人生大肯定

2010-05-04

  • この世に生まれて、どう生きるのだったのでしょうか。多様性こそ認めるべきところとなりました。ノーマライゼーションもありました。その中で何が本当だったのか。それぞれの人生の証明するところとなりました。私たちはなりたい自分になっています。今、幸せですか。いろいろな生き方が試されて、今、笑顔がありますか。子どもたちが次の世代を作り始めています。道しるべは見えているでしょうか。人生大肯定。何があっても良いのです。いつでもやり直せます。所詮この世は自分探しでした。いろんな生き方があって良いのです。権力ではなかった。武力でもなかった。金力でもありませんでした。あらゆる不安や悩みと戦って、この世で解決できると良いですね。来世はあります。来世はそれより始まることでしょう。笑顔で始めることができると良いですね。人類は限りなく進化しています。生命体として。あるいは万物の霊長として。それぞれの段階があります。誰もが通る道であるのかも知れません。それでも道を忘れざりけり。いつかほほえみ同士で語り合いたいですね。それぞれの人生を大肯定し、祝福して。生きることを以て理由にできない、人間としての尊厳があります。人は生まれながらにして平等です。それぞれの存在を存在として認めましょう。その時、レベルの差はあります。それで良いのです。それをも受容して、平等です。何が真実だったのでしょうか。何が幸せだったのでしょうか。いつかきっとたどりつきます。だれもがたどりつきます。必ずたどりつきます。おだやかさの方へ。その時、そよ風がなぐさめてくれることでしょう。すべて認めて、すべて楽しんで良いのです。私たちはそのために生まれていました。青少年の問題行動があります。その背後に何が隠されているのでしょうか。彼らも幸せになりたいのです。世の良識が立ち上がる時です。大人として。社会人として。子どもたちを惑わし、餌食にする野蛮文化を赦すわけにいかないのです。傍観ももはやゆるされなくなりました。新しい時代は、自分のためにする考え方を変えて始まります。本来日本がめざしていたのはこれだったのです。未来は明るいとする所以です。これを確定する旅もありました。自己実現を誰もが試み、その果実を味わって良いのです。それは何だったのでしょうか。人生を語らずという時代は終わりました。たどりついたらいつも雨降りという時代も終わりました。本来日本天晴れ、明るく楽しく幸せに生きて参りましょう。

世界が変わる

2010年05月04日

  • 公園で、子供たちと一緒に走り回って、楽しそうに遊んでいるお父さんの姿がありました。滑り台をすべって見せるお母さんの姿もありました。
  • 自然と一体となって、そよ風を感じます。おだやかでいいのです。だれもがそれを求めていました。社会に許されて自由もあるのでしょうか。何か勘違いしていたのかもしれません。何でもしていいのかどうか。それでどうなったのでしょうか。殺伐とした世の中で、如何にここちよく生きていくか。大切なテーマとなりました。
  • 唯、存在すればよいのでしょう。コスモクリーナーとして。自然の中で共に生きて幸せであることを私たちは知っていました。思い出すころですね。ここに目覚めると、空は青く、さわやかな風が吹いてきます。そして私たちは、すべて与えられていました。それが愛だったのです。やさしさの中で生かされていました。自然と私たちは連動していたのです。自然は私たちの心のリフレクションでした。私たちの心が変われば、世界が変わります。
  • 子どもたちの失われた環境があります。家庭を含めて、取り戻すことをはじめませんか。厚労省の報告書に、あらゆる問題行動の背後には、現在進行形または過去に、虐待の事実が隠れているのかもしれないということを認識する必要がある、とあります。力によって児童および生徒を指導すれば、彼らはそれを学習し、さらにエスカレートし、何も解決しません。何を以って教育するべきか。子供たちは教師に何を求めているのだったのでしょうか。考えるべきころとなりました。彼らが求めていたのは、父性による理解と、母の愛だったのではないですか。そして教師には、あるべき大人あるいは社会人としての憧れあるいはモデルではなかったでしょうか。危機管理の危機とは、だれにもありうるということでした。彼らは傷ついています。もはや公務員を含む知的階級の傍観および教育の怠惰は共犯です。
  • 私たちは生きています。生きているということは、喧嘩もあっていい。収める術を知っているならね。上には上がある。それが見えていない。相手は見えている。一切種智慧。事実として認めるべきだよ。これを以って禅では露堂堂。これまでである。これからである。ある民謡にもとは梅の木ウグイスを鳴かせたこともある。幸せになりましょう。