やさしいまなざしへ(眼根懺悔)

2012-01-15

私たちは幸せになるために生れていた。持って生れたもので十分に幸せになれる。悪いところは反省することでよいものに変えていくことで、それが可能となる。悲しみは喜びとなる。そのためには過去の自分を直視する必要があるだろう。現実はすべて自分の思い=心の果実だった。時間がかかる。時間の経過で変化する。そしていつか必ず私たちは幸せになる。いくつかの失敗があるだろう。それも軌道修正のためだった。そのまま進むとどうなるのだろうかって考えるためだった。そしてだれもが求めている本当の幸せを見つけるだろう。それは権力ではない。武力でも金力でもない。それは愛だった。平和だった。静けさだった。そして心が満たされることが本当の幸せだった。先ず始めるべきは何だろうね。やさしさへの回帰である。それはやさしいまなざしだった。眼根懺悔である。すべてを受容してそれはある。だれもがそれを求めている。だれもがいつか必ず至る。そして不思議な体験があるだろう。その時、神仏の実在と邂逅こそが眞實であったと知る。私たちは自分たちの心にとって都合がいいように現実を見る。知らないことを以て眞實を否定してきた。そして不幸せとなっている。眞實は眞實である。私たちは幸せになるために生れている。そのためには神仏の威力を借りる必要がある。人間には限界がある。それを知って謙虚となる。私たちは思い上がっていた。それを知るべき時が来たのである。自己利益追求は間違っていた。だれもがやさしさへ向かう。新しい時代の指標である。野蛮な時代は終わった。軽薄な時代も終わった。馬鹿になることが幸せであるとは決して言えなくなった。これで日本男子は大丈夫である。本当の強さとは何だったのだろうか。どんな時もどんな所でもだれに何を言われてもおだやかでいることだった。それは感情のコントロールであり、幾多の試練を経て鍛え抜かれた人格である。此処に至って、見えない世界も喜び祝福する。その時、あらゆる成功への道が見えてくるだろう。これを以てマスターマインドとする。世界はそのようにできていた。その道をだれもが歩み始める。それが21世紀の約束だった。二千年来の物語が完結した。伝えていたのはそれだった。そして新しい物語が始まる。子供たちの夢は今、殺戮なくして平和を勝ち取ることである。市民革命も名誉革命を通った。未来はやさしいまなざしから始まる。あらゆる幸せ及び成功への第一要件だった。それは伝えられていた。再発見されて確定した。