思うこと
何も怖れるべきことはないのでした。鉄棒は「ともえ」と「蹴あがり」ができればいいのです。それは技術でした。
コツがあります。教えるべきはそれであり、教育の目的はすべて代々の技術の伝授だったのです。
国語の解釈力も技術でした。コミュニケーション技術です。次のうち、正解はどれでしょうか。1.客観的真実 2.問題作成者が用意した内容 3.自分が正しいと思うことを主張すること。勿論、2.ですね。社会の中で生きていくための処世術です。
それが人格を形成するのでした。心構えの確立した知性こそ力です。そこに勇気があり、信念があり、愛があります。世界平和を創ることができるのです。
失敗はして良いですね。それより学ぶ。治癒すべき軽微な瑕疵は問わない。学校教育が怠惰ではなかったでしょうか。
社会は欺罔に満ちています。惑わされないことですね。すべての人に気に入って貰う必要はないのでした。そこに魔が忍び寄るからです。魔を引き寄せていたのは自分の弱さだったのでした。
過去からの敵がいます。しかし聖書には「左の頬をもさしだせ」とありますね。どういうことだったのでしょうか。敵は過去からやって来ます。彼らを認めてあげましょう。受け止めてあげましょう。彼らはそれを望んでいるのです。
根絶やしでは何も解決しません。問題を未来へ先送りするだけです。過去より自由となるのです。本来の自分となってこの世の人生は幸せとなります。それで良いのでした。
受忍限度を超えた犯罪は罰する。社会契約として。人間社会です。
人間は万物の霊長です。目覚めるべき時が来たのでしょうか。思い出すべき頃となりました。十分に進化しました。庶民レベルで自由を勝ちとるのです。それが21世紀でした。
かつて自由は王侯貴族に限られていました。今は資本家に限られているのでしょうか。制度自体が疲労しているのかもしれません。
庶民解放の頃となりました。それは自由の獲得です。それは個々の自分が自分となって成立するのです。それを阻害する要因は何でしょうか。自分のためにする欺罔はないですか。見直すべきはそれです。
主権在民、国民主権。日本国憲法は歴史的所産であり、目指すべき人類の決意表明でした。それは亦、プログラム規定でした。実現の頃となったのですね。何故でしょうか。 そのようなことはもう、どうでも良いのでしょう。要は現実問題解決です。その為に智慧があります。
自己利益追求のためにする智慧は悉く無価値となりました。いつまでもそのために智慧を使うべきではないのでしょうね。各企業も猛反省の頃です。生き残りの条件がシフトしたのです。
それは何でしょうか。愛と平和ですね。愛とは何だったのでしょうか。自分のためにしない。本来日本はそれを知っていたのです。それを目指していました。
取り戻せばいいですね。思い出せばいいのです。私たちのDNAにそれはあります。DNAこそ智慧の無限の宝庫でした。代々の英知と技術が蓄積されています。学ぶべきはそれだったのです。
技術立国日本。イエロー・モンキーの國ではありません。何を思いあがっていたのでしょうね。何を勘違いしていたのでしょうか。欺罔を廃する。バイオレンスを廃する。あるべき秩序があります。古来日本に掟があります。貶めてはならないものがあったのです。
それは精神でした。武士道精神に結実していたものです。武士には少なくとも精神修養がありました。身心清浄並びに正直を以て旨としていました。知らない者たちが貶めたのです。それが文化だと思ったのでした。
日本骨抜き占領政策は終わりました。失敗に帰しました。しばらくそれに乗じた方々が繁栄しました。しかしそのメカニズムが明らかとなりました。彼が探していたのはそれでした。それが解明されました。天の祝福するところとなっています。地も喜んでいます。
ベートーベンはいいました。「この世は成すべきことが多い。急げ!」
彼は自覚しました。何を自覚したのでしょうか。
彼は彼でよかった。彼こそ彼だった。未来を拓く。そうした人生もある。使命がある。務めがある。代々のことだった。古来大和の秘密だった。いつまでも黄泉が黙っていない。この世は素晴らしい。生きるに価する。すべてに感謝である。その時が来る。必ず来る。誰にも来る。 それぞれに熱く生きていく。幸せを求めて。