仏法がわかると

2010年10月18日

  • 仏法が真実であるとして、仏法がわかるとどうなるのでしょうか。鈴木大拙氏によれば、元気になり、不傷害の人生となります。笑顔が当然であり、努力するのが平気となります。仏の守護を確信するからです(仏を謗ってはいけないといわれています。何故でしょうね。それが一休髑髏ご用心の意味するところです。私たちは知らないことを以って否定します。それはないと思います。しかしあるのです。知っても識らなくても)。そして人生を謳歌するのです。仏法がわかるまでの人生とわかってからの人生があります。それを道元は、薪の灰となって、もとの薪にあらずとします。薪には薪の住む世界があり、灰には灰の住む世界があります。
  • また禅語では、
  • 廬山烟雨浙江潮  
  • 未到千般恨不消  
  • 到得歸來無別事  
  • 廬山烟雨浙江潮 
  • そして、
  • 至り得て帰り来たれば別事なし 柳は緑 花は紅
  • つまり、現実大肯定の人生が始まるのでした。白隠曰く、隻手の音を聞けば、何をしても善い。これを聞かない間は何をしても駄目である。仏法の極意はこのあたりにあります。すなわち、思いが天に届き、実現します。善いことを思いましょうね。悪いことを思えば、見えない世界でそれを準備し、実現します。この辺りを知って、如何に生きるべきか、おのずからはっきりしてきます。ところで、仏は宇宙の王であるといわれています。どういうことだったのでしょうか。仏の言葉で宇宙が動く。魔といえども逆らえない。しかし、個々の因縁は、自分で解結するしかない。その方法は教えると言う。知らずに、人間の自己利益追求あるいは面白ければ良いとする軽薄な考えの故に恐ろしい状況になっている。時代はこれを乗り越えてステップアップする。私たちは全体的に知的ボトムアップして、幸せになろうとしている。馬鹿になることで幸せはありえない。宇宙あるいは大自然にとって無価値である、人間の自分さえよければよいという考え(本来日本はそうではなかった)を基礎とする権力、武力、お金の力による支配は終わっていただく。