存在として
2010/06/01
- あなたは探していた。何を探していたのだったろうね。それは幸せだった。どこを探していたのだったか。その間、何を失ったのだったか。すべてを仏の方へ投げ入れよ。大死一番、絶後に蘇る。それは何を意味していたのか。失ったものが大きければ、それだけ得るものも大きい。命を賭して何かある。何があったか。精神一到何事か成さざらん。それはあるのだった。思考は現実化する。それも真実だった。そして私たちは成りたい自分に成っている。引き寄せの法則も真実だった。潜在意識は述語が本音として動く。ゆえに、誰かの幸せを願うと、それは自分に実現する。不思議だね。プラス思考でいいね。これまで、諸方面に対する悪舌もありました。若気の至りと深く反省するところです。すべて意味を持った今となっては、すべてに感謝申し上げます。法華経は言います。地球を蹴飛ばすよりも、法華経を理解し、これを説くは難しい。あなたは、この世の最難関を突破した。それは『無門関』だった。もうこれで良い。楽になろうね。楽になるんだよ。もう良いんだよ。日月照らし、風が吹く。あるいは廓然無聖。そしてギャーティ。あなたは歌うがいい。存在として。やさしくて良い。おだやかで良い。本来日本、取り戻したり。子どもたちも待っていた。あなたこそ、あなただった。あなたでなければできなかったか。私たちは知っている。ありがとう。あなたは生きていた。しばらく無視された。あなたは埋没していた。旅をしていたんだね。何かを探していたのだね。花は咲いて見なければわからない。そして見事に咲いたね。もう、憂いはないね。探していたものは見つかったのだね。それは何だったのだろうね。確かめたね。そして自覚した。それ故に黄泉も喜んでいる。黄泉の受容祝福守護は本当だった。幸せはある。それはどのようにして至るのだったか。どのような悲しみにもそれと同等かあるいはそれ以上の喜びの種が宿されている。これが代償の法則であり、アンドリュー・カーネギー氏の最大の遺産である教育の奥義だった。そしてアメリカの祈りは何だったのか。それが自由ということだった。すなわち、
- ① いくら貧しく生まれても、一生貧しいのではない。
- ② 子どものころに、どんなに教育が受けられなくても、一生受けられないのではない。
- 子どもたちが惑わされている。彼らに道標が必要となった。それは何だったのか。幸せへの道標である。彼のホームページがそれである。既に彼は表現した。その内容は何だったか。精査するが良い。四聖、何するものぞ。彼の取り組みだった。高校のころ以来、テーマは『失われた何か大切なもの』だった。それは何だったか。その間、彼は苦しんだ。それも報われた。あなたがたはむさぼった。だました。裏切った。貶めた。無視した。それも今となっては懐かしい。朝日が昇れば、人生を語るころである。自分のためにする自己利益追求は失敗に帰した。物語は完結した。そして始まりである。新しいキャンパスが用意された。だれが何を描くのか。まだ汚れていない君たちの時代となった。既に汚れた者たちは立ち去るが良い。香風来たって古き華を散らし、新しい蕾を雨らす。彼こそ彼だった。子どものころからね。何を思い上がりたる哉。何を勘違いしたのだったか。一休髑髏。蒔いた種の結実は半年後である。