愛と平和と自由
平成22年1月9日
- 人類の願いは愛と平和だった。そして生命進化傾向の目的は、自由だった。愛とは動植物及び岩石も喜ぶ周波数だった。それは自分のためにしない。その時、神風も吹く。大自然が証明する。それが廓然無聖、祖師西来意だった。山田無文老師は言う。「聖諦第一義はわかっても、この廓然無聖はわからない」。
- いつか航空機が爆撃に使われるようになって、大量殺戮の時代となり、市民が盾となった。そしてヒロシマに至り、現代戦争は国家の紛争解決の手段として無価値となった。私たち日本は周辺諸国家及び相手国並びに我が国民に対して、多大な犠牲を払って身をもって平和の意味を学んだ。これより未来=子供たちの夢は、殺戮なくして平和を勝ち取ることである。
- 自由とは何だったのだろうか。それは、自分の意に反して何事も強制されないことであった。嫌であれば、立ち去れば良い。吉田健一氏は書いていた。「住むべきところがないのであれば、自分で作るしかない」。
- そして日本国憲法は法律というよりも歴史的所産である。人類の願いの総集編であり、大宇宙及び大自然に対して、反省を伴う宣言だった。また、プログラム規定である。その実現の頃となった。その間、公害があった。銀行に於ては、仮登記担保及び譲渡担保があった。それが経済的自由かと思われた。また、派遣切りもあった。そして今、デフレとなって、若者たちの就職は形態の変遷を余儀なくされている。企業としてもどうにもならない現実がある。
- 時代は変動した。新しい時代である。文明諸国家は不安に苛まれている。鬱が多い。心因反応はだれにも起こりうる。ハンセン病も、真実を知らないまま、恐れられていた。この世は見えない世界で決する。観念がやがて現実化する。ダビンチもそうだった。私たちは今、何を思うのか。一切の不安のない世界である。身も心も豊かになる。そうすれば争いはない。
- 新しい時代である。豊かな時代が見えている。よかったですね。心からの笑顔が花咲く頃となった。本来日本、身心清浄及び正直を以って旨とする。日月照らし、風が吹く。