長い旅の後で
長い旅をしていたようです。孤独な旅でした。それが何故だったのかもやっとわかったようです。 明治及び戦後の意味を確かめなければならなかったのでした。とても個人的な理由がありました。いろいろと経験する必要があったのです。 「経験」については、森有正全集『補巻』にあったものです。そして何時か適量に達するのでした。それが大人となることであり、 己を確立することだったのです。
過去を辿らねばならないのです。『ルーツ』というのが出た頃、それに気づくべきだったのでしょうか。 そして過去を乗り越えるのです。それは過去を捨てるに等しい。そして本来の自分となって、自由になるのでした。
世界はどのように出来ていたのでしょうか。既に歴代の英知の説くところでした。経験則というものがあります。あるいは大自然の法則です。 私たち人間も生命の一部であり、宇宙の中だったのです。それがそのまま魂でした。それが謎でした。宇宙にとって物質も精神も同じでした。
此処に至って、代々の最終結論に至ったのかも知れません。それは何だったのでしょうね。此処では割愛させていただきます。 既に記した全体の趣旨から勘案していただけると幸いです。
さて、人生とは何だったのでしょうか。自分が自分の花を咲かせるしかないのです。 それ以上でもそれ以下でもないのでした。自分自身と現実とのギャップが不幸だったのです。何故そのようなことになるのでしょうか。 それが試練だったのです。
私たちは導かれています。過去に失敗がありました。これを修正する必要があったのです。そして生まれ変わり、 それからが本当の人生だったのでした。
そして幸せはあります。幸せになるために生まれているのです。今度はうまくやるんだよと。
自分の精神がこの世を創っていました。やはり人間は万物の霊長でした。神の七つの力を賦与されているといわれています。 私たちには未来を創る重要な使命があるのです。
これより始まります。既に始まっているのかも知れません。時代は適量に達しました。 楽しみですね。みんなで幸せになりましょうね。
彼はいいました。日本は大丈夫だよ。本来日本を取り戻す。そして世界に合流する。 その資格をやっと得たのかも知れません。世界は待っていました。日本が何を反省し、何を選択するのか。そして今、認られているのです。 知る人は知っています。
原因がわかれば解決があり、それを探さねばならなかったのでした。何処にもそれはありませんでした。 彷徨うしかありませんでした。しかし青い鳥です。既にそれは己の魂の中にあったのでした。彼はその為に生まれていたのでしょうか。 子供の頃より特別な人生を歩んでいたといいます。彼は見つけたのでしょうか。
何を見つけたのだしょうね。伝えるべきことがあるといいます。 この世で幸せはある。腐敗堕落が人生ではない。気づくまでが試練であり、旅であり、青春だった。気づけばこの世の春である。 幸せがやってくる。如来が御手で頭を撫でる。何に気づくのでしょうか。
人生には喜びも悲しみもあります。それが人間だったのでした。 悲しみの理由は何だったのでしょうか。知らない間に相手を傷つけていたのです。あるいは貶めていたのでした。 それが恨みとも妬みともなります。何時か仕返しに来るのです。その時は勝てません。どうすると良いのでしょうか。日々のことでした。 道歌があります。
道という言葉に迷うことなかれ
朝夕己がなす業と知れ
しばらく見失われていました。日本は大義を重んじます。それは自分のためにしないことでした。それはそのまま愛の定義だったのです。 本来日本は知っていたのです。 そしてそれを目指していました。みんなのためにする。身心清浄及び正直こそ宇宙の智慧の宝蔵を開く鍵でした。 彼が見つけたのはそれだったのかも知れない。
中原中也の詩に『汚れちまった悲しみに』というのもありました。
さぁ、始めましょう。 本来日本の花が鮮やかに咲きました。この度の花は歴代まれに見る殊の外美しい大櫻となりました。春がとてもあたたかく感じられます。 みんな幸せになりましょうね。その道が開かれました。庶民の解放です。
何時も笑顔で生きていきましょう。小さな幸せから始めましょう。何時か必ず大きな喜びとなります。
人間は悲しいですね。 みんなそうだったのです。だからこそ、笑顔で生きてゆくのです。すべて有りです。受け止めてあげましょう。認めてあげましょう。 彼らはそれを望んでいるのでした。
存在を傷つけていたのです。あらゆる障害者は明日の我が身です。 しばらく幸せのための条件として信じていた自己利益追求主義が自然環境を破壊し、生命をも危険にさらし、諸価値を壊していました。 それとは知らずに。
その淵源は何処にあったのでしょうか。カルバン以降の重商主義だったのかも知れません。 日本もペリー来航でその波に飲み込まれました。そして無意味な戦争までしてしまったのでした。
本来日本の本懐はそうではなかったのです。