盤珪の世界
- この体験を得てから、私は私に反駁することのできる者に出会ったことがない。
- 皆さんが「不生」に住すれば、一切の仏陀と祖師が出てくる根本に住していることになる。不生が仏心だということを皆さんが確信するときは誰も皆さんの居る場所を知らず、仏陀や祖師でさえ皆さんの居場所を突き止めることはできず、皆さんの本性は仏祖もこれを覗い知ることはできない。皆さんがこの決定的確信(決定)に達すれば、畳の上に安坐して活如来となるに十分である。私がやったように孜孜として骨を折る必要はまったくない。ひとたび皆さんが仏心は不生で霊明であるという決定を得れば、決して人にあざむかれることはない。仏心は不生で霊明なもの、この不生の仏心で人は一切事がととのうとの決定を得れば、皆さんは決して物を見誤ることもなく、偽りの場所におかれることもなく、道を迷うこともない。これが世の末まで如来として生きる「不生」の人である。
諸々の東洋精神の世界
- 《年若き日、果たして自分自身がよく分かる人が何人いるだろうか。大半はその時置かれた環境の中で一応道を選びながらあちこちでもまれ鍛えられ次第に人間も練れ、方向も決まっていくものである。》
- 《人間努力の外の運はある。これは如何ともしがたい。しかし与えられた運の中で尚運命を好転させていけるのはそこにおかれた人間の心がけと精進による。》
- 《相手のためを思う心情の豊かさとしみ入るような親切さ。 》
- 《やさしさとは相手の足りぬところを補ってやること。相互補完こそやさしさである。》
- 《利だけで結ばれた者は利なければ去る。》
- 《だましにかかる相手のウソにだまされぬための方便としてのウソ。》
- 《競争相手に負けぬために時に奇手、奇策を演じて見せること。》
- 《正道を目指すのが人格であり、商略、商策を展開してみせるのが才能。》
- 《本当の学問は、自分の身体で厳しく体験し、実践するもの。》
- 《学問というものは体験を貴しとなし、その体験を練磨すること。》
- 《ただ大切なことは自分の好きな人が優れた人、立派な人であることである。》
- 《自分から好んで学問をし、それを実行に移して、少しも矛盾したところのない人物になれば、徳はその人に備わったことになる。》
- 《少しの私心ももたないところに人々が敬う秘密がある。》
- 《識:知識、見識、胆識》
- 《道:自己自身の中に律法をもった真の自由な創造活動》
- 《温:おだやか、良:すなお、恭:うやうやしい、倹:質素、譲:謙遜》
- 《心がいつも平静であって、波風に立ちさわぐことのないようにするのが学問。》
- 《自分を立てる前に人を立て、自分が達する前に人を達せしむるだけの余裕があれば、己に克つことができる。》
- 《天の道を自分の身に体得して、真実にたがうことなく人生に実践していくのが人の道。》
- 《無欲なるがゆえに静なり。》
- 《信じて信じて信じぬいてこそ人は動く。》
- 《人間と人間との歯車がかみ合うということは、お互いにどんな欠点があっても、それが苦にならないことである。》
- 《両忘:憤を発して食を忘れ、楽しんで以って憂を忘れる。》
- 《1.心中常に喜神を含むこと 2.心中絶えず感謝の念を含むこと 3.常に陰徳を志すこと》
- 《国の四患:偽、私、放、奢。》
- 《独善:世間が如何にあれ自分一人があくまでもよくするということ。》
- 《何事があっても臨機応変、自由自在に雄々しくたくましく善処していけるというのは、やっぱり精神的根底、人物の養成、立派な風俗というものを振興するにある。》
- 保臣 『何傷録』より:「人と生まれては高きも賎しきもせねばならぬものは学問なり。学問せねば吾身に生まれつきたる善あることもえ知らず、まして他の人の徳あるも、なきも、弁へず、また昔を盛んなりとも、今を衰えたりとも知らず、いたずらに五穀を食ひて、前むきて歩むばかりのわざにて、犬猫といはんも同じことなり。」
- 《道徳はつねに自分を新しくすること。》
- 《造化の心そのままに理想に向かって限りなく進歩向上してゆく。》
- 《人格ができてきますと、すなわち人物になってまいりますと、どこかしっとり落ち着いて、和らかく、なごやかに、声もどことなく含み・潤い・響きがあって、その人ぜんたいがリズミカルになる。》
- 《人間は本当に人間に立ち返れば立ち返るほど、良心的になればなるほど、偏見・偏心を捨て去って、己を空しうして謙虚に学ばなければならない。》
- 《知らず識らずのうちに物を変えてゆく、化してゆく、作用を及ぼしてゆく、これを「造化」という。「徳」というものは自然に人の手本になる。》
- 《「功」というのはそれによっていろいろの生活活動を促進してゆくことができる。これを「利」という。》
- 《日新の工夫は間断あるべからず(中江藤樹)。》
- 《人格の情熱、理想の情熱の焔に燃え出てくる知慧でなければ、人間を救うことはできない。》
- 《徳とは自然が物を生み育てるように、我々の中に在る凡そ物を抱擁し育成する能力をいう。》
- 《平常心これ道:人間はいかなることがあっても平常と変わらぬ、平常からちゃんと覚悟ができておることが大切。》
- 《信仰とか宗教とかいうことは日常の実践なのだ。つまり道徳なのだ。》
- 《天に対して敬虔であり、常に何事に対しても真剣に、まことに、無我になって学んでいく。》
- 《造化の生成化成、物を包容し育成する道、それが人間に現れたものが「徳」、その代表的なものが「仁」。》
- 《仁とは包容し育成する力。》
- 《温かい心の持ち主は、その温かさがおのずから顔や態度ににじみ出てきて、温かい雰囲気をかもし出す。それが部下やまわりの人々の心を魅きつける。》
- 人間は哲学的・実践的に日々生まれ変わっていく。
- 造化の理法に従って、自分を日々夜々造化してゆく。
- 陰徳・陰功は、憐みの心で人を恵み救うより大きいことはない。
- 真の智は物自体から発する光でなければならない。
- 自我の深層から、潜在意識から発生する自覚でなければならない。これを「悟る」という。
- 「悟らせる」「教える」の真義は、頭の中に記憶したり、紙の上に書きつけたものを伝達することではない。生きた人格と人格との接触・触発をいう。撃石火の如く、閃電光にひとしい。これを覿面提示と名づける。
- これあるを得て、初めて真の霊活な人物ができるのである。つまり全生命を打ち込んで学問する、身体で学問すると、人間が学問・叡智そのものになってくる。
- 真の教育者:学問にて練りつめて徳を成したる人。
- 自分自身をその対象に没入し深潜する。
- 他の人々や環境を薫化し改善する力。
- 魂の感動に基づかねば真の生命を得ることはできない。
- 《達人とは正直にしてしかも臨機応変、人の言語や顔色を見抜く聡明さをもち、思慮深く、その態度の謙虚な人物をいう。》
- 《士とは自分の行動に対して恥を知るものである。》
- 《善い人からは好かれ悪人からは憎まれる。それが正しい人間である。》
- 《心は自ずからその態度に現れる。君子というものは、自分に修めるところ深く、信じるところ厚く、従って、たくまずして悠然としており、しかも傲慢な態度がない。》
- 《仁者は心に患いがなく自信があるから必ず義を見ればそれを行う勇気がある。》
- 《君子たるもの実践すべき道は、仁、知、勇の三つである。仁者はかえりみてやましさがなく、知者は道理をわきまえ、勇者は信じることに突進する。だからそれぞれそのたちいふるまいにおいて、憂えず、惑わず、懼れないのである。》