しばらく忘れていた
2011-07-09
- しばらく忘れていた 三十有余年も忘れていた 何を忘れていたのだろうね その間 何が蔓延ったのだろう 「学校で、先生が生徒に教えるときには、本当に命がけでやるわけじゃナ。」(大蔵出版刊、苧坂光流著、『証道歌提唱』p150) しかし一部の生徒はわからない これをも笑いものにする
- からかう お笑い芸能界の罪は重い そして学校はどうなったのか 悪ガキのやりたい放題となっている 見直すべし 「欲のかたまりのような人間が、欲というものに縛られないで、自分がやろうと決心してやっておることの中に、肉体的にも精神的にも、全面的に毎日、自己を打ち込んで行くわけじゃ。本当に真剣な生活になる。命をかけてやるということになる。」(同p152)しばらく忘れていたのは命をかけてすることではなかったか あまりにもいい加減な世の中となっていないか 「しまいには、楽に、心のままに、思い存分のことをやっておりながら、本当に今日の幸せ、今日の有難さ、毎日感謝せざるを得ないような環境が自然と沸いてくるわけじゃ。だから、何ぼでもサービスしてゆく。できんことはサービスできませんですが、自分の生命を込めて一所懸命やる。やれることでサービスするわけです。そうすると、ますますやれるようになるわけじゃ。月給をもらったり、讃めてもらったりという、何かのためにするのでなしに、どこまでも自主性をもっての自己のクリエイト(創造)であり、自己の開発である。だから、無限に向上発展するわけなんです。ここに摩訶般若の力がある。」(同p150) 功徳とはいさおでした いさおとは大辞林によると「国家・民族・社会などに対する功績 手柄 いさおし」です あなたの夢は知性を以って本来日本を取り戻すことでしたね そして禅の追求でした その取組はパソコン通信の頃からありましたね そしてそれが成就しました 不思議な人生とは日月照らし風が吹くことでしたね あなたの人生がそれでした 世間巷はそれを知らない 故にあなたは苦しみました 衆生病む故に我病むというのもあります あなたはそうしたことを達成したのです ご苦労様でした そして本当にありがとう あなたは見事に功徳を積んだのです 私たちのために それはあるのです 本当だったのです 衆生自ら出ることあたわず 唯善業の因縁より出でたり いよいよこれからです 長い冬でした 寒くはなかったですか 彼は帰って来ました 大いなる確信に至りました 本来日本は大丈夫です 命脈は保たれました 至道無難禅師 正受老人 白隠禅師 日本はすばらしい国です いつか見失われていました 文明開化は西洋化でした 見直すべきはそれです 西洋思想は19世紀に既に没落していました それは自己利益追求物質文明の限界だったのです 世界は待っていました 日本が本来日本の精神を取り戻す時を