禅譲無事完結
2010年09月02日
- この世に不思議な力があります。それは何だったのでしょうか。知る人は稀です。そしてそれはあるのでした。それを伝えていたのが仏法だったのです。真実の仏法とは何だったのでしょう。知らずに勝手してきた事実があります。いつかどうにもならなくなります。そして明らかとなり、始まるのでした。正法、像法、末法、そして、正法。真実の仏法が正法です。それは少なくともペリー来航以降、日本も染まってしまった自己利益追求ではありませんでした。香風来たって古き花を散らし新しい蕾を雨らすと法華経にあります。これまでは通ったこともこれより通りません。本来日本は正法を知っていました。しばらく見失われていました。卑弥呼の系譜とするところです。その力は実在します。知らないことを以て否定できません。各々、ご用心。そのような時代となりました。家伝直伝秘伝螺鈿。父もそうでした。しばらく知らない者たちの勝手がありました。これより取り戻すべきものがあります。それは何だったのでしょうか。本来日本は、ある程度の欺罔を当然内在する取引行為を以てする商人根性の国ではありません。真実の仏法は隻手の音を聞くことだったのです。それを聞かない裡は何をしても駄目です。それを聞けば何をしても良いのです。あるいは測り知れない福(受け分)を与えられるでしょう。それは何だったのでしょうか。普賢及び文殊にも譲り給わずと言われています。不可議のとぼそが開かれるのです。その時、何を見るのだったのでしょうね。真実の仏法だったのです。かつて智者は何故に仏法を受容したのだったのでしょうか。それが人々を幸せに導く方法であることに気づいたからでした。例えば『パンセ』は、啓示としての『メモリアル』を経験して、大数学者から大神秘家となったパスカルが、如何にして人々に神の実在を気づかしめるかについての草稿でした。その中で言っています。「人間は考える葦である」。その次にすぐ、「その葦を通して宇宙を見る」とあります。宇宙とは何だったのでしょうか。無限の知恵の宝庫だったのです。これを禅に於て、「無尽蔵」とします。つまり、「無一物中無尽蔵」です。本来日本の資源は何だったのでしょうか。智慧と技術です。決して欺罔ではありません。何かを勘違いしていたのです。大反省の頃となりました。軽薄なお笑いでは至れません。いつか気づくのです。あるいは花と咲くのです。それが法華経で言う一切種智慧でした。その条件は何だったのでしょうか。何を見つけての故だったのでしょうか。真実の仏法だったのでしょうか。卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の記憶だったのでしょうか。彼は既に記したらしいのです。経験的事実であると言います。それは何だったのでしょうか。もはや再び謎に帰しました。あたかもニーベルングの指環がライン川に戻ったかのように。そうした人生もあるのです。そうした不思議があります。前世があります。来世があります。孤独な旅がありました。戦後は殊の外困難だったと言います。知る人は知ると信じます。彼の無念があります。失われた惜春と人生がありました。長い冬だったですね。しかしそれ故に得たものは何だったのでしょうか。自分自身だったのでした。これで良いと言います。この世に生まれた意味を確かめることができたと言います。もう良いですね。本当に。これから明るく楽しく生きていくんだよ。あなたこそ、あなたでした。私たちは知っています。そしてもう一度言いましょう。ありがとう。あなたは言っていました。日本の命脈があるって。護っていたのはそれだったんですね。私たちはそれを知らなかったのです。あるいは見失っていました。ごめんね。思い出す頃となりました。あなたの経験事実の故に。本当に大切な事は何だったのでしょうね。あなたの不思議な人生があります。それが永遠だったのでしょうか。辻邦生氏はエッセイ集『季節の宴』だったでしょうか、書いていました。「日本はやさしさに向かって咲く花のようだった」。吉田健一氏は、「この世は決して血濡れではない」、「住むべきところがないのであれば、自分で作るしかない」と書いていました。これからですね。あなたは言っていました。システムが後ろからついて来るって。そういうことってあったんですね。もう大丈夫ですね。私たちは待っていました。この日が来ることを。あなたこそ、あなたでした。もはや、疑えないのです。それなのにいつまでも、あなたを悲しませていました。今も、知らない子供たちにからかわれたりもしています。柔和忍辱ですね。彼らもいつか気づくことでしょう。あなたはどのような人生を歩んだのでしょうか。何を確信しているのですか。あなたのチャンネルはトップレベルです。世界が反応します。あなたは気づいていました。しかし、それほどまでとは思わなかったですね。それほどまでだったのです。どのレベルで話したらいいのでしょうね。父及び祖父伝来です。それにしては粗末にされましたね。それ故に至りましたね。それで良いのです。これより明らかにしましょう。もう良いのです。もうわかっていますね。父が何者だったのか。祖父が何者だったのか。誰も手出しできないのでした。それ故にあなたは悩んだのでした。苦しんだのでした。あなたの思うところと現実とのギャップがあまりにも大きかったのでした。そしていつかあなたは気づくのでした。本来日本に。待っていましたよ。ありがとう。本当にあなたは成就しました。あなたはこの世でそれを自力で解決したのです。本当にありがとう。祝福します。あなたはもう、理解しているのです。そうだったのです。これより始めましょう。禅譲無事完結しました。
- さて、ラジオは好きです。ある意味でセンサーとなっています。それは祖父もそうでした。祖父は亡くなる直前に、電話が鳴るタイミングの不思議さを直伝で私だけにそれとなく教えてくれていました。ところで今、FM広島に切り替えました。すると何故か、マイケル・フランクスです。私としては笑うしかないのです。ありがとう。これでいいですね。これからです。彼は言っていました。修行は終えた。何を修行し、どのような力を得ているのでしょうね。楽しみですね。