英語と日本語は異なる

2014年01月24日


  • 英語と日本語は異なる。何故だったのか。日本は四方を海に囲まれた単一民族国家となっている。それで以心伝心の国となっている。ところが英語はもともと大陸的な国家言語であったギリシア語及びラテン語を淵源としている。大陸の中での国家であるとき、相手と遭遇して、その相手が敵であるのかあるいは味方であるのかを先ず見極めなければならなかった。それで、Yes であるのか No であるのかを明確にしなければならなかった。日本語においては、そうした意思は会話において最後にならないとわからない構造となっている。また、英語においては、動詞が必ず二番目に位置する。それが定位となる。ところが日本語においては、動詞は最後である。敵がいる。いかんともしがたい。過去からの因縁である。味方がいる。それも事実である。世界がグローバル化した。日本語も変遷する。国際的な関係において、敵と味方を見極めて議論する必要がある。アメリカと日本はよく似ている。何を以て似ているのだったか。勤勉性である。すなわち hard work を好む。いずれにしても世界は平和を目指す。アメリカと日本は今、同盟である。その意味をよく考える必要がある。世界秩序は今、何を基準としているか。第二次世界大戦の集結である。日本はそれを見つめ直す必要があるだろう。国連憲章において敵国条項がある。それは、削られていない。もっと日本は、謙虚になるべきである。そして反省するべきは反省しなければならない。何を反省するのであるか。A級戦犯はA級戦犯である。そうであるならば、物議を醸すだけの国の指導者を身分としての靖国参拝はあり得ない。

馬鹿になることが幸せではない

2014年01月24日


  • はっきり、言い置く。馬鹿になることが幸せではない。それを吹聴し迎合したるテレビ界及びお笑い芸能界、相応の責任をとっていただく。
  • 各々、勝手が過ぎた。この世のあらゆる地位及び権威が陳腐化した。それを知らないで上司ぶっているとどうなるのだろうね。すべて見抜かれている。何が見抜かれているのだろうね。世の支配階級はそれを知らない。真実は今、埋没している。何の故であるか。それを知らない。
  • 知っても識らなくても真実は真実である。何が真実だったのか。世に秩序がある。みえない世界にもである。それを知らない。そしてどうなるのだったか。彼は言う。守護が異なる。何を勘違いしていたのだろうね。これより、明らかとなる。みえない世界は何を好むか。知性である。
  • 彼は言っていた。一休髑髏、ご用心。それって、何だったのだろうか。半年後にきっちり死に神が来る。体験的事実であるらしい。一度や二度ではないらしい。よって彼を直接間接、貶めるべきではなかった。しかし、貶めたよね。知らないことを以て。恐ろしいね。
  • 彼は真実を解明し、力を得ている。どのような力だろうね。彼は常々、言っていた。彼を本気にさせない方がいい。彼が本気になるとどうなるのだろうね。ヨハネの黙示録及びバガバッド・ギーターに記述がある。