打ち出の小槌
苛立ちがなくなったのかも知れない。不平も不満もない。客観的には山上憶良である。それなのに、何だか楽なのである。これはどうしたことなのだろう。これまでは、何かとゆるせない自分が居た。その都度、関係を壊すことになった。阿修羅だったんだね。それで自分が傷ついた。なんて馬鹿な人生だったのだろう。それで埋もれたのなら、当然だった。誰だって敬遠冷遇する。その当然に気づけなかった。いい年をして何時までも感情のコントロールが出来ていなかった。情けないことだった。今はどうだろう。それさえも気にならない。不思議だね。それはあるのだね。どうしてだろうね。それは、あるところである教えを習った。八年が過ぎた。そしてこの度、集中的に研究参加した。そして気づいた。本質(正鵠)を射抜いたというべきか。わかったというべきか。本当にわかったのかも知れない。何もかもゆるせる。どうしてだろうね。ある方法がある。すでにそれはあった。しかし使っていなかった。それを使うことをしてみた。まるで打ち出の小槌だよ。のらりくらり。のたり。ぬらり。山本玄峰老師の瓢鯰図なのかも知れない。だったらいいね。ところで感情のコントロールが出来ないで困っている人って多いのかも知れない。それは何故そうなるのだろうね。自分の境遇の客観的不幸に対する憤懣だろうか。それも自分が原因だった。戦乱の世ではない。ある作家が書いていた。軍隊で名を馳せた者は同じ理由で一般社会では苦労する。生きていくとは難しいね。それぞれカラーがある。しかしながら、感情こそエネルギー源だよ。感情の強さがなければ何事も成就しない。自分をも破壊する感情がある。それをどうコントロールするか。短気は損気ともいう。その通りだね。しかしサバイバルではちがう。サバイバルとなると強い。これがなければ芸術にならない。本気になればどうなるか。風神雷神。それはある。そして昇華といわれるものもこれだった。性的エネルギーとのみ解するのはフロイト病だ。西洋深層心理学では説明できない精神が東洋にはある。ご用心。さて、打ち出の小槌。これは楽しい。何処にあるのだろうね。探すしかないね。誰でも手に入る時代となった。
準備されていた
長い冬だった。しかし、冬来たりなば春遠からじ。何時か春は来る。わからなかった。探していた。それは見つかった。 アラジンの魔法のランプかも知れない。それほどの何かだった。導かれていた。彼が見つけなければならなかったか。生まれた時から決まっていたかのようだ。試練はあった。尋常ではなかった。彼は秘密を解かねばならなかった。そして解いたのだろう。彼にしかできなかったのかも知れない。そして彼は思った。これで素直になれる。彼がすべての原因であったかのようだった。そして思った。自分が変わればいい。その道は見つけてある。それでいい。そのために、準備されていた。彼は自分が悪かったと思った。心から思った。涙も出た。涸れていたかと思っていた。そして彼は誓った。もう惑わされはしない。人間関係は同レベルで触発する。彼の作った言葉だった。高校の時だった。その頃から始まっていた。そしてこの言葉に帰った。彼は彼自身を取り戻した。彼は呟いた。もう大丈夫だ。馬鹿げているね。本当だろうか。失われた何か大切なモノを求めて。彼の高校以来のテーマだ。成就したのだろうか。彼の経験は何だったのだろうね。太陽が反応すると云っていたけれど、それはあるのかも知れない。