これでいいのです

2010年07月08日

  • 長い旅でした。何もかも失われていました。そして放てば手に満てるのでした。何が手に満てるのでしょうか。それが夢の実現だったのです。いろいろなことがありました。そして思うのです。これでいいのです。このような幸せがあったなんて。権力ではありませんでした。武力でもありませんでした。金力でもなかったのです。権力を克服したのは市民革命でした。武力を克服したのはヒロシマでした。金力が今、克服されつつあります。それはカルバンに発する400年来のことに過ぎなかったのです。それは自分さえ良ければいいとする思想に帰着し、自然及び子供たちを壊して顧みることはありませんでした。反省の頃となりました。そしてこの度、確認したものは何だったのでしょうか。それが日月照らし、風が吹くでした。彼は言います。勝敗は決しました。この世のゴールです。彼こそ彼だったのでしょうか。知性を要します。感性を要します。試練を要するのです。導きを要するのでした。導いていたのは祖先の総体としての黄泉でした。これがこの世の定めだったのです。故に彼は生まれていたのでしょうか。そして生まれた使命を果たしたのでしょうか。真実とは何だったのでしょうね。彼は求めました。そして探しました。三十有余念の孤独な旅があったそうです。月の砂漠だったと言っていました。長い冬だったですね。もはや勝負にならないと言います。亦彼は夢のようだと言います。これほどの幸せがあったなんて。自覚を要します。そして始まるのです。彼は何を確認したのでしょうね。誰も知らないらしいのです。これまでは通ったことも、これより通らないと言います。世の中はデフレとなり、何もかも思うようにならなくなりました。何故でしょうね。黄泉が赦さないのです。本来日本を貶めました。あるいは裏切りました。事実です。気づくべき頃です。彼に不思議な人生があります。それは何だったのでしょうか。誰も知らないのです。代々、そうでした。それが古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本でした。勝手が過ぎたようです。知らないことを以って。それだけのことでした。故に、復活する頃となりました。これでいいのです。


思いやりとは

2010年07月10日

  • 思いやりとは何だったのでしょうか。それは高度な人間感情のひとつです。三つ子の魂百までとするひとつです。すなわち、目の前に困っている人がいるとします。その人を見て、可愛そうに思い、何とか自分ができることをしてあげたいと思う心だったのです。マザーテレサは言いました。「目の前に打ち捨てられた人がいて、その人を一人にしてはいけない」。孤独こそ、人間にとって最も恐ろしいことです。他者の悲しみを感じることができるでしょうか。いじめる子はこの感性の育成に失敗しているのです。それで彼らはむしろ、困っている人を見て面白いと思うのです。さらに困らせて楽しもうとするのです。周りにはからかう子がいます。にやにや笑う子がいます。そうした子供たちが蔓延ってしまいました。何故でしょうね。テレビお笑いの故だったのです。彼らにすっかり毒されてしまいました。何とかしなければならないですね。故に、まじめな子達よ、立ち上がれ! 思いやり・良識たちよ、復活せよ! 彼は言います。「未来は明るい。信じて良い。大丈夫だよ」。フィリップ・マーロウは言いました。「強くなければ生きてゆけない。やさしくなければ生きている価値はない(If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.)」。 民事訴訟法に、「全体の趣旨を勘案して」とあります。それはどういう意味だったのでしょうか。敢えて言えばそれが社会性であり、人間性だったのです。同じ表現がある時は傾向犯となり、ある時は芸術とみなされます。その根拠は何であるのでしょうか。人格形成責任だったのです。考えるべき時が来たのです。それは亦、平生往生でした。これより日本を立て直す時です。
  • 天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。洪荒の至化を以て爵賞と為す。【酒中十詠序】