礼儀正しい青年の姿

2008.10.09

  • 今日はあるところで、午前10時から午後3時まで、明日の会場設営のお手伝いをさせて貰いました。明日、その行事があります。午前5時30分に集合して、バスの誘導などをします。片道1時間30分かかります。今から寝ると起きられないかも。早めに出掛けて、仮眠しようと思います。明日は良い天気となりそうで、とても楽しみです。ところで、 リーダーとして活躍するとても礼儀正しい青年の姿を見ました。良い環境にいると、自然とそうなるのでしょうか。それが素直さであり、人間として自然な姿だったのではないでしょうか。人為的強制的な教育があるとは思われません。自発的にであるようです。良いですね。言葉遣いも丁寧です。自分に今、足りないのはこれだねと思わせて頂きました。先ず取りもどすべき属性のひとつはこれですね。先輩の中には、厳しい言葉を遣う方もいるようです。しかしその青年は平然としています。何故でしょうね。トップにいる方が、尊敬出来るからでしょうか。それで、自分としてはゆるぎないものがあるようです。そしてみんなが助けてくれるでしょう。結果も出るのです。自信となって、当然ですね。率先垂範。必要な事だと思われます。此処でも、働かざる者食うべからずです。トップに立つという事はどういう事でしょうね。世の社長族の猛反省を要するところです。ビジネスの目的も、人格形成でした。お金があるということは、それだけで偉いわけではありません。尊敬されるためには何が必要なのでしょうか。吟味する必要がありそうです。吟味とは、教えの正しさを、実践体験を通して再認識する事だと教わりました。自己利益のためにする限り、尊敬は得られません。滅私奉公です。トップであるが故に。トップは何に仕えるのでしょうね。諸価値です。それは失われた何か大切なものでしょうか。政界も官界も、そして財界及びテレビ界も、尊敬を失っていませんか。何故でしょうね。お笑い崇拝が原因かも知れません。お笑いではなかったのです。むしろ微笑みでした。モナリザもそうでした。それは純粋無垢な属性の表出でした。愛とペーソスですね。それは何だったのでしょうか。何時か見失われていませんか。 何を追いかけていたのでしょうね。何に染まってしまったのでしょうか。見直しませんか。視点をシフトしませんか。そして取りもどしませんか。表情のやさしさと知性の輝き、そして好ましい声があります。人格のゆとりでしょうか。もう大丈夫です。方向は定まりました。これより、真実の城を目指します。仮城は出ました。目的地は定まりました。アンドリュー・カーネギー氏のいっていた成功の法則も、帰するところ人格でした。それを磨いて、何時か誰かが見出してくれます。一人で成功はありません。代々、譲られていくのです。本来日本、諸価値があります。何処に譲られているのでしょうね。真実真理は何だったのでしょうか。神仏の実在と、その教えでした。それは代々、伝えられています。見失っていたのはそれでした。何か失われた大切なものとはそれでした。見えないですね。それでわからない。それは無いと思ってきましたね。探そうともしなかったですね。そして勝手しましたね。そしてどうにもならなくなりました。当然でしょう。そうなるようなことをしていたのです。法則通りにそうなったのです。それが法則です。私たちの知らない法則があったのです。それを科学者は気づいて定量化します。そして人類の未来に寄与します。それでノーベル賞もあるのです。真実真理は有ります。有明の月です。壊す事よりも、作る事をしませんか。お笑いで嘲笑したり、悪口するよりも、ほめる事や喜ばす事をしませんか。何か間違っていたと思いませんか。気づけばいいのです。新しい始まりです。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。それぞれ能力の差はあります。それで良いのです。それぞれこの世に生まれた使命は違います。それぞれが生を全うすればいい。それを阻害していませんか。その要因が、お金だったとは思いませんか。誰もが十全に自分を咲かせる事が制度の目的だと思いませんか。巧妙にお金の支配がありませんか。知性をも自分の利益のために使役していませんか。知性の解放と庶民の解放が見えてきませんか。そして誰もが自由に生きてゆけます。知性は正直です。それ故、欺罔的商行為に馴染めません。それをよいことに、お金の力で支配していました。そして彼らはカンニングで世に出た閥だったのではないですか。暴力と欺罔が得意だったのです。暴力は今、感情的言葉となっています。背景はお金の力です。基準或いは物差しを見直しませんか。今、お金だけが基準となっていませんか。どうしてこうなったのでしょうね。原因があります。原因がわかれば、解決があります。方法はあります。目的が定まれば、手段はいくらでもありますね。何を議論しますか。根本解決の時ではないですか。そして本来日本の歩むべき道を思い出しませんか。本来あった道を忘れていたのです。それほど、戦後は経済的にも困難でしたね。故に団塊の世代の思う自由が自由化と思ったのでした。しかし本来の自由はそうではなかったのでした。日本の諸価値があります。日本は知性の國でした。その知性も証明されましたね。それがこの度のノーベル賞受賞でした。世界が認めたのです。亦、サインでもあります。世界は日本に何を期待しているのでしょうね。文化的な諸価値です。それはあるのです。歴史ある国です。私たちは食べるためにだけ生きているのではないですね。生命も環境も破壊していませんか。その原因は重化学工業にあったとは思いませんか。さらに次に来るクローン生化学もとても危険だと思いませんか。私たちにとって未知なる弊害がバイオテクノロジーに隠れていると思いませんか。ルソーもいいました。自然に帰れ。自然が良いのではないでしょうか。都会は自然ではないですね。私たち生命は硫化水素の海を克服しました。現代をも克服するのです。そしてやがて帰ります。何処へ帰るのでしょうね。この度のノーベル賞受賞で、科学が何を見つけていたか解りました。見える世界と見えない世界があります。見えない世界の存在を理論的に証明していたといえますね。そしてそれが証明されると、見えてきます。見えない世界が見えてきます。何処へ帰るのでしょうね。魂の故郷ですね。それは見えませんね。しかし有るのです。私たちは知らなかっただけです。死ねば帰れると思いますか。そうではないのです。再びこの世に生まれて、探さなければならないのです。その時には人間ではないのかも知れません。それが恐怖です。この科学の世に何をいっているのでしょうね。しかし、これが真実真理です。生命進化です。何を探すのでしょうね。何処へ帰るのでしょうね。人生の目的は堕落ですか。腐敗ですか。およそ見当はつきましたか。この世で至るのです。何処へ至るのでしょうか。不安及び恐怖のない平安及び安穏な人生です。それは有るのです。どのようにして至るのでしょうね。探しませんか。探し物は何ですか。まだまだ探さないといけませんね。現世的なお金と地位がそれでない事は確かです。そして日本はやさしさに向かって咲く花のようだったと書いたのは辻邦生氏でした。『季節の宴』だったでしょうか。さて、三年来のブログの目的は達しました。もう、書かなくても良いのかも知れないのだけれど。それでは、出掛ける事に致します。