破顔微笑
山本玄峰老師は性根っ玉を磨けといった。山田無文老師は何をしてもすらすらといく境涯があるといわれた。白隠は最初に悟ったと思ったとき、正受老人に鼻をねじ上げられてたたき出された。二度目はどうだったか。正受老人は泣いて喜んだ。それはきっと破顔微笑だったか。仏法の奥義を尋ねられて、この鎌は良く切れると答えた禅僧がいた。心頭にかかることなくんば、即ち好時節であるか。ギャーティギャーティは喜びの歌だった。いけりいけり、われはいけり。たどりつけりと。ベートーベンもそうであったか。法華経である青年が彷徨っていた。日々の衣食を求めて乞食をしていた。三十年もして或る裕福な友人と出会った。まだそのようなことをしているのか。お前の襟に珠を縫いつけてあるはずだ。私がかつてお前が飲んだくれてねている間に縫いつけた。それに気づかぬか。それを以て貿易するが良い。その珠と何だったか。性根っ玉だった。それを以てすれば誰もが助けてくれる。協力してくれる。大きな夢も叶う。一人では何も出来ない。少なくとも子供を作るには伴侶がいる。多くの人と共にすることで何事も成就する。マンモスも獲れるし鯨だって獲れる。無意味なことをしていないか。無意味は悪である。中身がない。それに気づけないでいた。無意味こそ人生かと思われた。それでは思うような人生はない。幸せになりたいか。なりたくないのか。そのためにはどうあるべきか。わかってきたのかも知れないね。不思善不思悪。無事是貴人。道元空手は破顔微笑か。幾千の旅を経て至り着くは此処でであったか。さすれば、この人生も無駄ではなかった。