悩み続けている君へ2

2017/05/07


そして戦後70年有余年、日本は戦争当事国になることはありませんでした。その間、自由で平和でした。それが土壌として必要だったのです。そして何が育ったのでしょうか。幸せの形だったのです。それは何だったでしょうか。禅の目的もそれでした。証明は何だったでしょうか。日月照らし風が吹く、ということでした。大自然が証明します。それは有るのでした。それはこれまでにもありました。しかし、それが庶民に開放されたのです。とても画期的なことです。これをみんなで実現していくのです。悲しみにさようなら、と。

そうしたことを探す人生がありました。テーマは『失われた何か大切なモノを求めて』でした。途中で言うに言えない挫折がありました。今となって思えば、それも通らねばならなかったのでした。だからこそ見つかったモノがあるのでした。それらをお伝えすることで、だれもが自分自身を見つけて、幸せになることが出来たら良いですね。要は、自分自身だったのです。みんなそれを感じています。しかし、それが形にならないのです。表現できないのです。形になれば、理解できます。しかし、見えないモノには形がありません。科学では実験して証明したものでなければ相手にしてもらえません。しかし、それは有るのです。

それを見つけることがあらゆる修行の目的でした。時を経て、時代は今、それをだれもが見つけることが出来る頃となっているのです。尤も、厳しい修行が必要であると思うなら、それをすれば良いでしょう。要はこころです。これがどのようであるか。自分自身を見つめることで、常に穏やかであるなら、すべて理解できるようになります。それを一緒に見つけませんか、ということです。そうすれば本当の幸せを見るでしょう。そうしたことも可能である時を迎えました。悲しみとさようならができるのです。要は、こころの問題だったのです。人間のこころは大自然と連動していたのです。自分さえおだやかであれば、その周囲はとてもおだやかです。こころの波動があって、それによって自分の周囲がすべて制御されるからです。あるいは、静まるのです。不思議ですね。逆に、心が戦闘的であったりするとその周波数が周りをイライラさせます。『空気の教育』という本もありましたが、それはこうしたメカニズムを指摘していたように思われます。そうしたことがわかってくると、人生が変化します。ある日、突然それに気づくことになるでしょう。それから自分の生き方が変わります。時にはイラッとして、目の前のテーブルをひっくり返したなることもあるでしょう。そうしたとき、それをせずに、そうした自分を冷静に見つめて、笑えるかどうかです。そしてそのようなことにも原因があるのですが、それも自分だったと思えると、それを見えない世界に対して謝ればいいのです。謝ればそれは消えます。それが赦されるということでした。そのようにして過去からの悪い因縁を消していくのです。そしていつか成就の日が来ます。その時、何が起きるのだったでしょうね。それは、お楽しみとして、ここでは割愛します。

こうしたことがあらゆる宗教の目的でした。哲学も究極のテーマは幸福論でした。しかし現代人には、どちらも何処か馴染めないのでした。これを本当に実現するには、どうすれば良いのだったでしょうか。その要件が明らかとなり、その方法が発見或いは開発されていれば、それを学んで実践すれば良いのです。愛と自由と平和が実現されるとそれが幸せです。限りなくやさしくなって、すべてを受容し、ゆるすことができるなら、その時、自分もゆるされているのでした。これが何事も自分であるということだったのです。理念だけでは結果は出ません。行動しなければならないのですが、それが怖いですね。既に実践した人がいて、大丈夫ということであれば、それは出来ます。

今、世の中に情報があふれています。その中には、嘘も多いのですが、真実もあります。嘘も真実も滝のようにインターネットで流れています。その中で、ダイヤモンドのような情報をどのようにして見つけたらいいのだったでしょうか。それも一緒に流れているのでした。それを見つけるためには相当の眼力を必要とします。それを見つけて、実際にお金を支払うことで、その真実に気づき、驚くことがあります。そうした情報は希有であるとしても。あらゆる情報の中から、そうした情報とめぐり逢うということは、ある意味で運命であるのでしょうね。そこでお金を支払うかどうかも偶然です。しかし、そのようにして出逢うモノなのです。要はそれが本物であるかどうかです。本物であるならいくら高くても売れます。真実であると言うことが明らかであれば、いくら支払ってもそれを入手したくなります。

