もういいんだよ
2008/12/05
- 身体はリラックスしていて、それでいて精神は正念相続し、自然体でありながら微妙な光明のあって、後光も射しているかのような力勢があるってのが良いね。そして存在或いは参加する事で、何かしら加護がある。そうした状態もある。不思議だけれどそうなんだ。それは見えないから、不可思議である。さて、親鸞はいった。佛は我一人のために法を説く。仏法とはそうしたものだった。橋本凝胤老師も禅は自己一身の問題であると云い切る。故に行を要すると。一切大衆を救うというのが佛の大願だった。大衆というのは人間以下で、これが救われなければ、永遠に地上の救いはない。救いのないままに、この世の所行に苛まれ、再び悪道に墜ちる。それが憐れだった。救われる方法を知らない。知らないで、いくら一所懸命にしても、所詮方法を誤る。間違えば間違った結果となり、永遠に六道を彷徨う。それで何時しか佛にお願いするようになった。助けてください。お願いするようになって久しい。釈迦入滅後、二千八百余年が過ぎた。佛と佛との約束があった。一切大衆を救う時が来る。東へ伝えよ。伝えられたのは日本だった。
- 文字は意味を成す。相手に何か伝えたい。文字は音声となって会話或いは対話となる。相手が聞いてくれない。どうしてだろうね。正しい事をいっている筈である。だけど耳を貸してくれない。その音声に問題がある。相手が話を聞くのはその内容ではない。その人格或いは態度である。つまり姿勢だった。これが音声に表出している。音は欺けない。相手の魂がゆるさない。平生往生である。役者の演技も見抜かれる。演技演出は演技演出であって、真実真心誠実ではない。明るい未来への道標が此処にある。
- そういう事だったのだね。黄泉及び天は全て知っていた。この世はテクマクマヤコンだったんだ。或いは『ネズミの嫁入り』、或いは『青い鳥』。真実は常に伝えられていた。『浦島太郎』、『竹取物語』、『舌切り雀』、『花咲爺』、『桃太郎』、或いは『日本霊異記』。旅をする必要がある。何時か辿り着く。時を要する。諦めない事だ。全ては準備されていた。仏さんの準備もそうだった。やがて地図も見つかる。宝の蔵が見えて来る。その扉を開く方法も教えて貰える。最後の扉は自分で開くしかないとしても。そして喜び世界が待っている。それを彼は地上ヘブンといった。天と地との微笑み返しとなる。法華経では、「唯独(ひとり)自ら明了にして 餘人の見ざる所ならん(平楽寺書店刊『訓読妙法蓮華経并開結』p315)」だった。大道無門。何時何処から入るのか。それが問題だった。何時か時は来る。諦めない限り必ずそれは来る。それは火裏蓮、或いはフェニックス。亦自己の悪性を焼き尽くす函数の箱である。飛び込むしかない。勇気を要する。命をも賭ける。全て失う。何もかも。人生も青春も。それが試練だった。しかし代償の法則がある。失ったものが多ければ、得るものも大きい。何を得るのか。得た者でなければわからない。救いは誰もがその可能性を持って生まれている。人間である限りね。それが一切衆生悉有仏性だった。しかし容易ではない。前世からの約束もある。
- 良い時代となりました。21世紀です。人類も進化し、既に歴代蓄積された英知と技術があります。良い時代にしましょうね。それぞれ持って生まれた己の徳性を十全開花して生きる暮らしが待っている。それが平等であり幸せだった。不幸とは、己の属性の可能性と現実とのギャップだった。それを阻害していたのは何か。欺罔と暴力だった。カンニングで世に出て、自由と平等を履き違えた方々の成した閥だった。しかし良い時代が見えている。敵の姿が見えたからだろうか。目的が定まれば、手段はいくらでもある。
- 昭和五十年はチャンスだった。その頃に開花出来ていた。黄泉の計画ではそうだったようだ。しかし埋没した。いうにいえない理由があった。その後、昭和五十二年、晴れて大学に入学出来た。幻の第八帝大、法学部一期生としてだった。これも準備されたのかも知れなかった。此処で気づくべきだった。しかし気づけなかった。それも戦後の故だったか。誰もが同じとする平等概念の故だった。入学試験は五十数年ぶりの大雪で、辺りは雪国だった。卒業後、その大学のキャンパスは日本一となった。北海道大学を凌駕しての事だった。フェニックスは正門前に全共闘の看板と並んであった。
- 気づくべきは気づいた。見るべきは見た。聞くべきも聞いた。学ぶべきは学んだ。そして反省が来た。悪いのは全て私自身だった。諸法実相、全てと思われるくらいに。そして見えない世界にお詫び申し上げる。謝るべき時に、謝るべき場所で。それは梵天帝釈も踏み給うべき一天の戒壇だった。二度と同じ過ちは犯さない所存である事を以て。
