観念が現実化します

2010年07月11日

  • 天は何もかもお見通しです。あなたの心の奥底まで。そしてあなたがふさわしいあなたになった時、あなたの願いは宇宙に届けられます。夢が実現するのです。観念が現実化するということが、インド哲学の要諦でした。そのメカニズムが真実だったのです。私たちは過去からの夢を実現するために生まれていたのでした。時を要します。修行を要します。自覚を要するのです。そして全てが明らかとなるのでした。その時、不安はありません。未来は明るいのです。何も恐れることはありません。勇者に対する不安の払拭がバガバッドギーターのテーマだったのです。あらゆる苦難を通ってその教えに出遭い、その意味がわかることになります。それまではわかりません。そのようにできていたのです。そして迷わしもありますね。あらゆる仏典も、自ら目覚めた時のためにあったのでした。空海もそれを探していたのです。ところで、西の高野山は野呂山でした。此処で修行し、それから時の天皇に見出され、唐に渡りました。そして、空海が再び此の地を訪れたのは49歳の時でした。さて私たちは、人間である限り、地獄必定です。雷を落とし、大風を制御して、始まるお話もあるのです。本来日本とは何だったのでしょうか。しばらく見失っていたようです。それは、身心清浄を以って旨とする大和魂だったのです。それを取り戻す頃となりました。幸せになりませんか。それはあるのです。本当の幸せとは何だったのでしょうか。それは大自然に受容されることだったのです。その時、蝶もトンボも飛んで来ます。権力ではありませんでした。武力でもなかったのです。金力でもありません。ソドムとゴモラ。ロトは何故、石になったのでしょうか。振り向くなといわれたのに、振り向いたのでした。言うことを聞かなかったのです。人間って悲しいですね。始めに言葉ありきと言われます。言葉は光でした。秀吉も平家も滅びましたね。何故だったのでしょうか。彼らは武士階級でありながら貴族化したからでした。フランス革命におけるギロチンもそうだったのです。王侯貴族が勘違いしていたからでした。富を貪り、独占したからだったのです。こうしたことはこれからもあります。一休髑髏、ご用心ということがあります。そのエピソードは伝えられていました。しかしそれがどういうことだったのかは誰も知らなかったようです。一休は知っていました。即ち、彼を直接間接害するとどうなるのだったでしょうか。半年後には死神が来るのでした。その経験事実があるでしょうか。此処から話を始めることも良いかも知れません。隻手の音ということがあります。「それを聞けば何をしても良い。聞かない裡は何をしてもだめだ」。それが正受老人の教えだったのです。それを自覚し、証明したのが500年間傑出といわれた白隠禅師でした。彼は言います。「これより勝手は通らない」。どのレベルでの話でしょうか。何時か共に、語り合いたいですね。