究極の富
2013年10月27日
- 富とは何だったのだろうか。物質的富と精神的富がある。時代は今、前者しか富と思っていない。オリエントにおいては後者だった。オリエントにはギリシアもキリストも含まれる。見える世界と見えない世界がある。積善の家とか言われる。それは見えない世界に富を得る手段だった。すべて仏の方に投げ入れよ、とも言われている。それで修行僧の所有物は三衣鉄鉢のみだった。精神的自由は絶対的に保障される。物質的自由には公共の福祉による制限がある。よく考えられているね。これらの理念は崇高である。いい時代とする所以である。さて究極の富とは何だったのだろうか。それが明らかとなった。かつて四聖が気づいていたところである。そろそろ私たちも気づく頃となった。工業化すれば公害がある。産業革命の頃のイギリスもそうだった。それで世界の工場が転々としている。日本もそうした時代があった。今は、中国である。これからアフリカだろうか。そろそろ反省しなくてはならないだろう。それでどうなるのだったか。放射能汚染について、各国の核実験でどれだけの放射線が発散されたのか。また、オゾンホールはどうなっているのだろう。宇宙線は放射線である。環境ホルモンとか言われていたが、その原因は放射線ではなかっただろうか。そして今、あまりにも子供たちに発達障害が多くなっている。どうするのだろうね。それで得た富で幸せになれるだろうか。考えるべきことがある。何だろうね。何が幸せだったのか。愛である。自由である。それらをお金で買えただろうか。どのようにして愛を得るのであるか。自由となるのだったか。知性だった。「人間は考える葦である。その葦を通して宇宙を見る」とパスカルは言った。パスカルは気づいていたのだろう。究極の富は、最高位の精神的な富である。それは見えない世界に受容され祝福されることだった。その時、絶大な守護がある。貧しき人は幸いである。神を見るからである。これが本当のハングリー精神だった。道元においては貧学道だった。真実とは何だったのか。神仏の実在とそれとの邂逅だった。みんな、それはないと思っている。それで旅の恥はかきすてとばかりにこの世を生きている。草鞋銭は請求されるよ。そのために、見えない世界に富を蓄えておこう。すべて見抜かれている。心の奥底まで。私たちは見えない世界の住人から見れば水族館の中で泳ぐ魚に過ぎない。見えない世界にどのようにして合流するのだったか。それが生命体としての課題だった。ビッグバンの時に見えない世界が吹っ飛んでいる。そして見えなくなった。しかしそれはある。物質に対する精神があるように。知らずに勝手をしていた。気づく頃だよ。そしてみんなで幸せになろう。権力は克服され、武力は無価値となっている。今更、戦争はない。次の戦争が何を意味しているか、わかっているよね。独裁はいつか滅びる。絶対専制君主もギロチンの露と消えた。私たちは愛と自由を求めている。それはあらゆる恐怖からの逃走である。恐怖を以て支配していなかったか。あるいは強制していないか。学校教育が限界に至っているのもそれが理由だった。良き労働者の育成が教育の目的だった。それが破綻しているのである。いよいよ、愛と自由が庶民に開放される時代となった。女性解放の次に来る約束だった。ところで女性解放で時代はどうなっているのだろう。それは此処では割愛する。女性解放にも勘違いがあるね。それは動物性=女の解放ではなかったはずである。不倫は文化ではない。不倫をすると子供たちがどうなるのだったか。気づいているだろうか。復讐される。どのような形で復讐するのだったか。詳細に調査すれば恐ろしい現象が浮かび上がるだろう。いずれにしても生命体としての進化傾向がある。これに反すれば淘汰される。
最高の保身術
2013年10月27日
- 思想及び良心の自由ならびに言論及び表現の自由は保障されている。中傷誹謗等によるものは当然、排斥されている。中傷誹謗等でないかぎり、表現の自由がある。精神的自由は何を思ってもいい。それが表現される時には注意を要する。さてあらゆる憂いの原因となる行為を避けると、人間関係において一切心配はない。その意味で、正直及び誠実は最高の保身術となる。宇宙的観点からすればそもそも本来無一物。あらゆる悪もまた無であり、空だった。そうであるなら責めるべくもない。自然の法則に反すればそれなりのサンクションがある。だから、個人的に攻撃する必要はないのだった。だれもが幸せを求めている。その方へ、思想も政治も進めるといいね。派遣切り等を含む他を犠牲にしてする自己利益追求がどうなるのだったか。これより明らかとなる。貧しき人は幸いである。神を見るだろう。その時、最高の幸せに感涙するだろう。