鬱の子の存在証明
幸せはあります。それを知らない方々はないと思っています。幸せは何処にあるのでしょうか。家庭の団らんでした。それは家庭の空気だったのです。
いつも緊張していませんか。それは攻撃態勢ですね。その時、どのような周波数でしょう。
愛とは何だったのでしょうか。自分のためにしない。それは動植物及び岩石も喜ぶ周波数でした。その空気が家庭にありますか。
家庭の中でバイオレンスがあるとします。それが子供にとってトラウマとなるのでした。児童ポルノもそうです。こころの傷は癒えません。必ず鬱をもたらします。親として、大人としての大きな罪ですね。
こころの傷を癒すのは愛でした。あらゆる深層心理学がその原因を究明しています。精神科の薬では癒えません。症状を抑えるだけです。それはそれで良いのです。症状が抑えられている間に原因を明らかにして、それと対峙するのです。その時、どのような感情があるのでしょうか。恨みですか。悲しみですか。
子供にとってお母さんはとても大切です。お母さんが不幸だとしますね。それは子供にとって悲しみです。そして自分が鬱に陥ったとします。お母さんを幸せにしたくても出来ない自分があります。むしろ自分が生きていることがお母さんをさらに悲しませているように思われたとします。その時、自分の存在根拠を失って、例えば飛び込むのです。
その時、それは飛び込むことでしか自分の存在を示せない悲しさがあります。社会はそれを理解していませんね。そしてますます疎外感を感じる。マイナスの悪循環に陥るのです。
掬われたいと思っています。薬も飲んでいれば、治りたいと思っている。だけど現実があまりにも悲しい。そうした方々もいるのです。自分はちっとも悪くないと思われる。どうしてこのようなことになったのか。それがわからない。
原因があるのです。その時、自分は悪くない。だけど自分が悪いと思う。存在自体を否定してしまう。悲しいですね。どのようにしたら良いのでしょうか。愛です。幸せです。それはあるのです。しかし自分とは無関係と思う。それはないと思う。あるのにないと思い、ないのにあると思っている。さて、どうしますか。
その時、表層の言葉は通じません。何故でしょうね。人間的是非ではないのです。そうしたトラウマは動物的本能分野を壊しているのです。生きていくこと自体が出来なくなる所以です。
求めているのは何でしょうね。愛です。それは存在自体を受け止めて欲しいのです。この辺りを精神科医は理解していますか。本能の壊れた方は時間がかかります。しかしいつか修復されるのです。いつでしょうね。本当の魂に触れた時です。
あまりにも殺伐とした世の中です。その犠牲者です。掬うしかないですね。しかし社会は何処か冷たい。自分とは関係ないと思っている。明日は我が身であることを知らない。そして勝手に浮かれている。此処がテレビ界の罪でした。
宇宙は一体同根です。幸せはあるのです。それを知らない。それでないと思う。可哀相ですね。哀れですね。だけど殺戮もしている。このままでは人類としての存続も危うくなっています。幸せはあります。愛はあります。知らない方々が勝手していたのです。救いはあるのです。何処にあるのでしょうか。 身心脱落です。脱落身心です。
その時、リラックスしています。鬱の子がいますね。鬱は彼らの精一杯の存在証明だったのです。学校教育も見直すべきところです。何の為の教育だったのでしょうね。誰もが力強く生きていく為でした。
今宵も雲一つない中天の月が輝いています。三日間、雲がない。これは青天の霹靂でしょうか。久遠にはあったかも知れない。稀にみる一円玉の高気圧です。何故でしょうね。時代は確かに開かれたのでしょうか。 天気予報にそうした指摘はないですね。
彼は耐えたのでしょうか。耐えて耐えて耐え抜いたのでしょうね。そして嵐を呼ぶことを放棄したのでしょうか。そうした種もあるのです。古来大和の秘密です。 知らなかったですね。知らずに勝手しましたね。それも通らなくなりました。何故でしょうね。彼は何かを成就したのでしょうか。彼はいいました。日本は大丈夫だよ。代々の務めでした。これが本来日本です。復活の頃でしょうか。 彼は彼でした。彼こそ彼でした。何を自覚したのでしょうね。これほどの謎を解くのはやはり彼でした。粗末にするべきではないものがありました。何が蔓延ったのでしょうね。生命体としての進化傾向があったのです。本来日本の目指していた精神がありました。これまでは通っても、これからは通りません。