東京大学教育学部 転倒予防教室 武藤教授10年の実践について
2009/11/24 NHKラジオ深夜便より
- 老人の転倒が社会問題となり,これと取り組む必要が出てきた。転倒が原因となって,寝たきりとなるケースが,多く出てきたからである。これを予防することが出来れば,社会問題のひとつに対して,大きな解決がある。
- 医学部の常識としては,老人の転倒の原因は,動脈硬化だった。糖尿病などの疾患があれば,動脈硬化の深刻な原因となる。
- 転倒は何故起きるのか。それは,身体の状態悪化のサインとして起きる。身体のひずみが原因だったのである。転倒を予防するにはどうすれば良いのか。それがこの取組の目的であり,実践だった。
- 方法論として,医学部の中に,転倒予防教室の設置が選択された。これは初めての試みであった。名前も,中身も,料金も,人員配置も,すべて暗中模索の生みの苦しみを味わうことになった。声をかけられて,創成期の頃から関わり,試行錯誤となった。
- キーワードはSPAI。すなわち,
- S:ストレッチで筋肉を伸ばす
- P:パワーであり,筋力をつける
- A:エアロビクスとして,持続的運動習慣を身につける
- I:インタレストであろうか,楽しみの中にも,基本を押さえる
である。
老人にどういう最後の時を迎えてもらうか。これがこの取組のテーマであり,医療的立場としての最大の目的だった。すなわち,普通の生活である。例えば,
- 自分の足で歩いて,
- 自分で食事ができて,
- 自分で眠ることができて,
- そして一日に一度,家族の者とワハハと笑うことができる。
医療的立場からの要点は,
- 運動指導
- 生活指導
- 生活習慣病の予防
である。
この取組に関しては,マスコミの報道が大きな宣伝広告となった。
この取組の中で明らかになったことがある。それは,老人にはスポーツ・運動は不向きと思われていたが,老人こそスポーツ・運動ができるということだった。特に女性はできる。
今までにないものを作っていくことになった。何をしたら良いのか。項目設定が難しかった。整形外科医としては,メディカルチェックはできる。医療は,病気・怪我という現実的身体異常が前提であり,その危難からの脱出が目的である。この度は,健康な老人に対する予防効果が目的である。その時,要点は何だったか。すなわち,
- 楽しみながら基本を押さえること
- 長く続けること
である。全体的チェックをしながら,これはよい,これはダメと決めていった。
ところで,医学的研究論文及び統計にはどうしてもバイアスがかかる。潑刺とした老人はさらに元気になっていく。そうした方々から,私たちはパワーをもらった。そして確かに,転倒は半分になり,骨折は三分の一になった。
教室に入っていただく前に,内科20分,整形外科20分のヒアリングを実施した。運動指導員の方にも十分なヒアリングをしてもらった。これほど話を聞いてくれるのでしたら,お任せしますということになった。このような医療が望まれていたのだということが明らかとなった。
一番難しかったのは,料金設定だった。民間のスポーツ施設との調整もあった。その時,武藤教授がさらさらと冗談っぽくメモ書きした。コロバナイ。56,871円。これで始めた。その後,七転び八起きで,78,000円で運営している。
医者として,検査費はわかる。運動指導費がわからなかった。その中の人件費はどうするのか。指導費はどうするのか。医療保険の適用外でもあった。
この教室では,一人の人に八人の専門職が関わる。文化・言語が異なる。スピードが違う。これをどう調和させ,協調させるのか。チームを一本化させる必要があった。その調整役は武藤教授がすることになった。
それぞれ,他の専門分野の方々とひとつの仕事をすることで,それまで自分の知らなかった技術,ツール,人脈などに気づくことになった。そしてパワーアップした。良い仕事をしたいという思いと目的はひとつだった。皆,そう思っていた。しかし,スピードが違ったりして,目的を達成するには,全体を調整しなければならなかった。それはどのようにしてなされるのだったか。すなわち,“仕事の喜び,中身,考え方,自分の役割などを自覚・共有すること”だった。
