誰もが生きている

2009.08.14

  • 誰もが生きている。みんな幸せを求めている。日々喜びを以て生きることが出来ると良いね。勝手に生きることが自由と思っていた。それで良いと思っていた。宇宙に法則がある。ニュートンもそれに気づいた。アインシュタインはいった。いつか私の理論も乗り越えられる時が来る。マーラーはいった。いつか私の時代が来る。私達も気づく頃だね。勝手に生きてはじめは良いとする。いつかおかしなことになる。何故だろうね。それが人間だった。どんなに良いと思っても。おかしくなって気づく。法華経に曰く。「人間自ら出づること能わず」。だけど人間は、そうした自由に憧れる。そしてそれが秘密だと気づいた方々がタレントだと思った。それで芸能人をしている。テレビ界がそうだった。そしてそのメッセージもいつか一人歩きする。そしてそれを勘違いする方々が現れる。今の若者の中にもそれがある。生きることはどういう事だったのだろう。例えば日々、私達は他の命を食している。問題はそれを当然として正当化し、顧みないことだった。必ずどこかに犠牲がある。生きるということはそういうことだった。いつか蓄積された過去からの犠牲の仕返しがある。その時は遅い。それで良いのだったのか。始めはよかった。いつか勘違いの増幅となった。それに対する配慮がなかった。茲に気づいて、新たな自由がある。そしてお笑いもすればいい。歌手になって歌うもいい。大宇宙の法則がある。ヒトラーも正当な選挙を通って首相となった。結果が出てからでは遅い。 誰もが生きている。誰もが幸せを求めている。本当の幸せって、何だったのだろうね。背けばどうなるか。どうにもならない掟がある。知らないことを以て否定できない。必ず法則通りとなる。それが悲しいね。この悲しみから逃れて幸せはある。それはある。それは何だったのだろう。それは何処にあるのだろうね。それはあると誰かがいっていた。私達はこの世に生まれた確かな意味がある。私達は生きることを以て何をしてきたのだろう。それを見つめ直す。そして新しい未来を開く。茶色い戦争もありました。此処より始める。何故それはあったのか。私達はそういうところを通ってきている。そういうものを持っている。原因は何だったのか。それを見つけて解決する。その原因を取り除く。二度と出て来ないようにする。それはそれを封印することではない。優柔不断に看過することでもない。それを認めることである。そうすればそれはむしろ平和へのエネルギーとなる。そのように悪を善に変えていく。そしてその悪も喜ぶ。それが悪の成仏だった。故に智慧を要する。力を要する。いつまでもこのままで良いのだろうか。悪くなるばかりである。どこかで気づく。そして解決する。解決とはどういう事だったのか。考えるべきはそれである。そしてそうした事に参与できれば、過去の罪を償うことが出来る。そうした作業が出来ることこそ幸せである。喜びである。私達は生きている。唯、これまでのようなセレブを目指すことが本当の幸せだったのかどうか。見つめ直すべき時が来ている。そしてこのままにしない。何か価値のあるモノを生み出そう。今その時である。十分に進化した。技術も智慧もある。万物の霊長である。愚かではない。一を聞いて十を知る。そうでなければ仏法はわからないと山田無文老師も書いていた。知性復活。そして気づく。強くなくては生きてゆけない。やさしくなければ生きている意味はない。フィリップ・マーロウ。彼の掬いだしたモノがある。それは何だったのか。日本の知性と感性だった。忘れていたのはそれだった。そしてどうにもならなくなっている。何故か。何かを粗末にしていたからだった。日本の祖先が赦していない。本来日本はどういう國だったのか。かつて神だった。それは今、精神である。漱石も書いている。「精神的向上心のない奴は馬鹿だ」。アナクロニズムになることではない。すべて権実がある。方便と真実といっていい。失われた何か大切なモノとは何だったのか。日本の情緒だった。お金ばかりを追いかけたから失った。取り戻すべきモノがある。その時が来た。私達はそれぞれ生きている。それぞれの成仏がある。過去があり今があり未来がある。初説があり中説があり高説がある。この世に於いてもある。学校時代がある。壮年時代がある。晩年時代がある。学校時代の自分を思い出すが良い。学校時代は社会に出て役に立たないという。何故だろうね。持って生まれたモノがある。己の過去世である。善いところがある。悪いところもある。善いところを伸ばす。悪いところはその根を抜く。そして誰もが幸せになれる。