思いやりとは何だったのでしょうか。それは高度な人間感情のひとつです。三つ子の魂百までとするひとつです。すなわち、目の前に困っている人がいるとします。その人を見て、可愛そうに思い、何とか自分ができることをしてあげたいと思う心だったのです。マザーテレサは言いました。「目の前に打ち捨てられた人がいて、その人を一人にしてはいけない」。孤独こそ、人間にとって最も恐ろしいことです。他者の悲しみを感じることができるでしょうか。いじめる子はこの感性の育成に失敗しているのです。それで彼らはむしろ、困っている人を見て面白いと思うのです。さらに困らせて楽しもうとするのです。周りにはからかう子がいます。にやにや笑う子がいます。そうした子供たちが蔓延ってしまいました。何故でしょうね。テレビお笑いの故だったのです。彼らにすっかり毒されてしまいました。何とかしなければならないですね。故に、まじめな子達よ、立ち上がれ! 思いやり・良識たちよ、復活せよ! 彼は言います。「未来は明るい。信じて良い。大丈夫だよ」。フィリップ・マーロウは言いました。「強くなければ生きてゆけない。やさしくなければ生きている価値はない(If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.)」。 民事訴訟法に、「全体の趣旨を勘案して」とあります。それはどういう意味だったのでしょうか。敢えて言えばそれが社会性であり、人間性だったのです。同じ表現がある時は傾向犯となり、ある時は芸術とみなされます。その根拠は何であるのでしょうか。人格形成責任だったのです。考えるべき時が来たのです。それは亦、平生往生でした。これより日本を立て直す時です。