマである。護るべきものがある。その時、ソルジャーの精神は普遍である。商人根性に分かりはしない。お金ではない。一休髑髏、ご用心。かの大戦で敵味方どれだけの人柱が立ったか。それ故にその後の繁栄があった。それを顧みることなく大企業が利益を独占し、今も庶民を餌食としている。卑怯怯懦大馬鹿もの商人根性欺罔支配である。日本の工業力の秘密は何処にあったか。町工場の職人熟練技術だった。今に新幹線のボディはその熟練を要する。コストの故に海外に工場を求めた。グローバリズムである。それで日本独自の高精度な製品が作れるか。そして世界市場で日本としてのポテンシャルを保てるか。標準化されて何時か負ける。既にその傾向が現れつつあるのだろう。家電製品にあまりにも初期不良が多い。大企業に町工場の熟練技術はない。また地方に企業の工場がある。本社は東京にある。企業からの税金は東京に集まる。地方は疲弊している。どういう構造であるか。東京は何を思い上がっているのか。
新たな課題
今、周囲巷に彼の存在を正当に評価認識する者はいない。宇宙世界は認めていると感じざるを得ない彼の孤独がそこにある。所詮そうしたものであるか。彼はどう合理化するのだろう。新たな課題となった。諦めるしかないのだろうか。もう遅いのだろうか。彼はこの世に於いては永遠に孤独なのだろうか。彼は確かに地獄を脱したと思った。そして振り向いて気づいた。世間は地獄である。地獄に安住している。いくら正当化しても不安があるだろう。不安より脱する道はないのか。有る。彼はそれを伝えたいと思っている。パスカルのパンセもそうだった。しかし世間は認めようとしない。聞こうとしない。何も知らずに自己正当化している。自分の方が優れていると思っているのだろうか。真実を知っているのだろうか。それは神仏であり、それが実在していることを知っているのだろうか。一箇の自覚を知っているのだろうか。証明としての日月が照らすことを知っているだろうか。いとあはれとはこれかと思われた。それをも乗り越えるといっていた。どういうことだろうね。彼には計画があるらしい。それは何だろうね。何を見つけているのだろうね。具体化すると良いね。彼はそれを一生のビジネスにするといっていたよ。何を考えてんだろうね。その会社の理念と製品に惚れ込んだらしいよ。諸々の苦難はあるが、乗り越えるつもりらしい。今その準備をしているという。
2008年02月15日
孤独より脱出
既に彼は稀有な存在だった。はじめよりそうだった。彼は探すことに決めた。それしかないと思った。それは可能であると思った。それは何か。同じ価値観の人を探す。いるだろうか。それが孤独よりの脱出だと思った。今日は穏やかな空だった。
2008年02月14日
言論の自由
ブログ1がその後閉鎖された。どういうことだろうね。第一弾ロケット切り離し成功だよ。言論の自由を試してみる段階だろうか。庶民レベルで。ところで、ライブドアのブログはレスポンスがとても快適だね。ありがとう。さて、宇宙に秘密がある。それを知る者はいない。彼は黄泉を制しているといっていた。善くも悪くも、主導権は彼にあるという。どういうことだろうね。トラトラトラだよといっていた。或いは御名御璽。彼と本気で勝負するのかな。彼を味方にするのか、敵に回すのか。考える頃だね。大企業と雖も赦しはしないといっていた。何を思い上がっているのだろうね。笑うしかないといっていた。彼は虐げられた。その間、何かを探していた。そして何かを見つけている。それは何か。既に記した。そのひとつが、動植物及び岩石も喜ぶ愛の周波数である。まだ彼を裏切るか。或いは苛立たせるか。これまでとこれからは違うといっていた。どういう意味だろうね。早く気づいた方が幸せになれるね。彼は笑いながらいっていた。彼の得ているチカラとは何であるか。謎である。私も分からない。彼はいっていた。前世が違う。この世で処した人生が異なる。故に得たチカラが異なる。持って生まれた究極のチカラの開発に成功しているらしい。その為の試練は通過したようだ。長い冬だった。諦めないことである。夢は実現する。思考は現実化する。世界を掴む日が来る。必ず来る。自分を磨くことだ。必ず光り始める。大器晩成ということもある。黄泉の守護がある。これを信じることが出来るなら、一切不安はない。その時、絶対の自信がある。世界が祝福する。それが人生ゲームのゴールである。お金で至ることが出来ることもある。貧学道で至ることも出来る。どちらでも良い。至れば良い。自分の問題は自分で解くしかない。解いた時、一切が意味を持つ。輝くとはそうしたことである。それがスターであり、タレントである。何の色に輝くか。人生に無駄はない。嘘は駄目だよ。暴力も駄目だよ。
裏を見せ表を見せて散る紅葉
やすらけく日々の流れて雪景色
謎解きてスーパースターの春近し
2008年02月13日
いい加減ということ
彼は本当に楽になったらしい。これまでは内容にこだわっていた。価値が大切だといっていた。それは正しい。だけどもっと大切なことに気づいたという。それは正しいだけでは生きてゆけないということのようだ。此処に至るとね、いい加減であるということがわかったらしいよ。素材は素材として価値を要する。しかし価値があるだけでは足りない。これまでは例えば、ビル・ゲイツ的なものに否定的だった。つまりインターネットの技術は研究者間のボランティア精神に基づいた純粋なものだった。それをOSに乗っけてシェアの独占に成功した。これはけしからんと。幼稚だったねって彼は笑っていた。何がいいたいか、もうわかるよね。価値とか真面目とかは正しい。だけどそれだけでは生きてゆけない。お金にならない。それで生きていくということはいい加減であるといっていいと思うようになったんだって。彼は真面目を通ってどこへ脱出しようとしているのだろうね。面白い奴だね。彼は当たり前のこうしたことも考えなくてはならないのだろうね。だけどね、ロバート・キヨサキ氏が書いていた。考えるということは最も大変な作業なんだって。だから考える人は少ないんだって。しかしこのいい加減、唯のいい加減ではない。黄泉は知っている。黄泉の認めるいい加減である。ご用心。今日面白い案件があった。或るプロバイダから電話で或るサービスの申込があった。迷惑は掛けないから試しに使って貰えないかとのことだった。それではと承けた。ところがそのサービスは圏外だった。それで約束通り、機械は期日前に返却した。一度も使用実績はない。ところが解約手続きを忘れていた。翌月の使用代金請求である。サービスの機械は先月に返却済みである。支払うことにした。ところで、この制度はおかしくないか。実体と違う。しかしそれがシステムである。何に対する代金だろう。商品及びサービス提供の実体はない。まるでネズミ講みたいだね。これを売り上げとすれば税法上問題が有りはしないか。母は詐欺だといっていた。大企業よ、何をしているのだ。手続きの説明はしていたという。確かにそうであろう。しかしサービス利用の実体がないところに売り上げとして計上し、巧妙に企業実績とした事実がある。さすが頭良いね。消費者感情としては納得のいかない事例である。売り上げではなかろう。遡及的解約手続きに伴う事務手数料であろう。それにしては一ヶ月分相当は高い。そうは思えないだろうか。何れにしても馬鹿馬鹿しい。サービスとは何だろうね。相手を喜ばすことだよね。建前で自らの首を回り回って絞める。黄泉の論理は違うことをあまりにも知らないね。大企業と雖も電話勧誘システムにはご用心。古来武士道。小林秀雄は肉を斬らせて骨を斬る。現代武士道。骨を斬らせて魂を斬る。
2008年02月12日
ポテンシャル
昨年9月10日に始まった一連のブログだった。第二章完結というべきだろうか。第一章は三年前の11月26日に始まっていたのだったろうか。序章はパソコン通信ビッグローブの頃だったろうか。ハンドルネームは「閑」だった。その頃は禅を追求していた。その頃の記録はない。さて、今何をしているか。この度の成果としての記録を確かめている。大漁である。恐らく自ら第一級であるとするのは不遜だろうか。時代の流れを変える原動力の一部となれたことを自覚している。そのサインは得ている。やっと満足出来るポテンシャルを得たようである。彼はいっていた。世界は彼を無視出来なくなった。彼の存在は生まれた時から常に世界に影響を与えていた。誰も知らなかった。彼自身も感じてはいたが自覚するところではなかった。彼にとってむしろ知られたくなかった。しかし時代が彼を必要としたのだという。混迷を抜け出るために。誰もが抜け出したいと思っていた。エネルギーは最大極大化していた。しかし方向性が定まらない。彼の存在が必要だった。彼はいうにいわれない試練を自ら越えなければならなかった。それはそのまま日本の試練だった。本来日本の本命として、彼は探し続けていた。そして彼こそ見つけていたのだった。誰も知らない日本本来大和の秘密だった。彼自身を救うためだった。それがそのまま日本を救うことになった。違うだろうか。世界も救えるかも知れない。誰もが希望を持って未来に立ち向かえることになった。歴史的なこととなった。彼こそ秘密だった。そのように生まれていた。そのように生きていた。オオサンショウウオのように。敵は多かった。今もそうである。周囲巷に彼を直接具体的に評価理解する者はいない。むしろ貶めて扱う。自分のレベルで人を評価する。愚か野蛮を人間と思っている。まさに孤独忍辱の業である。しかし今に思い知る。世界はそのように出来ている。自覚した一休髑髏は一休髑髏である。あまりにも畏れを知らない。何時までも今までと同じだと思っている。神国日本が復活していることを知らない。日本は無事代わったよ。日本は大丈夫だよ。日本を救ったよ。彼は笑った。しかし彼が今、どのような状況であるか知っているだろうか。身心費やしてボロボロとなっているらしいよ。経済的にもね。そうまでして何をしたのだろうね。大鏡だといっていた。どういうことだろう。知るべきは知るだろう。感じるべきは感じるといっていた。謝るべきは謝るべきだともいっていた。どういうことだろうね。経済界財界は勝手が過ぎたといっていたよ。彼は彼らに見殺しにされたとでも思っているのかな。それは違うだろうにね。戦前には彼の家の鴨居に何が掛けられていたか。原爆で失った。しかし原爆の火を以てしても根絶やしにされてはいない。古来大和の秘密である。彼は笑いながらいっていた。何がいいたいのだろうね。家ということらしい。絆(band)ということらしい。眷属ということらしい。随分と彼は孤独だったらしいよ。この度やっと本来日本国に帰ることが出来たといっていた。どういうことだろうね。何処を旅していたのだろうね。随分と恨んだこともあるらしい。今はそれも晴れたといっていた。彼の最後の戦いが始まったらしいよ。失われた何か大切なものを具体的に取り戻すといっていた。どういうことだろうね。子供の頃には技術も美術も作品の評価はA○だったといっていた。テニスも強かったっていっていた。勉強もダントツだったらしい。その彼が見つけたものがあるという。何だろうね。幸せと永遠の笑顔らしいよ。
