幸せについて


好きで結婚して離婚する。何故だろうね。愛し合えるのは3年半だといわれて、その頃不倫がある。不倫は文化などと軽薄なタレントがいう。そしてそれが大人だと思われて、そして人生だと思わせた罪は重い。どうしてそのようなことになったのだろう。人は幸せになるために生まれている。過去に失敗があって、それは前世であったりする。何故か怖い。故に過去に縛られている。何が幸せだったのか。本来私たちは完全無欠だった。私たちは宇宙の一部である。地球の子である。道元はいう。魚は海に泳いで魚であり、鳥は空を飛んで鳥である。我々人間はこの地上に生きて人間である。そのように進化した。幸せを求めてのことだった。ところがどうだろうね。この度の金融工学レバレッジ理論で世界経済が大打撃を受けた。それは一つの価値でしかないものを重畳的に転々と流通させることで利益とした。日本でも土地を媒体とするバブルがあった。その間、得た利益は消費されている。気づいた時には損失の大穴だった。誰が埋めるのか。その間、それで利益した方々がいる。責任をとって無一文から始めてもいいだろう。亦、本来自然は美しかった。港は今、どのようであるか。油が浮いている。潮位は明らかに高くなっている。何故であるか。企業の経済行為だったのではないか。利益して損失は誰に転化しているのだろうね。公害の頃、企業は責任を否定した。資料は企業内にあって民訴法当事者主義に基づいて情報開示を拒否した。それで免疫学の考え方を使って、汚染口までは証明し、その先は証明責任の転換理論で企業に証明責任を負わせた。それで企業の公害責任が認められた。智慧であった。ところで企業はそれで利益した。その利益は消費された。しかし自然破壊はその後も進んだ。さらに今、障害者として生まれる子が多い。その時、産婦人科医の責任が問われる。それで産婦人科になる医者は少ない。裁判所の損害賠償責任判断傾向にも問題があるのかも知れない。医療行為以前に責任はないか。環境ホルモンの問題がある。この傾向を微分して人類に未来があるだろうか。このままでは辛い。しかし生命体はかつて硫化水素の海から生まれた。そしてその後、酸素を利用する方へ進化した。酸素は本来猛毒である。白血球の食菌作用も活性酸素である。それを必要としている。体内で浄化作用がある。それがストレスなどで機能しなくなると様々な病気の原因となる。ストレス多き社会となった。しかし生命体は無限に進化する。そこに救いがある。日々の思考と行為でDNAが書き換えられている。本来完全無欠だった。飛躍的進化が必要な時代となった。人間は考える葦として万物の霊長である。神に等しい七つの力が賦与されている。人間の力で解決していきなさいということであろう。パスカルは次にその葦を通して宇宙を見るという。宇宙を見る時代が来たのである。宇宙とは無限の智慧としての情報とエネルギーの波動だった。宇宙から見れば、人間の思考も物質も同じだった。あたかもコンピュータにとってプリンタもファイルであるように。原因がわかれば解決はある。目的が定まれば手段はいくらでもある。戦略と戦術である。これより人類は何処へ向かうのか。野蛮な殺戮による版図拡大の時代ではない。誰もが幸せを願っている。先進諸国間に戦争の選択はない。それが敗戦で学んだヒロシマの意味する所だった。現代戦争は紛争処理手段として無価値となった。同じ轍は踏めない。幸せとは何だったのか。何の苦もない日々の暮らしだった。それは富を含む。富は物質の代表としてのお金だけではない。精神的なものを含む。お金自体は善でも悪でもない。人間行為を介して善ともなれば悪ともなる。それが縁だった。さて幸せとは愛だった。愛とは何か。彼は動植物及び岩石も喜ぶ周波数であるという。それが仏の大慈悲だった。仏を前にすればすべて成仏する。それが仏だった。仏とは仏慧と大威神力を有する存在だった。人間となって既に500万年といわれる。その間の経験がある。成功もあれば失敗もある。悉く各細胞の中のD NAに蓄積されている。情報である。CPUとしての大脳皮質はその中からどれを選び、どのように処理するのだろう。目的は幸せである。愛である。愛とは何か。与えることだった。しかし人間は奪う動物である。そこに不幸の原因がある。すべて与えることで良い。それが仏だった。だれもがそれに徹することができるといい。物質だけではない。気持ちも与える。それが支えることであり、サービスだった。与える気持ちと奪う気持ちが五分五分であるのが普通の人間であろう。それが四分六となって悪へ傾く。悪のバケツがある。悪の滴りが一滴ずつ溜まる。溜まっている間はそれと気づかない。溢れ始めるとどうにもならない。仏とは何だったか。悪がない。奪うことがない。与えるのみである。それでは生きてゆけないと思う。それが人間の過去の経験に縛られて判断する業である。多くの失敗もあった。