本物であるかどうか、だったのです。それをどう見極めるのだったでしょうか。しばらくつきあって観るしかありません。やがて明らかとなるでしょう。人間関係は同レベルで触発します。それから切磋琢磨すればいいのでした。

何と対峙しますか。神ですか。仏ですか。真実ですか。お金ですか。これらは価値として同じです。それらは情報としてのダイヤモンドです。真実であるなら、何を求めても良いでしょう。やがて、それは結実します。世の中には嘘の情報があふれています。それらも何度か失敗して気づきます。しかし、それで諦める必要はありません。真実の情報もあるからです。

お金を支払わなければ、それほど凄いとは思わなかったことでしょう。そうしたものなのです。だから、お金はむしろ支払って貰った方が良いのです。そして何事も全身全霊で取り組むのです。そうすれば不思議な力が受容し、あなたの思いが現実化します。思考は現実化するのです。本気になれば良いのです。真剣勝負すれば良いのです。なるようになるとは、こういうことだったのです。

私たちは幸せになるために生まれていました。しかし、この世に生まれた瞬間にそれを忘れていたのです。目の前のこの世にいろいろあって、あっという間に時が過ぎ去ります。それはあたかも浦島太郎のようで、竜宮城の中にいるかのようです。年を経て自分に帰り、竜宮城で貰った玉手箱を開けると、中から何が出て来たでしょうか。幸せの形ですか。それとも悲しみですか。これが自分の人生の物語です。ここに幸せの形を見たいですね。どうすればそれを見ることができるのだったでしょうか。不思議な現実があります。この世の中の現実は自分次第だったのです。ここに新しい時代を生きていくヒントがあります。すべて連動していたのです。周波数によって。ここに気づくと、生き方が変わります。すべて自分次第です。私たちは宇宙及び大自然と連動しています。それは魂レベルで。終わりよければすべてよし、としたいですね。

こうしたことを知って、それを実践して、それを確信することを以て、「信を以て入ることを得たり」とします。まず、知ることです。次に実践です。実践しなければ何事も起きません。そして何が起きるのだったでしょうか。それは、お楽しみです。人それぞれ異なります。このようにして、幸せを実現することが出来ます。禅も既に在家禅となっています。私たちは、日々の生活の中で、こうした実践をすることが出来る時代に入りました。そうであるなら、それも知っている人が伝えなければならないのです。何事も経験です。経験で得たものでなければ、価値はありません。実際に経験しているなら、それは伝える価値があります。価値はそのようにして価値となるのでした。価値であるなら、必ず、お金になります。お金を支払って初めてその真実の意味がわかることがあります。お金は価値との交換手段であるとする理由です。このようにして真実が価値を生みます。

新しい時代です。既存の仕事がほとんどなくなっていきます。そのような時代に、何を仕事とするのだったでしょうか。『第四の波』は創造化であると言われています。創造とは価値を作ることだったのです。この概念は、神に属するものでした。その前に第三の波がありました。それは情報化革命でした。第一の波は農業革命であり、第二の波は産業革命でした。どちらも見える世界でのことでした。第三の波及び第四の波となって、世界は見えない世界へ突入しました。見える世界での産業が衰退していくのは明らかです。見えない世界を情報化して諸価値を創出していく時代が始まったのです。これが現代最前線の流れです。見えない世界で、価値としての究極は何だったでしょうか。神であり、仏です。いよいよ生命体としての人類が、こうした世界を相手にする時代となりました。こうした世界を相手にする時、大切だったのが身心清浄です。そうでなければそうした世界との邂逅はありません。むしろ危険です。かつてそれは修行でした。時代は進化して、禅も在家禅となっています。私たちはそのままの自分で身心清浄となって、こうした諸価値を扱う時代となったのです。悪は必ず滅びます。相手にしなくて良いのです。相手にしなければ自然消滅します。とても面白い時代となったのです。これが私たちの時代です。その中で、どのように生きていくのだったでしょうか。それを考える頃です。既にそうした道を歩いている人がいます。そうした世界を垣間見ている人がいます。そういう人から教えてもらって、第一歩を踏み出すのです。江戸への道も一歩から、と言われていました。先ず、一歩を踏み出すことです。そして始まるのです。

