それでも地球は回るⅠ

【2008/11/05】

  • そして気づくのです。それは亦、自分の過去歩んだ道だった事を。自分も奪う事、裏切る事をしてきたのです。誰もがそうでした。今もそうです。それで今、奪われ、裏切られたのです。メビウスの輪ですね。代々、生きるという事は、奪ってきたのです。富を成すとは、裏切ってきたのです。そうしないと、生きてこれなかった。それが積もり積もって、いよいよどうしようもなく腐敗しました。このままで良いのかな、と思うのです。奪い続けるとどうなるのでしょうか。裏切り続けるとどうなるのでしょうか。戦争をしたとします。それで解決するでしょうか。気づくべし、という事ではなかったかと思うのです。本当の幸せはあるのです。それは天の祝福と黄泉の守護でした。その時、導かれています。そのサインは常々あるのです。それに気づけるかどうかです。時が来なければ気づけません。そしてここで自分が変わるべき時が来たように思われます。このままでは、悪くなるばかりです。そして大切な事は、誰もが歩んでいる道だという事です。自分も歩んだ道だという事です。その道で失敗したのです。戦争もありました。人生も青春も失いました。しかし、それ故に気づくのです。気づいたからにはどうするのでしょうね。法華経に、悪舌は功徳の種を断ずるとあります。批判しても何も変わりません。人は人です。自分は自分です。自分が変わる事で十分ですね。そのように思われてきました。所詮、この世の人生は魂の遍歴の一齣です。自分はどうなりたいのでしょうか。自分はどうありたいのでしょうか。真摯に自分と対峙する頃です。幸い、幾多の試練もあって気づく事ができたのでした。いい知れぬ試練を理解し、それに耐えるだけの能力も賦与されていたようです。そうであるなら、この道をさらに進むしかないですね。いよいよ、過去のトレースが終わったのでしょうか。そして次に取り組むべき課題が現れたのでしょうか。何事も粗末にするべきではないと知りました。何事もです。申し訳ない事でした。歩み始める事に致しましょう。新たな始まりです。しばらく怠惰でした。そして歩み始めるこの道は、苦難の道ではないのです。むしろ穏やかで安楽な道です。不安と恐怖の原因がわかったからです。すべて自分自身の思いと行為だったのです。自信も勇気もどこから生まれて来るかわかったからです。正しい道と信じる事ができるからです。何故でしょうか。日月照らし、風が吹く。或いは廓然無聖を知ったからです。これまでもそれはありました。しかし、それがどういう事か知らなかったのです。何度か痛い目にも遭いました。そして気づいたのです。それは何だったのでしょうか。それをさらに確かめる事になるでしょう。道は見つかりました。本来日本の目指していた道です。既に天地の証明もありました。故に信じて歩み始めるのです。真実真理を含む自然に感謝するのです。真実真理とは神仏の実在とその教えでした。それを身を以て確認したのでしょうか。そして過ぎ越し自分を反省するのです。慚愧です。そして自分を変えるのです。それも出来ると思われるのです。既に先達の諸価値があります。それを復活させるのです。