喜びの歌
- 【2008/05/22】信念とは嘘より危険な真実であるといったのはニーチェだった。ナポレオン・ヒル氏によると、信念とは体系的な願望実現のルールに沿って進んでいくうち、心の中に芽生える、一つの確信である。人間は自分の思い描いた通りの人間になるといったのはナイチンゲールだったろうか。信念は持続することが難しい。それを持ち続けるにはどうするか。それが潜在意識に刷り込むということになる。潜在意識に刷り込むとどうなるか。条件反射に等しい。つまり思い悩むことなく信念に基づいた明確な目標達成のための行動選択ができるようになる。これが潜在意識に刷り込むということであり、思考は現実化するということだった。そして自由とは何だったのだろう。憲法学的には生命身体財産の自由とか、精神的自由とかある。それは概念の域を出ない。実質的にはどうだったのか。憲法はすこぶる歴史的要素が大きい。市民革命を通っている。そして今、その自由とは何だったのか。これもアンドリュー・カーネギー氏に学んだ。即ち、誰も生まれながらに貧しくとも、一生が貧困である必要はなく、亦、教養及び人格向上の自由は一生涯保障されているということだった。あらゆる制度はその為にある。さらに、資本主義とはどういうことだったのだろう。これはロバート・キヨサキ氏に学んだ。即ち、金銭収入はそれ自体霧散するように出来ていて、これを資産に換える。その資産が生むところから消費するべきであって、そうしない限り、何時までも請求書に追われる生活が待っている。そのように出来ている。どんなに学歴があってもである。そして成功には年齢も学歴も関係ない。自由及び資本主義とはこういうことだった。しかし市場原理は諸価値の破壊を内在的に含んでいる。軽薄な文化傾向が見られるのは、例えば古書世界も、大資本の席巻状態になっている。本としての価値が破壊されつつある規制緩和の実体である。これで良いのかどうかは疑問としても、本当の自由がどういうことであるか、或いは生物としての幸せはどういうことかを思うと、時代の流れに乗るしかないね。しかも真実とは何だったかを思うと、魂と宇宙は連動している。潜在意識に刷り込むということはさらには黄泉に受容されることかも知れない。本当の幸せ及び成功の秘密は或いはこの辺りにあるのかも知れない。それを見つけたとしたら、誰もが憧れて待っていたとんでもない幸福論だね。仏さんがいっていたのも此処の所だった。詳しい方法論は見つけた人に聞くしかない。自分を出し惜しみしないことである。愛は惜しみなく奪うとかいった文学者がいた。そうだろうか。愛は惜しみなく与える。自分がしたことは結局自分に帰ってくる。自分の欲するところを他人に施すというのはナポレオン・ヒル氏のいう黄金律である。情けは人のためならずもそうだね。仏法では因果応報であろう。これは宇宙の法則だね。唯自己利益追求が反省されなければならない。普通の人と特別な人とを分けるのは奉仕の精神だね。つまり見返りを期待しない。期待しなくても宇宙の法則は働く。それで良い。出藍の誉れもそうだね。無とか空とかもそうだった。空腹となると何を食べても美味しいでしょうといわれる。自分の持っている知識を出し惜しみすることなく、他に施せば空になる。さらに入ってくるものは何だろうね。こうして人は人格が向上していく。レベルが上がる。すると新たな好ましい人間関係に移行する。或いは千載一遇のチャンスが巡ってくる。こうして幸せへの道を歩む。幸せとは喜びを感じて日々を暮らすプロセスだった。マイナス思考があっては至れない。どのようにしてそれを払拭するか。これも練習するしかないのだろうね。自己訓練かも知れない。笑顔で全ては解決する。あるいはさりげないやさしい言葉で人を救う。それが見返りを期待しないサービスとしての要素となる。それが特別な人にしていく。誰もが大切にしてくれるようになる。尊敬とは違う。その時、幸せな自分を知るだろうね。こうしたことを潜在意識に刷り込めると良いね。そして感情もそうだけれど、コントロールすることで幸せを感じることになる。コントロールできないのであれば手を出すべきでない。偶然の輸贏ということがある。偶然に身を任せた結果はどういうことになるだろうね。自己嫌悪でしかない。それは不幸だね。亦、自己訓練によって自己コントロールできる世界が広がる。自分が変わることで世界が変わる。人の心を他人は決してコントロールできない。それをしようとすればどうなるだろうね。猫だって紐で首をくくって引っ張れば嫌がる。人の嫌がることはしないことだね。傷つけることも。言葉の暴力もある。誰もが幸せになりたいと思っている。自分のしたことは自分に帰ってくる。宇宙と魂は連動している。自然だってやさしくされたいと思っている。21世紀となって、どう生きたらいいか。