これからは、自分の得意なこと見つけ、それを仕事にして生きていく時代であると言われています。人間としてこの世に生まれたからには、必ず一つ、自分にしか出来ないことがあると言われています。先ず、それを見つけるのです。私の場合は、勉強と書くことでした。そうであるのに、いつまでもそれに気づけない自分がありました。少し、口惜しいですね。しかし、今からでも遅くないのです。これからです。気づいた時が始まりですから。表現の自由は基本的人権のひとつとして憲法で保障されています。出すぎた杭は打たれません。だから、書けば良いのです。

どうして悩みの中に沈むのだったでしょうか。自分の思いと現実との間に乖離があるからでした。別に気にしなくてもいいことだろうに、どうしてもそれが気になって、自分が本当にやりたいことが出来なかったりします。やるべきことをやらないのだから、望む結果を得ることが出来ません。そのようの時に、助言者がいて、自分の生きる方向を示してくれると良いのだろうけれど、それもないことが多いのです。そして無駄に時が過ぎ、あらゆるチャンスを逃します。こうして世の中で埋没し、どれだけ力があっても、世の中はそれを評価できないのです。それも当然だったのです。また魚屋さんで野菜を買おうとしても、売ってもらえません。商品がないのですから。そうした判断も出来なくなっていました。それが悩むという状況です。随分と悩んでいました。とことん、社会で埋没しました。だが、生きていました。これからだ、とするところです。

これから時代が急速に変化します。気づかないうちにどんどん変化しています。この流れに乗ることが出来るかどうかです。ある意味でそれは大チャンスです。そして気づいた時がはじまりです。新たな出逢いこそがインパクトです。情報が溢れている闇の中で、一筋の光が差し込んできたら、それが始まりの合図です。それは必ずやって来ます。だれもがその瞬間を待っています。その光になるのです。不思議な展開が始まるでしょう。

人生はそのようにして始まります。それは有るのです。その時、それを信じることが出来るかどうかだったのです。その時、飛び込むことが出来るかどうか、です。飛び込んだ重さで浮かぶ蛙かな、とも言われます。ある日、釈迦が前世で修行していた時のことでした。山道を歩いていると、ふと谷底から声が聞こえてきます。諸行無常・是生滅法と誰かが言っているのです。その下の句を聞きたいと思って谷に向かって呼びかけました。すると羅刹が言うには、とても空腹であるから言えない、と答えます。もし、聞かせてくれたら、この身を差し上げると約束します。そして、生滅滅已・寂滅為楽を聞いたのでした。すぐそばにあった木の幹の皮をはいでそこに自らの指を切って、血で文字にして書き記しました。そして羅刹に身を投げたのです。すると帝釈天が大きな姿で現れて彼を抱きかかえます。羅刹は帝釈天だったのです。帝釈天が言います。将来、あなたが仏になったなら、どうぞ私たちを救ってください、と。

こういったことをビジネスにすることが出来たら、面白いですね。みんなが救われます。それが可能な時代となったのではないでしょうか。新しい時代となったということは、こういったこれまで存在しなかった生き方ができる、ということではなかったでしょうか。もし、それが実現するなら、本当に意味があると思いませんか。だれもが真実に気づいて救われていくのです。これこそビッグチャンスです。生きていくためには当然、経済活動が必要です。幸せになるためにはお金が必要です。このような形でお金が循環するなら、きっとお金も喜んでくれることでしょう。価値のある仕事に貢献することが大切です。