そして彼は決めたらしい。自分自身を生きていく。それでよかったのだと。何を迷っていたのだったろうね。それは十九の春の出来事が彼の埋没の全ての理由だった。よほどの打撃であったらしい。それより立ち直るために三十有余年を要したというか。彼の過酷孤独な旅はどれほどのものであったか。どこを彷徨ったというか。彼自身を取り戻すために、どのようなチカラを開発しなければならなかったのか。知る人はいない。何処までも知り得ないだろうと彼はいっていた。彼は何処から帰ってきたというのか。何を宝として持ち帰ったのか。そして何をしたのか。何を証明したのか。何を伝えたのか。夢は実現するということだろうか。思考は現実化するということだろうか。彼は究極の何かを確かに掴んでいる。これから何をするのだろうね。あらゆる成功者は50歳を過ぎてのことであることも気づいている。条件としての無一文も経験した。宗教だろうか。ビジネスだろうか。政治ではないようだ。行政法と政治学は得意だったらしいけれど。何れにしても好きなことをすればいいね。そして、彼こそ幸せになって欲しい。彼は既にそれだけのことをしたよ。その資格がある。本当に日本を救ったのかも知れない。誰も知らないところで。
2008年02月11日
引退は早い
先日を以てエピローグとした。それは一連の記が意味を持ったことを確信したからだった。若い世代の方向性が定まって、これで良いと思った。しかしラジオである精神科医がいっていた。いい加減であることが正常であると。何をいっているのか。まだ引退するのは早いようだ。ある先輩がかわいがってくれる。分かってくれているのかと思っていた。何も分かっていない。結局何時までも騙されるだけのボンボンということらしい。分かっていないね。何を分かっていないのか。相手があれば、最初は負けたと見ゆるが、必ず受容克服凌駕する大和の秘密を分かっていない。弁護士だったら頭を下げるという。医者だったら尊敬するという。國へ帰りそびれた渡り鳥など価値がないようだ。そういう世の中である。無理もないといえば無理もない。身分に安住して胡座かく古い精神科医がいい加減を正常としている。どの精神レベルの回し者であるか。何を馬鹿なことをいっているのか。日本を滅ぼす気であるか。何処まで思い上がったか。尚、ゾンビを増殖するつもりであるか。何を研究したのだ。畏れを知らぬ。時代は代わった。日本神国。思い知らせるしかないのだろうか。次なるステージの始まりだろうか。いい加減にしないか。チカラは開発済みである。彼はいっていた。彼に何があったのだろう。いい加減ではやがて生きてゆけない。世界に開かれた日本である。世界がいい加減を日本に望んでいると思うか。答えるが良い。いい加減さは嘘を正当化する。彼は医者になりたいとも弁護士になりたいとも思わなかった。人生に夢が描けなかった。静かに暮らすことが出来ればいいと思っていた。それほど残酷なことがあった。十九の春のことだった。故に彼は人生と青春を失った。それを克服凌駕した時、彼は絶対の自信と宇宙自然生命黄泉の愛を知った。彼は祝福されていることに気づいて救われた。いい加減では至れない古来大和の秘密だと思った。敗戦の故とはいえ、いい加減を赦すわけにいかない。いい加減こそ地獄の門であることを知るべし。
2008年02月10日
エピローグ
彼は帰って来なかった
帰って来るっていっていたのにね
彼は全てを理解しているのだね
そして私たちのために大法輪を転じたのかな
世界が彼に気づいたのだろうか
彼はいっていた
本当に泣いたのは青鬼だったと
彼の幸せを祈ろうね
このブログも いよいよ 終わり です
大目的を達成したからです
皆様 ありがとうございました
2008年02月09日
自分からの解放
何時の時代もそうだった
人は自由を目指す
最後の自由は何だったのか
自分からの解放だった
社会が悪いのではない
時代が悪いのではない
誰が悪いのでもない
誰も悪くない
自分も悪くない
何時か来る 必ず来る
全肯定の時が来る
その時 世界はバラ色となる
愛に満ちている
世界は素晴らしい
そして 人はやさしくなれる
相手の全てを認めている
あらゆる欠点を含めて
何時も天に守護されている
それを知って春が来る
楽な人生が始まる
喜びと笑顔の中で暮らしている
至り着く世界がある
何時か誰もが至り着く
何処に至るのだろう
take it easy !
力を抜いて 春風呼んで
学問していた頃もありました
テニスに夢中な頃もありました
懊悩の中で悲しい頃もありました
帰るに帰れない試練もありました
お金も無一文になりました
身も心も費やして 命も賭して
そして至り着く世界があるのです
天の永遠絶対の守護でした
楽なる幸せ世界 自分からの解放
世界が祝福してくれているのでした
獅子たちの夢
人生及び世界は
何事も真面目に取り組む人のためにある
それは学問 ビジネス 宗教 お笑い
しかし護るべき価値・精神・國がある
これを破壊する自由はない
嘘及び暴力で得た富は富ではない
勘違いしていた方々がいる これを正す
身分に安住するも同じである 傍観も
直接相手にしなくて良い 淘汰される
君は何を信じるか 素直な自分を信じる
好い出逢いが必ずある チャンスだ
人は見出されて生きていく 教育が始まる
そして才能が輝き始める 準備は良いか
天地自然に見出されて
天地自然が教師を引き受けることもある
その時 日月照らし風が吹く
宇宙自然生命黄泉 受容祝福守護
何も怖れることはない 君は大丈夫だ
君は君自身を信じるが良い
何だって出来る
大きな夢を描こう 夢は実現する
獅子たちの夢がある 自由と平和
2008年02月08日
獅子たちの群れ
人生は楽しい
怖れることは何もない
この世に生まれて
なすべきは何だったか
自分を信じることだった
嘘と暴力に負けないように
罠には気をつけるんだよ
自分の前世を信じよう
獅子たちの群れがある
孤独なまま生まれている
やがて群れを成す
何時か合流がある
その自覚が来るだろうか
この世に生まれて
話せば分かる関係がある
話しても分からない関係がある
自覚が来て己を知る
自覚した自分で良いんだよ
孤独には孤独の理由がある
何時か孤独も晴れる
何があっても大丈夫と知る
君たちは守護されている
己を知るには断絶がある
越えなければ至れない
勇気を要する
何時か飛び立つ
大死一番 絶後に蘇る
少年よ大志を抱け
そして開ける世界がある
君たちの時代だ
美しい風景が待っている
この世は過去からの夢の実現過程
夢とは本来の自分になることだった
迷わしが多いね 惑うこともあるね
本来の自分とは何だったか
それを見つけて 人生が始まる
この世に秘密がある
人生は楽しい
怖れることは何もない
この世に生まれて
なすべきは何だったか
自分を信じることだった
ある日メモが机の上にあった
「君子危うきに近寄らず」
それを見た父はどうしたか
サングラスして出かけるのだった
子供には見せられない涙がある
素直さを取り戻す
腐った大人に用はない
獅子たちの群れがある
怖れることは何もない
千尋の谷を渡れ
君たちの王国が待っている
既に渡った人がある
これから渡る人がある
幸せはある
自分を諦めないことだ
何時か必ず至る
世界はそのように出来ている
浮かれた世間で溺れるな
夢を描けない大人に迷わされるな
未来は君たちのものだ
獅子たちの群れがある
いつか必ず合流する
夢の世界で
何時か悲しみの涙は涸れる
喜びと感謝の涙が来る
そして見える世界がある
大地の鼓動が聞こえて来る
私たちはこの世に生まれてきた
幸せになるために
幸せとは何だったか 天の守護
楽しむべき世界がある
この世は素晴らしい
目と目で会話する
苛立たせる言葉がある
存在が存在を求めている
存在が存在を拒絶している
尾を振るネコがいる
調和する情念の周波数がある
冷静に耳を澄ませて観察しよう
心地好い関係があるね 信じ合えるね
人生の幸せ関数が解けると良いね
君は元気にしていますか
やさしさと微笑みの周波数の中で
一人では生きられない
人生は楽しい
怖れることは何もない
この世に生まれて
なすべきは何だったか
自分を信じることだった
獅子たちの群れがある
孤独なまま生まれている
やがて群れを成す
何時か合流がある
その自覚が来るだろうか
この世に生まれて
夢は実現する
思考は現実化する
どのような夢を描くのか
何を思考するのか
ゾンビなんか要らない
美しい未来を描きたいね