そして,視察が全国から来るようになった。次第に日々の指導に手が回らなくなった。教室に通ってくる方々はお金を出して来てくださっている。北海道とか九州の一部に出張して指導にでかけることもあった。このままでは,指導者養成事業に発展しなければならないかも知れないと思われた。各地で講習会を開いて,指導者を養成していく。そして各指導者が,各地区で教えていくことにする。
この老人の転倒予防教室は,まさに教育の場だった。この教室に通ってもらうことで,効果が出るかどうかは,“意欲が持続するかどうか”だった。教室に通っている間はうまくいっていても,やがて意欲を失うと,再び転倒が起きる。
この教室自体の転倒予防も気になった。事故が起きるかも知れないとも思われた。
この教室のプログラムは良い。しかし,多くの人が関わっていかねばならない。効率の問題がある。利得は無視できない。ボランティアではできない。結果を数字で示す必要がある。複合職として運営していかねばならない。
10年間の取組ができたということは大きな意味がある。それは,持続的効果があった。社会で必要とされていたという意味で,公共性的効果があった。この取組で効果があるという広報効果もあった。こうして社会的名声を医療が得ることができるという効果もあった。
成果は形として,数字と量で示される。しかし教育の場では,息の長い見方,考え方,評価が必要である。数字で測れないことも大切な場である。
この取組で成功した理由は何だったか。それは,老人たちに生きていく自信と希望が出てきたことだった。そして最大の効果は,社会として医療機関をどう捉えていくかということだった。
ある運動指導員はいう。この方は,元新体操の選手だった。運動をどう喜びに変えていくか。はじめは運動指導員としてどう取り組んでいいのかわからなかった。それで東京大学の研究員になった。身体をあらゆる部位に分割して,それに対する運動を考えた。ずいぶんときつい運動になった。先ず心から開く必要があった。心の喜びが身体の喜びへと変わっていく。競技選手は,心を閉ざしてまでも,戦うことを優先する。運動を喜びに変えるには,先ずコミュニケーションだった。そしてお互いの気づきがある。その人に何をプログラムし,何を指導するのかが見えてくる。
教室に参加した老人はいっていた。
- ほめてもらって,もうちょっとといわれると,思わずしてしまう。
- 歩き方を教えてもらってとても役に立った。暗いところでも安心だった。踵からつけて……とか。
- この教室に入ってよかった。感謝している。
実際の指導は,
- 病院内での運動は,理学療法士が担当する。
- 病院外での運動は,健康運動指導士及び専門のスポーツアドバイザーが担当する。
ここに,文化・言語の違いがある。
この教室に入ったきっかけ及び感想は,
- ひざが悪かったので,何とかしなければならないと思った。
- 体操は大嫌いだったが,運動不足だったとわかった。
- 経験したことのない方法を教えてもらって,効果があった。
- これからは,人に迷惑をかけないことが大切だと思う。
- 薬屋にパンフレットが置いてあったから。
- ここに入ってから転んだことはない。
- 歩き方を教えてもらったのが良かった。
- 目的を一度決めたら,それを絶対に後退させないという実践ができた。
この教室はまさに教育の場だった。教育とはもともと,その人が持っているものを引き出し,それを養い育てるという意味である。それぞれに,希望,自身,資質といったものがある。それを引き出し,育むのである。そして意識・意欲が持続することで効果が出てくる(教育とはそういうことだった。そしてそれぞれが生きていくための考え方・知識・技術の伝達を伴う)。
元気にひとりで生活したいという強い意識の老人がいる。しかし,一人で思うだけでは実現しない。こうした老人がこの教室で取り組むことで効果がある。
スポーツ・体育を教える場を病院の中に作った。それは教育の場だった。安全・安心・楽しいという雰囲気があった。それは社会的ニーズだった。老人の希望もあった。それらと合致した。専門家による教育とスポーツの複合事業だった。三年経った頃,この事業がどういうものか見えてきた。
この教室を卒業して,見捨てないで下さいという声がある。持続的関わりをどのように実現していくかという課題がある。