本当の幸せへの合流
とても長い冬があったとか、孤独な月の砂漠といっていた頃がありました。そして今、本当の幸せへの合流というのです。どういうことなのでしょうか。物事の判断基準が定まったというのです。それを以て合流というらしいのです。これまでとは本の読み方も変わったようです。法華経の読み方にも法華転と転法華があります。これは仏典でもよく出てくる論理です。道元禅師の身心脱落脱落身心もそれだったのでしょうか。或いは鈴木大拙氏には即非の論理というのがありました。何れにしても彼にとって、新しい地平が開けたのかも知れません。彼の求めていたものが本当に見つかったのでしょうか。それは何だったのでしょうね。真実だったのかも知れません。彼は確かに何かを追求していました。かなり高度なレベルの現代成功理論のようです。そしてそれは合流だといっていました。既に至っていた先達に感謝しているとのことでした。これまで何を気にしていたのでしょうね。何もかも謎は解けたのでしょうか。もはや考える必要はなくなったらしいのです。そういうことってあるのですね。彼はいうのです。この世は素晴らしい。生きていて良かった。何とも清々しい表情で。あらゆる悩みはなくなったといいます。それは本来の自分を取り戻すことだったそうです。ところで、公私混同ということがあります。主人公ということがあります。不幸の原因は主体性がないことにより、他人の意見に惑わされることでした。さらにその原因は自信喪失による優柔不断でした。それで相手のいいなりになってボロボロになるのです。相手が悪いのではありません。本来の自分を見失って、自分に対して怠惰だったのです。この辺りから反省です。自分を取り戻して、冷静に対処すれば良いのです。そしてプライバシーの定義は、the right to let me be alone です。それは確立された自己です。そうした自己と自己とが出逢ってカップルとなれば、それもプライバシー世界であり、外界より保護されます。そしてその中で二人の幸福を追求するのです。ところが、この二人の認識或いは相性にギャップがあったとします。これが不幸の原因です。契約は相対する意思の合致ですが、プライバシー世界では合流です。相対するのではなく、むしろ合同行為というか、二人で同じ方向を目指して幸せを作ります。その時、外界からは保護保障されるのでした。その中が家庭であり、それは一国一城であり、それぞれの規律があって良いのです。その意味では、二人の意思の合致であり、外界に左右される必要はありません。その辺りが尚、外界からの影響を受けて、自由が制限されている場合があるようです。多くの不幸の原因となります。その中に不満があれば、例えばそれが不倫として現象し、やがては離婚ともなるのでした。熟年離婚も同じ論理なのでしょう。これも一朝一夕のことではなくて、それ故に深刻です。こうしたことから如何に日々、お互いが与え合っていたかということになります。或いはサービスし合っていたか。この辺りが微妙です。それが愛するということだったのです。なかなか難しい問題です。学校教育の及ばない所です。故に本当の幸せとは何だったのか、考える頃です。現代においてマッチした形で。二人の関係を何処から始めていくのか。その時、プライバシーということ及び主体的に生きるということが基底となります。そして目指すべきは幸せでした。何が幸せでしょうか。身と心が満足することでした。その為に何が必要なのでしょうか。自分の心に素直になって良いのです。どんなことでもゆるされる。それが幸せでした。相性の問題があります。理解を要します。これまでの自分を乗り越えて、自由となるのです。どのような形でしょうか。それぞれの問題です。何処までも自己責任です。そして甘え合える関係もあるのです。難しいですか。簡単です。過去からの経験に縛られる必要はないのです。だからといって、外界に迷惑を及ぼしてはならない。それが社会契約です。本当の民主主義を形成するには、その前に、本当の個人主義を確立する必要があるでしょう。そうしないと民主主義が単なる権力闘争の具となるでしょうね。自由主義の成熟の頃です。かつて王侯貴族のものだった自由が庶民に開放されたのです。これを以て庶民の解放でした。さて、日本は世界に合流します。それは幸せへの合流です。本当の幸せは何処にあったのでしょうか。この世の現実カップルにあったのでした。幸せは二人のためにです。幸せになりましょうね。なって良いのです。日本も進化しました。