私たちは幸せになるために生まれていました。幸せとは何だったのでしょうか。いつまでも「茶色い戦争がありました」では幸せではないですね。いくら能力があっても、みんなに認められなかったなら孤独です。自分に力があると思えば、自分の思いと現実とのギャップが不幸です。それほど力がなくても、うまくいく人がいます。どういうことだったのでしょうか。ここを仏法で、例えば『夢中問答集』に因縁とあります。そうだったのです。私たちは過去の失敗を繰り返していたのです。幸せも多様化しています。多様化とは、それぞれ皆異なるということでした。肌の色もそうです。私たちの本体は魂であり、もとはひとつです。みんなでひとつの輪となって座ればいいのです。一人は怖い。それでグループを作ります。そして上下関係ができるのです。その時、リーダーに情があれば、ずいぶんと楽しいグループとなることでしょう。ところが、現代社会はとても殺伐としています。何故でしょうか。戦後、経済を何とかしなければならなかったのです。それで子供たちを大切にすることがなかったのです。愛情が注げなかったのです。それで、自分は大切にされていないと思うのです。ここが悲しい現実です。自分が大切にされていることを感じて、自尊感情が育ちます。自分を命として扱えるようになるのです。そして他者も大切な存在だと気づきます。みんな違うのです。違う存在をそのまま認めて、みんなでひとつの輪となれば、きっと幸せです。しかし、自分さえ良ければいいという過去の思いがあります。自我の形成に失敗していたのです。これに気づけばいいですね。創造力と普遍の愛が、インド哲学において、神の二つの属性でした。往々にして、創造力は普遍の愛に対して反力として機能します。それで物質的な幸せを追求すればするほど、精神的な愛から遠ざかるのでした。ここに気づく頃です。それが人間だったのですね。それで、あまりにも嘘とバイオレンスが支配しています。正直とやさしさを取り戻していいのです。それが進化傾向でした。気づく頃となりました。私たちは、この過ちを繰り返していたのですね。さて、どうするべきなのでしょうか。正直と愛の両立です。すると、不思議な力が働きます。それが、見えない世界の受容祝福守護だったのです。その時、本当の幸せだったのです。これを実現したいですね。それまでは、孤独なのかもしれないですね。ここが悲しいですね。しかし、ここが確信に至れば、孤独ではありません。見えない世界が見守っています。これが本当のあなたは一人ではないということです。四国でお遍路さんは、弘法大師に出会うというのもそれでしょうか。You see ?