- 自分が変わることで世界が変わります。どのようにして変わるのだったのでしょうか。
- 昨日、由緒ある『心』という文字を頂きました。このような形で、それは来るのだったのでしょうか。思わぬ形でそれは来るのでした。さらに14日にはご本尊様とでもいうべき文字を頂きました。何故だったのでしょうね。それはやって来ました。
- 夢のようです。しかし現実です。今朝、家路に就いたのは午前三時を回っていました。そしてラジオにスイッチを入れるとニュースが流れていました。その中で、「人間を盾とする……」という表現がありました。思わず苦笑しました。再びスイッチを入れると、流れてきたのは大塚博堂作曲、布施明歌、『めぐり逢いつむいで』でした。冗談がきついぜと思いました。
- それはそれとして、それは子供の頃からありました。しかし自覚が来なかったのでした。それほどの現実があるのです。それで良いと彼は呟いた。世界も驚いています。そして何を選択し、何を確定したのだったのでしょうか。大きな仕事だったのかも知れません。
- 彼は使命に耐えました。そして成就したのでしょうか。感謝するしかないですね。本来日本に。そして祖先に。誰もがこの幸せを享受することができます。時代は開かれたのでしょうか。尾崎清彦氏もヒロシマフェニックスホールに帰って来ます。亦逢う日が来たのでしょうね。さよならの秘密も解かれています。
- 「涙の数だけ幸せになれる」。それも真実でした。この世に、とてもこの世で解決できないほどの絶望があります。絶望にもレベルがあります。それをも乗り越える。その時、掬いが来るのでした。人間って偉大ですね。彼はいいます。裸になるが良いよ。身も心も。
- すべて失って始まる人生があります。それも真実でした。一切自分のためにしない。それが愛だったのです。あなたは幸せですか。それはあります。一緒に探しませんか。ご案内することが出来ます。
- それほどの人生があります。あなたは幸せになるために生まれて来ました。彼はいいます。幸せになって良いんだよ。嘘とバイオレンスより自由となってそれはある。タガメとメダカを同じ水槽に入れて平等ではない。いじめの構造である。
- 生きることを理由に、自分を偽っていませんか。それが不幸の原因でした。幸せになりましょうね。本来の自分を見つけて。そして素直に生きていくのです。必ず幸せになれます。
- 誰もが通る道です。誰かが証明します。証明があれば定理です。誰もがそれを使って良いですね。それが技術です。そこよりはじめればいいのです。
- 釈迦も苦行をしました。そしてその無価値を知ったのです。無価値と知って意味のない人生を歩むのは愚かです。学びがあります。そして始まります。
- 習うという字がありますね。裏羽の白い部分は親鳥の飛び立つ後ろ姿です。それを見て飛ぶことを学びます。大人達よ、懺悔有り。
- 学校教育に今、取りもどすべきものは何でしょうか。教師に対する親の包括的懲罰権の委譲かも知れません。亦、医療現場に取り戻すべきは何でしょうか。何が医療現場を萎縮させているのでしょうね。ある時、日本一の名医が尋ねられました。あなたの診療的中確率はどれくらいですか。67%。野球では3割打てばヒーローです。医療過誤責任追及こそ問題ではなかったですか。裁判所の良識は何処にあるのでしょうね。
- 敢えて申し述べます。あまりにも損害賠償の形式化があったのではなかったでしょうか。それは何かに迎合した裁判所としての責任逃れと保身があったのかも知れませんね。亦、権力をただそれだけで敵視するマスコミの横暴があるのかも知れません。
- 司法の消極性は統治行為に関することであって、市民生活の秩序維持についてはむしろ積極的であって良いのかも知れません。それ故の知性の殿堂としての裁判制度であると思われます。市民もこの点については期待しているのではないでしょうか。故に弁護士としての資質が問われます。取り戻すべき日本の諸価値があります。