大雄峰
- 彼はこの度、ある方にキャンプ旅行に誘われた。壇ノ浦PAでは旅籠屋に泊まり、関門海峡大橋穏やかな夜景を見た。静かに安徳天皇の霊を慰めた。翌朝の御来迎は殊の外素晴らしかった。そして久住高原辺りの大パノラマを観た。ある方が彼に見せたかったのはこれだった。久住連山は大雄峰だった。玖珠・小国あたりで温泉三昧となった。天狗松裕花はよかった。黒川温泉で隈無く徘徊した。しかし入浴はしなかった。する気にならなかった。高原でいくつかのレストランとパン屋さんを訪れた。何処かにたくましさを感じた。そして山鳥の森でキャンプした。夜中の露天風呂を一人楽しんだ。蛍も飛んだという。六月の高原の緑はとても美しかった。梅雨だというのに、天候の守護は抜群だった。六月十九日から二十一日にかけてのことだった。彼はその間、大分と熊本にいた。二泊三日、雨は殆ど降らなかった。帰りの高速道路で少し降っただけだった。彼は思った。彼は彼で良い。彼は確信した。何を確信したのだろうね。戒壇建立だろうか。どんな戒壇だろうね。梵天帝釈も踏み給うべき戒壇らしい。この戒壇は見える方と見えない方の両方の身と心の戒めをほどく。真実仏法開示。即ち王法仏法に冥し、仏法王法に合す。彼こそ彼だったのか。その謎を解いたのか。誰もが待っていた。もう咲かないと思われた。それは何だったのか。既に記録があるという。これまでの罪がある。裏切りがあった。勝手がある。彼より何を奪ったか。人生であるか。青春であるか。明治以降及び戦後今も同じ経済界及び財界に告げる。お化けハゼがいた。重きによって処断があるという。この世は不思議だね。五十六はいった。やって見せ、いって聞かせてさせてみて、ほめてやらねば人は動かじ。かつて切り捨てごめんがあった。いって聞かせても聞かないからだった。何故それがゆるされていたか。武士には少なくとも精神修養があった。精神の格が違っていた。それが秩序の根拠だった。故に町民は武士に憧れた。商人根性の与り知るところではない。両替商の如きなどのね。商人根性は商人根性である。法律上当然取引行為には多少の欺罔を含む。それが一人歩きした。それが智慧かと思われた。大間違いである。代々のDNA、疎か能わず。棲むべき空間はなかった。戦後がそれに拍車をかけた。全共闘的自由は自由ではない。何を笑いものにしたのか。赤紙だけを問題にしていなかったか。志願兵もいた。父はカムチャッカにいた。歴史的記録はない。しかし家には新品のパラシュートがあった。ケンパスと絹の紐で出来ていた。何か勘違いしていなかったか。問われる時節を迎えた。本来日本、滅し給わず。風神雷神。大風をも制する。時は満ちた。浮かれた世を正す。各々首を洗って待つが良い。蒸気機関車のコクピットのメータは戦闘機のそれと同じだった。本来日本を取り戻す。世界もそれを待っていた。世界は認めている。そして未来のビジョンを描く。それは平和だった。現代戦争の無価値はヒロシマより学んだ。そして、殺戮なくして平和を勝ちとる。ここに日本の使命がある。北方領土の問題がある。そろそろ気づくべき時節である。彼は何を願っているのか。何もかも失った。しかし祖父の遺したモノがある。それは何だったか。大黒柱が三本ある。ひとつは櫻である。ひとつは黒檀である。もうひとつは椰子である。故なきことではない。祖父の父は千畝だった。知るべき時が来た。螺鈿の槍もある。かつては鴨居にかけられていた。今は折られている。何故か。申し訳ないと思わないか。何をしてきたのか。何を思い違いしたのか。此処に確定する。それは何か。国旗掲揚、君が代斉唱。日本は日本である。本来日本を取り戻す。尚、刃向かうか。テレビ界よ、総懺悔するべし。日本文壇の如く。
あすなろ
- 色々と模索してきた。そして今、何もかも水に流して新しく始めることにしようと思っている。自分次第とは、種は自分が蒔いていた。刈り取るのは自分だった。どれだけ能力があったとしても、磨かないことには役に立たない。それを怠っていた自分がいた。そして何処か恨みにも思っていたのだろうか。怨むべきは自分だった。自分を怨んでも仕方ない。苦のない楽な境界はある。それが得られないとしたら、どういうことだったのだろうね。すべて自分の悪性が原因だったのではないか。この地上は悪意で満ちている。それに負けていた。自分も悪だった。その必要はない。相手にしなくて良かった。悪は悪。それに染まる必要などなかった。故に蓮華は泥より咲く。それで良いではないか。本来日本の目指していたものがある。何を目指していたのだろうね。彼が何を選択したのだったか。とても重要な要素だという。どういうことだろうね。これより明らかとなるらしい。楽しみだね。彼は何者だったのだろうね。そして何を探していたのだったろうね。もはや謎となったのかも知れない。故に始まるのだろうか。天が祝福しているという。どういうことだろうね。わからないね。知っても識らなくとも、真実は真実であるという。真実とは何だったのだろう。彼はゆるされたのだろうか。故に、何もかもゆるすのだろうか。確かに彼の人生は特異だった。もはやそれもどうでも良いのかも知れない。新しい時代を創る。それも可能だったのだろう。代々の務めであるらしい。そのように生まれていた。この世はそのように出来ていた。どういうことだろうね。一切種智慧。あすなろはあすなろである。この世で檜にはなれない。それで良い。 勘違いがあったようだね。彼は歩みきったのかも知れない。感謝しているといっていた。身心清浄及び正直がある。それですべて解結する。解結するのは天である。あるいは仏である。自分ではない。この世は不思議である。それが大宇宙であり、大自然だった。知らない者にとっては奇跡である。知る者には事実だった。西洋は十九世紀に没落していた。明治以降日本もそれを追いかけた。