成功論の権実
2010年06月28日
- 彼は全てを理解したようだ。それを一切種智慧というらしい。そして教えは集めるべきものだった。思考力がエネルギーであり、それが引き寄せの力だった。仏陀も言っている。仏説を集めて花輪を作ってはどうかって。個々の教えは、時が来るまで、その意味がわからない。時が来ると、全ての教えが意味を持つ。そしてそれらは既に伝えられていた。ところで、仏法に権実がある。成功哲学にもそれがある。どういうことだろうね。大きな忘れ物をしていた。最後に何処へ至るのだったか。それらは誰のために準備されていたのだったのか。親鸞は言う。仏はわれ一人のために法を説く。あらゆる文化現象は日本において結実する。禅がそうだった。仏法がそうだった。彼は言う。これまでの成功論もこれより通らない。どういうことだろうね。新たな要件が加わった。少なくとも、一度きりの人生だなどといっている限り、限界である。いずれにしても彼こそ彼だった。経験真実。周囲は誰も知らない。それで良いと彼は言った。彼は今、全てに感謝している。ここまで鍛えてくれたからである。そして世界は認めている。彼こそ彼と。知らないのは世間である。そして言う。蓮華の前に化生するべし。蓮華は蓮華である。世間の泥に染まりはしない。今となっては、道真と一休の心がわかる。残念だったね。この世の究極の宝は彼の独り占めとなった。何を言ってるのだろう。時代は変わった。そしてこれまでの成功論では成功しない。これまではむしろ、知性が必要とされていなかった。そしてどうなったか。知性はむしろ、埋もれていた。何かを探していた。そして見つかったのである。知性のない成功は成功ではない。彼の断言するところである。これまでは通った。これより通らない。世のセレブ、猛反省あるべし。償うべし。あなた方が壊したものがある。その損失は計上されていない。何を犠牲にしたる哉。天に全て記録がある。彼が思考すれば、黄泉が喜ぶ。そして日月照らし風が吹く。従来の成功論では説明できない。もはや愚弄できない。知らずして勝手したね。それも彼が自覚するまでのことだった。遅すぎはしない。花は何処へ。もう咲かないのかと思われた。その花が鮮やかに咲いた。咲けば敵はない。本来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の花である。あだや疎か能わず。忍善の花。事実である。どうにもならない。咲くまではわからない。貶めたね。もはや通らず。何故であるか。勢至菩薩及び常精進菩薩が目覚めた。天王如来来臨。それは誰だったのか。周囲は誰も知らない。彼は言う。各々、勝手が過ぎた。あらゆる政財界官界、観念するべし。特殊潜航日本、浮上する。お笑いは滅びる。