若者よ、君たちは自由を知るだろう
2010年12月01日
- 彼は言います。もう、大丈夫だよ。秘密の通信、超意識の世界、21世紀。これよりこれまでの勝手、一切通らない。試してみるが良いよ。刃向かうも良い。そして知るだろう。真実のやさしさを。仏の眼目は、一切大衆を救うことだった。すべては己自身だった。思うこと。行動。偽りはない。法則どおりだよ。だから、他のせいにしてはならない。この世の一切、己自身の結果だったんだ。幸せはある。それは何だったのだろうね。例えばすべてゆるしてごらん。その時、あなたもゆるされている。そして、自由を知るだろう。誰もが幸せになって良い。それが21世紀の約束、庶民の解放だった。どのようにして幸せになるのだろうね。かつては王侯貴族に限られていた。これまでの方法論ではなれない。大人たちは今、それに失敗している。あらゆる不安のない時、幸せである。君たちはそれを見つけるために生れている。若者よ、君たちは自由を知るだろう。彼は見抜いた。諸悪の根源は自分のためにすることだった。
- 無であること。空であること。それが自由だった。何もないのだけれど、すべてある。それを禅では、無一物中無尽蔵という。私たちは生きている。生きていることにおいて、求めていたものは愛だった。愛はLove。テニスでLoveゲームとは何だったのだろうね。地位も要らない。名誉も要らない。財産も要らない。このような者は扱いにくい。西郷隆盛だった。彼は何故、西南戦争で正調田原坂となったのか。時代を葬るためだった。何を以って、幸せだったのか。それも明らかとなったね。コケ(古家)のむす(結ばれる)まで。私たちは幸せになるために生れてきました。神仏との邂逅があります。黄泉の守護があります。本当だよ。その要件も明らかとなりました。黄泉とは、祖先の総体でした。何を以って、美しいというのでしょうか。六代さかのぼって傷がない。何に傷がなかったのでしょうか。不倫とか、離婚とか、世の悪に染まらぬように。朱に交われば赤くなる。若者達に告げるところです。あなた自身を信じて、この世を変える力となりましょう。その時が来ました。日本は大丈夫です。
日本は大丈夫だよ
2010年12月01日
- バブルの頃、成長が永遠に続くことを信じていました。その中で、バブルの実体が土地に対する重畳的仮装債務であることを見抜いていたのは、司馬遼太郎氏唯一人でした。その後、デフレとなって、どうにもならなくなりました。デフレというのは、人類始まって以来初めてのことでした。そしてどうしてそのようなことになったのでしょうか。長期の平和で露呈する、資本主義そのものに内在していたものだったのでしょうか。取引行為として、ある程度の偽妄はゆるされています。それが原因だったのではないでしょうか。そのように思われます。何もかも、デタラメが過ぎたのでしょうか。そしていつか、このようなことになるのでした。しかし、彼は言います。日本は大丈夫だよ。乗り越える。
この世は今、
どういうことになっているの?
一休髑髏ご用心!
デタラメが過ぎた!
どうしてそのようなことになったの?
真実を知らなかった!
真実って、何? 真実だ!
彼は言う。日本は大丈夫だよ。
もし彼が、
反対のことを言うとどうなるのだろうね。
誰も知らない。知らないけれども、
彼は大きな仕事をしたのかもしれない。
何をしたと言うのだろうね。知る人は居る。
何もかも 失い至る 真実の 彼こそ彼と 空晴れ渡る
これまでは 物語だと 思ってた まさか真実 時の自覚か
あなたこそ あなただったと 気づく頃 お天気坊や 夢の実現
ヨハネの黙示録とバガバッドギーターのテーマはよく似ています。
そして法華経もバガバッドギーターもその名宛人は武士階級でした。
彼は言っていました。真昼の決闘は、遅れて撃っても勝てます。
勝ち負けは、神仏あるいは黄泉の決めることだからです。
そしてこの世はマスターマインドでできていました。
手紙のように
2010年12月02日
- これから始まるのかもしれないね。何が始まるのでしょうか。彼のお話です。ある日、三十年ぶりに彼女と出会いました。そしてしばらく、某ホテルのラウンジで話したことでした。彼女は言うのです。あなたの言葉で聞きたい。その時が来たのでしょうか。彼の不思議な人生[経験]があります。それも確かな事実です。しかし謎は深いのでした。いつまでも勉学の頃かと思われました。いつか畢了します。そして始まります。
- 彼の周囲には今、彼の話を聞いてくれる人はいません。むしろ、馬鹿にされています。それで、このブログでお話しすることにしました。手紙のように。
- 彼に苦悩がありました。故に埋没していました。思い出すのは彼がある日、特殊潜航艇について何か書いた時のことでした。随分と前のことです。その時、何があったのだったでしょうか。オーストラリアで第三の特殊潜航艇が発見されました。彼はそれをサインとして気づいていました。しかしまだ、時ではなかったのでしょうか。その時に、確信して自信となって、自由を得て、世に羽ばたくこともできたのでした。しかしまだ、彼としては、足りない何かがありました。その後も、彼の人生はまるで、地獄を彷徨うかのようでした。見るべきことがあったのでした。
- その後もいつも、不思議なことばかりでした。信じられない日々でした。しかしいつか、そうしたことがどういうことであったのか、知る日が来ます。そしてそれで良いと思えるまでには、さらに試練がありました。すべてそろって始まります。この世はそのように出来ていました。
- それにしては酷な人生だと思ったことでした。しかし今となっては、それが慈悲であったと、心から感謝します。例えば、教えても良いのだけれど、教えられる限りそれは自分のものではないのです。自分の内奥あるいは胸襟よりあふれ出てきて自分のものです。その間、剣道で言えば、七段とのかかり稽古のようでした。それほどまでに、彼は鍛えられました。いつか、彼が目覚めなければならない時が来ると決まっていたかのように。彼の知性及び実力は中学時代にピークでした。誰もが認めていました。しかしその後、埋没しました。何故でしょうね。それも話しておかなくてはならないのかもしれません。そして今では、そうしたこと(彼の中学時までの実績)が貶められています。彼は言います。その差は決して埋まらない。
- そして今、彼は何を確信し、何を得ているのでしょうか。それをどこまで書いていくのでしょうか。少し、ためらいもあるようです。