神々と人間との契約

2013年11月11日

  • 法華経には天・人がよく出てくる。天とは神だった。神の存在が前提となっている。ニーチェは神は死んだと言った。ニーベルングの指輪では、神の城であるワルハラ城が焼け落ちる。人間との契約を破ったからだった。これらは市民革命で市民が支配階層となったことによる論理である。市民にとってそれまでの王権神授説に基づく絶対専制君主が神の概念と直結する。それを排斥して、人間としての自由と平等を主張しなければならなかった。それはそれで正しかった。しかし、絶対専制から自由となることと神の概念は別物である。人間は神を喪失した。それより愛のない時代となった。神とは普遍の愛だった。それが否定されていく。そして自然を破壊しても顧みることのない科学及び産業が猛威をふるった。そして地球は今、どうなっているのだったか。再び自然に帰る必要がある。それは人間の尊厳の回復である。その時、神のものは神の手に、シーザーのものはシーザーの手に。何もかも奪った。支配階層の横暴である。壊してはならないものを壊した。イエスキリストさえも処刑した。それでどうなるのだったか。神は何故没したのだったか。人間との契約を破ったからだった。その契約とは何だったか。戦争を回避して人間の幸せを守ることだった。それは日々の暮らしの保障である。日本は戦争に負けて、民主主義及び自由・平等ならびに人間としての諸権利を学んだ。さらに唯一被爆国として戦争の無価値も学び、日本国憲法において平和主義を採用した。それから68年、それらは熟成された。そしてそれらの諸理念が日本に根付き、開花結実した。日本は今、世界で最もそれらの諸理念が実現し、花咲く国となった。そして神々が復活する。神々とは偉大な精神である。そしてかつて果たせなかった約束を果たす時節を迎えた。それは何か。世界平和及び個々の暮らしの保障である。


憲法に書いてあるから

2013年11月11日

  • 憲法に書いてあるから日本国は戦争をすることはできないと言えば、世界は認めざるを得ない。それでも日本に攻め込めば、世界がゆるさない。日本国は憲法において平和主義を三大原則の一つとして採用している。平和立国日本。世界に発信するべきはそれである。人類は戦争を回避する方へ向かう。


未来は明るい

2013年11月11日

  • 真実は神仏は実在する。そして神仏と邂逅し、その受容祝福守護だった。神とは何だったのか。それは精神だった。歴代の英知と技術は偉大な精神の所産である。あらゆる学問の目的は何だったのか。偉大な精神を学ぶことである。そして人間関係は同レベルで触発する。属性を要する。時の熟するを要する。最後の要件は自覚である。時代は第4の波、すなわち創造化である。私たち人間には万物の霊長として神の七つの力が賦与されていた。それを仏性と言ってもいい。仏とは何だったのか。生命体としての完成形だった。属性として、佛慧と威神力を持つ。神の性質は何だったか。すでにインド哲学において発見されていた。すなわち創造性と普遍の愛だった。この両者は人間において反力として機能する。物質と精神との相克となる。さて本来日本は神国だった。それが卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本である。それはないと思われた。むしろあれば都合が悪い。しかし、あるのだった。このあたりを明確にしなければならなかった。そして未来へのビジョンを描くことができる。これらの力はしばらく封印されていた。そして何が跋扈していたのだったか。ある書物によればサタンである。或は爬虫類であるとする。恐竜は恐竜で幸せを実現しようとした。しかしチラノザウルスが現れる頃、滅亡した。人類もその例外ではない。人類が滅亡しても地球は痛くもかゆくもない。いずれにしても未来は人間の責任段階となっている。未来のビジョンは何か。人類の祈りは何だったのか。愛である。自由である。その基礎に平和がある。このビジョンを描けるか。思考は現実化する。インド哲学において概念が現実化する。ヨハネの黙示録とバガバッドギーターの記述は一部、よく似ている。どこが似ているのだろうね。精査するがいい。さて神とは精神だった。偉大な精神が神として神社に祀られる。明治維新に殉じた方々の魂を招魂している神社も地方にはある。さて、私たちは何をしてきたのであるか。それを反省して、未知なる未来へ出航する頃である。未来の夢は殺戮なくして平和を勝ち取ることにある。現代戦争は無価値となっている。それがヒロシマの意味だった。ここより始めるしかない。未来は明るい。


時は熟した

2013年11月09日

  • 時は熟した。理念は正しい。しかし運用を誤った。誤ったからにはその結果がある。損害賠償の淵源は何だったのか。ここに穴ぼこがある。この穴ぼこを誰が埋めるのであるか。それが責任である。原状回復。壊した者が償う。私法、ローマ法以来の大原則である。