何も言えなくなった

2010年06月26日

  • もう、何も言えなくなったのかも知れない。あるいは言う必要がなくなった。蓮華の前に仮生するとはどういうことだったのだろう。馬鹿を雇って雪で井戸を埋めるというのはどういうことだったのか。もう何も言えなくなった。言う必要はない。言えばむしろ波風が立つ。柄丁童子来求火。自分が火だった。法華経に曰く、すべて自分の中で起きる。それがあなこそあなただったということだった。何を求めていたのだろう。自分を失っていた。惑わされていた。誰も悪くない。気づけない自分が愚かだった。何も求める必要はない。すべて調っていた。さらに、勉学したことだった。何を勉学したのだったか。それもどうでも良い。自暴自棄になっているのではない。何もかも全肯定である。もう良いんだよ。悲しい孤独な時代は終わった。黄泉が認めた。導いた。もう、惑わされるんじゃぁないよ。あなたの経験を基準にするが良い。あなたは見聞している。世の中はそういうことだった。ご苦労だったね。ごめんよ。あなたはそのように生まれていた。そして、見事に試練に耐えた。仕事を成就した。黄泉は知っている。あなた方はいい生活をしたね。彼はその間、地獄を彷徨った。見聞しなければならなかった。勝手が過ぎたね。事実として。本当の幸せは那辺にあり哉。真実とは何だったのか。正直者は馬鹿を見る。正直者の頭に神は宿る。伝えられていた。知らなかったね。


いつか喜びに満たされる

2010年06月26日

  • 何も心配することはない。何も臆することはない。何も不安がることはない。思うとおりに生きるが良い。そのために教育がある。勉学がある。負けないように。準備をしておこうね。見ている人は見ている。知る人は知っている。信じて良いよ。あなたは一人ではない。いつか喜びに満たされる。いろいろな人がいる。裁判所も社会の縮図だった。だから、三審制が保障されている。いろいろな考え方がある。自分の考え方を確立しよう。それからが勝負だよ。人生、遅すぎるということはない。気づいた時が始まりだった。花が咲くまでわからない。挙手するんだよ。死んで花実は咲かない。生きるんだよ。みんな生きている。それで良いんだよ。あらゆる悲しみを通って喜びに至る。いつか辿り着く。般若心経のギャーティもそれを伝えていた。法華経では歓喜奉行だった。『リング・オブ・ザ・ロード』のエンディングもそうだった。ベートーベンもやがて『喜びの歌』となる。ピアノ・ソナタ第29番『ハンマー・クラービア』を通って。