この世に生れて時代を確定する

2010年10月18日

  • 私たちはこの世に生れて、何をするべきだったのでしょうか。少年の頃、自分探しの旅が始まります。そしていつかたどり着くのでした。どこにたどり着くのだったのでしょうか。ニーチェには『善悪の彼岸』というのがあります。
  • 自分の中に、善と悪が棲んでいます。善が勝つのでしょうか。悪が勝つのでしょうか。往々にして、悪に憧れます。何故でしょうね。それを面白いと思うからでした。
  • 面白いということはどういうことだったのでしょうか。何を面白がっていたのでしょうか。他人の困っている姿を見て面白いと思うのがいじめです。さらに困らせて面白がろうとします。それはとても悲しいことだと思いませんか。本来人間は、困っている姿を見ると、助けてあげたいと思います。それができないのは何故でしょうね。それを知らないからですか。周りがそれを面白がるからですか。それを以って、あなたはヒーローのつもりですか。ヒーローとは優等生のことでした。どこかでそれも貶めようとしていませんか。優等生は優等生でよかったのです。何故でしょうね。彼らにしかできないことがあるからです。いつか、彼らの力が必要となります。
  • やがて大人となって、人生も晩年に近づくと気づくのです。最終最後最大の敵は自分自身だったのです。それは自分の中に棲んでいる悪との戦いでした。この戦いに勝利して何があるのでしょうね。如来が手で頭を撫でてくださいます。それが神仏との邂逅であり、その時、この世の真実を確信します。そしてあなたはあなたでよかったと思うのです。それが肯定的自我同一性の確立でした。悪を払拭してわかるのです。それまではわかりません。そのようにできています。そして何をしてもいいのです。その時、生まれた意味を知るでしょう。だれもがこの戦いをしなければならないのです。物質(創造力)と精神(普遍の愛)の戦いと言ってもいいのです。
  • 創造力と普遍の愛が神の二つの性質でした。前者は後者に対して反力として機能します。故に今、高度経済成長で物質的幸せを追求した反動としての社会現象となっていませんか。親としても、自己利益を追求し、不倫等で、子どもに対する愛(神の愛に近い)を忘れていたのでしょうか。であるなら今、何が必要であるのか、明らかですね。時代及び環境の被害者としての子供達も、新しい確かな道標を待っているのです。物質的成功で幸せになることができると思って、自己利益を追求していたが故に失われた何か大切なものがあります。それが愛(愛には三段階あり、森有正氏の研究によるとパスカルが既に説いていた、動物的な愛、人間愛、神としての愛[アガペ])でした。
  • どんな大富豪もやがて気づくのです。人生の目的はお金ではなかったことに。お金を通して自己実現を追及していたのでした。自己実現とは何だったのでしょうね。己の存在証明だったのです。そのために何が必要だったのでしょうか。自分自身との戦いでした。
  • かつては国家として悲しい戦争もありました。その無価値を私たちは人類として学びました。だれもが通らねばならないプロセスだったのでしょうか。国家としても。そして進化しているのでした。
  • この世に生れて、幸せになりましょうね。それは何だったのでしょうね。身分に安住していてはたどり着けない真実があります。軽薄な精神では至れない幸せがあります。私たちは幸せになるために生れました。
  • 本当の幸せとは何だったのでしょうか。神仏と邂逅し、その実在を確信して、それを以って、神仏に受容され、祝福され、守護されることでした。それはあるのです。ないのにあると思い、あるのにないと思うのが人間です。それが本末転倒です。見える世界と見えない世界があります。見えない世界が真実であり、見える世界が虚偽(そのメカニズムは、古代インド哲学で既に解明されています)でした。これを仏法で、世間虚仮、唯仏是真とします。
  • 仏法が他の教えを外道としているのは何故でしょうね。仏法こそ中道として、誰もが必ず真実に至る教えであることを確信していたからではなかったでしょうか。中村元氏は言っていました。宗教は何であっても良い。真実を観れば良い。そうであるならば、宗教を理由に戦争をしている方々は、宗教を以って権力闘争の具としていませんか。ここにどうにもならない人間の性があります。これを乗り越える時です。
  • 戦争及び殺戮(天安門を含む)は、紛争を解決する手段として無価値となっています。それがヒロシマの意味です。本来廣島より発信するところです。ところで、情報は発信するところに集まる。また、情報は価値があるものでなければ意味がない。どういうことでしょうね。彼こそ彼でした。この世の苦難を解決して時代は真実の故に無事確定されました。謹んでご報告申し上げます。


平成22年10月20日