- 子供の頃には祖父に連れられて、日曜日毎に出掛けた。逢う人逢う人みな良い子ですねと云ってくださった。何かをねだったりするような事は一切なかった。殆ど会話もない静かな子だった。しかし悪性も強かった。悪戯は随分とした。山の頂上から急峻な小径を走り降りたり、危ない崖で遊んだりした。ある日など、海外航路の船員が父である友達の所にあったロープでターザンごっこをした。私の順番の時に切れた。振り飛ばされて段々畑の跡地の松林を数段転げ落ちた。止まった所は、川の淵で、膝から先は数メートルの崖だった。背中を強く打って、一週間屈伸が出来なかった。峠の坂道で、穴ぼこがあった。弾みで頭から墜ちた。一緒にいた友達が面倒を見てくれた。10分ほど、意識がなかったらしい。近くの整形外科に行くと、唯のたんこぶだということだった。中学の頃から悪性が激しくなった。その頃思春期となった。己の悪性と戦う旅が始まった。高校の頃には勉学をせずに、読書と手紙ばかりだった。それまであまり本は読んでいなかった。夏休みの宿題に読書感想文があった。旺文社の全国版だった。1200人在校生がいる高校で入選した二人の中の一人だった。あらゆる要件を満たしていたらしい。その後、国語の先生に文芸部に入らないかと誘われた。一時間くらいだったろうか、寒い冬の校庭の鉄棒の辺りで。その頃、文芸は何処か女々しいと思った。その気になれなかった。学生の頃には随分と読書もしていた。その頃の彼女からは冗談だったろう、後光が射しているとか云われた。昭和五十年の事だった。いうにいえなかった。我慢強いのも問題だったね。癒すに癒せない傷を心に負ってしまった。その後の人生と青春を失った。祖父が他界した頃だった。これをこの世で乗り越える事は出来ないと思われた。それほどの試練だった。しかし何時かこれと対決しなければならなかった。
- その時が来た。最終最後最大の敵は自分だった。それは最終決戦であり、自己の裡に棲む魔との戦闘だった。これが使命だったか。戦いはこれだった。最終決戦である。本来大和は負け戦はしない。時を待つ。時期が成熟する時である。それまで準備する。はじめは負けたかと見ゆる。相手があれば先ず受容する。そして克服凌駕する。戦う時は準備が出来ている。それが大和の秘密だった。勝敗は構えた時に決まっている。カードは全て切り札となっている。自分の力だけでは勝てない。味方につけるべきは何か。黄泉。それが大義名分だった。その時、神風も吹く。雷を呼ぶのは金剛杵。大風を制御するのは草薙の剣。黄泉を味方につけるとはどういう事か。祖先を味方につける事だった。祖先も護るべき子孫を選ぶ。祖先に好かれる事である。それが全てである。祖先の力は大きい。本来日本は神国或いはシャーマンの國である。そして彼は彼自身を倒した。それは日本を救ったかと思えた。明るい未来を拓いたかと思えた。21世紀の約束、心の大地を。それほどの人生が既にあった。種々の不思議な経験が色々とあった。今は割愛する。務めは果たしたと思った。今となっては全て本当だったのかも知れない。
- ねぇ、旅は終わったんだね。それは戦いだったんだね。一人で戦っていたの? もうこれで大丈夫だっていってたね。それで自分にやっと帰る事が出来るね。試練は越えたんだね。達磨は面壁九年だった。彼は三十有余年を要したか。しかしよくやったね。
- 生かし生かされ生きている。浄瑠璃の人形のように。あまりにも酷だったのかも知れない。しかし耐えられない試練はないという。これより穏やかに生きていく。そうしなければならない理由がある。特殊潜航、孤高孤独、孤立無援。しかし成就或いは成道した。魂の可能性を証明したのだろう。未来へ。宇宙自然生命黄泉と魂は即座に呼応する。。山彦のように。或いはその時にどーんとなる太鼓のように。あの鐘を鳴らしたか。それは本当だった。諦めてはいなかった。何処かに自信の火種はあった。一度は喪失した自信だった。何時か必ず燃え上がる。その時までが試練だった。或いは伏流である。夢は叶うんだね。本来自分に帰る時が来る。戦いは終わった。戦い抜いたんだね。一人戦っていたんだね。知らなかったよ。そして勝ったんだね。みんな気づいているよ。魂レベルでね。自然が証明しているね。生命も喜んでいる。よくやったね。ありがとう。爾の時が来たんだね。あんたはやり遂げたんだよ。大きな仕事だったね。黄泉が力を貸してくれたんだね。導いていたのも、準備していたのも黄泉だったんだね。それが宿命って云うの?不思議な事があるもんだね。でも、事実だね。わかっているよ。もう、いいんだよ。頑張ったね。やり抜いたね。彼はいった。自ら出る事はできない。善は仏さんの所にしかない。仏さんに出会わなかったら、この最終決戦はなかった。勝利もなかった。自分自身に気づく事もなかった。そろそろ安住の地を決める事にしよう。彷徨った事だった。自分を探して三千里。空閑まで彷徨い来た。帰る頃だね。旅は終わった。