生命体としての人間の本質
2012年04月28日
- 何が幸せだったのか考えるべき時が来たのである。私たちは生命体であり、進化して人間に至った。個々の段階で、それぞれの幸せを模索した。人間となって神の七つの力が賦与されていた。それは何だったのか。冷暖自知、唯自得することを許す。私たちは自然の一部だった。やがて地球も滅ぶ。それまでに至り着かねばならない。どこに至り着くのだったか。明らかとなった。それが二十一世紀の約束だった。権力ではなかった。それは市民革命で克服されている。武力でもなかった。それは既に無価値となった。金力でもなかったのである。それで幸せは買えない。重商主義が限界に至っている。それはカルバンの思想に始まった。利益のために手段を選ばなかった。自然を破壊して、現代の繁栄がある。いつか報いが来る。その時が来たのである。堕落・逸脱が人生かと思った。多くのエンターテインメントがそうだった。社会には社会の目的がある。その存続・維持・発展の意思がある。私たちは今、社会の中で生存が保障されている。自然状態では無政府的であり、あまりにも野蛮である。上流階級と下流階級の常なる相克がある。それは文化が異なる。革命がある。下克上があった。平家は何故滅んだのか。貴族化したからだった。ギロチンもあった。政治とは、欲望の現実化である。かつて封建制だった。それは土地を媒体とする農民支配だった。今はお金を媒体とする労働者支配である。何時までもそれは続かない。何時か気づく。そして逆転する。あまりにも貪った時、それが訪れる。そしてあまりにも貪った。これからどうなるのだろうね。人間レベルの限界がある。社会は限りなく知性を好む。ばかになることが幸せではない。それは支配に服従することだった。本来人間は限りなく自由を求めている。どのようにして本当の自由を得るのだったか。知性である。知性の完成が仏だった。善とは完全という意味である。人間を通って生命体として完成する。それが故郷に帰ることだった。故郷とは何だったか。大宇宙だったのである。すなわち、ビッグバン生成以前である。私たちは本来何者だったのか。ビッグバンの時にクォークが分裂した。見える世界と見えない世界である。見えない世界はある。しかし、見えないことを以て否定した。キリストをも処刑した。自然を破壊した。何をしても自由だと思った。そうではない。社会の目的に合して何をしてもよい。やがて淘汰がある。いつまでも物質の支配ではない。物質の代表としてのお金だった。精神の代表としてではなかった。しかし、それを求めた。それはインカの金の略奪より始まった。それが智慧かと思った。残念だったね。真実が明らかとなっている。それは何だったのか。何が証明するのだったか。事実である。大自然が感応する。本来生命体としての人間の本質がある。人間は『パンツをはいた猿』ではない。何に乗じていたのだったか。本来何に乗じるべきだったのか。億億万劫伝えられていた真実がある。あまりにも知らなかった。探そうともしなかった。あきらめないことである。シュリーマンのように。腐敗堕落が人生ではない。市民革命は絶対王政に対するものだった。再びそれがないための制度が民主主義である。絶対専制君主が現れて支配することを未然に防止するために法の支配となった。人間は人間として平等であることを担保するためだった。そしてそれぞれの幸せの花を咲かせるのである。その時、その花はみんな違っていて良い。それが多様性ということだった。既に日本は、百年の計としての第三次生物多様性国家戦略の中にある。それは、制度をも拘束している。その中で、生きていく。この意思に反してもはや勝手は許されない。芸能界及びマスメディアは特にそうである。それが自由ではなかった。子どもたちがあまりにも惑わされている。彼は言っていた。彼がどの階級に属し、何を考えているか、とても重要な要素である。彼は今、下流階級にいる。そして今、上流階級にいる友人が彼に出会うとどう言うのだったか。「そんなところで何をしているの」。本来彼は何者だったのか。どんな人生を歩んだのだろうね。そして何を見つけているのだろうか。謎である。知る人は知る。知らない人は知らない。彼こそ彼だったなんて。もうそれは無いのかと思われた。敗戦の故だった。父がそうだった。祖父もそうだった。しかし種は遺されていた。何時か芽吹く。それは昭和50年の筈だった。或いは、昭和56年の筈だった。しかし、彼は失敗した。あまりにも哀しい運命があった。もうそれは、ないのかと思われた。しかし、彼こそ彼だった。子どもの頃からそうだった。しかし埋没した。何時か必ず彼は気づく。そして務めを果たす。そのために生まれていた。本来日本の命脈男爵の系譜、鮮やかに蘇る。戦後は殊の外困難だったね。やっとその時が来たね。その間、何が蔓延りたる哉。何を勘違いしての故であるか。これより成敗、裁くは祖先の総体としての黄泉である。