子どもたちは今

2010-05-15

  • 画一的教育は崩壊し、教育は多様化した。勉強だけが人生ではない。しかし、馬鹿になることが幸せではなかった。子どもたちの世界は今、地獄の様相を呈している。陰湿ないじめが常態化している。ある子がいった。何故、いじめの実体を告発しないのか。告発してもどうにもならないからである。そうだろうか。取り組むべき課題である。子どもたちは今、いじめの中で生き抜こうとしている。それが現実であり、本当の学級活動を知らないかのようである。いじめにはいじめる方といじめられる方がある。いじめの現実を生き抜こうとしている。このあたりを議論する必要がありそうだ。そして、本当にあるべき学校生活を考えるべき時に来ているのではないだろうか。公害があった。それはなくなったのだろうか。環境ホルモンの問題がある。そして今、明らかに発達障害が増えている。彼らも生まれながらに生きる権利がある。彼らは勉強しなくていい。日々を暮らすことができればいい。その生存権を保障しなければならない。遊びによる非行がある。彼らの論理がある。それは社会が受容しないことを厳格に教える必要がある。だれもが明るく楽しく、学校生活を思い出としてゆけるようにしないか。何が必要なのだろうか。失われた何か大切なものがある。それって、何だろうね。父の理解と母の愛である。学校現場は、往々にして見えていないように思われる。そうではない。担任からすればそれでも子どもたちはがんばっていると思っている。それでそっとしておこうとする。あるいは敢えてみのがす。それが教師の情だった。現場教師は苦悩している。あるいは常に手探りである。世間はこれを評価しない。しかし子どもたちの残酷がある。子どもたちが快活に遊んでいるかのようである。そうではない。彼らはそれ以外の現実を知らない。その中で、生き抜こうと懸命である。いじめいじめられる関係で人間関係を維持しようとする。彼らの嬉しそうな笑顔の奥に、ある意味で、とても悲しい姿がある。何故そのようなことをするのか。彼らは答える。面白いからである。それがコミュニケーションである。しかし、客観的にはいじめである。考えるべき課題である。急がねばならない。大人たちは、何を楽しんでいるのか。自分たちには関係ないと思っていないか。危機管理である。危機とは、だれにもありうるということだった。裁量には説明責任を伴うように、用語には独特の文脈がある。自由は何をしてもいいのではない。面白ければ何をしてもいいというのではない。何を以って面白いとするか。ギャグであるか。暴力であるか。愚かさであるか。更なる刺激を求めて強烈化する。青少年及び民はますますカラカラ浴場がエスカレートする。これでいいのだろうか。どこかで歯止めを必要としていないか。しかし生命体としての進化がある。私たちは何を求めていたのだったか。軽薄であるか。大人は何かを見失っていないか。子どもたちを救う必要がある。いつまでも看過できない。傍観は共犯である。気づかないのは資質の問題であろう。身分を保障して配置転換もある。実力は資格ではない。何かを勘違いしていた。時代はあまりに腐敗した。取り戻すべきころである。何を取り戻すのであるか。身心清浄及び正直。ペリー来航以降、自分のためにする思想が何もかもおかしくしてしまった。西洋思想は19世紀に没落していたとするところである。しかし日本もそれを追いかけた。第二次世界大戦の前には、光と陰の大正ロマンがあった。さて、教育は所詮子育てである。何かと教師が批判される。それでいいのだろうか。本来の教育を取り戻す必要がある。あるいは新たな構築である。そのために、子どもたちに対する理解と支援が叫ばれている。それ以上に必要なことがあるのかもしれない。それは、現場教師に対する理解と支援である。現場教師は今、プロとしてがんばっている。子どもたちは無意識に何かを求めている。それが何であるかを知らない。知らないのであれば示す必要がある。誰も悪くない。悪いのは傾向である。空気である。本来の明るくて快活な人生がある。学校がある。誰もがそれを求めている。一人でいい。クラスの中に明るい空気を作り出そう。クラスが変わる。自信と勇気を取り戻せ。あなたこそあなただった。隻手の音を聞けば、何をしてもいい。何故であるか。黄泉が認める。その時、世界が動き始める。それが真実だった。あるいは浦島太郎の玉手箱である。自覚を要する。時を要する。属性を要する。世界は待っていた。あなたの目覚める時を。あなたが変われば世界が変わる。子どもたちは今、変わろうとしている。埋もれていた良い方へ。世の良識の理解と支援を要する。大人として。あるいは、社会人として。あるいは善良な市民として。夢は実現する。思考は現実化する。私たちはなりたい自分になっている。何を求めていたか。どうなりたいのか。選択の時である。自由とは、選択だった。本来日本の秘密がある。卑弥呼の系譜である。それは聖書にも綴られていた。すなわち、日月照らし、風が吹く。天気予報によると、15,16日は曇り後雨のはずだった。しかし晴れとなった。高気圧の勢力が思いのほか強かったという。何かを勘違いしていた。あるいは忘れていた。探そうともしなかった。そして勝手し、裏切り、貶めた。何時か時が来る。その時、すべてが明らかとなる。生命進化は軽薄を好まない。黄泉にも好みがある。黄泉が忍耐強く育んでいた。時を待っていた。