朝、目覚めると

2010年08月16日

  • 朝、目覚めるとNHK-FMでラベル作曲『亡き王女のためのパヴァーヌ』が流れていました。演奏はアシュケナージのピアノで、何とも情感豊かな世界がありました。教育の目的は人間性の涵養と社会性の育成といわれていて、その要諦は何よりも情操教育だろうと思われます。不図思い出したのは、クリュイタンス指揮、パリ音楽院の演奏イメージでした。そしてある時、ユーミンがラジオで言っていたのを思い出しました。それは失ったものはいつか、取り戻すことができるからっていうことです。クラシックの系譜があります。モーツアルトはハイドンを継承し、ベートーベンはモーツアルトを継承しました。牧歌的な楽曲には、ワーグナーのジークフリートが通奏低音として流れていたりします。それが聞こえてくるまでには聞き込む必要もあるのでしょうか。そのようにして進化しているのです。ところですべては白隠禅師のいう隻手の音を聞いてからであるようです。これを聞かない間は何をしてもだめで、これを聞いたら何をしても良いといわれています。しばらく地に埋もれていた知性と感性があります。祖先及び国家並びに歴代の賢者に感謝して復活の頃となりました。観念がいずれ現実化することは、インド哲学が既に見つけていました。その意味で、ダビンチもそうだったのです。今もそうです。知性の勝利とするところです。馬鹿になることが幸せではあり得ません。何を勘違いしていたのでしょうね。世界は軽薄を好みません。野蛮などもってのほかです。戦後、平等の名で何をしてきたのですか。憲法理論に於いて、平等と自由は相反します。それは本当の平等を知らなかったからです。本当の平等とは機会均等などではありません。結果の平等でもありません。それは例えば、象には象の食事があり、蟻には蟻の食事があるということだったのです。それぞれに満たされる自由があるのです。象に蟻の食事では足りません。蟻に象の食事は必要ではないですね。それで良いのです。それが多様性を認めることだったのです。私たちはむしろ、平等ということを以て、何かを必要以上に貪っていたのではなかったでしょうか。それでは不幸に赴くに決まっています。それぞれの食事の量は決まっています。それは保障されていたのです。聖書に於いて小鳥には日々、食事が与えられているとするところです。何かを間違っていましたね。それで地球温暖化でしょうか。いずれにしても、真実は真実です。いつか真実の花が咲きます。咲くまではわかりません。咲いて知るのです。真実の花が咲くためには、時を要します。属性を要します。自覚を要します。本当の実力とは何だったのでしょうか。見えない世界に認められることだったのです。そしてすべて見えない世界で決します。その時、本当の幸せがあるのです。権力ではありませんでした。それは市民革命で克服されていました。武力でもありません。それはヒロシマによって克服されました。しばらく金力かと思われました。それが今、克服されようとしているのです。物質的なものをいくら追い求めてもそれはむしろ普遍的愛から遠ざかるのでした。私たちは幸せになるために生まれています。見えない世界の受容祝福守護を得てそれはあるのです。新しい時代のパラダイムとなりました。暮らしにやさしさを取り戻して涼しい風が吹いて来ます。禅のお話にどうして扇(智慧)を使わないのかとあります。暑い西日に対して夕日には夕日の良さがあるとします。すべて私たち自身(心、魂)より発します。今年の夏はとても暑いですね。この傾向は警告されていました。しかし私たちは気づかないままでした。今となっては、認めざるを得ないですね。さて、この暑さを乗り越えることができるでしょうか。やがて夏も秋となります。それで良いのでしょうか。来年の夏はどうなるのでしょうね。私たちが変わることで世界が変わります。何を変えるのでしょうね。私たちの悪性です。これがある限り、私たちは滅亡します。それに気づいて、万物の霊長として賦与されている神の七つの力を自覚することです。そして、何をしてゆくのでしょうね。人類として試されています。私たちの本体は魂です。この世の生は過去からの旅の途中です。この世で何をしますか。地球にとって、人類などどうでも良いのです。恐竜が滅んだように人類だって滅びます。不安がありますね。それも乗り越えることができます。それが武士道は死ぬことと見つけたり(葉隠)でした。少なくとも武士には精神修養がありました。それを知らずに解釈していませんでしたか。それも見つめ直す頃となりました。私たちの生命としての進化傾向があります。私たちは何を求めて生まれていたのでしょうか。何かを犠牲にして自分たちさえ良ければいいということではなかったはずです。それはカルバンに発する重商主義であり、自己利益追求市場主義として結実し、世界はそれに染められてしまいました。自然及び諸価値を破壊して顧みることはありませんでした。公害がそうでした。仮登記担保及び譲渡担保もありました。明治以降及び戦後、現代支配階級に根本的な反省はありませんでした。その上での繁栄だったのです。それが勝てば官軍だったのです。問われていたのはそれだったのです。気づく頃です。真実は埋没していました。しかしいつか花と咲きます。花はどこへ。今も昔もここにあるのです。これが一切種智慧です。それは法華経に秘められていました。宿王華として。私たちは知らなかったのです。それは無理もありませんでした。時及び属性並びに自覚を要します。そして今、知る頃となりました。故に彼は家伝直伝秘伝螺鈿の槍を以て言うのでした。国旗掲揚、君が代斉唱。未来は明るい。