本来日本はやさしさに向かって咲く花のようだったといったのは辻邦生氏だった。取り戻すべきものがあるね。情緒だ。情操だ。本来日本は野蛮を好まない。戦後を脱する。何が正しくて、何を信じたらいいのか解らなくなった。世は殺伐としている。何故そうなったのだろうね。原因があるよね。それを見極める必要があった。そしてそれより脱するにはどうすればいいのだろうか。それも示し得たのかも知れない。かつて学生の頃、最大の刑事政策は社会政策であると知った。そして本来日本には秩序があった。それは精神だった。武士は何故尊敬されたのか。少なくとも精神修養があった。それを封建制が憎ければ、その精神をも見下した。それが文化人かと思った。或いは文明開化は西洋化を急ぐあまり古来大和の育んできた大切なものを悉く壊した。今もそうした下級精神の支配である。それが進歩的と思っている。本来大和魂及び古来日本純粋精神を見失った。それらはむしろ洗練されていた。世界が今、必要としているのは何だろうね。このまま衆愚化してゾンビが現実化するのだろうか。まっぴらごめんだね。日本の精神は本来晴れやかである。純粋素朴が美しいと思う。取り戻そうよ。嘘欺罔複雑を智慧とする商売根性から解放されて、シンプルこそベストだよ。このまま犯罪化して良いのか。日本は現象としてアメリカを追いかけている。日本の方が歴史は古い。英知がある。しかしそれを無視した精神が支配する限り、日本も没落する。本来日本が目指していたものがある。それを知らない方々の解釈でこうなったのではないか。知っている方々は埋没している。そうした世の中となっている。取り戻すべきものがある。失われた何か大切なものがある。目覚める頃だね。目覚めたかな。自覚を要する。他の認証など要らない。本来日本の良心がある。それぞれのDNAに記録がある。自分に問えばいい。答えは全て自分自身の中にある。思い出す頃となった。本来日本を。さて潜在意識がある。これに信念を刷り込むことが出来ると楽になる。どのようにして刷り込むのだろうか。文字に書くことだよ。そして声に出して唱えることだ。やがて黄泉が受容する。魂と宇宙が連動する。心は他の心とテレパシーで交信している。魂と黄泉の交信もある。それを確認する人生もある。そして本当の幸せと巡り会えるだろう。何が真実だったのだろう。神仏の実在と黄泉の導き、そして天の守護だった。本来神国日本の本懐である。秩序がある。それは精神の秩序だった。戦後、壊されてしまった。そして腐敗堕落した。それが自由だと思った。さて、この世に生まれてどのように生きるのだったのか。また、この世に生まれた意味及び目的は何だったのか。この世はどのようにできていたのか。神仏は実在する。しかし人間である限りその存在は理解できない。人を見て法を説けとはそれだった。詩は詩人を以て呈すべし。剣は剣客を以て呈すべし。法華経が何故難解であるか。その名宛人が爾としての神或いは前世で修行を積んだ菩薩だった。仏はどのようにして法を説くか。宜しきに従う。自分の器に応じた理解しかできない。雨は平等に降るも大樹は大樹として受益し、草木は草木として受益する。知らないからといって否定できない。しかし無神論を説く者たちは認めようとしない。それ故、腐敗する。嘘と暴力で繁茂しても、やがて淘汰されることを知らない。ここに気づいた人たちは真実に対して謙虚である。しかしそれを宗教と呼んで、宗教が目的ではない。教養の基盤であり、出発点である。そして人生とは何だったのか。生まれた意味は何だったのか。過去からの魂の遍歴の一こまであり、百代の過客としてどう生きるのだったか。それは過去からの夢の実現過程だった。過去より多くの失敗もある。それを振り返り、修正するチャンスでもある。ある意味で限りなく本来の自分となっていく。過去からの悪性を払拭する。それが無となることでもあった。そして満ちてくるものがある。それが新しい自分であり、幸せである。生命体としてのゴールがある。それが見えてくる。社会政策が最良の刑事政策であると学生の頃何かで読んだ。そして森下忠教授のゼミだったろうか、先生はいわれた。結局、宗教と倫理であると。これが本来の人間の目指すところであり、良識だよ。どうしてテレビ界はあれだけ愚かなことを吹聴できるのか理解できない。その社会的影響がどれほどのものか自覚があるのだろうか。それでどれだけの勘違いが正当化されたか。本来日本の目指していた方向がある。生命体としての進化傾向がある。それは愚かさと腐敗ではなかったはずだ。考えるべき時が来ている。石油化学文化が環境ホルモンの問題を含めて、かつての公害も本当に解決しているのかどうか。業界及びそれと結託する政治権力の横暴及び圧力に屈するわけにいかない筈であるのに、行政もこれに従う。NHK報道もそれに従うことがある。残念なことである。何が真実であるか。