幸せは来る
何もかもが行き詰まったようだ。それをも楽しめるかどうか。すべては自分に正直になるためだったのかも知れない。それをこの世の成功法則と呼べる。何か勘違いしていた。何か思い違いがあった。環境のせいだったのだろうか。そうともいえる。素質もある。見える世界と見えない世界がある。そうした事があるってことに気づく時が来る。この世は本来素晴らしい。何の苦もなく生きてゆけるはずだった。それが何時の頃からだったろうか、出来なくなって久しい。これも試練だった。困ったことになってみなければわからないことがある。それでどうするのか。それも自分次第だった。何事も原因があり、何事も一朝一夕のことではない。そうした事にも気づけばいい。原因がわかれば解決がある。何処に原因があったのだろうね。自分自身だ。主体性を失って、優柔不断だった。あるいは迎合した。それは餌食になることだった。仇をとられたか。笑うしかない。いよいよ、これから本領発揮と参りましょう。本来、どのような自分になりたいのか。そのためにはどうすれば良いのだろうね。弱い自分がある。弱ければ負ける。そして人それぞれのカラーがある。それを見極める必要もあった。見えていなかった。見えることで、この世は素晴らしい。どうにでもなる。楽な境界もある。どのようにしてそこへ至るのか。人生すべて楽しめばいい。それも取り方次第だ。傾向を分析してその方向性を見定める。それが微分であり、方向感覚であり、羅針盤は自分のこころだね。困苦は脱却するしかない。それは出来る。さて、これからだね。この危機をいかに乗り切るか。腕の見せ所ともいえる。この世に法則がある。それは何だったのか。それに反すれば不幸になる。それに乗っかれば幸せが来る。それで良い。大切なことは、人生は孤独ではなかったということだ。この世で確かにつながっている。見えない世界でね。それを認めよう。それから始まる。すべてがメッセージとなるよ。情報は発信した所に集まる。それが手紙だったりもする。お化けのポストだね。思っているだけでは何も解決しない。解決への第一歩は行動することだった。相手の正体がわかる。こうしてブログを書くことも勇気を要する。それで良いのだった。この世は素晴らしい。必ず仲間はいる。この世で何時か巡り会える。それがこの世に生まれたゲームでもあった。しばらくは見つからない。足跡さえも。まるで『十牛図』。それを信じて、自分に素直になろう。嫌な所はあって良い。修正すればいい。それも表現しなければわからない。良い時代となりました。この時代を幸せに導くのか。それとも不幸にするのか。それも自分次第だった。潜在意識もある。シンクロニシティもある。『共同幻想論』というのもあった。始めようではないか。何時までも埋もれている必要はない。試練を要する。千尋の谷である。いいではないか。自信を持ってこの人生を思うとおりに生きればいい。何も怖れることはない。不安は本来無い。無いのにあると思うのが経験則だった。過去に縛られては何も出来ない。そして、何があっても大丈夫だよ。楽しく、明るく、今日を生きよう。明日はきっと輝くから。本来日本は知性の國だった。しばらく埋没していた。怠惰だったね。それでは生きられなくなった。それで良いのだった。何時までも餌食になる必要はない。自由だよ。知性の勝利である。これまでの衆愚テレビ文化は何だったのか。時は代わった。マーラーはいった。「何時か私の時代が来る」。この人生は無駄ではなかった。すべてが意味を持つ。それまでが試練だった。自分に正直になる。そして始まる。何が始まるのだろうね。しばらくは辛かったね。メッキは剥げる。真実は輝く。今も昔も変わりはしない。その時が来た。これからだよ。よく耐えたね。立派だったよ。最後に笑うものが一番よく笑う。今笑える人は幸いだね。何を以て笑うのだろうね。正直な努力を以て。それは代々の徳でもあった。何時か気づく。必ずその時が来る。古来日本の諸価値を破壊し、他者を貶めて笑いとし、衆愚の上に富と成した方々の没落の時が来た。そして本来日本が知性として復活する。幸せは来る。必ず来る。試練を通って。あらゆる謎が明らかとなって、それまでの艱難辛苦が実を結ぶ。そして生まれた意味を知る。生きていて良かったね。あなたの勝利だよ。苦節埋没三十有余年、無駄ではなかった。何を探していたのだったか。その旅は終えたようだ。彼は自覚した。何を自覚したのだろう。裏ジャックは表ジャックより強い。本来日本浮上。卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統日本。絶対の自信。見える世界と見えない世界がある。それはつながっている。自分を取りもどしてこの世の人生が始まる。思うように生きるが良い。時代は進化する。何時までもにせものは通らない。真実が顕れた時、それが明らかとなる。不安はない。恐怖もない。疑いもない。何故無いのか。生死を超える。どのようにして超えるのか。己を知れば良い。己とは何だったのか。大鏡。すべては準備されていた。自覚した時、この世は宝の山である。それが見えるか、見えないか。そのどちらかである。お金では買えないものがある。天の祝福である。勝敗は決した。人生ゲーム本来の目的は何だったのか。明らかとなった。彼はいう。真実とは神仏の実在とその邂逅だった。信じる信じないではない。事実である。知らないことを以て否定した。今もしている。そして勝手する。しかし既に真実の証明がある。どうしようもない。滅びるものは滅びる。この世に秩序がある。それは物質の秩序ではなかった。精神の秩序だった。しかし自覚するまではわからない。自覚して始まる。やがて気づく人は気づく。そして集う。類は類を以て集まる。自覚するまでは餌食である。それも自覚を促すためだった。そして始まる。この世は素晴らしい。唯、生きているだけで幸せと気づく。すべては足りていた。それが至福だった。本来の己を取りもどす。『青い鳥』である。何時までも『醜いアヒルの子』ではない。
