どの道を行くべきか
もう何も気にしなくて良いのだろうと思われる。何もかも。思えば、自分勝手だったのは私だった。人の姿を見てどう思うか。過去の自分である。一切気にする必要はない。そのように思われるようになった。この世の秘密とは何であったか。自覚自得するのみである。説明しても所詮わからない。自分で探そうとしない人に話しても無駄である。これまではすべて背負おうとしていたのかも知れない。先ず、解決するべき事がある。それは何だったか。自分の過去からの悪業である。身で犯した罪は身に帰ってくる。心で犯した罪は心に帰ってくる。やがて何も気にならなくなる。人のざわめきも松風と思うと良いしたのは菜根譚だったろうか。ひとそれぞれである。それぞれの魂の遍歴の一こまである。段階がある。それぞれの道である。批判しても仕方ない。辿らねばならない道だ。そっと行かせてあげることにしよう。地獄に赴くも、自由といえる。聞く耳あらば救えもする。しかし、聞く耳がない。人間の身として生まれて、過去を解決が出来るというのに、惜しいことではある。因って、誰彼相手にする必要はなくなった。自分の姿を整えることだ。それを見て何か感じてくれれば良い。悪舌は功徳の種を断ずる。佛を誉め奉るべきである。それで守護もある。そして自分のみを清めていく。それは過去からの悪性の払拭だ。どのようにしてするか。真実と方便がある。真実は結果がある。方便はない。どの道を行くべきか。それぞれの問題である。戦後自由となってどうなったか。畜生道に堕ちた。