廓然無聖の朝日が昇る


昨夜、本当の本当のところに気づいて、あまりもの馬鹿馬鹿しさにうれしくなって、今、私にはお金はないのだけれど、いい年して、母から小遣いもらって、夜の街にでかけました。夜の街といっても可愛いモノで、出かけたのは呉駅の裏側にある本屋さんです。そこでいろいろと見て、ゲットしたのはソフトバンク・クリエイティブから出ている『初心者はここから!プログラミングスタ→トガイド』ゼロ円。これがおもしろくておもしろくて、それは例えば、各出版社から読書人に対しての案内の小冊子のようで。それから駅前のジョイフルへ行きました。何故か眠くて、眠くて、このままではおもしろくないと思ったので、近くの屋台へ行きました。それは去年の五月に新たに出店した『あしあと』というお好み焼き専門の屋台です。そして再びジョイフルに帰って、朝まで過ごしました。実は、眠っていました。目覚めると朝で、これがまた、廓然無聖の空でした。そしてJR呉線で帰ったのでした。その電車の中である発想が出てきて、メモしました。

ホームページをとりあえず見直そうと思ったのは昨日のことでした。内容において粗野なところがあるからです。しかし気づけば、凄いプログラミングをしていたのかも知れなかったのです。そうであることは、既に気づいています。それは或る意味で、瓢箪から駒でした。自分としては、自分の問題として、何とか自分を救いたいと思って懸命にもがいていたに過ぎなかったのです。しかしそれが日本を掬い、世界をも掬うに足る理論に発展していたのでしょうか。気づくと Something great だったのです。その方法論は既にありました。明確な目標ってのがそれです。しかし何を目標にしていいのかわからないままだったのです。それほどまでに暗闇の中にありました。それより脱する方法はあるのでしょうか。ないのかと思っていました。あるのですね。そしてそれは算数の問題を解くに等しくて、解いてしまえば簡単だけれど、解くまではわかりません。必ず方法論はあるのです。

気づいてみると周囲が魔法にかかったように思えるのです。或いは時間が止まったようです。これが王選手もいっていたボールが止まって見えるということでしょうか。落合選手もいっていました。ホームベースの上の空間を指さして、此処がストライクなのだから、ストライクを打てばいい。そして世界が現実に動き始めたのを感じたのです。以前は感じていたに過ぎなかったことが、現実となっていました。それは何でしょうね。掴んだものしかわからないのでしょうね。彼は本当にとてつもないことをしでかしたのかも知れません。本人は偏に導かれていたといいます。或いは、育成されていたのだそうです。

しかしまだまだ粗野なところがありました。それでホームページを見直そうと思いました。しかしそれはとても膨大なモノになっていたのです。そしてそれは多大なヒントに満ちあふれています。このまま、提供していいのではないかと思うに至りました。個々の修正は、これから少しずつ手入れすればいいのでしょう。全体の趣旨から、伝わるべきは伝わっていると思いました。例えば同じ表現でも、芸術性があれば合法であり、もっぱら傾向犯的であれば違法です。判断は個々の裁判官ではなくて、裁判所がします。

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