そのボールは蹴って遊ぶものですか
2013年12月17日
- 子どもたちがボールを蹴って遊んでいた。まるでサッカーである。そのボールはバレーボールだった。子どもたちの中の一人に尋ねた。そのボールはサッカーボールですか。バレーボールですと答えた。そしてそのままボールを蹴って遊んでいた。もう一人の子どもに尋ねた。そのボールは蹴って遊ぶものですか。その子は答えた。これは手で遊ぶものです。そしてみんなに言った。バレーボールをしよう。そして言った。先生もやりますよね。また、ハンドボールでサッカーをしている子どもたちがいた。ハンドボール部である。ハンドでしようよ。彼らはハンドボールのパスで遊び始めた。
今、聴いている音楽は
2013年12月17日
- マーラーの交響曲第2番ハ短調≪復活≫を聴いています。ubuntu studio jack 出力でオーディを通して楽しんでいます。演奏はピエール・ブーレーズ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団です。ヘッドフォンで聴いています。なんだかワクワク、嬉しくなるのです。
選挙制度
2013年12月16日
- 猪瀬知事が苦境に陥っている。5000万円についてそれを選挙に関わる資金として受領している限り、帳簿への記載を要する。それは受領した段階で既に発生している要件であり、その時点で記載がなければ犯罪として成立している。それが法の立場である。選挙資金としてではなかったことを証明しない限り、言い逃れはできない。選挙制度そのものが法益となっている。
学ぶべきは
2013年12月16日
- あらゆる学問において学ぶべきは何だったのだろうか。人間の偉大な精神である。その所産としての英知と技術である。それを以て何をするのだったか。生き馬の目を抜くようなことではない。新井白石『鬼神論』において神とは精神だった。
何をしても
2013年12月16日
- 何をしても楽しい。いつかそのような時節がやって来る。人生はすばらしい。この世に生まれて求めていたものはそれだった。だれもが生まれながらにそれを平等に享受することができる。それが自由だった。自由と平等はひとつの真実を二つの側面から言っているに過ぎない。決して対立概念ではない。それは個人の尊厳を淵源としている。日本は戦争に負けてそれを学び、継受した。そして今、開花結実している。世界に発信するべきはこれだね。約束は果たされた。もはや日本はいかなる理由があろうとも戦争はしない。権力は既に市民革命で克服されている。かの戦争において国民は国家のために戦ったのだったろうか。戦わされたのである。国家に個人の尊厳としての生命を踏みにじる権限は何処にもない。生命がたどり着いたひとつの結論である。世界の良識である。いよいよ日本もそれに合流する。そして野蛮=ウソとバイオレンスから脱する。世界は軽薄を好まない。戦後娯楽を以てする日本精神骨抜き占領政策は失敗に帰した。勉学あるべし。新しい時代である。
間違い
2013年12月15日
- 間違いは間違いだったと認めなくてはならない。そうしないと、当事者は赦さないだろう。あの戦争は間違いだったのである。世界が戦後、日本に対して寛容だったのは何故だったのか。日本の姿を通して帝国主義等の自分たちの姿も間違っていたことに気づかされていたからではなかったか。ここに反省がある。そして世界は生命体として、一つの夢の実現に向かって新たなステージとなっている。それは愛と自由と平和である。個々の暮らしである。
ある
2013年12月19日
- 見えない世界からの受容と祝福そして守護がある。それをどのようにして取り付けるのだったか。それより全てが変わる。それはないと思われる。ある。