この世に生まれて、何を見つけ、どう生きるのだったでしょうか。何に情熱を注いで、ビジネスとするのだったでしょうか。そういったことに真剣の取り組んでいくのです。その水先案内人になりたいな、って思っています。随分と旅をしたことでした。それは見えない精神世界での旅でした。とても孤独な旅でした。そして色々見聞しました。あるところで12年間、仏道修行もさせてもらいました。言うに言えない不思議な体験がたくさんありました。読書は莫大しました。その間、危険なところも通っていたでしょう。それらがすべて経験として熟成します。そしてある日突然、気づくのです。そして感涙することになるのでした。そうして、自分の生まれた意味を知るのです。こうしたことは人類としての夢でした。それをこの世でだれもが実現して良い時代となりました。そのために生まれていたのです。墨染めの衣を着て貧学道などと言わなくても良いのです。そのままで良いのでした。しかし、そのままがわからないですね。それをわかるためには教えてもらえると良いのです。そしてそれを体験を通して実践すれば良いのです。実行すれば、やがて、必ず、実現します。時間はかかるでしょう。生命体として生まれて、成長するには時間がかかります。同じことだったのです。その種を植えませんか。そして大事に育ててみませんか。きっと驚きの花を咲かせることでしょう。そして何か大切なことを知るでしょう。こうしたことは代々、伝えられていたのです。それを身近に感じて、自分たちも実現できる時代となりました。これが、情報化から創造化への時代の変化の意味だったのです。もう、始まっています。これは既に、確かな事実です。科学としての証明はまだないのかも知れません。しかし、真実だと言えるでしょう。信を以て入るしかないですね。入ってみないとわからないのです。これが、お金を払ってみないとわからないということと同じだったのです。見える世界と見えない世界があります。これからは、見えない世界が相手です。見えない世界を相手にしようと思えば、必ず守らなければならない掟があります。それが身心清浄だったのです。そうでなければとても危険です。それで、水先案内人が必要でした。

人類は今、ビジネスとして宇宙へ飛び出そうとしています。同じように内面世界への旅もビジネスとしてあるのでしょうか。何事も先駆者になることが大切です。誰かの真似では物足りないのです。方法及び手段は開発されると使って良いのです。定理は証明されると使って良いように。定義は証明不能です。それは始めから有るのです。そうだったのです。見えない世界は有るのです。それについて、見つけたモノがあれば、それは見つけた人の所有です。手段は学べば良いのです。それを使って何をするかは、それぞれの自由です。こうしたことで人類は知的に進化しました。フィギアスケートも男子は4回転の時代となっています。同じように世界は進化しています。この流れに乗りましょう。既に、始まっているのです。

私たちは幸せになるために、生まれています。それは何だったでしょうか。愛と自由でした。そのために平和であることが必要です。平和でなければ、愛と自由の花は咲かないでしょう。戦後70有余年、日本は平和でした。そして咲く花がありました。それを咲かせることが日本の使命だったのでしょうね。歴史に於いて現存諸国家の中で最も古いのは日本です。古代文明の末裔はもう存在していません。戦争もしてその無価値を知りました。南の島々では、戦後独立のために旧日本兵が戦いました。それで今でもとても感謝されています。しかし、近隣諸国に対してはとてもご迷惑をおかけしたことでした。それに対しては、心からお詫びするしかありません。しかし歴史を紐解くと私たち人間は何をして来たのだったでしょうか。それに気づき、反省して、これからはもう二度と戦争はしない、で良いのです。こうしたことを前提にして、ビジネスも考えて良いのではないでしょうか。ビジネスの目的は何だったでしょうか。単なるお金儲けではなかった筈です。だれもが幸せになるために、その文脈で世界を豊かにする意味でビジネスを考えて良いですね。そしてフィールドが「見える世界」から「見えない世界」へ拡大されるのであれば、そこには無限のチャンスが眠っています。これに無限の価値と可能性があることを知って、新しい時代のゴールドラッシュとなります。それは大航海時代に等しいのです。あるいはフロンティアです。時代がこれから大きく動き出します。チャンスは無限です。もう、始めるしかないですね。相手は見えない世界です。これが歴史的なチャンスとして、これから始まろうとしています。それが情報化革命、創造化革命として今、進行中だったのです。これからは諸価値が商品となります。故に、自己を人格として磨いておきましょう。勉学こそ財産です。本当に良い時代にするかどうか、再び戦乱の世に戻るのか、選択の自由は、私たち自身にあるのです。既存の産業は衰退します。個人の時代です。資産は個人の人格及び知性です。そういう時代が始まります。既に、始まっています。見えないところで例えばこの10年で、海中の水温が水深数百メートルに渡って平均10℃上昇しています。これで北極の氷も溶けました。そうした時代となっています。こうした環境下で私たちのビジネスも当然、変化を余儀なくされているのです。それでどう生きるのだったでしょうか。どのようにしてそれを実現するのだったでしょうか。既に開拓した方々がいます。先ずそうした方々から学びましょう。そして自分を見つけ、学んだ方法で実現していくのです。今、そうした時代となりました。気づいた人から始めましょう。この時代の流れに乗りましょう。未来は明るいのです。結局、自分次第です。自分次第であるなら、結果に於いて誰を恨むこともありません。邪魔する人があれば、そうした方々とはさようならするのです。そして新たな出逢いがあり、新しい世界が開けます。新しい物語を始めるには、古い物語を閉じなければならないですね。そして、終わりは終わりではなく、始まりなのです。終わらなければ始まらないのでした。