皆が本来の自分となって
不安がなくて 恐怖もなくて
忍辱のために馬鹿になる必要もなく
誰もが幸せを感じて生きる喜びの世界を
2008年02月07日
価値の復活
化石文化の終焉だね。そして未来は明るい。恐竜の時代が終わる頃、ほ乳類の時代が準備されていた。オーストラリアがクジラを護ろうとする理由は此処にあるのだろうか。しばらくお金が目的となっていた。お金さえあれば幸せかと思われた。日本もそれに染まった。それがテレビ芸能界の主張だった。その欺罔が見えてきた。国民は庶民としてどのようであるか。幸せは本来の自分が満たされることだった。その時、それ以上求めていない。しかし悲惨な現実から抜け出せない。持って生まれた自分を発揮することが出来ない。従来の教育にその観点はなかった。真面目に努力した有能な者をお金持ちが買う。生かさぬように殺さぬように。それが資本主義だった。資産がお金を生む。お金は消えてなくなる。欺罔だった。お金が目的ではない。目的は持って生まれた自分の実現だった。戦国時代は武力だった。今はお金である。それだけのことである。しかしお金以上のチカラがあることが確認された。それは価値だった。確認したのは彼だった。既にそれはあった。彼はそれを見つけた。そして合流した。本当の幸せは何だったのか。本当の自由とは何だったのか。愛と平和は何だったのか。ビートルズのメッセージもそれだった。資本主義、重商主義、唯自己利益追求、市場主義、視聴率第一主義。見直しの時節だろうか。彼はいった。未来は明るい。
教育の制度疲労
ロバート・キヨサキ氏の指摘は正しい。教育制度そのものが制度疲労しているのだろうか。或いは身分に安住しているのか。その方向に子供達は未来を描けない。不安を感じている。引きこもりとかニートとか頭ごなしに否定出来るか。むしろ繊細なやさしさの故ではないか。彼らを見殺しにして良いのだろうか。暴走族的な者達と十把一絡げにしていないか。彼はいった。未来は明るい。
任務完了
彼はいった 任務完了
彼の作戦は成功した
もういいよね
後は宜しくといっていた
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
ロバート・デニーロのような
笑みを浮かべていた
或いは サンダース軍曹のそれだった
天に通じたからだろうか
彼は子供の頃から絶対のリーダーだった
彼は生まれた任務を完遂した
見える者は見るが良い
みんな甘え合って良いんだよ
素直になる 正直になる
自分に対して 相手に対して
好い関係として
その時 甘え合って良い
みんなやさしくなれる
吉田健一氏はいっていた
本を読むのに 読みたければ読めば良い
読みたくないなら読まなくて良い
読むものがなくなった時 自ら書き始める
必死で生きている人間がいる
唯生きている人間がいる
やがて穏やかな日々が訪れる
千尋の谷を越えなければならない
そして開ける世界がある
<一>が分かればすべて分かる 禅だった
これは日本にしかない
古来日本は神国だった
過去を未来に移す
仏の大願だった
日本には護るべき國がある
人類の未来のために
しばらく見失っていた 亡国の民 政財界
復活せしめたのは誰か 彼だった
誰もが憧れていた もう駄目かと思っていた
それを形として復活せしめた
宇宙自然生命黄泉 受容祝福守護
絶対の安心立命 自己建立
絶対の自信回復
日本は救ったよ 彼は笑った
みんな甘え合って良いんだよ
無を通って満ちてくる
憧れを形にする
笑顔とやさしさが満ちてくる
ニュートラル
ニュートラルで良いんだよ
何もかも
あるがままで良いんだよ
素顔のままで
精神が裸の精神と裸の精神で交わる
それが素直さだった
それで良いんだよ
市場原理と価値
需要と供給の関係
市場原理 シェア優先
そこに価値破壊の論理がある
利益のために
価値が破壊されている
破壊させはしない
クラシカル精神の復興
神業
個々の暮らし
あらゆる制度の目的だった
幸せになるために生まれている
それは 本来の自分を見出し 実現する
制度が後から着いてくる
そうした人生もある
それを神業といって良い
或いは 大鏡である
夢
夢とは何だったのか。本来持って生まれた自分だった。夢を実現する。本来の自分を実現する。人生とは何だったか。過去からの夢の実現過程だった。この世で花を咲かせる。咲かせずに死ぬわけにいかない。祖先に申し訳ない。不幸とは何であったか。夢と現実のギャップだった。どのようにしてこの現実より脱却するか。命を賭し、己を信じて懸崖に飛び込む。大死一番絶後に蘇る。人生死ぬことと見つけたり。本来の自分とは何か。それを見つける。夢実現のスキルとしての知識を学ぶ。それが教育の目的であり、責任だった。そして実践する。平等とは何だったか。それぞれ持って生まれた己の能力を十全に発揮して生きていくことだった。それを阻害するものがあった。それを粉砕した。個々の暮らしを実現する。それは平和であることを要する。所詮職業に貴賤はない。何をしても良い。自由は選択の自由である。幸せとは何だったのか。夢の実現過程だった。大きな夢を持て。それは本来の自分を見極めることだ。そろそろ次なるステージへの移行だね。現実に具体的幸せを手に入れる実行段階に入る。彼も此処までしなければならなかったとはね。よほど大きな夢を抱いていたらしい。『何か失われた大切なものを求めて』。見つかったようである。青春以来三十有余年、孤独な旅を終えたのか。やっと過去をトレースし、本来の自分に気づいたか。長い孤独な旅だった。或いは長い冬だった。彼は自信を取り戻した。素直に表現出来る自分となった。それは強いが故のやさしさだった。これで生きてゆけると思った。春は近い。
2008年02月06日
絶対の自信と笑顔
今楽に見える道が後になって険しい道となり、今険しい道が後になって楽な道となることがあるとロバート・キヨサキ氏が書いていた。彼はこの世では埋め合わせが出来ないほどの悲しみがあった。十九の春のことだった。それで埋没し、どうにもならなくなった。無一文となった、故に本来の彼が爆発した。知らない方が多いが既に事実である。目覚めた彼は何を得ていたか。絶対の自信と笑顔だった。そして彼は自覚した。何を自覚したのか。父と同じ自覚だった。これは勇気を要した。戦後の父の無念は晴らした。そして日本の秘密を全て理解した。そして思った。主権在民。各々勝手が過ぎた。
情報について
情報って何だろうね。情報理論というのがあって、これは20世紀最大の理論の一つだった。それは、この世に存在する全ての事象は、音楽も絵画も含めて0,1に還元され処理出来るという事だった。コンピュータはその処理のための最適の道具だった。さてさらに今、情報とは何だろうね。情報は自ら取捨選択するべしといわれているその情報とは何だろう。価値のある情報とは何だろうね。それはお金を生むことが出来るものなんだね。そしてそれは何処にあるのだろうね。それはお金のある所にある。お金になるのはその情報だった。それは何処にあるんだろう。誰もが探している。トレンドとかいうよね。何がトレンドなんだろう。発信源は何処だろうね。それが見えると良いね。そして情報は発信する所に集まる。もし自分がその発信源だと良いね。どのようにして発信源となれるんだろうね。それが問題だね。発信してみると良いよ。周波数が合えば、ある日突然、情報の発信源と交信しているかも知れない。これは秘密に属する。どういうことだろうね。例えば権利を自分のものと思っていないか。権利も仮のものだよ。落語にもそうした演題がある。大家がいるんだね。大家ではないものが便りにするのが唯一お金だね。ユダヤ的発想がそれだ。お金が究極の価値ではない。日本は本来どういう國だったか、政財界も忘れていたね。彼らも何を粗末にしていたか気づいた頃だよ。護るべきは何だったんだろうね。随分と彼は粗末にされたらしい。それが伏流した。ところで、お金は大事だよ。これは別論だ。日本は大丈夫だよ。本来神国日本が目覚める頃だからって彼はいっていた。或いは目覚めたのかな。どういうことだろうね。知るもんか。彼は福ということを知っているらしい。随分と富は生んできたらしい。けれども彼はその対価を得ていない。彼も知らないことだったといっていた。何のことだろうね。別に心配はないといっていたよ。天徳だと笑っていた。彼って傲慢だね。そう思うか。君も彼のことを知らないのだね。彼を利用したものたちがどれだけ利益を得たか。そして彼をどれだけ呼び戻そうとメッセージを発信していたか。彼も気づけなかった。感じてはいたらしいけれど、まさかと思っていたらしいよ。この度は確信したらしい。そしていっていたよ。一休髑髏ご用心。
2008年02月05日
孤独からの脱出
やさしさへと結晶する
これからの彼の課題
そして思った
何もかも赦される
悪いのは自分だった
自分が変われば世界が変わる
その時 自信は絶対となった
火も焼くこと能わず
水も流すこと能わじ
この世は彼だった
誰もがそうであった
幸せになろうね
彼は孤独から脱した
愛と平和を求めて
穏やかな朝を迎えている
彼は彼自身に満足した
生まれた自分に感謝した
彼こそ秘密だった
これほど祝福されていたとは
彼の開けた玉手箱だった
彼には試練があった
解かねばならない謎があった
解いた謎とは何だったのか
この世で生きていく
一人では生きてゆけない
見出されて生きていく
見出されるまでが試練だった
そして謎は彼自身だった
そして彼は見出された
見出されて思った
どのように生きていくのか
愛とやさしさが謙虚だった
見出されるまでは不遜だった
そしてみんなで幸せに生きていく
それが社会だった
日本を救っていこうね
みんなのチカラで
今朝も爽やかです
好い人間関係で癒し癒されて
それが幸せだった
