思い出
2011年01月09日
- さきほど、竹内マリアの特集をNHK深夜便でしていた。竹内マリアといえば、思い出がある。学生の頃だった。ある友達を訪ねた。友達は小学校の頃の親友だった。彼は転校生だった。出身地は高知である。父親は海上保安庁第六管区巡視船の艦長だった。彼の家を訪ねては、チェスをしていた。彼は鳥が好きだった。近くにやってくる鳥を識別できた。そして彼はさらに転校した。小学校卒業の頃だった。彼を見送ることが出来なかった。彼はそれをしばらく恨んでいた。何故、見送ることが出来なかったか。その時、扁桃腺の手術をしていた。その後、彼との文通で事情を説明しうることが出来た。彼は受け入れてくれた。そして、随分と彼と会うことは無かった。そして学生になっての頃だった。彼は東京中野に下宿していた。彼をを訪ねる機会を得た。小学校卒業以来のことだった。彼を訪ねた。しばらく彼の下宿に逗留した。彼の部屋には、野良猫が訪ねて来る。そして彼の仲間の一人に、早稲田大学応援団の一員がいた。彼を慕っていた。そして突然、誘われた。それは、武道館での新宿音楽祭(当時、ラジオ界でのレコード大賞)への参加だった。条件は、竹内マリアの応援である。彼女がステージに立った時、「マリア!」とエールを贈ることだった。私たちは出向いた。そして二階の良い場所に陣取った。条件は果たした。その新宿音楽祭では、ジュリーも山口百恵もサザンオールスターズも賞を得ていた。その後、彼らは皆、大成功だった。東京中野の居酒屋に連れて行ってもらって、はじめてドジョウの料理を食べた。その後、彼とはしばらく会うことは無かった。そして随分と経って、彼が呉に逢いに来てくれた。彼の思い出のところを案内した。そしてさらにしばらく経って、再び彼を訪ねることがあった。彼は社長をしていた。嫁さんは三十代で、かつて空手の全日本女子チャンピオンだった。車はセルシオの最上級車で、家はパナソニックのオール家電住宅だった。彼に歓待された。しかし彼の身体はぼろぼろになっていた。何度か救急車で運ばれていた。今年も彼から年賀状が届いた。何とかこの一年を乗り越えたらしい。時代は代わった。彼は気づいているだろうか。これまでの方法論は一切通らない。そして最大級の大チャンスの時である。彼をも幸せの流れに取り込んで、考えるべきことがある。そしてNHK深夜便で明治大学マンドリンクラブを話題にしていた。やはり学生の頃である。その頃思っていた彼女は広島大学でマンドリンクラブに所属していた。そして明治大学マンドリンクラブとのジョイントコンサートに招待された。とても素晴らしい至福の演奏だった。懐かしい思い出である。さらにラジオ深夜便では横浜を話題としていた。横浜にも思い出がある。ある日、鎌倉を一緒に歩いた彼女と、夜の帳が降りた頃、山下公園のベンチで二人で坐っていた。波の音がチャポンチャポンと聞こえているだけだった。その後、パソコン通信をして知り合った彼女がいた。彼女は前田利家氏の末裔である。呉にも二度逢いに来てくれた。やはり懐かしい思い出である。その頃はこうした因縁がわからなかった。今は理解している。そして何故埋没したのだったか。彼は言う。明治及び戦後の故である。失われたものはあまりにも大きい。しかし彼は咲かせた。何を咲かせたのだったか。本来日本の命脈である。何が真実だったのか。何が本来日本の秘密だったのか。すべては伝えられていた。だが、よほど都合が悪かった。知らないことを以って否定した。見えない世界がある。この世は見えない世界で決する。百代あるいは六代の過客の約束がある。本来日本天晴れ廓然無聖歴代の秘密、見事に伏流する。真実が明らかとなった。馬鹿になることが幸せではない。一休髑髏、ご用心。黄泉が裁く。本来日本、廓然無聖祖師西来意。日月照らし、風が吹く。あなたはあなたで良い。あなたは何を選択するのだったか。選択の自由がある。黄泉にも好みがある。黄泉は誰を祝福するのだったか。その時、すべてが明らかとなる。時代は決した。日本は愛と平和と自由を以って新しい時代を開く。限りなくソフトになる。すなわち、やさしさである。そして日本精神骨抜き占領政策は失敗に帰した。すなわち、
もののふの やさしきこころ ふれしかば この道たれと ともに歩まむ
さて、黄泉とは祖先の総体である。そして神仏は実在する。幸せは、神仏と邂逅し、神仏に受容祝福守護され、自分自身が何者であるかを知ることだった。六代遡って恥じるところなくんば祖先こそ寳である。即、一切種智慧。