成功を知らない者は自分にはその可能性がないと思う。知れば良い。日々の実践が変わるだろう。愛することで愛される。与えることで与えられる。自分のためにしない。愛し合える。それが幸せである。何を与え合うのだろう。物質だけではない。気持ちを与える。愛し合える。日々の暮らしの中でプライバシーがある。日常生活は見える世界である。プライバシーは見えない世界である。この区別が出来ていない。それで妻は夫に対してどうしていたか。夫は妻に対してどうしていたか。浮気がある。不倫がある。離婚がある。結婚した当時にはそれはなかった。どうしてだったのか。見えない世界のプライバシーが疎かだった。徹底したサービスがなかった。そこに問題があった。前世にもそうした失敗があった。それを修正して、本当の幸せになって宇宙に帰る。そのために生まれた。プライバシーでこころから愛し合うということはどういうことだろう。そこに夫婦生活は重要な地位を占める。そのあたりで不満がある。話し合って追求すればいい。そこに幸せがあり、家族のために存在していることの意味を確認出来る。プライバシーの中にそれがなかったのではないか。同じ表現が芸術行為ともなるし、傾向犯としての犯罪ともなる。その区別が出来ていない。知らない者同士が傷をなめあっても何も解決しない。過去の経験を乗り越えて幸せはある。それは何だったのか。幸せになろう。なって良い。愛とは英語でLOVEである。テニスでラブゲームがある。相手に得点を与えない。如何にも残酷な勝ち方である。それを緩和した表現だろうか。何れにしても絶対無としてのゼロである。これを通る。そして愛を知るだろう。何をしても良い。自分に素直になって幸せである。それが正直というものだった。悪はなさない。社会に生きる存在として当然だった。何故だったのか。悪自体が悪いのではないのかも知れない。むしろちょいワルはモテる。何が悪いのか。相手を傷つける。それが恨みと妬みになる。そして自分に帰ってくる。それが怖い。復讐がある。必ずある。仇同士が結婚するということもあるという。そうして仇を討つという。怖いね。相性の問題がある。それを見極めることが出来るようになると良いね。彼はいった。見えているか、見えていないか。そのどちらかである。幸せとは何だったのか。愛し合うことだった。好きで結婚する。浮気がある。不倫がある。離婚する。何故だろうね。幸せはある。探そうよ。この世で実現したいね。そのために生まれて来た。過去の経験から自由になろう。その時、不安はない。恐怖もない。自信に満ちあふれている。元気である。決して負けない。仇に対してはどう対処するか。負けないことである。それは物理的強制力の行使によってではない。受け入れることである。理解してあげる。そうすれば解決がある。一人では生きてゆけない。生きている意味がない。穏やかさとやさしさを求めて進化している。強くなくては生きてゆけない。強いが故のやさしさがある。甘えて良い関係がある。本来日本はそれを知っていた。嘘とバイオレンスは滅びる。何か勘違いしている文化がある。克服するしかない。未来は明るい。人生は本来簡単である。難しくしているのは自分の過去の経験を基準としていることだった。故に学ぶ必要がある。教育も大切である。自分のためにしない。それですべて調う。新しい時代である。自己利益追求主義は終わった。双六ゲームがあった。あがりは何処か。京都だった。それは何を意味しているのだろうね。人生は日々の連続である。大切にするべきは瞬間である。この瞬間をどう生きるか。怠惰では逃す。大切なのは今日という日だった。過去の経験に縛られている。それより自由となって今日がある。今日を生きる。教えからも自由となる。それが『十牛図』第八『両忘』としての絶対無だった。教えの目的は解脱自由だった。その時、智慧が来る。それは宇宙だった。無尽蔵の智慧である。それにアクセスして幸せはある。すぐそばに。青い鳥である。愛し合おう。愛することとは自分のためにしないことだった。愛するだけで良い。愛されるだろう。熟年離婚もある。悲しいね。何故だろうね。不倫がある。浮気がある。離婚する。それを正当化しようとする理論がある。それが人生だと思う。大人だと思う。言い訳する。考えようとしない下級精神は滅びのテーマである。時代は愛する方へシフトする。そして幸せを目指す。人間は考える動物である。同時に感じる動物である。知性が復活しなければならない。状況打開のためである。目的は感じることである。愛である。幸せである。知性は手段である。夫婦生活の問題はとても重要である。何かが見失われている。幸せの条件が見えなくなっている。このままでは滅びる。考えなくてはならない時である。未来のために。刹那的な逃避に陥っていないか。幸せになろう。表層上の言葉表現に惑わされないことである。禅においては相手をほめる時には悪くいう。相手を責める場合にはほめる。