本来日本に自然を征服しようという考えはなかった。自然と共に自然の中で幸せであることを知っていた。江戸時代は250年の平和があった。平安時代は350年の平和があった。本来日本は平和を知っている。取りもどすべきものがある。それは何か。大宇宙であり、大自然だった。本来日本に根絶やしの思想はない。原爆は根絶やしの思想だった。この度、死の灰のメカニズムの一端が明らかとなった。体内被曝である。その原素はプルトニウムだった。放射能は自然に帰るのに一万年かかる。これは人類が現れてからに等しい。硫化水素の海より生まれて私たちは生命体として此処まで進化した。これより何処へ向かうのか。前世がある。来世がある。しばらく支配したのは無神論者だった。真実とは何だったのか。彼はいう。神仏は実在する。ゆるされた時、ゆるすことが出来る。始めようではないか。未来の夢を。それは何か。殺戮なくして平和を勝ちとる。江戸無血開城のように。あるいはフランス革命から名誉革命に至ったように。同じ轍は踏めない。彼はいう。日本に戦争はさせない。もはや庶民を盾とする現代戦争は戦争として無価値である。現代戦争の帰結であるヒロシマでそれを学んだ。どのリーダーにも国家間の紛争解決の手段としてその権利はない。生命体としての進化傾向である。これに反すれば淘汰される。本来日本は滅し給わず。本来日本は神国である。即ち卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統日本を思い出す頃となった。しばらく跋扈した野蛮愚かデタラメな時代は終わった。意味のある時代となった。何かが生まれ、何かが変わる。調べはついた。各々、選択するべきことがある。万物の霊長としての人間である。神の七つの力も賦与されている。発掘発見開発するべきはそれだった。未来を私たちの責任に於いてどのように描くのか。夢は実現する。ダビンチだった。思考は今、現実化する。そういう時代になっている。何を思うのか。問われている。前世がある。来世がある。畏れを知るべき時である。そして幸せはある。自分だけが幸せでは幸せではない。周りが幸せとなって、その中にいる自分も幸せである。本来日本の目指していたものはそれだった。しばらく見失っていた。それは見つかった。幸せになる方法はあると彼はいう。何処にあるのだろうね。探すしかない。真実は自ら求めなければ得られない。叩けよ。さらば、開かれん。自分のことは自分で解決するしかない。この世の掟がある。秩序がある。それはむしろ精神に属する。少なくとも武士には精神修養があった。故に町民は憧れた。愚かでは至れない。知性復活の頃である。自信は絶対となる。それはある。彼はいった。代々の務めを果たす。日月照らし、風が吹く。日本は大丈夫だよ。時を要する。自覚を要する。属性を要する。もはや勝手は通らない。大江健三郎氏をはじめとする日本文壇に確かに総懺悔があった。何故だったのか。彼は気づいていた。そして確信に至った。彼こそ彼だった。都詰めである。彼には試練があった。とてもこの世では解決出来ないと思われた。それも克服したのだろうか。本来日本の秘密がある。相手があれば必ず受容克服凌駕する。どんなに時間がかかっても。はじめは負けたかと見ゆる。家康も三方原があった。一番を獲ったことがない者に一番の気持ちはわからない。一番にならなくても良いとか、バカになることが幸せであるとか誰が言い始めたのか。出てくるが良い。迷惑である。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』である。あるいは日本国憲法プログラム規定が成就した。日本国憲法は歴史的所産であり、歴史的宣言だった。亦、本来日本が秘められていた。あらゆる謎が解かれている。それは何だったのか。君が代であるか。国旗掲揚であるか。国家なくして今、自由はない。日本國精神骨抜き占領政策は失敗に帰した。世界は認めている。世界も待っていた。日本が何を学び、何を提供するのか。天の祝福、黄泉の守護。そして彼はいう。不識。本・来・今。未来=子供達の夢は各々の問題である。腐敗堕落が人生ではない。身分に安住する者に未来はない。武士でありながら貴族化した平家がそうだった。秀吉もそうだった。頼朝は伊豆に流されていた。厳島神社は今、伊勢神宮である。公共性概念は自分のためにしない。それが亦、愛だった。愛とは動植物及び岩石も喜ぶ周波数だった。仏の慈悲といって良い。あるいはアガペである。公務員は本来私的利益追求の外である。国会議員と雖も特別職公務員である。民のためにする時、神風も吹く。征夷大将軍の要件だった。宇宙にとって精神と物質は同じだった。現代素粒子理論の至り着いたところである。現代西洋成功哲学の根拠である潜在意識にとって主語は要素ではない。述語が動く。故にプラス思考である。あるいは他人の幸せを祝福する。裁判に於いて理由はどうにでもなる。大切なのは事実認定である。事実とは何か。本来日本を復活せ令むる。本来日本純粋精神は日本武士道に結実していた。強いが故のやさしさがある。武士は本来野蛮ではない。誰がそのように解釈したのか。その精神的属性のない作家達だった。日本国民を惑わした。此処に時代を確定し、家伝直伝秘伝螺鈿の槍を以て廣嶋の務めとする。各々、義を知って、立ち上がるべし。欺罔とバイオレンスの海を渡る。モーゼの杖はつかれ、旧約聖書に秘められていた庶民の解放である。それは善良な市民の解放である。市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来る。彼に十分な勉学があった。広島高等師範その他の教育があった。苦節三十有余年月の砂漠孤独の旅を終えた。長い冬だったね。君の春だよ。お芽出とう。これからだね。各方面に対しまして、心より感謝申し上げますといっていた。