真実はどこにあるのか。市民革命も起きるまではマイナーオリティだった。明治維新だってそうだった。思い上がった消費者の勘違いのクレームを無条件に真実とでも思っているのだろうか。お客様は神様だといってそうは思っていないリーダーとして無責任ではないか。不思議である。しかし孔子も論語の最初でいっている。人不知而不慍。不亦君子乎。青い空と白い雲。お天とうさんが笑ってる。本当の自由は何だったのか。不安及び怖れからの解放だった。どうして不安があるのだろう。知らないからだった。何を知らなかったのか。自分自身を知らなかった。それで怖れもあった。そして自信を失っていた。自信を取り戻せばいい。感情も含めて自己コントロールすればいい。コントロールの及ばないところまでコントロールしようとしていないか。それぞれ役割分担がある。パソコンにしたって自動車にしたってそうだ。システムに関するところはわからない。ユーザービリティに徹すればいい。無意味な苦労を背負っていないか。プラス思考が良いという。内向的消極的は無価値なようにいわれる。そうだろうか。何故内向的なのか。自信がないからだね。自信を回復すればいいよね。どのようにして回復するのか。内面的に浅い方がより早くプラス思考を知る。そして閥をなす。そして愚かなお笑いバラエティ文化となった。しかし、何時か内向的な方々が自信を復活する時が来る。その時、内心の質量に於いて短絡的な方々とは一線を画する。時をかけてそれは行われている。目に見えないマグマ対流のようである。その時、それまでの愚かさと腐敗は存在意義を失う。市民革命もそうだった。明治維新もそうだった。信念とはどのようにして培われるのか。それはどのようにして伝えられていたか。知るべき時が来た。新しい時代である。罰を以て臨むことが教育ではない。青木仁志氏には学ぶべきところが多い。人は幸せになるために生まれて来た。信念とは自分の信じるところだね。潜在意識とは無意識領域であり、魂といえる。花田清輝氏は第六官を超えて第七官といっていた。仏法では唯識論というのもある。難しいことは専門家に任せておこう。信念を潜在意識に落とし込むということはどういうことか。それぞれ夢があるね。理想があるね。人生は理想を限りなく現実化していくことでもある。だから決して腐敗堕落が人生ではない。夢は夢で実現しないように想われる。しかし強い意思と行動でそれは実現できる。誰もができる。それは夢を夢として憧れのままにしておくのではなくて、明確な目標にする。それを実現した自分をイメージできるところまで。それがイメージコントロールだね。その方法が文字に書いて口で唱える。そして行動するべきことが何かがわかる。それが具体的計画となる。心の中のマグマの流れが実感できる。自分の熱情がふつふつと動き出す。それは曖昧な自分ではない。夢が燃えるような願望となって自分とひた一枚となる。そして夢が実現する。或いは思考が現実化する。それは誰もができる。それが庶民の解放の意味だった。庶民の解放は旧約聖書のテーマだった。良い時代となりました。良い時代にしましょうね。そして想像力とか創造力とかいわれるね。創造主は神だね。人間は神の七つの力が賦与されている。それが庶民レベルで明らかとなった。それが自由主義ということだった。そしてイマジネーションというのが想像力であり、創造力だった。その実現は以上のようなことで、つまり、自分の信じるところがあって、その実現のために具体的に計画化され、それが揺るぎない信念となって、潜在意識に刷り込まれる。自分がその信念とひた一枚となった時、夢は燃えるような願望となり、実は、その願望は魂の周波数となって、テレパシーとしての感情となる。それが相手の心に届く。秋波もその一種だけれど、そうした周波数は宇宙とも同調する。不思議だね。こうして奇跡も起こる。どんな障害だって克服できる。人類は生命体としてここまで進化した。この力を信じることができるかどうか。目覚めてみれば過去より伝えられていた。現在もあらゆる成功者の実体験するところだ。それが芸術的心である。そこへ至るには目的的精神と集中維持力を要する。それが諦めないことだった。全て自分次第だった。自分は思ったような自分となる。どのような自分になりたいですか。どのような相手と仕事がしたいですか。或いは人間関係を構築したいですか。限りない人生の旅路で、脱皮していきます。それが人格的向上です。新しい世界が開けます。その時、古いコートは脱がねばならない。一つの訣別もあるのです。永訣の歌の悲しみはあるでしょう。それも乗り越えるのです。乗り越えることができるのです。悲しみが深ければ深いほど、そこには同程度或いはそれ以上の喜びの種がある。それを見つけることです。幸せの宝探しとはそれですね。誰もが幸せになって良いのです。大丈夫です。世界はそのようにできています。