人格形成責任論及び人格関数論

2013年02月24日

  • 人格形成責任論が問われる時代となった。すべて自己責任である。その意味で、責任転嫁及び自暴自棄は無価値である。無価値であることを以て罰せられる。刑法理論では従来の考え方で罪を問えない犯罪が跋扈している。それらについては、概括的故意理論などで克服された。さて、赤信号みんなで渡れば怖くないという。そうだろうか。天罰覿面である。それはある。一休髑髏ご用心もそうだった。その意味で謙虚でなければならない。今、埋没しているその相手が測り知れない力を持っていることもある。さて人格形成であるが、どのような人格であるのだったか。人間としての最終段階である。それが神仏だった。人間を通って神仏となる。それはその人に宿る魂の段階だったのである。同じ人間の姿をしていても、種々の魂レベルがある。前世でどれほどの経験があったのか。子どもの頃を思い出すと、そのポテンシャルがわかる。しかし社会は今、民主主義である。多数決の論理が支配している。何が多数であるのだろうね。そして社会はどうなりつつあるのであるか。だれもが反省しなければならなくなっている。己の人格を形成して、ある力を開発する。その力は、自分を通って社会浄化する。すなわち、成仏である。一仏成道悉皆成仏。人格形成関数論である。関数とはある函であって、機械のようなものである。その中を通れば、法則である関数式に従って一定の結果が出る。すなわち、あらゆる事象が自分を通って何を結果するのであるか。善であるか。悪であるか。情報は発したところに集まるとする理論も同じである。自分が変わると世界が変わる。開発するべきはそうした人格であった。時にそのような人格が現れる。祖師がそうだった。預言者もそうだった。しかし、キリストは処刑された。当時の支配者階層及び大衆にとって都合が悪かったからだった。また禅においては不立文字・教外別伝だった。真実を言えば往々にして処刑される。故に、竹林に七賢は隠れた。そして時は流れた。真実は伝えられていた。真実を語っても良い時代となったのである。何故だろうね。それが不思議だね。そして達磨は、不識と言った。いずれにしてもこれを以て人格形成責任論の時代となったことを確定する。それは人格の開発であり、人格関数理論とする。自分はどのような自分になりたかったのであるか。なりたい自分になっている。これ以上、悪の跋扈はゆるさない。

 

軽やかに生きるのが良い

2013年03月03日

  • 運を開く。空気があるように運気がある。これに乗れば運は開ける。そのために開かれた自分となる。チャンスはいつもあるのだけれど、かたくなになっているとそれをつかめない。デフレとなって物が売れない時代だけれど、売れるところは売れている。また、商品に対する価値観が変動して、日常生活に資するモノはほどほどのモノで良いと思えるようになった。それで日本の製品が悉くガラパゴス化してしまって、国際競争力を失っている。つまり、売れなくなった。ソニー及びパナソニックの苦悩はここにある。それはそれとして、開かれた自分となる必要がますます強くなった。苦悩は苦悩の無価値を知るためにある。仏陀の苦行もそうだった。ある意味で無駄な努力だった。苦悩しなくて良い。無駄な努力は無価値である。運気がある。それをつかめばいい。それは執着しないことだった。何もかも好きになれば良い。軽やかに生きるのが良い。ネガティブな自分を捨て去って、大肯定の思想で生きていく。周囲には楽しい人が集まる。彼らこそ、才能も能力もある。一人では生きてゆけない。何をするにも仲間が必要である。いつか、気づくことになる。そして新たな人生が始まる。人生、楽しむにしくなし。哀しい人は哀しませておくしかない。自らその哀しみを捨て去る時が来る。幸運は舞い込んでくる。準備が出来た人のところへ。快い人間関係が創造されるだろう。果報は寝て待つ。結果は天に任せる。そのための準備がある。人格の形成である。感情のコントロールである。馬鹿は死ななきゃ直らない。馬鹿につける薬はない。好んで苦悩し、無価値な努力を努力と思っていた自分自身が大馬鹿者だったのである。それを捨て去って、人生が開ける。常に遅いということはない。気づいた時が始まりである。今世で気づくといいね。今世で気づけない人は、そのために来世がある。若さとは年齢ではない。常に夢を持っていることである。向上心があることである。漱石も書いていた。「精神的向上心のないやつは馬鹿だ」。腐敗堕落が人生ではない。不倫は文化ではない。馬鹿になることが幸せではない。お客様が神様ではない。お客様の中に神がゐるかも知れないというところから謙虚さが出てくる。神仏は実在する。それが真実だった。敬虔さを失って久しい。そしてどうなったのだろうね。自分さえ良ければ良いと思う。横断歩道(歩行者優先)を歩行者が渡ろうとしているのに、止まる車は皆無である。どうなっちゃったんだろうね。日本はこのような国ではなかった。何がはびこったのかとするところである。面白ければ良いのではない。この世は過去からの夢の実現過程である。前世がある。来世がある。魂は不滅である。死んでも死なない自分がある。旅の恥は書き捨てではない。来世をどこから始めるのであるか。それらを無視していた。「後生だから」ということを忘れていた。人格に品位を失っている。子ども時代を思い出すがいいよ。大きなことは言えない。