遠回りしたけれど 合流です
これに気づけないことが 不幸せ
誰もが愛と平和を願っています
それを壊す人もいる
紙つぶてで良いのです
傍観するのではなくて
スクラム組んで 意思表示
黄泉の守護を信じて
彼は笑った 風がそよいだ
彼こそ夢だった
彼こそ夢だった
彼は何を見つけていたのだろう
帰ってくるといっていたけれど
彼はもういない
変な奴
彼はいっていた
何もかもが楽しいんだって
やさしさに包み込まれているんだって
とても心地良いんだって
面白いんだって
彼って変な奴だね
無と幸せ
困苦は何のため
それをも越えるため
どのようにして越えるの
自己を滅して越える
越えるとどうなるの
無となる
無となってどうなるの
自己がなくなる
そうしてどうなるの
過去から救われる
そしてどうなるの
満ちてくるものがある
それは何
それが幸せ
老人がいない
先日ラジオでいっていました。アマゾンのあるインディオの村では老人がいないそうです。つまり寝たきりがいないのです。死期が迫ると枕元に食事をおいて見守るのです。手を差し出して自分で食事出来るかどうか。ところで、白血球の中にマイクロファージがいて外敵から身を守ってくれています。食菌作用ですね。さてこの時、熱も出て痛みもあるのです。活性酸素からの観点もありますね。このマイクロファージは、体内の栄養が不足すると自ら分解して栄養となります。だから何も食べられなくてやせ細ってもしばらくは生きている。死期が迫って栄養を与えるだけが意味があるのかどうか。自分の手で食事が出来なくなって、枯れるように死んでいく。それは痛みはなくて安らかな旅立ち。そして家族のみんなに見守られて、最期のお別れとお礼をいうことも出来て。思い出の中で死んでいく。アマゾンの或るインディオの村では老人がいないのです。
気持ちいいこと
道元の身心脱落、脱落身心ってあるね。あれって白隠禅師のナンソだね。『夜船閑話』に書いてあるよ。亦、気功というのがあるね。あれはイメージでするんだね。両足の裏から大地の気を吸い上げる。植物が根っ子から水を吸い上げるように。そしてその気を背面から脳天に持ち上げる。そして顔面を通してすっと腹に収める。気持ちいいよ。やさしくなれるよ。何でも赦せるって気分となるよ。常なる笑顔が来るよ。ナンソも同じだよ。気分爽快になるよ。彼はいっていました。
2008年02月03日
21世紀真実成功幸福論
人生は楽しいね 素晴らしいね
何を以て 喜びとしますか
幸せって何でしょうね
生きているとはどういう事でしょうか
この世は過去からの夢の実現過程
何を夢見ていたのでしょうか
そして 未来に何を夢見ますか
生かされて生かして生きている
ポイントは何ですか
好い人間関係でした
才能だけでは生きてゆけない
見出されて生きていく
十分に準備はしていますか
見出されない自分を悔やんでいませんか
悪いのはすべて自分だったのです
最終最後最大の的は自分自身 射抜くべきはそれ
そして何が来るのでしょうか
ずっと見守っているのです それが黄泉
やがて黄泉の受容祝福守護が来るのです
そして夢は実現するのでした
少しの勇気が必要です
自分を信じることが出来ますか
その時 命を賭けることが出来るのです
必ず道は開けます だから諦めないでね
絶対の自信もあるのです
必ず幸せになれるのです
21世紀真実成功幸福論完結です
そして所詮この世は男と女
出逢いが待っているのです
どのような自分で勝負しますか
唯存在することで 何かを語れますか
愛の周波数は開発済みですか
やさしさの中の永遠の微笑みを知っていますか
世界は待っているのです
あなたがあなたの持っている自由の翼に気づき
大空を羽ばたく時を
世界はそのように出来ているのです
お金がなくて 出逢いを諦めていませんか
相手も知っているのです 何とかなることを
お金よりも大切なものがあることを
拒んでいるのは何でしょうか
信じてみませんか 自由を 愛を あなたを
そして信じ合う幸せを この世で掴みませんか
素直さに甘えることで 至る世界があります
信じることが出来る自分を試してみませんか
美女と野獣で良いんだよって
幸せって何だったのでしょうか
一人では至れない
このブログを書いていて目の前に出た虹
2008年02月01日
さようならと別れについて
ところでさようならとはどういうことだったのだろうね。随分とうまくやろうと努力をしたよね。そしてどうにもならなくなった。その理由はあるのだけれど表現出来ない。伝えることが出来ない。伝えようとしたよね。だけど分かって貰えなかった。理由の部分が余白だよ。それが左様だ。つまりさようなら。理由はあるんだよ。相性だね。さようならしないと次が来ない。二人の幸せのためなんだ。時を共にしたね。分かってね。分かってねが別れだった。相性とは価値観の共有だった。これをどのように埋めるか。占いでは及ばない。知性を要するのだった。分かり合うことが出来ていたなら。信じ合えていたなら。ゆるしあえていたなら。でも出来なかった。さようならだね。甘えあえる素直さがあったらよかったんだね。愛することを学んだような気がする。ありがとう。何時か亦あえると良いね。楽しかったよ。この世は喜びに満ちているよ。やさしさがあるよ。幸せがあるよ。深刻にならなくて良いんだよ。重荷を降ろそう。何時までも担ぐことはないんだ。欲しいものは何だって手にはいる。愛だって。喜びだって。幸せだって。悲しい歌を歌うのはもう止めにしよう。笑い飛ばそうよ。明るい未来が待っている。君が気づくことで見えてくる。それは有るんだよ。青い鳥だよ。君の側にいる。聞こえるかな。僕の声が。笑顔で行こうよ。憂いは晴れたよ。不安もないよ。疑いももういない。僕を信じて良いんだよ。決して君を裏切りはしないんだから。愛こそ全てだよ。平和にチャンスは与えられたよ。幸せを作ろうね。
2008年02月10日
エピローグ
彼は帰って来なかった
帰って来るっていっていたのにね
彼は全てを理解しているのだね
そして私たちのために大法輪を転じたのかな
世界が彼に気づいたのだろうか
彼はいっていた
本当に泣いたのは青鬼だったと
彼の幸せを祈ろうね
このブログも いよいよ 終わり です
大目的を達成したからです
皆様 ありがとうございました
2008年02月09日
思考は現実化する
幸せとは何だったのか。真実真理とは何だったのか。彼はそれを見つけていたのかも知れない。まるで打ち出の小槌のように。黄泉を制したともいっていた。それは大鏡であるらしく、日月照らし風が吹くという。情報は発信した所に集まるという。そして永遠絶対の安らぎを知ったようである。それを天の守護といっていた。しかし周囲巷は知らないらしい。彼のことを貶めて扱っているらしい。畏れを知らないねっていっていた。だけど、もうそれも良いんだって。世界が認めているんだって。やはり彼のいうことはよく分からない。彼はお笑い芸能界を嫌っていた。何故だろうね。彼がいうには、いい加減が過ぎるそうだ。いい加減が衆愚に好まれる。同病相憐れむとしたところだ。衆生病む。故に我病むということもある。問題は分かっているかどうかなんだって。分かっていないからいい加減である。いい加減はいい加減で良しとする。視聴率第一主義で蔓延する。いい加減な世となる。それが腐敗だった。そして一番にならなくてもよいと歌う。一番を知らないからだね。つまり分かってものをいうことを知らない。さらに問題なのは、思う間はまだ良いのだけれど、言葉にすると現実がそのように動くということがあるんだって。分からないままにいい加減なことをいっていい加減な世の中となった。お笑いバラエティは責任があるよね。亦、アルミニウムを薄い塩酸に入れる。溶けて見えなくなるね。アルミニウムはなくなったといえるだろうか。成分が溶けて見えなくなっただけだよね。有るよね。なくなったわけではないよね。或いは気体成分は水素となって空中に霧散した。これも有るよね。見えないが有るというのは科学的だよね。人間も同じだよ。死んだら終わりではない。前世はある。来世もある。科学の名でそれを否定する。そんなことをいっていたら科学が怒るよ。人間解釈の限界だね。謙虚になろうよ。彼は何をしたのだろうね。日本人がどんなものであるのか証明したのかな。或いは神国日本復活。彼にしかできないことだったといっていた。その為に生まれたんだって。本当かな。目的と手段ということがあるね。目的が定まれば手段が見つかる。目的達成のためにどうするか。直ぐに目的の達成があるか。富士は何故高いのか。裾野があるからだね。あるいは、Rome was not built in a day. 目的達成のために、個々の目標を設定するね。個々の目標をクリアして全体としての目的達成となる。つまり大切なのはプロセスだ。その結果としての目的達成だね。この世は過去からの夢の実現過程だよ。夢は実現する。思考は現実化する。現代成功論だね。結局、何を夢見るかだね。愛と平和を夢見るのか。戦争殺戮してまでも内在的に価値を破壊する論理を含む市場至上主義経済を夢見るのか。その実現のために何を思考するのか。ゾンビはフロイトの所産だよ。日本はゾンビなんか要らない。何を考えているんだろうね。何も分かっていないね。幸せはあるよ。真実真理はあるよ。どのようにして獲得するのだろうね。彼はその方法論を見つけているのかも知れない。その代償は大きかったらしい。彼は一文無しとなった。しかし本当の富を得ているといっていた。それは天徳だよと笑った。天の守護であるらしい。天下を取ったのかな。ゲームは終わったよといっていた。何のことだろうね。さっぱり分からない。神佛は今も昔も常に存在しているんだって。古典書籍も古典音楽も古典絵画も実は神佛が姿を変えたものであるらしい。神佛が真実真理であるという。カラスが白いということもあるらしい。