悪に染まらないように。正直でいましょうね。それで必ず道は開けます。それで開けないなら、所詮この世は生きるに値しない。嘘と暴力で閥をなしても無意味です。神仏は実在します。神仏との邂逅もあります。所詮真実は真実です。真実を知らない方々の知るところではありません。彼らには評価できない世界があるのです。感じることができますか。幸せの周波数を。動植物及び岩石も喜ぶ愛の周波数。開発するべきはそれでした。そして幸せを知るでしょう。すべて笑顔とやさしさで解決する世界が開けます。そして負けることのない信念の強さを知るでしょう。それまではいくつかの試練もあります。悲しい運命もあります。図らずも傷害を背負うこともあるでしょう。でも大丈夫なのです。至って知るしかありません。もうわかりましたね。人生捨てたものではないですね。この世はすばらしい。この世に生まれたこと自体が奇跡的一大事だったのです。千載一遇のチャンスだったのです。大切にするべきことがありますね。この世に生まれてどう生きるか。何を探すのだったか。或いは何を確認するのだったか。本来の自分になるのです。お金持ちの目的もお金ではなかったのです。権力も武力もお金も過去の夢でした。既にそれらは克服されています。それが歴代の英知です。21世紀真実幸福論の完成です。それは何だったのでしょうか。黄泉の導きと天の守護。日月照らし、風が吹く。未来は明るい。ここまでとは想わなかったですね。しかし何時か至るのです。必ず至るのです。生命進化の目的です。愛する妻ありて、今も昔も大航海時代です。明るい未来をイメージして真実エネルギー全開、Japan出航。知性復活、嘘と欺罔の戦後を脱出する。愚かさと野蛮の海を渡る。真実への憧れの情念が燃え上がった。試練の旅は終わった。これより希望の時代を開く。自分が変わることで世界が変わる。そうした自覚もある。そうした人生もある。魂と宇宙は連動している。知る人にとっては事実である。知らない人にとっては神秘である。パスカルも伝えたいところだった。まだ刃向かい愚弄しますか。黄泉の認める真実を前に。ロウソクの火を絶やさない。どこかに夢のある人はいませんか。それを燃えるような願望に変えたいと想っている人はいませんか。その火を一緒に燃え上がらせましょう。一人ではできないことがあります。代々伝えられています。仏は菩薩を教化することで仏となります。きっと世界が変わります。それが桃源郷です。燃える自己沈潜の中で見つけた火があります。これを未来に伝えるのです。人生は燃え尽きることです。エネルギーは精神です。精神に火をつけましょう。この世はすばらしく生きるに値します。不安と恐怖から解放されるのです。自己実現できるのです。生まれた意味を知るでしょう。天下無敵となるでしょう。そして思考が現実化するでしょう。さて、結構大きなことをいってきたようだけれど、その後の研究で、既に方法論としての成功論は確立されていたことに気づいた。気づくと赤面の体である。しかしながら、個人的体験で、既に説かれていた世界に至っていたのは事実だ。これを真実と信じるに十分である。至り着いたのだろう。日月照らし、風が吹く。数々の不思議な経験がある。この世の謎を解いたと何度思ったことだろう。潜在的にはもういいようだ。そして改めて感謝するべきは何だったか。日本及び祖先だった。神仏は実在する。その確認もあった。十九の春があった。十分すぎる代償である。求めていたものは見つかった。ありがとう。此処までとは思わなかった。思えば投資したものが違う。或る意味で、当然かも知れない。解決するべきは解決した。本当の自由を手に入れたようだ。それはどのようであったか。黄泉の導きと天の守護。狂ってるね。これからの人生を楽しむことにする。全てが意味を持っていた。全てが意味を持って輝き始めた。全てがその為に準備されていたと思えるほどに。これが幸せだったのだろうか。お金も手段に過ぎない。既にナポレオン・ヒル氏の成功哲学で明らかにされていた。本当に大切なものは何だったか。ルーツ。もっと早くに気づけば良かった。しかし遅過ぎはしない。全て予定通りなのだろう。故にこれほど明確である。もう大丈夫だよ。何もかも。確信はこれほどまでに至らねばならなかった。あらゆる謎が解かれた。あらゆる悲しみはない。あらゆる不安もない。何があっても大丈夫。これが喜び世界だった。ギャーティ・ゾーンだった。人生って面白いね。素晴らしいね。もう思い残すことはない。書くべきこともない。いうべきこともない。こういうこともあるのだね。日本の本懐を未来へつなぐ。使命は果たしたよ。本当にそう思っている。その為に生まれていた。それだけの人生があった。誰も知らない。黄泉は知っている。天も知っている。これ以上のことはない。この人生は大成功だ。見るべきは見た。知るべきは知った。