個性の時代となったということは、すべて自分自身だったということです。そうした時代が本当に始まりました。そして世界が見えない世界も含まれるということで、それは大宇宙の開発ということになります。こうした世界に入り込むために必要だったのが、身心清浄ということです。身心清浄になるためにはどうすればいいのかという方法も明らかとなりました。すべてに感謝し、自分の悪いところは謝るということでした。何処に謝るのかというと、大宇宙に対して謝るのです。こころから謝ることでそれは通じるのです。あらゆる宗教が教え、実践していたのは、こうした見えない世界としての宇宙との対話だったのです。それも在家禅の時代となって、個人で出来る事になっています。お金は諸価値の象徴です。価値があれば集まって来ます。こうしたことに気づいて実践し、感謝してゆけば良いのでした。21世紀の真実幸福論とはこうしたことだったのでした。

日々あくせくすることが努力ではないのです。日々の実践が質的な価値を帯びるようになれば、やがてそれが結実して現実化します。そうした花を咲かせるのです。その花が自己です。その種をあなたは持って生まれています。その花を咲かせれば良いのです。誰かの真似をしても駄目だというのはこの意味だったのです。自分自身の花を咲かせましょう。それが成功でした。新しい時代で大切なのはこうした理念を見つけて、それを種として、時間をかけて(6ヶ月)育てるのです。そしてそれが諸価値となって自分の財産となるのでした。写真にしても、良い写真が撮れるのは、被写体がその人を待っていたからです。その時、天候も応援してくれます。その人がシャッターを切るだけで、良い写真が撮れます。すべて自分自身であるということはこういったことを意味しています。天が味方に付くのです。そして勝負すれば良いのです。自ずから勝敗は決しています。西部劇で決闘シーンがありますね。その時、遅れて撃っても勝てるのでした。理由は、天が味方するからだったのです。

新しい時代がどのようなことであったか、見えて来ましたか。見える世界と見えない世界は常にありました。見えない世界は、ずっと隠されていました。いよいよ、だれもが見えない世界を扱える時代となりつつあるのです。そこでのビジネスもあることでしょう。いち早く気づいた人が得たモノがあれば、それはその人の財産です。そうした時代へ移行しつつあります。気づいたモノから始めれば良いのです。

気づいている人がいて、既にそれを実践して、それを世に伝えようとしている方々がいます。これからは、それがビジネスとなる時代です。既存の教育は各々、その意味を失っていくことになるでしょう。実践を通して本当の意味を知っている方々が、それぞれ教えるということをしていくのでしょう。そうした見えない情報が知的財産としていよいよその力を発揮することになります。その意味でのゴールドラッシュです。既に始まっています。見えない世界ですから無限です。諸価値はそれぞれの人の数だけ存在しています。それを見つけた人からそれを伝えるビジネスが始まります。背景は、情報化革命と創造化革命です。見える世界では人類として進化が市民革命で完結しています。情報化革命を通って創造化革命の時代に推移しました。創造というのはかつて、神の仕事でした。それがビジネスとなるということはどういうことでしょうか。考えるだけでワクワクします。その準備が調ったのです。気づいた人から既に始まっています。それは大航海時代に等しいのです。コロンブスも地球が円いという理論が現れてそれを信じたのでした。当時、胡椒が欲しかったのでした。そのために、インドへ行きたかったのですが、途中で邪魔する者がいました。それを回避するために新たな航路が開発される必要があったのでした。そして見つけた島がありました。西インド諸島と名付けられました。しかし、そこはまだインドではありませんでした。アメリカだったのです。その後、人類はアメリカを中心として発展しました。途中、悲しいことも幾つかありました。それを乗り越えて、今とこれからがあるのです。こうしたことを前提にして、これからを考える必要があるでしょう。