どういうことだろうね。神仏のチカラとは何だろうね。神仏が神仏として生まれ神仏の試練を通って神仏を自覚して神仏となった時、神仏の宣言は宇宙の始まりとなるという。黄泉も従うんだって。そのようなことってあるのだろうか。知る者には事実であり、知らない者には秘密なんだって。信じる者には姿を現し、信じない者は疑うけれど、それが真実真理であるらしい。分かんないね。二千年来の『ビーナス誕生』かも知れないといっていた。笑うしかないんだって。そして成功としての目的達成の手段としての個々の目標は、明確であることを要するんだって。そうしないと実現しない。何を以て明確というんだろう。1.具体的であること。2.期限の設定があること。そして目標は常に意識されていることが必要なんだって。それから常に現在の目的は一つであるらしい。大きな目的は小さな個々の目的のプロセスとしての結果だって。まるで銀河系のようだね。個々の目標の内容は、達成することを邪魔するものとか問題点の解決らしいよ。夢は実現するんだって。思考は現実化するんだって。分かっているかどうかが問題なんだって。分からないのだったら分からないといえば良いんだって。教えてくれるんだって。宇宙自然生命黄泉が教師を引き受けてくれることもあるらしい。分からないことを分からないといえることが謙虚さだといっていた。分からないのに分からないまま自分を正当化するところが欺罔なんだって。欺罔が地獄なんだって。欺罔がなければ天国なんだって。それが正直なんだって。素直さなんだって。ここに21世紀真実成功幸福論があるんだって。彼はそれを見つけたらしいよ。実験実証済みであるという。三十有余年を要したんだって。そして仕事の成就は能力×時間×エネルギーであり、持って生まれたものを要するらしい。彼は何ものだったんだろうね。彼は何処で何をしていたのだろうね。身も心も全て費やしたといっていた。今どこで何をしているのだろうね。元気しているかな。この世に生まれて自分はどうなりたいのか。彼からの永遠の問いかけだね。彼は大きな仕事をしたよといっていた。これからそれが具体的な形となって報われるんだって。それにしてもこの度の一連のブログはすごいことになったねっていっていた。彼も此処までとは思っても見なかったという。とても驚いているようだ。しかし、よかったねっていっていた。そして彼は思っているらしい。それにしても舐めたことをしてくれたものだと。だが、それについてもnow良いんだといって笑った。今NHKーFMで、広島交響楽団の演奏が流れている。ドボルザークの交響曲第8番である。ジャズの演奏はクラシックの要素を取り入れたものだけれど、それは何かというと、この曲の中にクラシック音楽のDNAが秘められていて、耳を澄ませば、モーツアルトのピアノ協奏曲とかベートーベンの第9番が聞こえてくる。これが楽しみとなる。歴代のクラシックのクラシックたる所以である。こうした代々の価値がある。それが破壊されていた。価値の復活というのはこうしたことであって、日本に於いての破壊は明治以降のことであったと彼はいう。それを復活せしめた。本来の日本を目覚めさせた。それは古来卑弥呼の系譜邪馬台国正統神国日本だった。彼故に出来たことではあった。唯それだけのことであるらしい。時代変革成功。
2008年02月08日
火の粉は払う
●強くなければ生きていけない。やさしくなければ生きている価値はない。 (フィリップ・マーロゥ) If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive
●寒い冬、あたたかいのがごちそうと、さりげなく言う君の、いくつもの季節を経りし故のこと。かつて日本はやさしさに向かって咲く花のようであった、と辻邦夫が書いていた。心の周波数が、やさしさで共鳴するとき、幸せな世界が、昼下がりの、のどかな、おだやかな、たおやかな、さざ波の上の光の子たちの、舞う水面にうつる、それはある日あの時のあの海に、青さと浜の、寄せる波音、そしてremembrance (That's happy days.)。
●仲良くすること、楽しくすること、幸せであること、すべて、気持ちの問題だった。昔の物語に書いてあったように。21世紀は、ハードからソフトへ、すべてが移行していく。正直さでいることで、神様からも、仏様からも、諸精霊様からも、心から祝福される時代でありますように。魂としてのDNAが進化して、清浄さの故の箱船に、みんな乗れるといい、と思う。きっと美しくなれるから。http://www.pc-kure.net/GSWL/GSWN3.html
随分と前にこのようなことを書いていた。それは思いだった。或いは夢だった。そして今どうであるか。結晶したようだ。ところで、先ほども先輩に切れてしまった。自分の考えで、私の存在を貶めて規定しようとするからである。勘違いしている。今まではそれに負けていた。故に埋没した。これからはそうはいかない。そのようにいわせること自体、如何に自分の現実に問題があるか、思い知る。しかし直接かかる火の粉は払う。今に、そのようなことはいわせない。自分の世界を開く。どのような世界であるか。本当に強いということがどういうことか、知らしめる。お金が目的ではない。何を以て人生を実現するか。やはり容赦しない。そしてどのような世界にするのか。強きが故のやさしい世界である。条件は全て整った。準備万端である。彼の時代が来た。新たな作戦開始である。世界を救う。愛と平和の世とする。同じ轍は踏まない。失敗は赦されない。救助船は来たようである。救助船もその意味を知らないようではある。世界がどのように出来ているか、理解した。ユダヤ万歳かも知れぬ。先ず、自分を救う。インジュニェティ。今に分かる。分からせる。何をしていたか。何を開発したか。何に合流しようとしているか。情報は発信する所に集まる。何を救おうとしていたのか。全て理解した。未来は明るい。彼はそのように生まれていた。世界は彼次第。自覚は深まった。どうにもならない。彼は十二色相の救世主だったのかも知れない。
そしてさらに考えた。『柔和忍辱の心』というのがある。どんな場合でも、やはり切れては駄目だ。理由はどうあれ、その段階で負けだ。『常不軽』ということもある。これからの課題だね。幸いかの先輩とは事なきを得ている。言葉はぞんざいとなったが、感情はコントロールしていたからだった。相手が大人だったということだろうか。これからはそうもいかない。いよいよ実戦である。真剣勝負となる。甘えは赦されない。人間は本来どうあるべきか。人磨きは続くね。永遠の課題だろうか。
2008年02月07日
新しいスタートライン
権力でも、武力でも、金力でもなかった。佛さんは法力であるという。それは法律ではない。宇宙自然生命黄泉に好かれ、受容祝福守護されて、思いが実現する。思いが天に届く。権力は市民革命によって克服された。武力は原爆によってその愚かさを知り克服された。それがヒロシマの意味だった。岡本太郎氏の『明日への神話』を何処に誘致するか。平和の原点は何処か。オノ・ヨウコ氏からヒロシマへの誘致を希望するというメッセージが届けられた。事務局も除幕式の際はオノ・ヨウコ氏の参加を期待して前向きなのだろうか。今、金力が克服されつつある。お金が目的ではないことが明らかとなった。お金を通して夢を実現しようとしていた。しかしその弊害があまりにも大きいことが分かった。庶民は何時までも餌食である。これで良いのかどうか。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せである。全体のボトムアップの時ではないか。お金による幸福追求は限られた一部の者だけしか幸せになれない。アメリカンドリームがそれである。宝くじと同じである。それで本当の幸せはあるか。本当の自由はあるか。むしろ欺罔と暴力で富を築いている者はいないか。その犠牲に庶民がさらされていないか。制度を壊すのではない。制度が本来の機能を発していない。民主主義が唯一絶対の制度ではない。ほかのどの制度よりも個々の暮らしと個々の夢実現に寄与するとして選択している。既に制度疲労している。これを見直す。腐敗を正して新しいスタートラインを引く。身分に安住して腐っている者達を一掃する。活力ある自由競争の基盤を形成する。人類の英知並びに願い及び祈りの価値を見直して、新たなチャレンジャーの文化的夢実現の可能性を拡大する観点からインフラ整備する。教育も含めて。一部利益階層のためにするのではない。庶民の解放とはそれであるのかも知れないね。唯自己利益追求市場経済至上主義は価値を破壊する。このままではやがて人類は住めなくなるかも知れない。自然を征服するとか根絶やしの思想は野蛮である。自然と共生して皆が幸せであることを目指す。今、愚かさと野蛮な精神が支配している。馬鹿になることが幸せなどと吹聴している。誰のプロパガンダであるか。知性は生かさぬように殺さぬようにであるか。テレビ芸能界がその権化である。何時までも黙ってはいない。宇宙自然生命黄泉が報復する。庶民は騙されている。時代の傾向を微分してみては如何か。今、何をするべきか。情緒情操教育より始める。21世紀は知性と庶民の解放である。彼は笑顔でこんなことをいっていた。未来は明るいんだって。皆が幸せを感じることが出来る時代が来るんだって。それは本来の自分に目覚め、現実の自分がそれと一致することなんだって。それ以上誰も求めていない。平等即差別は、前世を知る己の魂が一番よく知っている。犠牲餌食となった魂がある。動植物にもそれがある。何を以ての成功であるか。何時までも無視出来ない。彼は爽やかな笑顔でいっていた。
2008年02月06日
彼から宜しく
