事実です
2012年05月03日
- 空想ということがあります。空とは中身がないことで、思うだけで実現しない内容ということですね。つまり、意味がない。それでは世の成功はありません。だから無価値であり、悪ということになります。しかし十人十色です。同じ一つのことを話しても、受け取る側によって百人いれば百通りの解釈があります。これ が器の問題でした。器を大きくしたいですね。どのようにしてするのだったでしょうか。それが人生の目的だったのです。どこまで大きくできるでしょうね。そ して聞いたとおりに受けとめることができるのだったのでしょうか。この観点からすると馬鹿は決して幸せではない。だから夏目漱石も『こころ』の中で二度書 いていました。「精神的向上心のない奴は馬鹿だ」。雨は平等に降ります。しかし受け取る側の器によってその内容が異なります。仏とは人格の完成でした。その時、神の七つの力も賦与されていたことに気づきます。しかし、受け取る側の器によって、理解の度合いが異なる。それで信じられない。信じられないことを 以て否定する。だけど、仏は存在するのです。今も昔もこれからも。この辺りで認めるべき頃です。何故でしょうね。本来私たちは仏性がある。それを一切衆生 悉有仏性という。しかしそれは自得自覚してみないとわからない。だから本来一乗である法を三乗として説いている。人間も進化しました。21世紀です。そろそろ理解できる頃です。いつまでも愚かではない。野蛮ではない。新しい時代です。私たちは幸せになるために生まれています。幸せになりましょうね。なれる のです。それはあります。さて、本来無一物。それは空かと思われる。何もないのだろうか。何もないところからすべて生まれる。何もないところに何かある。それが一だった。そしてそれらが色々と解釈される。やがてわからなくなる。それが不可議です。そしてまたカオスとなる。それが何もない状態だった。すなわち無意味な状態である。何が真実なのかわからない。彷徨う。悩む。不安である。しかし、それはある。あたかも曇りの日でも雲の上にはお日様があるように。無から有が生まれる。そうだったのです。インド哲学に於いて観念が現実化する。西洋成功哲学に於いて思考は現実化する。新しい時代を迎えました。これまでの考え方が限界に至っています。しかし一はあるのです。それより始めましょう。今度こそ人類として幸せになりましょうね。考えるべきレベルは自己利益追求ではありません。それは大航海時代から始まったに過ぎないのです。かつて世界は無限でした。その後、世界は有限となりました。世界は地球から宇宙となりました。個々の魂は宇宙と連動しています。私たちの思考が宇宙を形成していたのです。何時までも殺戮ですか。それは動物の時代に克服していたはずです。そして人間となっているのです。万物の霊長として。これより何処へ向かいますか。生命進化傾向があります。社会には社会の目的と意思があります。それが仏の思いです。それに反すれば淘汰されます。仏の思いは宇宙も従います。私たちは自然の一部です。それを破壊してきたのが重商主義でした。利益のために手段を選ばなかったですね。そして今、考えるべきは地球レベルです。その時、何が起きるのでしょうね。大自然が証明します。事実です。物質偏重主義=お金(アメリカンドリーム的価値観)を卒業する頃です。