素晴らしい時代に突入しているということが、わかるでしょうか。それは本当に始まっているのです。こうした流れを理念として自覚しているかどうかは別として、この流れに乗ってビジネスをした人の多くが成功しています。そして夢のような人生を手に入れています。いよいよ、だれもがこの可能性にチャレンジして成功していくでしょう。そのフィールドが見えない世界であることが明らかとなって可能性は無限です。そして方法は自分自身の諸価値を知って、それをビジネスにするという個の時代の定義も見つかりました。新しい時代の理念が形成されつつあります。気づいて始まります。何に気づくのだったでしょうか。自分自身でした。

間違っても良いのです。謝って済むことであるなら、謝ることで赦されます。その方法も明らかとなりました。

人格として最適化するべきは、悪の払拭です。人間関係は同レベルで触発し、さようならをしなければ、新しい出逢いはありません。そして始まります。それはあたかも夢の世界のようです。それは有るのでした。今も昔もこれからも。

こうしたことが現実として既に存在しています。これをお伝えするビジネスもあっていいですね。それは、水先案内人としての仕事です。既にその世界を見て、無事、帰って来た人がいます。何事も経験が必要だとある賢者(森有正)が言っています。これからは、こうした経験がビジネスの種となる時代です。情報化の時代となって、情報が商品となるのです。情報とは価値があるモノでなければなりません。何を以て価値とするのだったでしょうか。ダイヤモンドや金は価値がありますね。情報もダイヤモンドや金のようなモノがあるのです。それを集めて大切にすれば良いのです。情報は知的財産です。故に頭脳及び勉学を要します。嘘や中傷誹謗は情報ではないのです。

真実には証明があります。何を以て証明するのだったでしょうか。見えない世界が相手となれば見えない世界からの証明があります。見えない世界に受容されると見えない世界が馳せ参じて守護してくれることでしょう。見えない世界に喜んで貰うためにどうあるべきだったでしょうか。考えるヒントはそれです。相手は見えない世界です。見えない世界に認めて貰うとどうなるのだったでしょうか。ひたすらに笑顔となってすべて赦すことでしょう。その時、自分も赦されています。こうしたことが現実となる時代が始まったのです。そうであるなら、そうした時代を開発する船に乗って見たいと思いませんか。そして新しい時代を航海してみたいと思いませんか。

いよいよ、これから始まるのです。知る人は知っています。経験しているからです。何を経験していますか。それを見つけて、それが価値となって熟成すればそれがあなた自身のモノとなります。それを以て、ビジネスにすることも出来ます。あなたでしか出来ない事が必ずあります。それがこの世に生まれた意味だったのです。それを見つけることが出来れば良いのです。そうしたことが過去から伝えられています。そうした情報を価値あるモノとして評価できるでしょうか。それと出逢っても、通り過ぎてしまうのは何故でしょうね。しかしそれは有るのです。そうした価値ある情報にめぐり逢いたいですね。どうすればそれに気づけるのでしょうか。それも自分次第です。そうした情報に価値を見いだせるかどうか。どのようにすれば見えるようになるのだったでしょうか。人間関係は同レベルで触発します。自分を高めていくしかないのです。そうした情報を見つけたいですね。そのために勉学するのでした。経験者から学ぶのが一番の方法でした。そのために、お金も支払うのです。そうして気づくことがあります。不思議ですね。人生とは、そういうことだったのです。

挫折することもあります。それも通らねばならなかったのです。生まれ変わるために。そしてそうした過去と訣別するのです。そして新しい出逢いがあります。それもタイミングとしてのチャンスがあります。それがチャンスであるのにそれに気づけないですね。それをチャンスと思えるかどうかです。そのために、新しい自分となっておく必要があるのでした。古いコートは捨てなければならないのです。そして始まる次の世界が見えて来ます。準備が調っていれば、間違いなく救いの船がチャンスとして訪れ、それに気づくことが出来るでしょう。そして新しい人生が始まります。そのために、時代は今どのようであるのかを知る必要があるのです。知は力なり、とするところです。そして私たちの時代となるのです。