もう良いよねって彼はいっていました。この度を以て信を以て入ることを得たようです。そして三明六通八解脱成就とのことです。どういうことなのか私には分からない。本当に天に通じたっていっていました。これまでもそうだったのではありましたが、これで確信のようです。何のことでしょうかね。さっぱり分からない。孤独ではなかったって喜んでいました。ロバート・キヨサキ氏の本との出逢いに感謝しているようです。彼に足りなかった最後のところを補ってくれたようです。見えない世界は調いました。見える世界でのデビューは訳あって遅れました。今後とも宜しくお願い申し上げますとのことでした。千尋の谷を這い上がったよっていっていました。家伝直伝秘伝覚兵衛嘉兵衛千畝良亮昭亮螺鈿の槍は原爆で折られましたが黄泉で護られて今も尚光っています。彼も覚悟を以て自覚したようです。父のように。父が何を背負っていたか、子として理解したようです。父はいいました。私もお前と同じだった。お前は大丈夫だ。私の子だ。父と交わした唯一の会話だった。その真意は誰も知り得ない代々の掟だった。故にいう。何を根拠に勝手し来たる哉。各々覚悟有るべし。
2008年02月05日
未来は明るい
彼の文体もそろそろ結晶する頃だろうか。佛像に魂を入れるというけれど、それは真剣勝負で行われるのだけれど、文体が確立するのは思いに於いて愛の周波数が確定され安定することだろうか。彼が探していたのはそれだった。彼は内面の大鉱脈を発見しているらしい。掘っても掘っても尽きることはないといっていた。丸山健二氏がいっていたのもこれだったろうね。JJルソーも『告白』で言葉は堰を切ったように溢れて来るといっていた。彼が無となって満ちてくるといったのはこれだったのかな。安らかな気分の中で文章にしている。これが人生だったのだろうか。森有正氏は全集『補遺』の中で「経験」をいうのだった。フランスの地で日本での地位を捨てて客死した彼の夢は何だったのか。彼はフランス語に魅せられていた。思索すること自体をフランス語で出来るようになりたいと願っていた。夢もフランス語で見たいと思っていた。それで日本に帰って来なかった。その夢が成就したのかどうかは定かでない。そうした人生があったことは確かである。かの彼は小さい頃テレビで、「小さく小さく小さくなあれ。小さくなって蟻さんになあれ。大きく大きく大きくなあれ。大きくなって天まで届け」というのを見ていた。彼の夢はそれだったのかも知れない。天に届いたよといっていた。何とも不思議な彼である。これまで何をしていたというんだろうね。何処を旅していたんだろうね。誰も知らないことを見つけたよといっていた。何を見つけているというんだろう。ソクラテスのようなことをいっているね。愉快な奴だね。21世紀の約束があってそれを見つけたらしい。黄泉が動くんだって。良い時代になるんだって。彼は今何処で何をしているんだろうか。何時ものように勉強しているのかな。テニスも上手だったよ。何時か埋没してしまった。埋没する理由はあった。いうにいえない理由だった。彼にとって人生も青春も失われていた。十九の春にそれはあった。その後、世間の何もかもが虚ろだった。しかしそれこそ試練だった。彼が解かねばならない謎があった。今思えば、その時のための準備だった。やがてその時が来る。そしてその謎は解かれた。三十有余年の苦節が意味を持ち輝いた。そして彼は復活した。それは彼自身だった。汝自身を知れ。彼に対するミッションだった。それは何であったか。根が深ければ深いほどその木は高い。彼の喜びは尋常ではなかった。彼はいわれのない悲しみも含めて生まれたことに感謝した。そして気づいた。これは誰も平等にそうなのだと。悲しみは悲しみで良い。それを乗り越えた時、その悲しみに倍して喜びとなると。必ずそうである。彼が未来に示したかったのはそれだった。今彼は喜びの中にある。それは悲しみが涸れたかのようである。悲しみの海に喜びが満ちたのである。道を開いたよといっていた。これからは負けるな一茶これにありとみんなにエールを贈って生きていくんだって。彼が見つけた事って何だったんだろうね。21世紀の約束って何だろう。彼はとても才能があった。だけど埋没した。世間並みの人生と青春は失われた。今にしてみれば、それ故のミッションだったんだね。彼には最高の真実を探し出す仕事があったらしい。子供の頃からその準備があったようだ。そして見つけたというんだね。それは黄泉だった。祖先といっても良い。私たちは導かれている。間違うとサンクションもある。彼も何度か試練があった。痛い目にもあった。それほどの使命だった。そして幸せが何であるかやっとわかったという。それは黄泉に認めて貰うことだった。世間の成功が必ず誰かに認めて貰うことであるように。彼の場合は、世間ではなく黄泉だった。それを証明しなければならなかったらしい。黄泉に好かれるということは結構骨が折れるよといっていた。そうした旅をしていたらしい。そして月の砂漠から日常に帰ってきた。そして今、人間が人間によって癒されることが幸せだと思っている。黄泉の癒しが大前提で、人間関係の癒しが小前提となっている。動植物及び岩石も喜ぶ周波数があるという。それが愛だといっていた。誰もが幸せになるために生まれてきている。この世は過去からの夢の実現過程である。彼がいいたかったことが明らかとなってきた。そして彼はいっていた。日月照らし、風が吹く。彼の自覚であるようだ。これについては謎である。そして取り戻すべきものがあるといっていた。何を取り戻すというんだろうね。もう動き始めているという。何が動き始めたのだろう。彼は何をしたというのだろう。
のどかな日常への回帰
のどかな日常への回帰。子供の頃のように。それが彼の求めていた春であるらしい。長い冬は終わったのかな。武士道は死ぬことと見つけたりというけれど、死をも解決したのかな。生死を超えるというよね。盤珪の禅は不生だった。それは何だろうね。それが幸せだったのかも知れないね。或いは自由だろうか。それはどのようにして至るのかな。どのようにして最期を迎えるか。安らかに旅立つか。永遠のテーマだね。生きて死人となりてともいう。考えたことがあるかな。絶対の自信と不安がないということ。それは有ると彼はいっていた。身心脱落する時、愛の周波数を発しているんだって。その時世界がバラ色になるんだって。何もかも楽しいんだって。笑うしかないんだって。自分が変わると世界が変わるといっていた。お金ではないんだって。愛に包み込まれているんだって。幸せの方法論として未来に伝えたいといっていた。みんな幸せになろうねっていっていた。彼のギブスははずされたようだ。これからが痛いんだよね。新しいステージかな。青空がきれいです。笑顔を振りまく嬉しそうな彼が思い浮かびます。もう孤独ではないんだね。早く彼女を見つけて具体的幸せな日常となるといいね。時代を彼の色に染めるといっていたけれど、そのようになりつつあるのかも知れない。混迷の中で、何を信じて良いのか分からず、方向が定まらなくて彷徨っていた。彼が現れて難しいことをいっていたけれど、何をいいたかったのかわかってきた。知性の復活とか、愚かさと野蛮を脱するとかいっていたけれど、それもプロセスだった。出遅れた彼の存在証明としての産声だったのだね。愛と平和の世の中を作るといっていた。彼は嘘と暴力に騙されていたと思ったらしい。裏切られたとも思ったらしい。それらも結局彼自身の問題だったんだって。そして彼は『山月記』のように呻いていたのだね。彼自身が秘密だともいっていた。それがどういう意味なのかよくわからないままだね。日本を救ったよともいっていた。これも謎だね。何処かで彼を見かけたら宜しく頼むね。
青い空 節分前に ギブスとれ
2008年02月04日
無知蒙昧を晴らす
彼の人生は何だったのか。彼は何処へ至りそして帰って来たのか。何を見つけ、どのようなチカラがあるのか。そしてこれから何をするべきか。冷静かつ客観的に考察しているらしい。彼の得たものは永遠の自信だった。得たチカラは言葉だった。何をするべきか明らかである。言葉は泉のように湧き出でる。そして愛の周波数も開発していた。彼には伝えるべき事があるのだろう。既に現代日本語は夏目漱石と森鴎外が基礎であることは知っていた。それがどういう意味であるか、理解する頃となったようだ。彼の自覚は今、何だろう。合流である。何処に合流したというのだろう。幸せを運ぶ言葉のミューズ誕生かも知れない。それはあらゆる占いの及ぶ所ではない。どのような真剣勝負も相手ではない。だからといって平将門となる気はない。愛と平和の世界をみんなで作りたいと思っているようだ。それが実現可能であると思っている。それだけの自覚を得ている。不安はない。迷いもない。信じるに足る本来の彼自身の組み立てに成功したらしい。時を要した。その意味も理解している。真実とは何であったのか。彼自身だったといわんばかりである。そして重要なことは誰もが至りうるということのようだ。彼はその道を見つけたということである。それは宗教をも超えていると彼はいっていた。或いは場合によっては宗教さえも容赦しないといわんばかりだった。それだけの経験及び体験があるらしい。人間としての可能性の極大化であろうか。人間として一つの夢を成就したようだ。彼は既に輝いている。千光年先の北極星のように。輝くためには質量を要する。彼には伝えるべき事があるらしい。愚かさと野蛮より脱するといっていた。それは何を意味しているのだろうか。日本の本流伏流復活である。日の下一の螺鈿の槍及び弁慶の薙刀は何処に隠されていたのか。知る頃となった。代々培いたる本来日本武士道精神大和魂は死んではいない。何時か芽吹く。原爆の火を以てしても根絶やしにされてはいない。商人及び町民文化並びに下級精神の解釈の及ぶ所ではない。畏れを知らぬも甚だしい。日本は日本である。