愛の周波数=光


2013年10月27日


  • この世に生まれて、何を探し、何を見つけ、何を確認してどのように生きるのだったか。重要なテーマだった。先ず過去を清算しなければならない。そして新しい自分を生きるのだった。それが仏法において大死一番、絶後に蘇るだった。至り得て帰り来たれば別事なしでもあった。道に迷うことなかれ、朝夕己がなすわざと知れということでもあった。恐怖で支配されていた。何を怖がっていたのだったのか。その最たるは死だった。死んでも死なない自分がいることに合点が行けばそれも克服することができる。それは魂の遍歴を自覚することだった。そしてどう生きるかが決まる。善と悪の問題も処理しなければならなかった。本来無一物の観点を得ると、善も悪もない。宇宙からすればそのどちらをも実現しようとする。ここに選択の自由もあるのだった。前世があり、来世がある。来世をどこから始めるのだったろうか。私たちは何を求めて生きていたのだったか。愛と自由と平和こそ人類の祈りであり、願いだった。それを実現する頃となったようである。こうした諸価値を見失って久しい。経済的豊かさを得て精神が貧困化している。取り戻すべきは精神的な豊かさだったのである。本来日本はそれを知っていた。この世に生まれてよかったって思えるかどうか。世界はすばらしい。この世は美しい。やさしい愛の人間関係がある。どこに住みたいのだったか。居住移転の自由は保障されている。かぐや姫は月に帰った。何故だろうね。美しい心の住める世ではなかったからだろうか。そうであるなら自分でそれを作るしかない。吉田健一氏は書いていた。「棲むべき場所がないのであれば自分でそれを作るしかない」と。始めようではないか。それが一隅を照らすと言うことだった。ただ存在するだけでいい。存在の周波数が大切である。周囲を感化するからである。人間関係は同レベルで触発する。やがて美しいハーモニーが共鳴するだろう。それが愛の周波数=光だった。それが神仏である。神仏は実在する。あらゆる修行の目的はそれを体験することにある。そして最後にたどり着く愛の世界がある。その時、神仏に受容祝福されていることに気づく。私たちは幸せになるために生まれている。その形が見えてきたのである。一仏成道悉皆成仏。一人が悟れば六代眷属が成仏する。これを以て一大事とするのだった。我々生命体としてのゴールである。すでに至りついている人もいる。同調するべきは彼らとだった。何故経典を読誦するのだったか。そこに彼らの魂の周波数があるからである。どのように読むのだったか。門前の小僧では意味がない。これからそれを探し始める人もいる。それを知らないことを以て否定している人もいる。それでいいのだった。それぞれの階梯である。魂にもレベルの段階がある。この世でどこまでいたりつくことができるだろうか。楽しみはそれだった。そして何が見えてくるのだったろうか。山の頂上から見える景色はその途中ではわからない。大宇宙も稽首する仏の大威神力としての神の七つの力が人間には賦与されていたことにも気づくことになる。それは誰にも平等に与えられている。開発するまでわからない。その力を何に使うのだったろうか。愛と平和と自由のために使う。ここに心が決まる。その時、絶大な守護がある。大自然が証明する。すべてがメッセージだった。私たちはその意味で導かれている。ここに人間としての尊厳がある。生まれながらに平等とする本意がある。合流するべきはこうした精神である。過去の偉大な精神が今も尚、この世を守護している。だから、大安心となる。日本は大丈夫だとする所以である。こうした見えない世界があるのだった。探すべきはそれだった。確認するべきもそれだった。そして恐怖から自由となるのだった。