【アウレリウス】
日々考えていることがあなたの精神を作っていく。何故なら魂は思索の色合いに染め上げられてしまうものだから。自己を掘り下げてみよ。そこには善の泉が流れている。掘り続けたまえ。そうすれば尽きることなく湧いてくるだろう。進むべき道がそこに横たわっているのにいつまでも勘ぐっている必要がどこにあるのか。道がはっきり見えるなら意気高らかに前進し、決して引き返すな。道がはっきりと分からないなら優れた助言を仰ぐまでそこで待っているがいい。善い人間とはいかにあるべきかなどという時間つぶしの議論はもう止めたほうがいい。それより自分がまず善い人間になることだ。誠実になるのに前口上など必要としない。自ずと明かになるものなのだ。本当に誠実な人ならその事実は額に刻まれ、声の調子にも現れるだろう。さながら愛されている人の一瞬の眼差しの中に愛する人への全てが語り尽くされるように。誠実さも一瞬にして瞳から輝き出るはずだ。誠実さや善良さというものは紛れもなく固有の香りを備えていて、近付いた人は否応なくそれを気付かされてしまう。不幸は自分の心の持ちようによって生まれる。
「自分のできないという思い込みに縛られて、夢を実現させようというあなたの気持ちをくじこうとする。そういう人たちは無視しなければならない。どんなことをしても!(中略)そういう人たちは、相手が傷ついたり失敗したりしないようにと親切心から言っているのだが、結局相手の自尊心を損ない成功の可能性を奪っていることになる。だから、自分の夢を打ち明ける人は注意して選ばなくてはならない。はじめの段階では特にそうだ。また、避けなければならない人は他にもいる。親切心ではなく、わざと相手の気持ちをくじこうとする人たちだ。彼らは、誰かの成功によって、自分の惨めな境遇を嫌でも直視しなければならなくなるのが恐いのだ。とにかく、そういう人たちはすべて避けるようにしよう!」(ディスカバー・トゥエンティワン刊、ジム・ドノヴァン著、『誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功の法則』p56)
私たちは幸せになるために生まれていました。それはあります。この五日間、ボランティアめいたことをしていました。いくつもの発見がありました。
高校の頃に作った標語があります。それは『人間関係は同レベルで触発する』でした。どういうことでしょうね。
漱石は『精神的向上心のない奴は馬鹿だ』と『こころ』の中で二度書いていたように覚えています。
お金では買えないものがありますね。幸せって何だったのでしょうね。世界はどのように出来ていたのでしょうか。日本はこれよりレベルアップします。そして世界に合流です。それはエレガントさとディグニティのある人生でしょうか。
英英辞典で beautiful とは、相手を喜ばす何かとあります。美しさとは何だったのでしょうね。抽象概念は実在しませんね。それに個別具体的実現可能性を附与できると良いですね。それも現実化する頃でしょうか。
私たちは生きています。限りなく成長します。魂は永遠に進化します。限られたこの世で何処まで至れるでしょうか。それがゲームでした。埋もれた知性があります。その開花の頃となりました。
失われた何か大切なものがあります。取り戻すべき日本の諸価値があります。思い出す頃となりました。みんなが幸せになれますように。今日も良い一日でありますように。
永遠への進化です。日本もレベルアップの頃を迎えました。そして幸せ世界へ合流です。
この世は素晴らしい。感謝の中で生きてゆけます。きっとあなたにもその瞬間がやって来ます。既に至った方々がいます。彼等の幸せを祝福しましょうね。幸せは他の幸せを祝福するところに訪れます。
新しい時代です。誰もが幸せになれる時代です。それは心でした。あなた次第でした。何が感動を呼ぶのでしょうか。けなげに咲く一輪の野の花でしょうか。私たちは生きています。嘘とバイオレンスは滅びへの道です。明るく楽しく生きていきましょうね。それは本当の自分を生きることでした。
面白いフレーズがありました。それは『恋から愛へ、そして永遠へ』。恋から始まって愛となり、そして永遠となるのでしょうか。心と心の結びつきを得て幸せになるのでしょうか。それが結婚だったのかも知れないですね。
みんなで幸せになりましょうね。それはあります。相手の存在を傷つけないことです。あるいは貶めないことです。その必要はありません。誰もが花と咲くのです。その時、蝶も飛んできます。
自分を好きになりましょうね。そうした自分を見つけましょうね。その時、自信も回復します。自信さえあれば、この世は自由です。何があっても大丈夫です。生命を愛おしんで、みんなで幸せになりましょうね。みんな、生きています。自然の中で。