真実との邂逅ということが庶民レベルで実現する時代となりました。それは情報化革命を経て、創造化の時代に突入したからです。その世界では諸価値こそ財産です。こうしたことも明らかとなりつつあります。気づいた人から始めるしかありません。そして伝えるのです。その要件も明らかとなりつつあります。すべて経験に基づく分析から見出されました。そのために孤立も必要でした。ある意味で、ニートです。それも通らねばならなかったのです。

市場は今、ニッチだといわれています。誰もが探しています。本当の人生は何だったかを見極めようとしているのです。そこに提案していくことが出来れば良いですね。そして信頼関係が出来れば良いのです。

商売は安ければ売れる時代がありました。今もそうであるのでしょう。しかし本当の価値があるのであれば、金額に糸目は付けないという方々も存在しています。そうした方々も探していたのは何だったでしょうか。それは人類としての永遠のテーマではなかったでしょうか。それが見つかっているのです。フェルマーの最終定理が解かれ、太陽系の惑星が一直線上に並び、マヤの暦が一巡した事実が物語っていることがあります。それは、新しい時代に突入したということです。その流れに乗って幸せになれるのです。その流れに乗って既に幸せを手にしている先駆者もいます。これから、だれもがそうした流れの中で幸せになっていくことが始まったのです。それを文章で明確にすることはある意味で初めてのことだったのではないでしょうか。それが彼が生まれた意味でした。もう、良いですね。時代は決しました。彼は約束を果たしたのです。勉学がありました。流浪がありました。埋没がありました。すべて必要でした。時が来るまで、彼は埋没を余儀なくされていたのです。解決しなければならない過去があったからでした。それは、解決されました。重荷は下ろされました。自由です。才能がなかった訳ではありません。何事も時を要するのです。それだけのことでした。

時が来ればどうするのでしょうか。自分自身を生きれば良いのです。日月照らし、風が吹きます。大自然を味方にするのです。その方法も明らかとなっています。既に経験済みです。そうしたことも縷々とホームページに書いて来ていました。価値がなかったわけではありません。見出されなかっただけでした。そうした人生もあるのです。日本は戦争に追い込まれ、無駄な戦争をして、原爆が開発され、投下されて終結しました。そして戦争放棄となりました。故に70有余年、平和でした。平和でなければ咲かない花があります。それが個性の花でした。誰もがその花を咲かせて幸せになることが出来ます。それで良い、ということが確認されました。それが幸せの形だったのでした。時代は大きく変化しようとしています。既存の仕事の60数パーセントが消滅します。それが情報化時代としての結実です。それを通って、創造化の時代に突入しています。これは、農業革命、産業革命、情報化革命に続く第四の波です。故に時代はさらに急速度でこの変化を進展させています。やがてその姿が明らかとなるでしょう。そしてそれは何だったでしょうか。戦後日本精神骨抜き占領政策というのがありました。それは馬鹿になることが幸せであるかのような時代でした。それは成功したかのように見えるのが、今のテレビ界です。果たしてそれで良かったのでしょうか。この件に関しても、これから明らかとなることでしょう。

本来日本は生きています。神は死んだ、と言ったのはニーチェでした。神も死んではいません。こうしたプロパガンダによって支配されていたのです。そうした呪縛が悉く解かれていくことでしょう。パールハーバー攻撃に関する秘密文書は70年封印されていました。そして今、その真実が明らかにされています。ケネディ大統領暗殺に関する秘密文書は100年の封印です。月の裏側は、地球からは見えません。そうした見えない世界があるのです。人間のこころも見えない世界でした。遺伝子の配列が明らかにされています。究極の目的は幸せでした。どうすれば本当の幸せを手に入れることが出来るのだったでしょうか。それを探す旅もあるのでした。そしてそれを見つけているとするのであれば、それを以て世に問い、幸せを発見するビジネスというのがあって良いでしょう。宇宙旅行がビジネスとして計画されている現代となって、それも可能となるのです。

要は、『すべて自分自身でした』。この表現が真実であることは、インターネットの私のホームページに対する反応で証明されています。