今も昔も神国である。しばらく勝手が過ぎた。それを粗末にし過ぎた。思い知る時が来たのかも知れない。何れにしても外道拝金主義の蒙昧を晴らす。幸せはお金ではあり得ない。お金が目的ではない。行政も民法化してどうなったか。権力は腐敗する(モンテスキュー)。何をしているのか。教育界も何をしているのか。己に信念はないのか。日本はどうなっているのか。下劣テレビ界が日本のスタンダードではない。芸能人は芸能人である。小屋へ帰っては如何か。何をたれ流しにしているのだ。今更ではあるね。どうしてこのようなことになったのか。日本は本来そうではなかった。衆愚の世である。西洋化の故である。このまま日本を腐らせるのか。そうはいかない。日本は本来そのような國ではない。馬鹿になることが人生だなどと誰が言い始めたのか。ユダヤの陰謀であるか。馬鹿になって嬉しいか。何が嬉しいのか。いってみるが良い。偉くなりたい、賢くなりたいが本音ではないのか。馬鹿になってどうするのか。それで幸せであるか。不安はないか。今の自分を肯定出来るか。出来るというなら示すが良い。卑怯と欺罔の世となった。この辺りで見直すべき事がある。本当の幸せとは何であるか。議論しようではないか。何に染まったのか。どのようにしてお金持ちになったのか。何故何時までも貧乏であるのか。そのメカニズムも明らかになった。これからどのように生きていくのか。このままで良いのか。良いというならそれまでである。鈴木健二氏がいっていた。例えば原子力の用法を誤って困るのは人類である。地球は痛くも痒くもない。規制緩和してどうなったか。日本の企業が世界のマネーからの買収の恐怖にさらされている。買収されたらその後、誰のために働くことになるのか。バブル後の低金利時代があった。それを理由に日本の富は何処に流れたのか。海外銀行ではなかったか。それを資金として彼らは何をしようとしているのか。日本のためになっているか。日本人は誰のために働いたのか。マクロなお金の流れが見えているのか。経済大国といいながら何時までも庶民は貧しい暮らしである理由が分かっているのだろうか。世界の潮流の中で何を考えているのだ、政財界。唯自己利益追求が問題であるといっている。あまりにも無知蒙昧無責任ではないか。
そして彼は考えた。やはり是非の人では駄目なんだって事だった。全肯定で今より始めるしかない。それはどういうことか。やさしさで全て解決する。そのために永遠の笑顔もある。動植物及び岩石も喜ぶ愛の周波数もある。自分が変わることで世界が変わる。無ということを探してそれも見つけた。無となることで満ちてくるものがある。それが幸せだった。彼固有の幸福論は黄泉の受容祝福守護だった。それが古来大和の秘密だった。その証明は、日月照らし風が吹く。これ以上何があるというのだろう。これが人類の夢ではなかったか。もうこれで良い。此処まで至れば、何をしても自由である。一隅を照らすことで良い。これから周囲も必ず調ってくる。何時まで是非の人を演じているのか。その必要はない。自分の幸せを考えるべき頃である。十分に旅した。この世の宝は得た。それは何だったか。失われた自信回復だった。彼を直接理解する者も現れるだろう。ステージを変えよう。もう、批判しなくて良い。幸せな仲間と合流して、みんなで幸せになることにしよう。象牙の塔の中で得た幸せではない。敢えて空閑=荒野で見つけた幸福論である。身分に安住する者に分かりはしない。得た自信は絶対である。強いといえばこれほど強いものはない。語れる相手が雲或いは風のみである事が、寂しいといえば寂しい。彼が本来の彼を確立したことは確かである。彼を理解する者はいなかった。これからもそうであるのであろう。しかし彼は確信している。黄泉が彼を受容していることを。生まれた時からそうであったことを。それに気づいた時、彼は生まれて良かったと思ったのだった。この世は素晴らしいと思ったのだった。これから彼はどのようにして生きていくのだろう。きっと幸せを振りまいて生きていくことだろう。生きることが喜びであることを広めていくだろう。愛と平和の実現が自己の建立であったことを以て生きとし生けるものに対してエールを贈るのであろう。怖いものはない。最終最後最大の敵は自分だった。命を賭けて何時か倒すべきはそれだった。倒してどうなるか。宇宙自然生命黄泉としての如来がやさしく抱いてくれる。これが空海も説いた日本の秘密、未来に伝えおくべき事だった。
2008年02月03日
人生本来の目的
金持ち父さんの理論はこうである。従業員である限り貧乏である。金持ちは優秀な従業員を買う。そして自分たちのために働かせる。学校教育は良い仕事に就くために教育する。それは間違いを怖れる。給料が貰えなくなるからである。その教育は間違いに対して罰である。ここが問題である。間違いを認める。間違って良い。間違いから学ぶ。そうして強くなっていく。そしてお金に対して資産をいう。お金のために働いているとお金は出て行くばかりである。資産を買う。資産がお金を生む。その生んだお金で買う。それが資本主義である。かの彼はこれを知らなかった。それでどうにもならなくなった。しかし彼は信じている。最大の資産は何であるか。自分自身であると。お金持ちも本来の目的は強い自分自身の確立だった。それをお金を通してするのだった。そして世界はどうなったか。見ての通りである。新しいパラダイムが必要となっている。金力ではない次なるチカラが必要である。それは何か。何処にあるのか。どのようにして開発するのか。古来日本に秘密がある。開発するべきはそれである。面白いよ。彼はいう。黄泉も従う。絶対の安心がある。お金持ち父さんにそれがあるのかな。ロバート・キヨサキ氏に聞いてみたいところだね。何をしているのだ、経済界。ところで、ロバート・キヨサキ氏は面白いことを書いていた。「戦場では短気と素早い反応で生き残る。ビジネス界では同じ感情で殺される」。かの彼はいっていた。戦争に負けて日本は商人国家となった。占領政策は成功したようだ。まるでアメリカの一部だ。金持ちこそ価値となった。つまらない國になったね。本当の喜びって何だろうね。祖国を失って喜びがあるだろうか。故郷を失って喜びがあるだろうか。彼は取り戻すといっていた。商人根性支配を一掃するといっていた。出来るかな。楽しみだね。悲しみは去ったといっていた。本来日本は晴れやかな明るい國なんだって。何が彼を悲しませていたのだろうね。西洋かぶれだといっていた。かぶれただけだったんだって。あったかな國とあったかな家庭を取り戻そうよ。衆愚では至れない幸せがあるんだって。本来日本は野蛮下劣馬鹿ではないと彼は言い切っていた。何が蔓延ったのだろうね。占領政策に乗じた成金達だといっていた。彼らがお金の力でやりたい放題日本を汚している。その権化がテレビ界、特にお笑いバラエティ芸能界だといっていた。彼らを成功者とはいわせない。彼らこそ日本を腐敗させた大罪悪人だ。お金ではないよ。彼は笑顔で呟いた。彼は余裕を取り戻していた。やっと息が出来る思いをしているのだろうか。これまでは苦しかったらしい。不満と憤りでしかなかったらしい。その理由も分かったといっていた。空気が変わったのかな。彼自身が変わったのかな。彼が変わることで世界が変わるといっていた。彼が変わるとは彼が自覚することだった。黄泉も待っていた。黄泉が大切に育んでいた。生まれた時からそうだった。謎を解かねばならなかった。それが条件だった。爾の時が来たという。世界が変わったのかな。真実とは何だったのだろう。カラスは白いことかも知れないと彼はいっていた。何がいいたいのだろうね。時代は無事代わったよ。戦後の故に困難ではあったけれど、古来大和はさすがに強かだ。彼は微笑んだ。誰が殺したククロビン。コマドリは死んだよ。誰が殺した。死んではいない。埋もれていた知性の復活だ。救いはあるよ。あらゆる欺罔が晴れて新しいスタートラインだ。当然これまでの罪は罰せられる。敢えて悪を為さず犠牲を甘受して耐えてきた君たちの時代が開かれた。彼には何が見えているのだろうね。どのようなチカラが古来大和の秘密だったといっているのだろうね。黄泉の受容祝福守護だった。何が人生本来の目的だったのか。お金ではなかったんだよ。お金を通して夢を実現しようとしていた。何時かお金が目的となった。本来の目的ではなかった。残念だったね。誰がゴールしたか。その方法は何だったか。あなた方の負けだ。本当の幸せとは何だったのだろうね。それを求めて彼は旅をしていた。そして何か見つけているらしい。孤独な旅だったといっていた。日本を救ったよといっていた。彼は憧れを形にした。それは常なる笑顔だった。彼こそ大鏡の主人公だった。生まれた時からそうだった。代々の約束だった。彼には不遜と思われた。世間は何も知らず彼を見捨てた。そして勝手に腐敗した。本来日本、護るべきものがある。世界人類の未来のために。気づくべき時が来た。未来は明るい。戦後、父の無念があった。どうにもならなかった。日本は負けたのである。何に負けたのであったか。それを見極めなければならなかった。彼にしかできない仕事だった。父の子の使命があった。父の無念を晴らす。仇は討ったよ。そのプロセスは既に記録され、天地乾坤が証明しているといっていた。彼は微笑みながらいった。身心清浄正直神国日本復活だ。彼は生まれた務めを果たして、ほっと安堵の息をした。今ラジオによると、櫻島が久方ぶりに噴火し、東京板橋は吹雪である。ラジオでは『津軽海峡冬景色』が流れている。あれは何時の頃であったか。大学入学は連絡船だったのだろう。その頃に気づいていれば良かった。その後も漂流していたなんて。救助船は来ていたのにね。馬鹿だったね。そしていった。申し訳ない。そしていった。もう大丈夫だよ。彼は本当に自覚している。何かを引き受けている。何を自覚し、何を引き受けたのだろうね。彼本来の使命だった。俄に窓の外が明るくなるのを感じた。春は近い。エンジン全開全速力前進。 Get power to be rich land. そしていう。お笑いテレビ芸能界及びその裏にある経済界よ、何時までも大きな顔をしないが良い。此処に宣言する。苦節三十有余年、本来古来卑弥呼乃系譜邪馬台国大和孤独秘密真実真面目知性の勝利である。
