幸せの周波数
自己開発とか自己実現とかあるけれど、それは何だったのでしょうか。本当の自分となって幸せがやってくる。それは幸せの周波数の開発でした。動植物及び岩石も喜ぶ周波数があります。それを愛といっていいし、仏の慈悲といっても良いのです。あるいはアガペだったでしょうか。その時、言葉はロゴスとなるのです。宇宙が反応します。それまでの自分を脱ぎ捨てて本当の愛を知るのです。その時、愛の周波数の中に存在しています。おだやかでやさしいシャワーを浴びているかのようです。あたたかい春の日ざしの中で幸せを感じるのです。物質的あるいは肉体的快楽は本当の幸せがあることを教えていたに過ぎません。そして彼はいいました。リラックスしていいんだよ。開発するべきは何だったのでしょうか。幸せでした。それは何だったのでしょうね。気づくことで至ります。何を気づくのだったのでしょうか。宇宙から観れば、物質と精神は同じです。そして本来完全無欠でした。何時しかそれを見失っていたのです。宇宙は無尽蔵の智慧としての情報とエネルギーの波動だったのです。幸せとは宇宙とリンクし、アクセスして知るのです。知ることで感じるのです。新しい幸せの世界が開けています。現代成功哲学は既に始まっています。やさしさの世界へ生命は進化します。何時までも野蛮ではありません。愚かでもありません。誰もがそれを自分のものとすることが出来ます。怠惰では至れません。いくつかの試練もあるでしょう。それを乗り越えて幸せがやって来ます。必ず幸せになれるのです。すべて経験は自分のこころのおきどころ次第だったのです。その意味で、困ったことになる原因は自分自身でした。社会でも他人でもありません。悪いのは自分だったのです。あの世はあります。見えない世界です。宇宙と魂はリンクしています。それを認めて、自分が変わります。そして世界が変わります。人間性は素質と環境より形成されます。朱に交われば赤くなります。君子は危うきに近寄るべきではありません。幸せ世界はあります。知らないことでそれはないと思っていませんか。始めましょう。真実真理はひとつです。それはあるのです。幸せの周波数があります。宇宙と一体となるのです。その時、すべてを知るでしょう。愛とは何だったのでしょうか。平和とは何だったのでしょうか。本来日本とは何だったのでしょう。武士道は野蛮ではありません。少なくとも根絶やしの精神ではありませんでした。何時か貶めましたね。何故でしょうね。それが敵討ちだったのでしょうか。何時までもそれは通りません。長い冬でした。随分と辱められました。しかし本来日本の本旨があります。身心清浄及び正直を以て旨とする精神です。物質的時代が限界に至りました。何故でしょうね。かつて大航海時代には世界は無限でした。今はどうでしょうか。それ故、南極条約もあるのです。既に知性は気づいています。そして宇宙を見る時代となりました。パスカルはいっています。人間は考える葦である。その葦を通して宇宙を見る。時代が追いついたのでしょうか。此処に来て知る頃となりました。生命は限りなく進化します。既に目指していたものがあります。それが明らかとなりました。自分のためにしない。それが愛し合うことでした。愛の周波数があります。それが幸せの周波数でした。物質から精神へ。こころの時代です。おだやかなあったかいシャワーを浴びているかのようです。幸せの空気があります。それが愛の空気でした。本来の自分になるのです。それは自分の心に素直になることでした。あなたのこころは今、何を求めていますか。それは実現します。その前に修行もあるのでしょうか。勉学もあるのでしょうか。教育の目的は何だったのでしょうね。それぞれが幸せに生きていく。その為に必要だったのは何だったのでしょう。何か一つ、誰よりも優れたものがあるから生まれてきたのです。それを以て、過去を乗り越え、この世で幸せになるのです。過去には反省があります。それをしないとこの世の人生は始まりません。しばらく何が蔓延ったのでしょうね。愚かさでした。バイオレンスでした。欺罔でした。往々にして人間はその傾向があるのです。何故でしょうね。それで生きてきた過去があるからです。しかしそれでは幸せにはなれなかった。不安がありますね。恐怖がありますね。疑惑があります。それらは本来ないのです。宇宙にそれがありますか。ないですね。幸せはあります。既に至り着いた方々もいます。素直に耳を傾けましょう。感謝が来ます。喜びが来ます。それはあります。その時、何を知るのでしょう。幸せでした。そして知ることから感じることへ。あらゆるミュージックがそれでした。幸せの周波数があります。開発するべきはそれでした。至るべきはそれでした。人生の目的もそれでした。この世に生まれた意味もそれでした。やがて富もやって来ます。世界はそのように出来ていたのです。自分次第でした。彼はいいました。幸せになろうね。なって良いんだよ。身と心で。リラックスしていいんだよ。
今日も元気です。法華経に『賢聖』という言葉があります。憧れとは何だったのでしょうね。神仏の守護ではなかったでしょうか。
それはあります。正直者の頭に神は宿ります。永遠への進化。目指すべきは何だったのでしょうか。こころの平和だったのです。本来日本はそれを知っていました。しばらく失われていました。取り戻すべき頃です。下級精神によって壊されていました。
これからの夢は何でしょうね。殺戮なくして平和を勝ちとることですね。アメリカはモンロー主義の國でした。その転換があったようです。キッシンジャー氏をはじめとする英知の結集がありました。核兵器のない世界にする。オバマ氏の選択です。新しいアメリカの祈りとなりました。
実現したいですね。世界の中の日本として。原爆のターゲットをヒロシマにしたのは正しかったと彼はいいます。候補地には京都も奈良もありました。
しかし頼朝は伊豆に流されていました。それが本来日本の秘密だったのでしょうか。本来日本に根絶やしの思想は通用しません。
怨まないことです。妬まないことです。相手の存在を傷つけないことです。貶めないことです。認めることです。受容祝福することです。あなたの求めていることを先に相手に施すことです。必ずあなたは豊かになります。そして幸せはあなたのところにやって来ます。
愛とは自分のためにしないことでした。公共性も自分のためにしないことでした。故に行政法には特別権力関係理論もありました。誰の利益のためだったのか知らないですが、規制緩和で自ら壊しましたね。愛とは動植物及び岩石も喜ぶ周波数でした。開発するべきはそれでした。発掘するべきもそれでした。
何時しか自己利益追求こそ価値かと思われました。それは自然に反していたのです。気づく頃となりました。そして時代は進化します。本来日本は自然の中で、自然と共に生きて幸せであることを知っていました。自然を征服するなどという概念はありませんでした。
本来日本の種は遺されていました。それは野蛮ではありません。愚かでもありません。幾多の試練に耐えてその花が咲くのです。季節は巡ります。時代も巡ります。
既に二十一世紀です。二千年来の物語が完結しました。誰もがこころの平和へ向かいます。それが約束だったかのように。こころの大地が開かれました。
十九の春。それは昭和50年でした。その頃に咲くはずでした。しかし時は熟していなかったのでしょうか。彼の試練がありました。彼は導かれていました。泳ぎ切ったのでしょうか。それを解決したのは時でした。時こそ天であり、神でした。そして見事に咲きました。古来大和大輪の花として。
日本は今も昔も黄金の國です。現存文明文化諸国家の中で最も歴史古き國です。そして本来神國でした。祖先に恥じないように生きましょうね。日月照らし、今日も元気です。