真実を見ればいい
2013年11月15日
- 中村元教授は仰っていた。宗教は何でもいい。真実を見ればいい。真実を見ればどうなるのだったか。それは、白隠禅師においては隻手の音を聞くことであり、衆生本来仏なりということだった。その時、どこに至るのだったか。桃源郷である。それが般若心経におけるギャーティだった。そして宗教は人間としての基礎であり、基礎が確立すればいつまでもそこにとどまる必要もないのかも知れない。それぞれの生き方であって、そこにとどまるも良い。いずれにしても私たちは幸せになるために生まれているのだった。それは権力かと思われたが、権力は市民革命によって克服された。その後、お金かと思われた。それで利益追求があったが、利益のためには自然を破壊し、他の生命を犠牲にして当然と思っていた。それも反省する頃となったのである。だれもが幸せであるとき、その中の自分も幸せだった。どのようにしてそれを実現するのだったろうか。それが明らかとなった。明らかとなったからには安楽行である。自分が苦しんで修行している間は何も変わりはしない。自分が救われて、救われたという周波数を発信すれば、その安心感が他に影響する。そして存在として感化するようになるのだった。宗教を語りながら、喧噪を煽っていては意味がない。やさしく、やすらかに、美しく、そよ風のごとく、ここちよくあたたかな存在となればいいのだった。その時、努力とかといった妄念もなくなるだろう。学校の勉強ができなくてもだれもが楽に易易と暮らしてゆけるほど時代は豊かになった。ここに合点がゆけば子どもたちも解放される。そうすればいじめもしなくていい。世界においては戦争をしなくていい。歴代の英知と技術を結集して世界平和を目指す頃となった。それが21世紀の約束だった。お金による支配は終わったのである。あたかも専制君主の支配も終わっているように。みんなで助け合って、幸せな時代にしましょうね。良くも悪くも未来は私たち人間の責任段階に至っています。私たちは自然の一部であり、宇宙の一部です。人類が滅んでも地球は痛くもかゆくもない。そろそろ気づく頃です。真実に。それはあるのです。それを見つけて易々と生きてゆけるのです。人類の目的は何だったのでしょうか。愛です。自由です。平和です。そのための民主主義です。お金によって支配できると思っていた方々も気づく頃です。それは限界に至ったのです。ここまで来なければわからなかった。支配と強制はいつか必ず克服されます。
のんびりゆこう
2013年11月15日
- 何もかも明らかなりけりそれなればのんびりゆこう本来日本