復興期の広島、写真500枚に
2008年2月3日(日)11:00
被爆から復興を続ける広島市内で1958年に撮影されたアラン・レネ監督の映画「24時間の情事」。当時、ロケの合間に主演女優らによって写された広島の写真約500枚が、パリの女優の元などに保管されていた。1月初めにパリを訪れた多摩美術大の港千尋教授(47)が確認。復興する街並みや当時の市民生活を伝える貴重な資料で、撮影から50周年を迎えた今年、この写真を広島市内でまとめて公開する計画も動き始めた。
写真はロケがあった58年9月、主演女優で映画初出演だったエマニュエル・リヴァさんと撮影進行記録係のシルベット・ボドロさんが、来日後に買ったカメラで撮り歩いた。レネ監督も時折、撮影をしている。すべてモノクロ写真。主演のリヴァさん、故・岡田英次さんの姿を収めたロケ風景や日本とフランスのスタッフ全員の記念写真のほか、福屋百貨店や原爆ドーム周辺にひしめくバラック、ネオン街、店が立ち並ぶ路地、小学校らしき校庭で遊ぶ子どもたち、宮島の様子などが写されている。
面会した際、リヴァさんから「ロケ50周年を縁に広島の皆さんにぜひ見てもらいたい」と話があったという。これを受けて港教授は今後、広島市民にも協力を呼び掛け、年内に市内で写真展を開きたい考えだ。ロケの様子を記したレネ監督の手紙やロケ日誌、リヴァさんが撮影に使ったカメラも展示する予定。写真集を両国で出版する計画も持ち上がっている。
2008年02月02日
彼の次なる夢
彼から手紙が来た。ギブスが取れたようだ。固まった間接って痛いものだねって書いてあった。早く取れて良かったね。ところでこの度、ロバート・キヨサキ著『人助けが好きなあなたに贈る金持ち父さんのビジネススクールセカンドエディション』を精読したという。メモを取りながら、その都度感想も付記しながら読んだという。理解したといっていた。彼がどうにもならなくなった理由をあらためて認識したと書いていた。そして新たなジレンマに陥っているという。それは世界がそのようなものであるとしてその流れにそのまま乗るべきか、或いは流れを変えるべきか。亦変えるとしてその実現可能性はあるか。世界がどのように出来ているか知ってしまえば、その流れに乗ることは簡単であると彼はいう。しかし既に彼の存在証明と理論がある。それは或る意味で世界を震撼とさせた。まさかと思っていた大和本流だったからである。死んだ筈だと思われていた日本武士道精神大和魂だった。彼自身はその秘密に既に以前から感づいていたという。要所ではそのサインを得ていたという。しかしさらに彼はどうにもならなくなった。そして爆発したのだろう。彼の置かれた立場はあまりにも悲惨だった。その理由もこの度の読書で明らかとなった。さて、思えば既に目に見えない壮大なネットワークの中に彼はいる。知る者は知っている。知らないものは知らない。それで良いといっていた。世界は金持ち父さんの理論でグローバル化していた。救いは「私たちの大きな家は夢ではない。そのプロセスの中で私たちがどんな人間になったか、それが夢だった」という指摘である。彼の夢は実現している。ネットワークも見えない形で出来ている。日々レベルの高い所でそのサインは得ている。父もそうであったのであろう。祖父もそうであったのであろう。代々の謎はあまりにも深い。簡単には解けない。知らない者には秘密である。知る者には事実である。古来日本はそのように出来ている。花は何処へ行ったのか。誰もが探していた。やっと咲いたのである。この意味が分かるだろうか。分からせることも出来ると彼はいっていた。しかしその気はないようだ。譲ってあるといっていた。だが、勝手が過ぎたといっていた。粗末にし過ぎたといっていた。返すべきは返して頂くといっていた。彼は貧学道を通って夢を実現した。彼の目的は善良であるが故に餌食とされ顧みられることのなかった庶民の解放であるといっていた。それに対して金持ち父さんの世界の潮流がある。彼にとって日本は日本である。彼は彼の理論を踏襲するといっていた。そして西洋をも救うといっていた。それは価値の復活である。市場経済は内容よりもシェアの獲得を重視する。そこに価値破壊の論理が隠されている。自然の征服と根絶やしの思想がある。これが野蛮である。東洋は自然の中で共生して幸せであることを知っている。幸せに関する理論も彼は見つけている。これについては割愛する。西洋思想の限界は何処までも唯自己利益追求個人主義である所にある。それ故に夢はお金を媒体とする。彼らの最終目的はどんなに大きな夢も実現出来る大きな自分となることである。しかし無を通ることで至る世界があることを知らない。お金に帰するはインカの呪縛であるか。その他彼の見つけた理論は既に示したという。彼の使命は此処までであり、その後は賢明専門諸英知に委ねるといっていた。守備範囲は心得ているとのことである。彼の次なる夢が書いてあった。理想の伴侶を見つけて個人的な幸せを実現したいとのことである。彼の求めていた準備は調ったといっていた。自信と笑顔も取り戻している。早く実現すると良いね。朝方ラジオを聞いていた。或る宣教師の方が新約聖書の中の言葉を解説されていた。それは盲目は彼が過去に罪を犯したからですか。それとも両親が罪を犯したのですか。キリストは答えた。違う。それは神のわざがその人に現れるためです。因果応報という概念でどれだけの方々が苦しんでいることであるか。それに対する救いであるという解説だったかと思われる。確かにいわれのない苦しみがある。救いはないかと思われる。仏法は敢えてそれを指摘する。やはり悪業の因縁によるとしてこれを真実とする。真実は真実である。重要なのはその解決を仏法は用意している。救いはある。救いがないのだったら因果応報などいわない方が良いに決まっている。いわぬが佛である。それよりも「神のわざがその人に現れるためです」という方が彼には面白い。いずれにしてもこの世は楽しい。何故だろうね。かつてあった疑いがない。憂いがない。不安がない。お金もない。これは問題である。ロバート・キヨサキ氏が面白いことを書いていた。破産による一文無しは一時的であるが、貧乏は一生貧乏である。こちらの方が現代社会に於いては福音である。貧乏を脱する。どのようにして脱するのか。意識を変える。大きな夢を持つ。その実現を信じる。道が見えてくる。そうして見えてきた道を進めば良い。自分の中の貧乏根性から脱する。これが難しい。何故か。内面にある恐怖である。安全に対する妄想である。何を信じるのか。自分を信じる。信じることで飛び込むことが出来る。大死一番、絶後に蘇る。そういうことになっている。するとどうなるか。世界がバラ色に見えてくる。今お金がないからこそ、そうした世界に至ることが出来る。身分に安住する人は可愛そう。それにしがみついている。永遠の幸せを知らない。むしろ地獄の中から這い出すことは出来ない。貧しき者は幸いなりとはこれだった。今、私は何ものであるか。飲んだくれ鉄道員の息子である。聖徳太子は何ものだったか。馬宿の皇子だった。何を馬鹿なことをいっているのだろうね。代々のDNAから何を属性として自分を組み立てるか。その時どのような秘密があるのか。知らないことが多すぎる。何を冒涜したのか。気づけない或いは畏れを知らないインテリゲンチャが世の腐敗に荷担していることを知らない。謙虚さを忘れたら日本を滅ぼすよ。西洋にかぶれて古来大和の精神を知らない方々が多すぎる。日本をどうしようと思っているのだろうね。あったかな日本を取り戻そうね。
NHKラジオ深夜便は面白い。今日の花は節分草。花言葉は光輝。
咲くだけの 光集めて 節分草 高橋悦男
2008年02月01日
彼のチカラ
彼はどのようなチカラを持っているというのだろう。それは生まれた時からそうであったという。それは善くも悪くもそうだったという。しかし自覚はなかった。自覚を待っていた。待っていたのは黄泉だった。そしてその時が来たというのだ。どういう意味だろうね。秘密は彼自身であったと。わかんないね。彼は何を考えているのか。全てはそれである。今までは反射的だった。これからは自覚的となるというのだ。真実は常に両刃の剣であるという。真剣勝負だという。何がいいたいのだろう。神国日本、愚かさと野蛮を脱する。しばらく蔓延ったものがあるといっていた。彼を本気で怒らせない方が良い。何故だろうね。彼は本当に秘密を解いたというのか。例えば、この度初めてクワドラントについて知ったらしい。彼にしてみればそれをどのように理解するか。桑・ド・land。彼は阿呆であるか。社会の堕ちこぼれである。ついてゆけないよ。彼はクワドラントに何を見ているか。彼はいっていた。四民平等は欺罔である。福沢諭吉よ出てくるが良い。そして彼はどうするのだろうね。壊しはしない。このままで良い。欺罔が過ぎた。何を根拠に勝手粗末にし来たる哉。彼を本当に怒らせないことである。時代を開く。彼には確信があるらしい。貧しき民を救う。さて、まだこのようなことをいっているのだろうか。幸せの定義も見つけた。彼にとって基礎作業は終わっている。六祖鉄鉢、微動だにしない。完全無欠の基盤である。不安と恐怖より自由となった。知性及び自信はある。三十有余年を要した。精神は本来日本武士道大和魂身心清浄正直を以て旨とする。幸せにならなくてどうするのか。それこそ申し訳ない。浮かれた時代は正す。等正覚の意思である。