抑下の卓上という。要はその人の発する周波数に秘密がある。それは声にある。だから法華経では臭いを聞(か)ぐという表現がある。相手が存在として好ましいかどうか。こころから快活であるかどうか。笑顔は悲しみの目をしていないか。幸せ色の空気がある。それを雰囲気といって良い。仇は何時か正体を現す。それを招いたのは自分であった。強く生きてゆきたいね。そしてやさしい人間関係を作っていきたいね。敵はいる。味方もいる。それを見極めることが出来るかどうか。幸せの条件の一つだね。与えることから始めよう。幸せは近い。知らずに相手を傷つけていた。それが妬みと恨みとなって自分に帰ってくる。悪舌したとする。宇宙は主語を認識しない。そのまま自分に実現する。本音が動く。不都合はすべて自分が蒔いた種だった。蒔いた種は刈り取れば良い。そして次に何の種を蒔くか。幸せと不幸は自分次第だった。この世をどう生き抜くか。天国も地獄もこの世にある。そして前世がある。来世がある。何時までも浮かれているわけにはいかない。猛反省の頃となった。何時も涼しい気持ちでいればいい。冷静な判断で切り抜ける。智慧は宇宙だった。魂は宇宙とリンクしている。私たちは幸せになるために生まれて来ている。

「自分のできないという思い込みに縛られて、夢を実現させようというあなたの気持ちをくじこうとする。そういう人たちは無視しなければならない。どんなことをしても!(中略)そういう人たちは、相手が傷ついたり失敗したりしないようにと親切心から言っているのだが、結局相手の自尊心を損ない成功の可能性を奪っていることになる。だから、自分の夢を打ち明ける人は注意して選ばなくてはならない。はじめの段階では特にそうだ。また、避けなければならない人は他にもいる。親切心ではなく、わざと相手の気持ちをくじこうとする人たちだ。彼らは、誰かの成功によって、自分の惨めな境遇を嫌でも直視しなければならなくなるのが恐いのだ。とにかく、そういう人たちはすべて避けるようにしよう!」(ディスカバー・トゥエンティワン刊、ジム・ドノヴァン著、『誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功の法則』p56)
私たちは幸せになるために生まれていました。それはあります。この五日間、ボランティアめいたことをしていました。いくつもの発見がありました。
高校の頃に作った標語があります。それは『人間関係は同レベルで触発する』でした。どういうことでしょうね。
漱石は『精神的向上心のない奴は馬鹿だ』と『こころ』の中で二度書いていたように覚えています。
お金では買えないものがありますね。幸せって何だったのでしょうね。世界はどのように出来ていたのでしょうか。日本はこれよりレベルアップします。そして世界に合流です。それはエレガントさとディグニティのある人生でしょうか。
英英辞典で beautiful とは、相手を喜ばす何かとあります。美しさとは何だったのでしょうね。抽象概念は実在しませんね。それに個別具体的実現可能性を附与できると良いですね。それも現実化する頃でしょうか。
私たちは生きています。限りなく成長します。魂は永遠に進化します。限られたこの世で何処まで至れるでしょうか。それがゲームでした。埋もれた知性があります。その開花の頃となりました。
失われた何か大切なものがあります。取り戻すべき日本の諸価値があります。思い出す頃となりました。みんなが幸せになれますように。今日も良い一日でありますように。
永遠への進化です。日本もレベルアップの頃を迎えました。そして幸せ世界へ合流です。
この世は素晴らしい。感謝の中で生きてゆけます。きっとあなたにもその瞬間がやって来ます。既に至った方々がいます。彼等の幸せを祝福しましょうね。幸せは他の幸せを祝福するところに訪れます。
新しい時代です。誰もが幸せになれる時代です。それは心でした。あなた次第でした。何が感動を呼ぶのでしょうか。けなげに咲く一輪の野の花でしょうか。私たちは生きています。嘘とバイオレンスは滅びへの道です。明るく楽しく生きていきましょうね。それは本当の自分を生きることでした。
面白いフレーズがありました。それは『恋から愛へ、そして永遠へ』。恋から始まって愛となり、そして永遠となるのでしょうか。心と心の結びつきを得て幸せになるのでしょうか。それが結婚だったのかも知れないですね。
みんなで幸せになりましょうね。それはあります。相手の存在を傷つけないことです。あるいは貶めないことです。その必要はありません。誰もが花と咲くのです。その時、蝶も飛んできます。
自分を好きになりましょうね。そうした自分を見つけましょうね。その時、自信も回復します。自信さえあれば、この世は自由です。何があっても大丈夫です。生命を愛おしんで、みんなで幸せになりましょうね。みんな、生きています。自然の中で。